Special menu5 ダンジョンのアレ焼肉(おまけ)
彼女も、そしてタンといえばこの料理も忘れてはならない。
今日もどうぞ召し上がれ!
食べて、飲んで、食べて……。
昨夜の大騒ぎが嘘のように、朝のウルベン城塞都市は静まり返っていた。
路頭には酒に酔った者たちが、男女関係なく眠っている。
さすがに子どもはいないが、7、80と思われる老人が酒瓶を担いだままギルドの壁に寄りかかり、時々しゃっくりしながら安らかな寝息を立てていた。
だが、さすがに肌寒い朝に覚醒する者もいる。
現実的な寒さのおかげで、昨晩の夢のような出来事の余韻を引きずることなく、1人また1人と現場から離れ、元の生活へと戻っていった。
朝日が輝くウルベン城塞街の空に、1つ小さな影が現れる。
鳥でもなければ、まして竜というわけでもない。
それは杖に跨がった少女であった。
桃色の派手なドレスに、クルクルとロールした金髪の少女はゆっくりとウルベン城塞街に降りていく。
奇しくも降りた場所は、あのギルドの前であった。
鋭い視線を送りながら、誰かを探す。
真っ先に聖騎士アセルスと、その両端に寄り添った仲間を見つけた。
「おい。アセルス! 起きよ!」
「う~ん。もう……食べられないぞぉ、ディッシュぅ」
いまだ夢心地といった感じだ。
昨日の夜が余程楽しかったのだろう。
戦場に出れば、キリリと吊り上がる瞳も、今はだらしなく垂れ下がっていた。
この醜態を見れば、誰も彼女が辺境最強の騎士とは思わないだろう。
少女はピクリと眉根を動かす。
幸せそうな顔がまたむかつく――といった様子である。
「むっ……」
少女は何か気付く。
鼻を仕切りに動かすと、ギルド近くの酒場に入った。
ディッシュが底の深い鍋の中をかき混ぜている。
側にはウォンもいて、白い湯気を吐く鍋を熱心に見つめていた。
物音に気付いたディッシュは、鍋に目を落としたまま忠告する。
「お。アセルス、起きたか? ちょっと待ってろよ。おいしい――」
「ディッシュ!!」
「うぉおお!!」
いつもは常識外れの食材を使って、客を驚かせる料理人が飛び上がる。
危なく持っていた大きなへらを取り落とすところだった。
「な! アリス!?」
酒場の入口に立っていたのは、美食家王女アリエステルであった。
千数種類という料理を食べてきた小さな口は、今は真一文字に結ばれている。
いつも星のように輝いている青い瞳は、憤怒に彩られていた。
「どうしてここに?」
「どうしてじゃと? お主が料理を振る舞っていると聞いて、慌てて王宮を飛び出してきたのじゃ。それがどうじゃ! もう終わった後ではないか」
「いや……。お前が来るなんて思ってなかったからよ」
「当然、妾の分も残しているのだろうなあ」
「あー、いや……」
ディッシュは頭を掻いた。
すると、横でやりとりを見ていたウォンが一旦外に出る。
戻ってくると、口に宝箱をくわえていた。
中身は空だ。
「なんじゃこれは?」
「それがな。かくかくしかじかでよ」
「み、ミミックの舌に、臓物じゃと!!」
さしもの美食家王女アリエステルも呆気に取られる。
その小さくとも明晰な頭脳に、全く刻まれていない情報であった。
アリエステルは周りを見渡す。
外にまで出て行き、肉が残っていないか探すが、どこにもなかった。
ウォンが示すように、もう全部食べてしまった後らしい。
「妾の分がないではないか!!」
「いや……。だから、お前が来るとは思ってなかったんだって。手紙の1つでも寄越してくれれば――――あ……。でも俺、メニュー以外の字が読めねぇや」
「そんな……」
ペタリとアリエステルは酒場の床にお尻を着ける。
ウルベン城塞都市で、大規模な騒動があったと、今朝方衛兵を通して聞いた。
その中には、ディッシュが含まれていると聞き、アリエステルはたまらず王宮を飛び出し、飛行魔法でここまでやってきたのである。
ウルベン城塞都市から王都までは結構な距離がある。
それを飛行魔法で飛んでいくのは、かなりの魔力を消費する。
食材がもうないと聞いて、ドッと疲れが押し寄せてきたらしい。
いつもなら自信満々に、小さな胸をそびやかすアリエステルが、珍しくため息を吐いた。
「ミミックの舌と臓物……。食べてみたかったのぅ」
星のような瞳から輝きが失われていく。
朝日を受けてなお、金髪の色がくすんで見えた。
「まあ、そういう顔すんなよ、アリス。今、おいしい朝食を作ってるからよ」
「ミミックの舌と臓物は売り切れたのだろう? 今さら普通の朝食を食べてものぅ」
「食べる食べないはお前の自由だが、これはミミックのタン先だ」
「た~~ん~~さ~~き~~?」
ミミックの肉が食えると聞いて、色めくかといえばそうではない。
明らかに不服そうな表情を浮かべる。
ジト目でディッシュに対して抗議を投げかけた。
「タン先のぅ。ミミックとなれば、興味がないわけではないが、タン先であろう。硬いのではないか?」
王宮の料理では、牛のタン先は使わない。
硬くて食べられたものではなく、庶民が通うような肉屋でも安く売られている。
どちらかといえば、庶民の食べ物なのである。
とはいえ、アリエステルも気にならないわけがない。
現にさっきからディッシュの後方で白い湯気を吐いている鍋をチラチラと視線を送っていることに、ディッシュは気付いていた。
「にしし……。それはどうかな?」
ディッシュは笑う。
いつも通り、悪戯小僧のようにだ。
こういう時のディッシュは、逆に信頼できる。
この笑顔から、ディッシュはいつもとんでもなくおいしい料理を客に提供してきたからである。
「じゃあ、一口くらいなら」
「はいよ」
早速、ディッシュは木皿に盛る。
スプーンを付けて、酒場の席についたアリエステルの前に置いた。
「はうぅ……」
アリエステルはすぐに反応した。
湯気とともに漂ってきた匂いに、早くもクラクラする。
それは肉の臭いではない。
まず美食家王女の鼻を突いたのは、焦がした玉葱の匂いだ。
さらにピリッとした大蒜。
林檎や果実のような甘い香りもする。
それが幾重にも重なり、芳醇な香りを生み出していた。
やがて白い湯気の中から、料理が姿を現す。
濃い茶色のスープが目に付いた。
「ほう……。ソースシチューか」
思わずアリエステルはペロリと舌で舐め取る。
シチューは一般的に2種類ある。
1つは牛乳などを使って、クリーミーな味わいを楽しむミルクシチュー。
もう1つは牛骨などの骨粉に数種類の野菜を混ぜて煮込んだソースを使用し、様々な味の重なりを楽しむソースシチューである。
各家庭でよく作られるのが前者だが、後者は手間や材料費がかかるため、貴族などの上流階級が楽しむ料理だ。
そのソースシチューを、山育ちのディッシュが作れることにアリエステルは感嘆した。
理由を尋ねたいところだったが、目の前の料理馬鹿からまともな回答が得られるとは思えず、黙ってその辺の椅子に座る。
「香りはよいな。問題は味じゃ」
いよいよアリエステルは実食する。
まずタン先にはスプーンを伸ばさず、スープを掬い取った。
王女らしい優雅な動作で口に運ぶ。
「うぉおぉおぉおぉお!!」
アリエステルは思わず唸る。
美食家王女にして、完璧といえるソースであった。
玉葱などの野菜の甘み。
そこに加わる果実の酸味。
牛骨から取った出汁の旨み。
3つの味を大蒜がうまく引き締めてくれている。
小麦粉を使ったとろみ付けも完璧に近い。
滑らかに舌ざわりをもたらし、喉を通っていく感触も申し分なかった。
味と食感が渾然一体となり、全体的に濃く深い味わいをもたらす。
牛骨の獣臭ですら愛しく思えるほどにだ。
「スープもなかなかだろう。お前のところの王宮に行った時に習ったんだ」
「な、なるほどな」
こんな完璧なスープが、あの鬱蒼とした山林の中で生み出せるのかと問いただしたかったが、質問する前にディッシュが答えてくれた。
なるほど。
王宮で学んだというなら合点もいく。
しかし、完璧な複製――いや、それ以上と言ってもいいだろう。
ここまで来ると俄然気になるのは、スープの中に浮かんだタン先である。
実は盛られた時から気になっていた。
あれほど、不平を漏らしていたアリエステルの瞳に、今タン先がしっかりと映り込んでいる。
おそらくよく煮込まれたのであろう。
タン先がすでにチーズのように割けていたのである。
試しにスプーンでタン先を割ってみる。
すると石のように硬いタン先が、あっさりと切れてしまった。
「柔らかい……」
「昨日から煮込んでたからな。まあ、講釈は後だ。とりあえず食べてみな」
アリエステルはいよいよスプーンの皿にタン先を載せた。
白い湯気とともに、肉の香りが鼻を突く。
芳醇でいて、さらに高貴。
とてもダンジョンの一角で、冒険者を待ち構える魔獣とは思えない。
漂ってくる匂いは、国で一番の牛にも勝る。
その上タンやタン中であれば、さぞおいしかったであろう。
口惜しいことこの上ないが、アリエステルはぐっと雑念を押し殺し、実食する。
ほふほふと口を動かしながら、タン先を頬張った。
「はぅぅぅううううううう!!」
おいしい。
やはり驚くべきは肉の軟らかさである。
予想通りというべきか、やはり想像していたタン先の軟らかさではない。
とろけるような食感とはいかないまでも、少し筋を残した肉の食感は十分好感が持てる。むしろ肉を食べているという気にさせてくれる。
じわりと滲み出る風味も申し分ない。
期待するほど脂分は少なく、唸るほど甘いわけではないが、それでもタン先とは思えないぐらい甘みを感じた。
ディッシュお手製のスープのおかげか、絡んだ肉は十分味わい深い。
ウルベン城塞街に来た時のアリエステルは、ひどく冷たい顔をしていたが、その表情はようやく綻ぶ。
怒りの感情を喉に流し込み、肉の味を心ゆくまで堪能した。
しかし、ミミックのタン先のソースシチューは食べるのがもったいないほどの完成度を秘めていた。
からり……。
いつの間にか皿は空になっていた。
スープは丁寧に掬い取られ、賽子サイズに切られた肉は跡形もない。
わずかにアリエステルの唇に筋一本が残っていたが、やがてそれも白い布で拭われてしまう。
「おいしかったか?」
「不満をいえば、他の部位を食べられなかったのが残念じゃ」
ギロリとディッシュを睨む。
食べ物の恨みは怖い。
それは王国のお姫様とて例外ではないようだ。
しばらく祟られそうだと覚悟したディッシュは、笑って誤魔化す。
一瞬眉をつり上げたアリエステルだが、すぐに表情が緩んだ。
「だが、タン先のソースシチューはうまかった。また腕をあげたな、ディッシュ」
「ありがとよ、アリス」
ディッシュは照れくさそうに鼻をこすった。
すると、ドタドタと外が騒がしくなった。
光の速さで飛び込んできたのは、アセルスである。
どうやら匂いに感づいたらしい。
「ディッシュ! なんかすごい良い匂いがするのだが――――え? アリエステル?! どうしてここに?」
アセルスはぽかんとする。
その間の抜けた顔に、ディッシュとアリエステル、さらにウォンも混じって笑うのだった。
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