menu120 魅惑の黒い液体
書籍版『ゼロスキルの料理番』2巻が発売されました。
週末のお供に、是非お召し上がり下さい。
アセルスは思わず袋の中の液体を覗き込んだ。
真っ黒だ。
まるで井戸の底をのぞき込んでいるような気分になる。
時折、気泡が浮き上がり、それがまた禍々しさを演出していた。
悪魔の飲み物だ。
そんな印象があった。
「こ、これ……。本当に飲めるの、ディッシュくん」
思い切ってヘレネイが尋ねる。
ディッシュが言うのだから、おそらくちゃんと飲めるのだろう。
つい悪戯心が芽生えて――という可能性も捨てきれないが、こと料理に関しては、ディッシュはいつも真剣である。
疑いの余地はないが、やはり黒い飲み物というのは気が引けてしまう。
「よし。飲んでみよう」
声を上げたのは、やはりアセルスだった。
やはり聖騎士は、こういう時でも勇敢だ。
「じゃあ……」
ディッシュは袋を持ち上げ、木製の杯に注ぐ。
すると、モクモクと煙のように泡が沸き立つ。
ついには杯からこぼれ、地面に回復クラゲの養分が広がった。
「なに、これ?」
「まるで麦酒みたいだね」
ヘレネイとランクは驚く。
逆にフォンは心配していた。
「本当に飲むんですか、アセルスさん」
「心配するな、フォン。ディッシュが『うまい』と言ったものに、嘘は1つもないんだ。こんなおぞましい姿をしているが、これもきっと美味しいに違いない」
アセルスは木の杯の取っ手を掴む。
まず香りを嗅いでみた。
「むむ……。甘いな」
今まで嗅いだことがないのは間違いない。
けれど、どこか甘い香りがした。
「バニラ……? うん……。あと、これは桂皮に似てるな……」
「桂皮って?」
首を傾げたのは、ランクだった。
「香辛料の1つよ。とてもいい匂いがするらしいわ。貴族の人たちの間では、紅茶やケーキなんかにして食べるみたいだけどね」
ヘレネイが説明する。
スキル【植物操作】だけに、植物に関しての知識があるのだ。
「なるほど。いずれにしても、僕たちには縁遠いものだね」
「そうね。嗜好品だからね」
そういう意味では、さすが子爵閣下である。
アセルスはすぐに回復クラゲの中にある桂皮と酷似した匂いをかぎ取る。
十分に匂いの推察と堪能を終えると、いよいよ実飲に入った。
口を付ける。
しゅわ……。
「むぅ!!」
アセルスは目を丸くする。
言葉には現さなかったが、『なんだ、今のは?』という感じで、杯を手に持ったまま身体だけを離した。
恐る恐る杯の中を覗き込む。
まるで何か頭の中で囁くような音が聞こえたのだ。
もう1度、飲んでみる。
しゅわわわわわ……。
「うぉ!!」
思わずピンと背筋を伸ばした。
「アセルスさん?」
ヘレネイから話しかけても、アセルスは応答しなかった。
ただじっと不思議な飲み物を見つめる。
再びアセルスは口を付けた。
今度はちょっとではない。
ごくり、ごくり、と喉を動かし、半分飲みきった。
しゅわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわん…………!
弾ける。
口の中で液体がぶつぶつと弾けていた。
妖精の呟きのように聞こえていたそれは、中で気泡が破裂していたからだと、アセルスは知る。
「なんだ、これは? 麦酒の炭酸に似ているが」
それよりも遥かに強い。
麦酒の炭酸は製造過程で生まれたものだ。
それがキレとして、おいしい麦酒の要素の1つとなっている。
だが、この回復クラゲの養分は麦酒のそれを上回るものだった。
麦酒の炭酸は口の中で消えて行くような泡である。
しかし回復クラゲのそれは、口の中でさらに暴れ回るかのように強力だった。
結果、「しゅわ」という気持ちのいい音が、耳元で囁いているように聞こえるのだ。
「だが……。この回復クラゲの養分は、それだけではない!」
まずこの炭酸の量に驚かされるが、特筆すべき点はまだ他にある。
うまい!
味自体を説明するのは難しい。
アセルスが味わったものの中で、とにかく異質だ。
バニラのような華やかな甘さ。
桂皮のような鼻にぐっと来るような風味。
さらに飲み進めていくと、檸檬のような酸っぱさを感じるし、果肉を食べた時のような渋味も感じる。
たった1つの食材に、甘み、風味、酸味、渋味が凝縮されていた。
そこに目を回すような炭酸が口の中で激突する。
しゅわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ!!
泡の爆弾が口の中で連鎖的に破裂する。
だが不快感は皆無だ。
むしろ逆――。
明瞭な爽快感が口の中だけではなく、喉や胃を超えて、身体の中に広がっていく。
しゅわっ……という妖精の囁きが、身体のあちこちから聞こえてきた。
「うまあああああああああああああいい!!」
アセルスは絶叫する。
木の杯を持って、ウォンの遠吠えのように吠えた。
今にも金髪を逆立て、覚醒しそうなアセルスを見て、他の者たちはごくりと喉を鳴らす。
アセルスのリアクションを見てだが、興味がないわけではない。
そもそも袋の中から、先ほどから甘く、高貴な香りが漂っていた。
「これが桂皮……。貴族の香りなのね」
ヘレネイは目一杯香りを嗅ぐ。
ついに耐えきれず、ディッシュにお願いして、1杯頂くことにした。
間近で見ると、逡巡してしまう。
が、やはりこの高貴な香りから抗うことはできない。
ヘレネイも思い切って口を付けた。
しゃわわわんん……。
「はうぅぅぅんんんん!!」
刺激の強い炭酸が、ヘレネイに襲いかかる。
纏っている防具などものともしない。
針のような細かな刺激が、ヘレネイの腕、足、お尻、そして胸を刺し貫いた。
ランクも、フォンも試してみる。
「うおおおおおおお!!」
「ふわああああんん!!」
回復クラゲの養分の餌食になる。
身を切る炭酸……。
なのに後からやってくる甘みと、高貴な香りが身体を癒やしてくれる。
さらに酸味と渋味が、頭をシャキッとさせてくれた。
傷を負った魔獣が復活するのもわかろうものだ。
こんなのを戦闘中に飲んだら、どれほど傷を負おうと立ち上がってしまうだろう。
魔薬にも似た魅力があった。
「どうだ、うまいだろ?」
「うまいぞ、ディッシュ!」
「これははまっちゃうかも」
「これが回復クラゲの養分とはね」
「ええ……。本当に信じられません」
「うぉん!」
皆が回復クラゲの養分の味を称賛した。
その満足そうな顔をおかずにして、ディッシュはにししといつも通り笑みを浮かべる。
「じゃあ、俺のセット料理を食べてもらおうか」
ブライムベアのハンバーガー。
回復クラゲの足フライ。
そして、回復クラゲの養分ジュース。
ここに3種の神器ならぬ、3種の料理が皆の前に並ぶ。
「これこそが――――」
ゼロスキルのセット料理だ!!
ついにディッシュのセット料理が爆誕したのであった。
ちなみに「桂皮」はシナモンですね。
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1月15日には、
『叛逆のヴァロウ ~上級貴族に謀殺された軍師は魔王の副官に転生し、復讐を誓う~1』が、
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