menu97 聖騎士の異変
今回の話はとてもビックリすることが起こるので、
心臓の悪い方はお気を付けください。
それでは、今日もどうぞ召し上がれ!
それは唐突に起こった。
いつも通り、ディッシュは竈を前にして料理をしている。
本日のメインはイーワスの塩焼きだ。
塩だけというシンプルな料理ながら、これがうまい。
身の中の旨みと、ほのかに効いた塩味が絶妙だった。
絶妙と言えば、ディッシュの火加減にも同じことがいえるだろう。
外の皮はパリッとしているのに、中はふっくらとしている。
この時期のイーワスは旬であるため、脂の乗りもよく、身の隙間から滲み出ていた。
側にはいつも通り、ウォンとアセルスがいる。
ディッシュが作った夏の風物詩ともいえるイーワスの塩焼きに舌鼓を打っていた。
だが、しかし……。
からん、と音が鳴った。
それは皿の上に箸が置かれる音だ。
ディッシュには見なくてもわかる。
「アセルス、もう食べたのか? しょうがねぇなあ」
アセルスはとても早食いだ。
料理がおいしければ、おいしいほど早くなる。
【光速】の騎士は、食べる時も【光速】らしい。
サービスして、もう1本作ってやるか。
それとも刺身にしてやろうか。
ディッシュが悩んでいると、アセルスが信じられない一言を放った。
「ディッシュ、今日はもういい」
…………。
沈黙が流れる。
ディッシュは固まった。
あのウォンですら、おいしいイーワスの塩焼きを食うのやめて、固まっている。
「え?」「うぉん!?」
ディッシュとウォンは思わず振り返った。
見ると、アセルスの前には食べかけのイーワスがある。
どういうことだ?
ディッシュは頭を抱え、一瞬パニックになった。
あのアセルス“が”である。
ほうっておけば、山にある食材を全部食べてしまうのではないかと思うほど、長大な胃袋を持つアセルスが、なんと完食せずに食べ物を残していたのだ。
「ど、どどどどどどうした、アセルス? イーワスがおいしくなかったか?」
「い、いや……。そういうことではないのだ」
「じゃ、じゃあ……」
「それは――――」
「またダイエットってヤツか?」
「そういうことでもなくて」
「アセルス、正直に言ってくれ」
いつの間にかディッシュの顔はアセルスの前にあった。
真剣な顔でアセルスを見つめる。
鼻先まで近づかれて、アセルスの頬が赤くなったのは言うまでもない。
「何か、俺の料理に不備があったんじゃないか? 正直に言ってくれ。頼む」
と頭を下げる。
ディッシュはいつも楽しそうに料理を作るが、決してふざけているわけではない。
一食、一食、精魂込めて作っている。
手を抜いたことなど、1度もない。
常に真剣勝負なのだ。
だから、自分の料理が残されたことが、ショックだった。
それ故に、改善点を求めたのである。
「そ、そういうわけではないんだ、ディッシュ。ただ――」
「ただ?」
「今日はその……食欲が、…………な……い……」
ぱたり、とアセルスは倒れた。
ふわりと金髪が広がる。
頬は赤く、その口からは荒い息が吐き出されていた。
普段、鋭い視線を送る青い瞳は堅く閉ざされている。
「あ、アセルスゥゥゥゥウウゥゥウゥウゥウゥゥゥゥウウ!!」
魔獣の前でも動じないディッシュが絶叫した。
竈にはまだ料理途中のイーワスがあったが、すべて投げ出す。
慌てて、アセルスに駆け寄った。
「おい! アセルス! しっかりしろ!!」
声をかけるが、やはり荒い息しか返ってこない。
時折「すまん」「迷惑をかける」とかうなされているのか、ディッシュに謝っているのかわからないような声を上げている。
ディッシュはアセルスの額に手を置いた。
熱い。
顔も赤くなっていた。
かなりの熱だ。
どうやら、アセルスは病気らしい。
見たところ、風邪を引いているようだ。
実は、アセルスがディッシュの元に来るのは、随分久しぶりだった。
魔獣の討伐依頼が相次いで、ほとんど休みが取れなかったらしい。
疲れているのは言うまでもない。
それでも、アセルスはようやく取れた休みを使って、この『長老』の木の根元までやってきたのである。
それはディッシュの料理を食べたいという執念と、ディッシュに会いたいという想いが、そうさせた結果だった。
「うぉん……」
ウォンが心配そうに声を上げる。
今やアセルスのことを相棒もしくは兄妹と思っている節があるウォンにとっても、重大な関心事なのだろう。
「大丈夫。少し横になればよくなるよ」
ウォンを安心させるため顎を撫でてやる。
すると、ディッシュは倒れたアセルスを担ぎ上げた。
鎧と一緒だと、結構重たいはずだ。
しかし、ディッシュはいつも自分よりも大きい魔獣を解体している。
腕力は、そこらの冒険者に引けは取らなかった。
「ウォン、火を消しておいてくれ」
「うぉん!」
ウォンに竈の火を頼み、ディッシュは自分の家に向かう。
扉を足で開けて、やっと家内に入ると、藁のベッドの上に寝かせた。
「よし……」
ディッシュは額を拭う。
そして振り返った。
「アレはまだあったかな?」
戸棚の中をゴソゴソと探り始めた。
◆◇◆◇◆
むむ……。
私はどうしたのだ?
ここはどこ?
ああ……。
ディッシュの家か。
いつの間に、ここに?
それにどうして、私はディッシュの家で寝ているのだ?
頭が回らない。
致し方ないか。
休みを作るために、かなり無理して討伐を終わらせたからな。
そのため、フレーナやエリーザベトに迷惑をかけることになったが……。
そう言えば、イーワスはどうしたんだっけ?
私は全部食べたのだろうか。
おいしかったなあ……。
程よい塩気と、プリプリの身。
外はさっくりしていて、食べていて気持ちがよかった。
さすがはディッシュだ。
素材の味を引き出すのがうまい。
ああ……。
お腹が膨れたら気持ちよくなってきた。
いい匂いだ。
これはディッシュの匂いだな。
温められて、ほこほこした土の匂いがする。
安心する。
ずっと寄りかかっていたい。
そんなことを思うのは、少々わがままだろうか。
「お? アセルス、目が覚めたか?」
ん? うむ。
何か迷惑をかけたようで申し訳ない。
と言おうとしたが、うまく言葉に出せない。
どうやら、相当私は弱っているらしい。
むむ……。
なんとなく状況が理解できたぞ。
たぶん、私は倒れたのだ。
で――、ディッシュに介抱されているのだろう。
「す、すまん」
なんとか口に出す。
ディッシュは首を振った。
「いいって気にすんな。ちょっと待ってろよ」
そう言って、ディッシュは何やら壺を取り出した。
なんだろう?
あの壺は……。
すると、壺の中身を木のカップに開ける。
壺口から出てきたのは、真っ白な液体だった。
牛の乳か?
いや、それよりも濃いような気がする。
さらにドロリとしていて、まるで蜜のようだ。
「それは……?」
「ん? ああ。これな。飲むと元気になる飲み物だ」
うう……。
なんだかそう聞くと怖いな。
というか、犯罪臭がするのだが。
まあ、ディッシュに限ってそのようなことはないと思うが……。
ディッシュはそこに水と砂糖――ではなく、いつものスライム飴を熱で溶かしたものを加え、最後に氷を入れた。
「よし。完成だ」
ディッシュはカップを持ってこっちにやってくる。
「アセルス、飲む元気はあるか?」
身体がだるくて、うまく力が入らない。
でも、折角ディッシュが作ってくれたのだ。
無下に拒否もできない。
それに、あの白い液体が何なのかとても気になっていた。
「いただこう」
ディッシュに手伝ってもらいながら、私は起き上がる。
カップをジッと見つめたが、どうも食指が動かない。
というか、腕が上がらなかった。
どうするべきか。
やはりやめて、寝ているべきか。
私はちょっと悩んだ。
すると、ふとあの魔王のゼーナムの言葉が蘇った。
『乙女というのは、欲望に忠実にあっていいのだ。欲しいものは欲しいといえば良いのだ』
何故、今この言葉を思い出したのかはわからない。
もしかして、この『長老』に封印された魔王が私に語りかけたのかもしれない。
まさしく『悪魔の囁き』だろう。
そもそも考えがまとまらない。
これを言って良いのか、悪いのか、その判断すら付かなかった。
だから、その時の私は本能のままに願ったのだ。
「飲ませて」
「ん?」
「飲ませてくれ、ディッシュ」
「あ、ああ……。わかった。ちょっと待ってろよ」
ディッシュは一旦コップを脇に置き、食器棚に手を伸ばす。
その後ろ姿を見ながら、私は無闇に顔を赤くしていた。
言ってしまった。
わがままを……。
いや、そもそもわがままなら普段でも言っている。
でも、それは食材に関することだ。
それ以外のことで、こうやってわがままを言うのは初めて――のはず……。
「待たせたな」
ディッシュが持ち出したのは、スプーンだった。
きっとスープのように掬って、私に飲ませる気だろう。
私は肩を落とした。
自分が思い描いていた方法ではなかったから、ちょっとがっかりする。
「どうした、アセルス?」
「う、うむ……。でぃ、ディッシュ……。あ、ああああのな……」
「なんだ?」
言え。
言うのだ。
アセルスよ!
勇気を振り絞って。
こういう時だからこそ。
何も考えず、欲望に忠実になれ。
「その、口……」
「口……?」
「口……。口……う…………」
「口? う?」
口うるさいぞ、ゼーナム!!
◆◇◆◇◆
アセルスはドンと横の壁を叩いた。
壁は『長老』の幹になっていて、ビリビリと震える。
「変なモノローグを付けるな!」
『なんじゃ、残念だのぅ』
「お前、もう外界に干渉できないのではないのか?」
『かかか……。我を誰だと思ってる。魔王ゼーナムじゃぞ』
「お前、そう言っていれば、誰でも納得するとか思ってるだろ」
『ふん。多少はな』
姿こそ見えないが、おしゃぶりを付けた魔王が「にぃ」と笑っている姿が目に浮かぶようだった。
「こら。ゼーナム。アセルスは病人なんだぞ。大人しくしろ」
『はいはい。アセルスよ、頑張れ』
謎の励ましの言葉をかけ、ゼーナムの気配は消えて行った。
ようやく静かになる。
ゼーナムに怒ったせいか。
アセルスはちょっと苦しそうに胸を押さえた。
「大丈夫か、アセルス?」
「だ、大丈夫だ? すまん、ディッシュ」
「別にいいけどよ。飲めるか?」
ディッシュはスプーンをコップに着ける。
すくい取ったスプーンの皿には、白い液体が入っていた。
家の中に差し込む陽光を受けて、つるりと輝いている。
こうして間近で見ると、牛の乳とも、山羊の乳とも違う。
水で薄めたせいもあるだろうが、半透明でエキゾチックな感じがした。
香ってくる匂いも、動物の乳とは思えないほど、ツンと鼻腔を突く。
鼻を通り、身体の中を巡ると、爽やかな風が吹き込んだようだった。
少し身体が楽になる。
さて、今度は味だ。
「アセルス、口を開けろ」
「え?」
「口を開けないと飲ませられないだろ」
「う、うむ……」
ここに来て、アセルスは小っ恥ずかしくなっていた。
ゼーナムの声にそそのかされたとはいえ、飲ませてほしいと頼んだのは、紛れもなくアセルスの意志である。
自分で撒いた種とはいえ、顔を赤くせずにはいられなかった。
「ほら……。顔が真っ赤じゃねぇか。これ飲めば、風邪なんて吹き飛んじまうぞ」
「あ……いや…………これは、そのぉ…………」
「味なら心配すんな。すっげぇうまいから」
「すげぇうまい」
そう聞いたアセルスは反応した。
若干食傷気味だったお腹もピクリと蠢く。
竜の吠声のような腹音こそ鳴らさなかったが、眠ったことによって少し食欲が出てきたらしい。
今、アセルスの青い瞳に映るのは、間近に迫ったディッシュではない。
スプーンに載った謎の液体である。
「じゃ、じゃあ……」
「おう。はい、あーん」
「あーん」
やはり恥ずかしい。
反射的に口を閉じようとした時、すでにディッシュが持ったスプーンは、アセルスの口内へと滑り込んだ後だった。
『隣に住む学校一の美少女にオレの胃袋が掴まれている件』という新作を始めました。
タイトルからわかるとおり、現代世界を舞台にした飯モノラブコメになってます。
たぶん、『ゼロスキルの料理番』が好きな人には刺さる内容となってますので、
是非下欄のリンクより読みに来てください!







