menu92 ダイダラボッチのソテー
いよいよダイダラボッチを実食です。
今日もどうぞ召し上がれ!
※コミカライズの効果もあって、30000pt突破しました。
ブクマ・評価をいただいた方ありがとうございます!
小春日和に温められた土の香りがした。
どこか懐かしい。
ふと童心を思い返してしまい、胸がいっぱいになる。
こういうと食品の香りに思えないかもしれない。
が、しっかりと胃は反応していた。
ぐおおおおおおお……。
竜が嘶く。
ずるりと唾を飲み込んだのは、アセルスだった。
空腹のお腹をさすりながら、さながらアンデッドのようにディッシュに近づいていく。
即席の厨房では、ちょうどディッシュが鍋を上げ、何かの食材を皿に載せるところだった。
ふわりと白い湯気が舞う。
鼻いっぱいに吸い込んだ匂いは、紛れもなくあの胸がいっぱいになる香りだった。
「ふぅ……」
ディッシュは汗を拭う。
その顔は充実感に満ちあふれていた。
皿を見ると、一切れの食材が置かれている。
両面がこんがりと焼き上がっていた。
「ディッシュ、これは?」
「これはって……。何を言ってるんだよ、アセルス」
ダイダラボッチに決まってるだろ?
「だ、ダイダラボッチ??」
アセルスはマジマジと皿に載ったものを見つめた。
そしていまだに腐らず存在するダイダラボッチの方へ視線を動かす。
ダイダラボッチは青白く、見た目はぷにぷにしている。
触った感触は硬いバターのようだったが、今あるものは違う。
肉だ。
アセルスの前にあるのは、こんがりと焼けた肉だった。
それもただの肉ではない。
それは鳥や牛の肝臓に似ていた。
色も変わっている。
薄く平たく、表面に焼き目がついているが、端の方は白鳥の羽のように白い。
「ディッシュ。私には同じものとは思えないんだが……」
「加熱したからそう見えるんだろうな」
「熱したのか!? でも、ダイダラボッチは熱すると溶けてしまうのでは?」
「ああ。だが、その問題はクリアしたぞ」
あれほど悩んでいたというのに、もうダイダラボッチの食材としての弱点を克服したという。
皿を目敏く見ていたのは、アセルスだけではない。
ゼーナムも一緒だった。
「ディッシュ、食べてよいか?」
「ああ。ゼーナムには世話になったからな」
「世話?」
アセルスが尋ねる。
「さっきゼーナムに必要な調味料を家から持ってきてもらったんだ」
「むむ……。そういうことなら、私にも一声かけてくれれば良かったのに」
「かかか……。腹ぺこ騎士よ。ディッシュの家のどこに調味料があるかわかるのか?」
「うっ……」
「その点、わしはずっとディッシュのことを『長老』を通して見ておったから知っておるぞ。このダイダラボッチを一番初めに食すのは、わしの特権というわけだ」
「むむぅ……」
「膨れるなよ、アセルス。すぐに作ってやっから」
「うぉん!」
ウォンも1つ吠える。
どうやら怒っているのは、アセルスだけではないようだ。
「もちろん、ウォンにも作ってやるって」
「うぉん!」
「では、魔王であるわしが味見をしてやろう」
ゼーナムは皿に手を伸ばす。
爪の先でダイダラボッチを摘むと、首を傾け大口を開けた。
おしゃぶりを口の端に寄せると、涎を垂らすアセルスとウォンに見せつけるかのように、ゆっくりと口の中に沈めていく。
そして、完全にダイダラボッチはゼーナムの口の中に消えて行った。
瞬間、ゼーナムの瞳が大きく広がる。
「くりぃいいいぃいいぃいいぃいぃいいみぃいぃいぃいいいぃぃ!!」
絶叫した。
硬い表情が、溶けたバターのようにトロトロになっていく。
なんとクリーミーなんだ……。
ゼーナムが思わずうっとりする。
それほど、そのダイダラボッチは世の中にある食材とは一線を画していた。
ミルクとも、バターとも違う。
独特なまろやかさと、気が遠くなるほどの深いコク。
上品などという言葉だけでは物足りない。
これぞ食の王様と唸りたくなるほど、あらゆる味が詰まっていた。
食感も申し分ない。
外はサクッとしていて、歯ごたえが抜群だった。
だが、中はしっとりとしていて、歯が刺さった瞬間、じわりと脂が口の中に染み渡るのがいい。
その脂もまた芳醇で、先ほどから感じる豊香はこの脂から漂ってくるのだと、ゼーナムは理解した。
「この食感はおそらく小麦粉だな、ディッシュ」
「ああ。そうだ。焼く前に軽くまぶして、さっと両面を焼いたんだ。中に火が通っていないかもしれないが、これが生で食えることはさっき証明されたからな。でも、ちょっと火を通しただけでも、随分と食感違うだろ?」
「ああ。生で食べた時とは全然違う」
ゼーナムはいまだその豊香を感じる空皿を掲げた。
「この食材には、王気を感じた。覇者の味だ。さすがはダイダラボッチ。そして、さすがはゼロスキルの料理人。よくぞ、この厄介な食材を調理した。褒めてつかわすぞ、ディッシュ」
見た目はおしゃぶりを加えた子どもなのだが、偉そうな賛辞に皮肉はなかった。
ディッシュは嬉しそうに蓬髪を掻く。
その両袖を引っ張るものがいた。
アセルスとウォンである。
「はあ……。はあ……。はあ……。はあ……」
「はっ! はっ! はっ! はっ! はっ!」
1人と1匹は荒い息を吐き出す。
アセルスの顔は真っ赤になっていた。
目がうるうるし、今にも泣きそうになっていて、しきりにお腹をさすっている。
まるでおしっこを我慢している子どものようだった。
ウォンの方も、バチバチと音を立てながら、尻尾で地面を叩いている。
アセルスもウォンも口には出さない。
だが、もう限界寸前であることはすぐにわかった。
「わかったわかった。すぐに作ってやっから……」
ディッシュは早速調理に取りかかる。
ダイダラボッチの一部を抜き取り、平たく切る。
そこに塩、胡椒をつけて、最後に説明があった通り小麦粉をまぶした。
鍋に油は引かず、そのまま投入する。
パリパリと音を立てながら、あの豊香が漂う。
しかし、もう香りだけではアセルスもウォンも反応しない。
鍋の上で加熱されるダイダラボッチの一部を見つめる。
すると、ゆっくりとダイダラボッチの一部から油が滲みだしてくる。
まるで横にいる1人と1匹の涎のようだ。
ディッシュはいくらもしないうちに裏返した。
焼き固めていく。
その間にも、どんどん油が滲み出した。
それでも、先ほどよりも溶け具合が遅い。
小麦粉をまぶしたのは、食感のためが1つと、肉内部の水分や油分を閉じこめるためだ。
さらに細かな小麦粉は、魔力の流出をも抑えてくれる。
魔獣の中にある無数の魔孔。
それは当然、ダイダラボッチにも存在する。
小麦粉をまぶすことによって、魔獣肉の保存性を高めているのだ。
単純だが、このやり方は非常に利に適っている。
美食家王女アリエステルがこの場にいれば、あっぱれと称賛したことだろう。
焼き目が少し付いた時点で、ディッシュはダイダラボッチの一部を皿に盛った。
早速、アセルスは皿の前に立つ。
ゼーナムと違って、アセルスの手にはすでに銀食器が握られていた。
ナイフで切り、フォークを使って口に運ぶ。
あの豊香を存分に浴びながら、舌の上に載せた。
「はっ!!」
目が覚めるとは、この事だろう。
アセルスが顔を上げる。
そこに広がっていたのは、草葉が揺れる広い大草原だった。
地平の彼方まで続いている。
さらりと風が吹くと、草葉が揺れ、豊穣な土の匂いが鼻を突いた。
他には何もない。
人間すらいない。
原初の世界を、アセルスの瞳に映し出していた。
「アセルス!」
ハッとアセルスは我に返った。
手には銀食器があり、目の前には空の皿とディッシュの顔がある。
ふと目が合うと、アセルスの顔はたちまち真っ赤になった。
「でぃ、ディッシュ! 近い!」
「ん? 近い? ……まあ、いいや。大丈夫か? 急に食べながらぼうっとして。なんかお前の様子が変だったから、こっちは心配したんだぞ」
「む。それはすまない」
「かかか……。腹ぺこ騎士よ。お主は、ゼロスキルの料理世界を見たのだろう」
ゼーナムは愉快そうに笑った。
「ぜ、ゼロスキルの料理世界……」
「ほれ。前に話したであろう。『異界の回線』の話じゃ」
「ディッシュの料理は別の世界を見せてくれる――という話か……」
「そうじゃ。お主が見たのは、おそらく異界の姿よ」
アセルスは首を傾げるしかなかった。
異界と言われても、何かしっくり来なかったのだ。
だが、仮にディッシュの料理が異界を見せてしまうほどのものならば、それはスキルではなく、大魔法級の奇跡だろう。
「さて、ディッシュよ。むろん、お前の料理はこれで終わりではないのだろう」
ゼーナムは笑う。
まるでディッシュのお株を奪うかのように。
すると、ディッシュは肩を竦めた。
「さすがはゼーナムだな」
「ふむ……。わしが見たところ、その油を使うと見た」
「ああ。俺の料理はここからが本番だぜ!」
ディッシュはエプロンを締め直す。
再び包丁を握るのだった。
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次回コミカライズの更新は9月6日になります。







