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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
閑話 漆黒の月夜で孕んだモノ
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第14話 漆黒の月夜で孕んだモノ

 時は進む。足音を立てて。豪雨の中で、時は進み、そして追いつく。


 それは曖昧だった。生きているか死んでいるか、曖昧だった。


 その存在は曖昧だった。確かにそこにあるが、それはそこにはないのだ。


 生まれる前の人。形を与えられた人。まだ完全な肉を、完全な魂を持っていない人。


 曖昧だった。それは曖昧だった。だから最初は、それを見た女はそれを死んだモノとして扱った。


「エリンフィアさん……生きてる。姐さんまだ生きてる……!」


「馬鹿な、内臓のほとんどが損傷して、心臓も大きく切り裂かれてるんだぞ。なんで、生きてるんだこの女……本当に人間か……!?」


「でも、生きてる! 何とか、何とかしないと! どうすれば、どうすればいいの!?」


「みせろ馬鹿!」


 遥か昔、この地には魔法使いと呼ばれた老人がいた。彼は、特異体質の持ち主だった。


 彼の肉体は、肉体に流れる血は、魔力を帯びていた。人の数倍の魔力を。普通の人の比ではないその膨大な魔力量。それは、老人が老人の姿になるのに人の数倍の時間を与えた。


 即ち、彼の肉体そのものは魔力に、魂に依存しているのだ。肉体が滅んだとしても、自らの魂が、自らの魔力が残っている限りは死ぬことはない。


 魂は記録する。繋がっているモノすべてを記録する。肉体を記録する。


 だから、こうなる。


「なんだこいつ……蛭かお前の身体は……再生してるぞこいつ……」


「ね、姐さん……エリンフィアさんどうですか……!?」


「だが流石に無いモノは作れないか……おいラナだったか、集めろ。この女の臓物全部集めろ。繋げたら治るかもしれないぞ。あと水だ。綺麗な水。出せ、早く。魔法で出せ。できるだろうがお前」


「は、はい!」


「刻印無しにこの再生能力だと……くっそ、縫合……罠を仕掛ける時の細い糸しかないぞ……ちっ、医術もっと学ぶべきだったな……私は形を整えるぐらいしかできないぞ……」


 光る。血の赤はうっすらと光っている。それは肉体が、必死に記憶通りに戻ろうとしている証。


 ラナとエリンフィアは空に浮かべた水を使って開かれたハルネリアの腹部を洗い、そして切り飛ばされた臓物を記憶を頼りに元の位置に納めていく。エリンフィアは糸で大きな切断面を整えはしたが、ほとんどは、整える必要もなかった。


 納めるだけでそれは光りを放ち、ある程度の修復を見せる。奇跡、それは、魔法師の始祖の、始祖の祖父の魔法使いの、ヴェルーナ・アポクリファの血統の成せる奇跡。奇跡という名の必然。


「は、ははは、笑えるな。笑いしかでないぞ。何だこれ、どうやったらこいつ死ぬんだ? ははは」


「姐さん……姐さんっ……!」


 そしてついに、彼女の身体はある一つの臓器を除いてすべて再生した。確かにまだ多少の傷が残っているが、それが治るのも時間の問題だろう。


 残った臓器、エリンフィアはそれに手を掛ける。それは、子宮。子の宮。


 切り裂かれた裂け目から伸びる紐。赤い紐。それはハルネリアの胸元に繋がっていて。


 エリンフィアはその紐を切ろうと腰の短剣に手を伸ばした。もうこれは、必要のないモノ。これがあると、身体の中に戻せない。


 彼女は剣を取る。紐を切ろうと剣を取る。へその尾を切ろうと剣を取る。死んだ胎児のへその尾を切ろうと――――


 ぴたりと、手が止まった。


「どうしましたエリンフィアさん? 早くしないと、姐さんの体力が」


「待て」


「は、はいどうしました?」


「この胎児、生きてるんじゃ、ないか?」


「えっまさか?」


「生きて……いや……なんだこの感覚……私は何でそう思うんだ……?」


「エリンフィアさん?」


「この紐……切っては、いけない気がする。致命的な気がする。何にとって? 私に? 何だ? この感覚……は……」


 声が聞こえた。エリンフィアの頭の中に、声が聞こえた。いや、それは声というよりも、映像。映像が聞こえた。


 胎児。ハルネリアが抱く、胎児。辛うじて人の形を保っているだけの、裂かれた胎児。


 それに対して、エリンフィアは最初、死んだモノとして見ていた。だがそれに手を触れた瞬間に、指先に伝わる何かがその認識を変えた。


 この胎児の母親は、間違いなくハルネリア。それは彼女子宮に繋がっていることからも明らか。


 父親は?


「知れたことを……くっ……どうする、どうすればいい? どうすれば……何故、生かそうと思う? 生きてるのか? 本当に?」


「ちょっと、エリンフィアさんしっかりしてください。流石にお腹開いたままだと姐さん危ないですよ。短剣貸してください。その胎児、私が外します」


「待て、やめろ」


「やめろって、どうするつもりですか?」


「どうする……? そうだ、どうするも何も、決まってる。子は宮で、子宮で育つものだ」


「エリン、フィアさん?」


 きっとこの時の彼女の思考は、論理的な思考ではなかったのだろう。生きてるかもしれないという思いが、生きているという思いにいつの間にかすり替わっていたのだから。


 如何に自らの夫の子とは言え、所詮他者の子。それにこだわる必要も、こだわる理由もない。


 人は、時に理不尽に。


「ラナ」


「は、はい?」


「この子を助ける。手伝え。私だけじゃ、私の中に入れてやれない」


「は、はぁ!?」




 ――ここから始まる。世界の夢。




 きっとこの行為に、同情は無いのだろう。ここにあったのは確かな愛情と、想い。


 目の前にいる、人になれなかった胎児に対する愛。あまりにもそれが、健気で、生きようと必死だったから。だから、彼女はその胎児に意識を向けた。


 どうやったのかはきっと誰にもわからない。だがその胎児は訴えたのだ。自分はまだ生きていると訴えていたのだ。


 そして生きたいと訴えたのだ。それは単純な意志。生きようとする意志。どんなに消されても消えることがない意志。


 エリンフィアはその意志に触れた。そして伝わった。何故伝わったのかは、きっと誰にもわからない。


 いやたぶん、理由などないのだろう。どうあれ強い意志に人は従うモノなのだから。


 エリンフィアは言った。自分の刻印は死なせない刻印だと。自分の刻印に繋がったモノは、強引に生かされるのだと。


 致命傷を負ったとしても刻印はそれに反応し、元通りに治す。たぶん即死だったとしても、刻印が消えない限りは治すだろう、と。


 このほとんど死んでいる胎児を生かし、そして治すのは自分と繋げるしかないのだと。


 だから腹を開いた。自分が子を産めなくなることが分かっていながら、エリンフィアは腹を開いた。


 豪雨の中。自らの髪を口に咥え、舌を噛み切ってしまわないようにして、エリンフィアは腹を開いた。


 ビクビクと痙攣する。足が痙攣する。腹筋が痙攣する。肺の中の空気が全て押し出される。


 ブルブルと震えながら、しかししっかりとした手取りで、エリンフィアは腹を開く。開いたまま、小さな針でその腹を固定する。


「狂ってる……狂ってますよこんなの……」


 もはや何もしゃべれない。もしここで、気を失ってしまったら、死んでしまったら、きっと自分の刻印は自分だけを治して終わらせる。


 邪魔な胎児は自分に飲み込まれる。


 エリンフィアは腕を伸ばし、ハルネリアの手から子を取り上げた。そして引っ張った。


「姐さんの子宮、胎盤ごと、あなたに一部移植します。卵管の機能も、この子のために外します。いいですかエリンフィアさん。もう二度とあなたは子が産めなくなります。姐さんと、同じように……」


 急げと、眼で訴える。ラナはもはや無感情で、何も感じないように、ハルネリアの子宮を切り裂き、その一部をエリンフィアの子宮につなげた。


 繋げたといっても糸で形を整えただけ。だがそれで充分。


 エリンフィアの左手が輝く、黄金色に輝く。そして再生する、黄金色の光を放ちながら彼女の子宮は再生する。ハルネリアの子宮を取り込んで、再生した。


 そして子宮に繋がれたへその尾。その先にある、辛うじて頭だけが判別できる人になりかけの胎児。その胎児も、黄金の光を受けて、再生した。


 手、足、胴体、頭。どれがどれか、判断できる。透けて心臓が動いてるのが確認できる。


 エリンフィアはそれを丁寧に自らの子宮の割れ目にしまい込んだ。そしてもう一度刻印を発動させる。次は子のいる状態で再生させる。


 膜ができる。子を守るための膜ができる。


「羊水は胎児の尿だと聞いたことがありますエリンフィアさん」


 ラナのその言葉に、再生の方向を変える。子供の代謝を促して、胎児の体液から羊水を再生させる。


 器用に、再生の方向を変えれるのも刻印故。魔を超えた魔を見せる刻印故。


 長い長い夜。赤い血の海の上で、ハルネリアとエリンフィア。赤と黒の女二人が、上半身を血に染めて肩を並べて寝ていた。


 すでに雨は上がり、月が空に浮かんでいる。明るい月の光は、二人を照らす。


 漆黒の月夜で二人の女が孕んだモノは、世界の夢を魅せるモノ。


 エリンフィアは自分の腹部に手をあてて、その中にいる命を感じながら小さく呟いた。


「もう、誰にも渡さない……ここにいろ……」


 そして彼女は気を失った。月を見上げながら、気を失った。


 月光に照らされて、土の上で二人の女が身を寄せ合う。その光景をただ一人見ていたラナ・レタリアは、どこからか取り出した自分の予備のローブを二人に掛けた。


 彼女は、涙を流していた。あまりの美しさに、狂ったような美しさに、涙を流していた。




 ――父親一人、母親二人。後に、アルスガンドの歴史の中で唯一、自分の名を持つことになる男が今ここで創られたのだ。

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