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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
閑話 漆黒の月夜で孕んだモノ
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第12話 暗い夜の中で

 人は、簡単に堕ちる。


 一度やってしまったから、二度も同じ。


 あいつがやっているから、自分がやってもいい。


 様々な言い訳をしつつ、人は堕ちる。そして堕ちた場所がその者にとって当たり前となる。


 そこは、瘴気に当てられた者たちにとっての日常。他者にとってそこは、魔の領域。


 人がいた。面倒そうに頭を掻きながら文字を書く人がいた。


 時折考え込むように筆は止まる。トントンと筆の柄を額に当てて、思ったものと違ったのか、その人は紙を丸めて投げ捨てた。


 彼の周りにあるのは大量の筒。液体で満たされた筒。


 その筒は時折光を放つ。黄色く、赤く、青く、混ざり、緑に、紫に、赤茶色に。


 筒の中にあるのは塊。何かの塊。ブヨブヨとした塊。


 塊は上下に、ずるずると動く。沈んで、浮かんで、淵にあたって、また沈んで。


 それは心臓。人の心臓。大量の筒に入ってるのは、大量の心臓。時々、それはドクリと動く。


 一つの筒が割れた。流れ出る液体は透明。流れ出る心臓は赤色。


 文字を書いていた人は溜息をつくと、その割れた筒の破片を掴み、片隅に置いてあった箱に投げ込んだ。床に落ちた心臓を掴んで、同じように箱に投げ込む。


 筒の破片と心臓が投げ込まれた箱の中身。そこは、ゴミ捨て場、肉のゴミ捨て場。ガラスの破片の中に、腐り溶けた大量の心臓が詰まっている。


 ここは実験室の一つ、心臓を並べ魔力で動かし続けるという実験を行う場所。この実験、意味があるのかどうかなど、やってる本人にもわかってはいない。この実験は、ただの作業。ただの仕事。


 彼らは麻痺しているのだ。当たり前になっているのだ。人の残骸を使って実験を行うことが当たり前になっているのだ。


 また別の実験室。口と眼を縫い合わされた人がいた。大勢、大量に。肩に鉤状の針を撃ち込まれ、その者たちは食肉のように天井につるされていた。


 その者たちの足元には小さな川があった。血の川があった。床にほられた溝に沿うように、血は部屋の中心に流れていく。そこにできていたのは、血の池。


 血の池には女がいた。中年の、熟した女がいた。女は血の池につかり、一心不乱に身体を血で洗っている。


 女は血を掬って、口に運んだ。喉が上下に動く。血を飲んでいるのだ。


 鉄錆と生臭さ。この世のモノとは思えない臭いがその部屋を包んでいる。だが女はそれを気にすることはない。いつも通りなのだから。日常なのだから。


 そして別の部屋――――また、別の部屋――――また別の――――


 狂気。聖なるものを祀る聖堂。その中で行わていたモノは、狂気。


 ある意味、自由。自由なのだ彼らは。自分が思うがままに、自分が思う存分に、魔術を極めんと術を試しているのだ。


 魔力の源である人の身体と魂は大量にある。大量に。それを使うことが彼らの日常。


 上階、聖堂の一階。そこには、首のない女の身体に向かって何かを必死に貪る男の姿があった。


 涎を垂らして、虚ろな目で、男は貪る。快楽のために、死体に向かう。


 その近くで床にかかれた魔術陣に向かって魔力を流す男がいた。彼は腰を振っている男を横目で見ると、しょうがない奴だという風に鼻で笑う。


 日常、日常なのだ。これもまた、日常なのだ。


 彼らにとって捕らえた人は、人ではなく肉、肉と魂。ただそれだけ。それをどう使おうが、自由。それが彼らに与えられた日常。


 10年、あるいはそれ以上、長年行われてきた。ファレナ王国の裏で繰り広げられてきた狂った日常。


 終わる。今からそれは終わる。


 扉が開いた。音を立てて、聖堂の扉が開いた。


 魔術陣で魔術の鍛錬を行っていた者は、仲間が返ってきたのだろうと思い扉の方を見ることはなかった。


 死体を抱いていた男は、その体制からか、扉が開くのを見た。


 そして見た。赤と青の双剣を。


 それは、薄暗い聖堂において、一際輝く二本の剣。世界で最も美しい二本の剣。


 それの持ち主の男は、冷たい眼をしていた。どこまでもどこまでも、冷たい眼をしていた。


 赤い剣が真横に振られた。その剣閃。赤い色の線。その線が走ったその瞬間に、死体の上で腰を振っていた男の首が消えてなくなった。


 奥、魔術陣の前にいる男。男は自分の後ろでそんなことが起きてることなどつゆ知らず、魔術陣に魔力を走らせることに集中していた。


 その男の背が焼かれる。赤い炎が突然現れ、音もなく男の背を焼く。


 痛いと感じた瞬間にはもう手遅れ。男は振り返ることすらできずに、白い灰になった。


 日常の終わりは、非日常の始まりでもあって。


 虐殺。


 これは誰が何と言おうが、虐殺。


 駆けた。一部は駆け下りた。聖堂の表の階段を。一部は駆けあがった。聖堂の裏の階段を。


 唐突に、突然に、現れた大量の人、黒き人達。


 大量の書類を持って廊下を歩いていた魔術師は、その書類に顔をうずめるように倒れた。魔術師の首には銀色の短剣。


 実験室で魂を取り出そうと人を処理してた魔術師は、その部屋の扉が開くや否や投げ込まれた火薬の爆発に巻き込まれて死んだ。当然、捕まって身体を切り刻まれていた人も死んだ。


 爆発音、人の悲鳴、物音。日常の中にいた魔術師たちは、それらすべてを聞いて、ようやく理解した。今この聖堂で、何かが起きているということを。


 彼らは慣れていた。戦いに、襲撃に。危険な術を開発している彼らだ。当然裏切りもあれば、材料としてとらえた者の反逆もある。


 きっと、彼の動きは迅速だったのだろう。大きな声を出すことなく、あわてることなく、魔術師たちは迎撃態勢に移ったのだ。


 だが、何もできないのだ。そんな戦いに慣れた魔術師たちが200余名いても、何もできないのだ。それだけ今夜の相手は格が違った。


 そこにいる者達には誰一人何が起きてるのかわからなかった。広い廊下を悠々と歩く一人の男が、赤と青の剣をその場で軽く振るだけで、遠く離れた場所にいた魔術師たちの首が落ちたのだ。


 距離、間合い、それらを無視するその男の進み。男の左手には、紫色の刻印が輝いていた。


 裏口から逃げようと走り出した者がいた。仲間を押しのけて、必死で走った者がいた。


 その者は見た。裏口の前に立つ女を見た。長い髪を後頭部で束ねて、うっすらを笑みを浮かべる漆黒の女を見た。


 逃げたと言えども魔術師である。その者は、魔力の弾を放った。相当の威力。岩をも貫くその魔力の弾。


 それは命中する。女の胸に、心臓に。漆黒の女は裏口の扉を突き破り外へと吹っ飛ばされた。


 この程度かと、魔術師の男は思った。そして走った。穴の開いた扉に向かって。


 男が通るには穴は少し小さい。男は扉を押した。押そうとした。


 その瞬間、男は死んだ。大量の剣に身体を貫かれて。剣の山のようになって。


 男は絶命する瞬間見た。胸に穴を開けた女が、立ち上がるのを。そして見た。穴がふさがっている女の胸を。女の左手には、黄金色の刻印が輝いていた。


 死んでいく。魔術師たちが次々と死んでいく。魔術師に処理され人の形を無くした者達も、次々と死んでいく。


 虐殺。彼らは、人を殺す。たとえどんな状況であっても、人を殺す瞬間には冷たい眼ができる。


 様々な輝きの刻印が、聖堂のいたる所で輝いていた。その輝き一つ一つが、人を殺す輝き。


 人の夢を殺す輝き。




 ――そして数刻後、ある部屋の前に、赤髪の魔法師が立った。




 何かを感じた。


 その部屋に、何かを感じた。


 彼女は傍らに青髪の魔法師を連れて、扉を開く。その部屋の扉を開く。


 本を開いて灯りをつけて、周囲を見回す。そして見つける。


 子供。


 たくさんの子供。


 小さなローブを着て、フードを頭まで被って震えている子供たち。部屋の片隅には絵本。箱一杯の木のおもちゃ。部屋の隅には小さな小さな赤ん坊を抱えた女の子もいる。


 これは、子供。攫われた犠牲者たちの子供ではない。この聖堂で産まれ、堕ちた魔術師となるべく育てられている子供。


 狂気に染まる前の、小さな魔術師。


 青髪の魔法師が言う。今のうちに殺しましょうと。それはきっと正しい。少しとは言え、ここにいるのは狂気に当てられた子供たちなのだから。


 赤髪の魔法師は思い出していた。自分が想いを寄せる男の言葉を思い出していた。


 子供を殺しても、後悔しかしない。


 子供たちは、涙を浮かべながらも、互いを必死に守り合っていた。歳は様々ではあるが、ここにいるものは今ここで何が起きているのかを知っているのだ。


 悲しいことに、知っているのだ。知らなくていいのに、知っているのだ。


 その眼、殺されてたまるかという眼、その眼、父や母を殺したなという眼。


 自由を知らず、狂気にあてられてしまった子供たちを、哀れに思ったのか。それともただ彼女の想い人の言葉にしたがったのか、赤髪の魔法師は青髪の魔法師を手で制した。


 そして手を伸ばした。子供たちに向かって。


 そして声をかけた。凛とした声で。


「逃がしてあげる。ついて来て」


 彼女は、青髪の魔法師にこの場の始末を頼むと、子供たちを連れて歩き出した。青髪の魔法師は最初は抵抗したが、それでも結局は、折れたのだ。


 子供たちを連れて、走る。赤髪を風に揺らしながら、ハルネリア・シュッツレイは走る。


 夢の終わる場所まで、走る。


 ――夢の終わる場所まで。

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