第5話 青い港町
押し寄せる波が船にぶつかり、それを揺らす。
右に左に、ゆらゆらと、不安定に船は揺れる。
器用にその上を走り回って、積み荷を次々と降ろしていく屈強な男たち。船着き場は、そんな男たちでいっぱいだった。
汗を流しながら、苦しそうに、あるいは楽しそうに、男たちは働く。積み荷を倉庫に運ぶ男たち、魚を売る男たち、片隅にはそんな男たちを癒すべく女たちが黄色い声を上げている。
酒場は昼間から盛り上がっている。交易の島の港は今日も、賑やか。
「うおお……もう、駄目だ……」
酒場の中で、倒れる一人の大男。男の手から滑り落ちた大きな木製のコップが地面に落ちる。
「よぉし、次だ。もう終わりかぁ? そんなんじゃお前らの積み荷、全部貰っちまうぞ」
空になった酒樽に腰かけ、コップをクルクルと回して漆黒の髪をした男がそう言った。商人が着る綺麗な服を身に纏って、船乗りたちと飲み比べをする男は、アルスガンドの長。
彼の周りには潰れた男が三人。彼らの服は吐しゃ物でドロドロに汚れている。
「何なんだあの商人……酒に強いとかいう次元じゃないぞ……」
船乗りの一人がアルスガンドの長を見て、そうつぶやいた。
飲み比べは船乗りにとっては大いに盛り上がる娯楽の一つ。その勝敗に積み荷を賭けるのも日常茶飯事。
その娯楽も、さすがに一人勝ちが続くと盛り下がるものである。
「おいおい、終わりか? なぁんだ喧嘩売ってきた割には、だらしないなぁ」
酒樽にコップを直接突っ込んで、更に酒をあおるアルスガンド。うまそうに一気に飲み干すと、笑顔でコップを机に置いた。
「面白い話聞かせてもらってありがとな。積み荷はいらねぇよ。俺小物しか扱わないんだ。ああ、酒代はお前ら持ちだぞ。払っとけよ。なぁお前、わかったか?」
「おう……」
「よぉしよし、じゃあ、またどこかでな」
歩くアルスガンドを、邪魔する者は誰もいない。
船乗りたちは彼の前から皆離れる。屈強な船乗りだからこそ、争ってはいけない相手を知っている。
酒場から出たアルスガンドの長は、ゆっくりと歩いて宿屋が並ぶ区画へと向かった。腹が大量の酒でタプタプと音を上げている。
「いつもいつも思うんだが、俺たちが酔わないってことはやっぱり酒って毒なのか? 毒をありがたがって飲むねぇ。奇妙なことで……」
歩きながら呟く、独り言。誰かに聞かせるでもなく彼は一人空を見て声を出す。
道行く人は誰一人暗い顔をしていない。本物の平和な島。港町には子供が走り回り、大人たちが笑顔で話をしている。
その平和な町が、彼を笑顔にさせた。
ふと裏路地に目をやる。物陰、ごちゃごちゃとした通路。薄暗いそこに、ひらひらと舞う小さな光の羽。
暗闇をぼんやりと照らし、その光の羽は不規則に動いている。
「あからさまなんだよハルネリア……まぁ、いいか……」
それは使い魔。主に情報を伝える魔の使い。魔法師が、そして魔術師が偵察によく使うモノ。人それぞれの形を持つそれは、主の魔力に応じて形が決まる。
その使い魔が暗闇の、物陰の、町のいたる所に飛んでいた。注意深く見なければ気づかれないだろうが、注意深く見れば、必ず気づかれる。そんな量。
頭を掻きながら、彼は宿屋へと歩いていった。行きかう行商人たちの挨拶を返しながら。
たどり着いたのは一軒の宿屋。大きくもなく、小さくもなく、一階は酒場、その上は宿。
入口の扉を開いて店主に向かって手を上げる。店主は彼に気付き、深々と頭を下げた。
「お荷物はすでにお部屋に。全員の荷物を片方の部屋に固めております。こちらが鍵になります。部屋は角の二室です」
駆け寄ってくる店主の手には銀色の鍵、それが二本。片方は自分と妻の部屋の鍵。もう片方は魔法師二人の部屋の鍵。
「確か夜は食事用意してもらえるんだよな?」
「はい、酒場の角にお客様用の机を用意しておきます。ご希望ならば料理をお選びいただけますが」
「何でもいい。それよりも金は払うから量を多くしてくれ。10人分は欲しい」
「10人分……4名とお聞きしておりますが」
「たくさん食べるんだ」
「わかりました。ではそのように」
店主に手で合図して、彼は二階へと向かった。ギシギシとなる木の階段がこの宿がかなりの年代物であることを伝える。
そして二階、一番奥。通路の角。古い建物ではあるが、掃除が行き届いているのか埃一つ無い。窓から差し込む日の光が、暖かく通路を照らしている。
奥の部屋の鍵穴に鍵を差し込む。カチリと音を立てて、静かに開く扉。彼の目に飛び込んで来たのは、綺麗に整えられたベッド二基と置かれた荷物袋。
部屋の隅にある椅子に腰かけて足を投げ出す。懐から葉巻を取り出して口に咥えて、葉巻の先を指で千切って、そして指を鳴らして火をつける。
ゆっくりと、浅く、吸って、吐いて。葉巻から煙が立ち上る。
「ところでさ。なんでハルネリアが姐さんなんだ? 歳お前の方が上だろ?」
「ふえっ!?」
振り返ることなく、彼は声をかけた。後ろにいる女に向かって声をかけた。
「え、ええ!? 何で私がいることが!?」
「え? お前隠れてたのか?」
「そういうわけじゃ……だ、誰かもわかってる……?」
ローブの裾を正して、彼女は彼の前に回り込んだ。一際目立つ青髪。片手に杖を持って歩く彼女の姿は、魔法師としての典型的な姿。
杖は魔法師が持つ基本的な道具。持ち歩きの不便さからか、応用が効きにくく使いにくいからか、成熟した魔法師は逆に持たないその道具。
部屋の片隅にそれを立て掛けて、青髪の魔法師は彼の目の前に座った。
「よしよし、皆来るまで待とうぜ。ところで、お前名前何だっけ」
「……ラナ・レタリアと申します。あなたは?」
「俺はアルスガンド。姓は無い。アルスでいい」
「今時姓が無いとは……わかりましたアルス様」
アルスガンドの長は、葉巻の煙が彼女にかからないよう横を向いて息を吐いた。真っ白な煙が上へと登っていく。
「で、何で姐さんなんだ? どう見てもおたくの方が年上だ」
「私はハルネリア姐さんの妹弟子ですから。歳も私の方が二つ下です」
「お前16?」
「はい」
「……本当かよ。みえねぇなぁ。もっと年上に見えるぞ」
「よく言われます。姐さんは年齢以下に、私は年齢以上に。仲間の埋葬者たちから見るとそれが面白いらしく、よくからかわれます」
「大変だねぇ」
「慣れてます」
「そうか」
葉巻の灰を、部屋に備えてあった灰入れに落として。彼はしぱしぱと葉巻を吸い続けた。
それっきり、彼は無言で天井を見て、葉巻を吸う。静寂さが部屋を包む。
その空気に耐えられなくなったのか、ラナは問いかけた。
「あの……暗殺者の一族って、本当ですか?」
「まぁな」
「有史から続く一族って聞きましたけど……本当に?」
「らしいな」
「信じられませんね……聞いたことありません。そんな一族ならば、伝説になっててもおかしくありませんのに」
「別に隠してるわけじゃないんだ。まぁ、いろいろと、な」
「いろいろ」
「いろいろ、まぁ俺も全然知らないんだ歴史は。そんなもんだと思う。ああ、仕事頼みたかったら森に手紙を置けばいいぞ。私利私欲にまみれた依頼は無しな。復讐も基本は駄目だ。報酬はそれなりにもらうぞ」
「は、はい。ちなみに、報酬とはどれぐらい?」
「相手による。今回みたいな仕事なら、オーダーの報酬でいい。全部とはいわないが、まぁ半分はくれよな」
「半分……それだけですか?」
「それだけ。喰うには困ってないしな俺たち。アルスガンドの始祖がすっごい魔術師でさ……いや、魔導師だっけ? どっちでもいいか。そいつが俺たちの地を年中作物がとれる土地にした。家畜も草食わしてるだけでガンガン成長する」
「はぁ……それは、いいところですね」
「まぁな。でもなぁ、牛全部喰っちまったことがあってなぁ。あれは参った。結局買いにいったんだが高いの何のって。雄雌買うだけで備蓄吹っ飛んじまった」
「は、はぁ……」
「あとな、作物。農作業なんだが村の女どもが南の国の果物がくいたいってな。そんなもんあるかってんだ。南の国に人派遣して全力で農夫させてなんとか持ってこれたんだがこれがまたまずいんだ。やっぱり土地は大事なんだよなぁ」
「…………そうですか」
「あとなぁ」
どこか嬉しそうに、自らの苦労した経験を語る彼。笑顔で話す彼は、暗殺者とは思えない程で。それは、葉巻が一本灰になるまで続いた。
「おっと、俺ばかり話してしまったか。ラナ、お前は、順位いくつよ。埋葬者の」
「14ですけど……」
「おう、その歳で14位か。すげぇな。高位そのうち女ばっかりになるんじゃねぇの?」
「魔法は女性の方が向いてますから……男性は武と相性のいい魔術を学びたがりますし……」
「違いない。俺も魔法は知ってるが、あんなの実戦で使う気になれないよな。一つの魔法を組むのに何か月かかるんだって」
「はい、魔道具作成の手間もあります。ただ、魔法はより深く物を理解できる。生涯を80年とするならば、80年魔術を学ぶよりも魔法を学んだ者の方がより深みにいるでしょう」
「魔法師はそういうわな。さて、と……」
立ち上がる彼に、見上げるラナ。日の光に照らされて、彼はニヤリと笑った。
「思いのほか楽しかったぜラナ。長生きしろよ」
「はい……?」
「あとそれは返しとけ。意外とあいつ、怒ったら怖いぞ」
「なっ!?」
「女ばかりだとそうなるのかね。へへへ。返したら隣の部屋へ来い。あいつらが帰って来た」
「は、はい……」
赤と青の剣をベッドに投げ捨てて、アルスガンドの長は部屋を後にした。
バタンと閉じられる扉。揺れる空気。ラナはそれを見て、ゆっくりと立ち上がり胸元に手を入れた。
「……何あいつ、怪物? 後頭部に目ついてるの?」
手にとった布をいそいそと荷物の中に仕舞って。名残惜しそうに荷物袋を見るラナは、小さく息を吐く。
「はぁ……姐さんと仕事するの久しぶりなのにあんな邪魔者が……姐さん……はぁぁぁーもー姐さんの下着とりそこねるなんてっ!」
杖でベッドを叩いて、ラナはその部屋を後にした。




