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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第二章 輝ける君のために
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第45話 彼はその身を捧げる

「あー疲れた……まさかこんな距離泳がされるなんて……はぁ」


 たどり着いたのは水辺。面倒そうにブーツを脱いで水を落とすハルネリア。


「あなた達の服は水吸わないからいいわねぇ……ああ、その分暑いとかいってたっけ……」


 ハルネリアの近くには二人の女性。セレニアと、イザリア。二人はその長髪を手で抑えて水を落とす。


 ローブの裾を絞って、ハルネリアは周囲を見る。そこにあったのはすっかり元通りの、水溢れるヴェルーナの湖。国の中心にある、巨大な湖。


 少し前には凍り付いていたその姿は、今はもう見ることはできない。辛うじて水辺の草に氷の欠片が残っていたりはするが、それもすぐ日の光によって溶けていくだろう。


「あーもう、本ぐっちゃぐちゃ。ところで、何その骨」


 ハルネリアは視線をセレニアたちの後ろに向ける。そこに落ちていたのは骨。人の骨。全身全て揃った骨。唯一、右足にあたる部分の骨だけがないが。


「火薬を投げたあの騎士です。捕虜にできるかと回収しましたが、陸に上げたらすでに骨の状態でした」


 イザリアが答える。そのガラス玉の眼で、ハルネリアをみながら。


「ふぅん……何かしてたのかしらね。まぁいいわ。セレニアさん、彼は?」


「知るか。飛んでいった」


「そう、何だかもう、いろいろ理解が追い付かないわ。ま、もういいかな。もう、できることはないでしょう」


 ハルネリアは空を見上げる。太陽はすでに傾き、赤き空が広がっていた。


 ――湖の底。


 正しくそこは水の世界。


 魚の泳ぐ姿が見える。小さな生物が降り注ぐ姿が見える。


 どこまでも透明なその世界。日の光など届くはずがないその世界。しかしながらその見えない壁の先には、明るい水の世界が広がっている。


 中央にあるのは大きな結晶の塊。水晶の塊。刺々しいそれは、何故か優しさを含んでいて。


 この美しい宝物に、眼を奪われない者はいないのだろう。世界を見て半月程度しか経っていない者にとっては更にそれは、美しく見えるのだろう。


 この水底の宮殿についてからのファレナは、一瞬たりともその結晶から眼を離すことはなかった。


「さて、そろそろ、か。ガラルギオス。エイジスの発動準備をいたせ」


「はい、女王陛下」


 年老いた男がゆっくりと本立てに置いた本を広げて、片手に持った杖で床を二度コンコンと叩いた。


 それによって光を得るのは巨大な結晶。光は宮殿全体を包んで、さらに遠くの水底まで照らしていく。


「これが……ヴェルーナを守護する魔法障壁エイジスの、基点。素晴らしい……」


 部屋の片隅に立っていたギャラルドが感嘆の声を上げる。その隣にいるマディーネもまた、声を上げこそはしないが感動したよな表情を見せる。


「ガラルギオス、敵の悪意、あの兵器の着弾点はわかる、か?」


「候補がいくつか。やはり城に落ちる可能性が高いとは思いますが、ここに落ちる可能性も捨てきれませぬ。何度か発動を見せてしまいましたからな」


「ふむ」


 ヴェルーナ女王の言葉に、老人が答える。その答えを受けて、女王は手を口元に持って行き、何かを考え込むように下を向いた。


「さて……ファレナよ。主の仕事ぞ。答えを示せ」


「え……は、はい! 何でしょう女王陛下!」


 この場所のあまりの美しさに、目を奪われていたファレナは女王の声に我に返り、声を上げた。急にいわれたせいか、少し甲高い声を出してしまったことに、ファレナは少しだけ恥ずかしさを感じる。


「最後の一撃、どこに落ちる、か?」


 その問いかけ、数度落とされたあの光の柱を、エイジスの壁をかき消したあの光の柱を、どこに落とすかと女王は言っている。


 つまりは、自分の母であり、自分そのものでもあるアリアならば、どこに落とすのかと、女王は聞いているのだ。


「主が選んだ場所を、わらわと、主、そしてここにいる魔法師、全員の魔力を持ってエイジスで守る。我ら全員の魔力をもってしても、もはや一点だけしか守れはせん。故に、選べ。選ぶがいい。選択は二つ、城か、ここ、か」


 淡々とした口調だった。女王の言葉は、淡々と、しかしながら力強くファレナの耳に届く。


 実際に、女王はこの問いかけに意味などないと思っている。ファレナがアリアの心の内を理解しているとは思ってはいないし、どちらにせよ裏をかかれればそれで終わる。


 だが、それでも女王はファレナに選ばせた。その意味、ファレナはそれを理解するには――


「お城を守りましょう」


 ファレナは笑顔でそう答えた。考え込むこともなく、そう言ってのけるファレナの姿に、ヴェルーナ女王は少しだけ驚いた顔をみせる。


「……何故、そちらを選ぶ?」


「何故って、お城は人がいっぱいいます。そこに落ちたら、大変じゃないですか」


「アリアがそちらを選ぶと?」


「え? お母様関係あります?」


「うん?」


 何を言ってるのかという風に、驚いた顔を見せるファレナ。その表情を見て、同じように眼を見開いて、ポカンとした顔を見せる女王。


「……待て、わらわは、主にアリアの思考を考えてだな」


「そんなの、わかるわけないじゃないですか」


「いや、確かにそうだが、な」


「だったら、したいようにしましょう。この国の人々はあんな目にあったんです。その上で、最後に死んじゃうとか、可哀想ですよね」


「そう、だが、待て。だがここもヴェルーナにとって大事な場所ぞ。ここがなくなれば、エイジスは発動できなくなる。少なくとも、修復には半世紀はかかるであろう。そうなれば」


「今生きてる人は、死ねばもう治せません」


 力強い声だった。ファレナの言葉は、決して飾られることはないが、人を突き動かす何かがある。


「貴女、死ぬぞ。こちらを撃たれれば。それでも、よい、か?」


「え? えーっと……まぁその時はその時で。でも、女王陛下、私思うんですよ」


「何を思う?」


「きっと、大丈夫です。きっと、大丈夫。もう、大丈夫なんです」


「……何を言ってる?」


「もう、終わったんです。終わってるんです。もう救われたんです」


「救われ、た……だと?」


「私の、何でしょうね。この気持ち、言葉にできませんけど、安心して、暖かくて、ああ、たぶんこれが、愛しいって思い、なんですかね」


「何を、いうか?」


「美しい世界をくれた人がいます。私に愛しさをくれた人がいます。その人が、いるからきっと、大丈夫なんだなって。さぁ女王陛下、準備しましょう。皆を、守りましょう」


 ファレナは歩く。何をしろと言われることなく、自らの足で歩く。向かう先は、部屋の中心に置かれた結晶。


「この娘……何をみている……」


 女王は腕を上げ、エイジスの調整をしている老人に指示した。老人は頷くと、パラパラと本を捲って、そして杖で三度床をたたいた。


 鳴り響く音。重なる音。輝く結晶。


 輝く水底の宮殿の中で、ファレナは微笑む。輝きを身体に受けて。その黄金色の髪を輝かせて。


 そして想う。遠く空の先にいる、一人の魔者を想う。


 太陽を思わせる光の束が、その宮殿を包んで。湖の上に立ち上るは光の柱。


 人を守る光の柱。七色に輝いたそれは、天高く昇り、花弁のような小さな壁を作る。


 遠くより襲来する醜悪な光の柱を受けるのは、美しき七色の花弁。城の上空に作られたそれに吸い込まれるように、光の柱が降り注ぐ。


 この結果は偶然なのかもしれないが、だが、こうなることはファレナには知っていたのだろう。そして、遥か遠くへと飛び去った漆黒の魔者は知っていたのだろう。


 だから、振り返ることなく、それは、光の帯を辿ってそこについた。


 あったのは、塔。荒野に立つ巨大な塔。その屋上、そこにあるのは、赤子。小さな赤子のような人ならざる者。


 異形の赤子。大きさは人の赤子と変わらないが、その身は緑色に輝いていて。深緑に輝くその身体の中心を貫くは鎖。


 鎖は塔へ繋がり、深緑の赤子から魔力を吸い出す。さながら、へその緒がついた子供のように。


 きっとそれは、赤子のままで門を開いたのだろう。意思を得る前に意思を奪われたのだろう。


 その姿、哀れだと、思わない者はいない。


 だから彼は一撃でそれを消滅させた。赤い翼を閉じて、空より急降下して、脚に漆黒の光を帯びさせて。


 空高くから落ちる勢いそのままに、漆黒の魔者が放った蹴りはただの一撃で深緑の赤子ごと塔を砕いた。『深緑のエリュシオン』と呼ばれるに至らなかったそのエリュシオンの魔物は一瞬で消滅し、塔と共にこの世界から消え去る。


 それはある意味、世界からの解放なのだろう。魔力を吸われるだけの物と化したそれにとっては、解放なのだろう。


 塔は崩れ、その塔にいた魔術師たちはそれに巻き込まれ次々と命を落としていった。叫び声を上げた者もいる。恨み声を上げた者もいる。


 だが一様に、全ては死んだのだ。


「オオオオオオオオオオ!」


 瓦礫となった塔の上で、赤き翼を広げて漆黒のエリュシオンは吠える。低い低い声で、吠える。


 その声は、終幕の合図。ヴェルーナ女王国はこの瞬間に、救われたのだ。

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