第35話 ただ儚き夢の為に
咲き誇る花の国。世界で最も美しいと揶揄されるこの国は、誰もが平和を満喫できる国。
人々は女王の英知の下で笑い、哀しみ、楽しみ、そして苦しむ。ここは花の王国。ヴェルーナ女王国。
通常であれば行商人が笑顔で行きかう街道も、通常であれば人でごった返す城下町も、今は無い。人々は家に籠り、ただ不安に支配されている。
ヴェルーナ女王国が誇る巨大な城の中では役人たちが忙しそうに駆けまわっている。玉座、女王の間。不在の女王の椅子を埋めるのは赤き髪のメリナ・ヴェルーナ・アポクリファ。ヴェルーナ女王国が第二王女。
「姫様、やはりファレナ王国騎士団の者達は国境より退く気配すらみせません。国境越えは時間の問題かと」
壮年の少し腹の出た男がメリナにそう告げた。冷静なその言葉とは裏腹に、彼の顔には滴るほどの汗が噴き出している。
メリナは憂鬱そうに小さく息を吐く。女王の椅子の上で足を組んで彼女は佇んでいる。
女王の間には大量の人、もはや人の入る余地が無いほどの人でこの部屋の気温はかなり上がっており、その息苦しさも相まって玉座の間には異様な空気が流れていた。
「国民に屋外へ出ないようにとの通達は終わりましたか?」
「はい、魔法機関の助けも借りて市民は全て屋内へと入っていただきました。念のため全ての国民に治癒の魔道具を配りました」
「ご苦労様です大臣。エイジスの発動式は大丈夫ですか?」
「抜かりなく。魔法機関機関長が確認いたしました」
「わかりました。引き続き国境の監視を。あとお母様……女王陛下がもうしばし後に魔法機関のゲートを通ってこちらへ参ります。国民にそのことを通知し、少しでも不安を和らげてください」
「はい、誰か動けるものはおるか」
大臣と呼ばれた肥満体の男は顔の汗をぬぐいながら、すぐそばにいる役人の男に声をかけ彼を走らせる。その様子を見て、メリナはまたもや憂鬱そうに息を吐く。
ヴェルーナ女王国は天然の要塞。世界の中心にある国でありながら、周囲にそびえる険しい山々のせいで東西は二か国の、しかも一本の洞窟からしか入国できない。
東はロンゴアド国、西はオルケーズ共和国。双方共に今やファレナ王国の傀儡国。
世界で唯一、表立ってファレナ王国に敵対の意思をぶつけたヴェルーナ女王国は今、その双方の国から攻められんとしていた。双方の国の主な戦力はファレナ王国騎士団。
そう、これは傀儡国を通したファレナ王国とヴェルーナ女王国の戦争。
「私が片方でも……いや、駄目……ですね。ヴェルーナ女王国は非交戦国。私が出ては……ランフィード様私はどうすれば……」
メリナは悩んでいた。戦ってはいけないこの国が、今戦わなければならない状況に陥ろうとしている。もはやそれは避けられない。
しかしこの国は建国以来非交戦を守ってきている。戦うわけにはいかない。
「大臣、魔法機関の方の協力はどうですか?」
「どうにも埋葬者が数名しか本部にいないようです。それに、機関長は女王陛下の声が無ければ魔道具の整備以外はする気はないとおっしゃっております」
「なんとかなりませんか?」
「いやはやなんとも……女王陛下のお弟子なだけあって、頑固者で……」
「そうですか……お母様、お姉様、早く……エイジスだけでは時間稼ぎにしか……」
メリナは天井を見て、ただそうつぶやいた。大臣は、そして部屋にいる重役たちは皆その姿に、不安を感じざるを得なかった。
ヴェルーナ女王国は非交戦国家。戦いを持ち込まない国家。
それは世界を滅ぼすほどの魔を得てしまった魔法師の始祖が、度重なる争いの中でせめて世界の中でここだけは平和であって欲しいと願い、己に課した約束事。世界で最も図々しい我儘。
だがそれがあるからこそ、魔法師は、魔法機関は人を守護する者達として存在できる。争いから一つの国を守っているという事実が、彼らを守護者として自覚させる。
「最悪、オートマタを出します。国民を守るために」
「しかし自衛のオートマタとは言えあれは兵に他ならず……非交戦の我が国に……」
「最悪、です。お姉様はこの時の為にあれを準備してくれました。もちろん、交戦のためには使いません。国民を逃がすために使います。結局交戦になるとしても、それでも私たちは守護者なのです。人々をなんとしても守ります。守るための力として、私たちはあれを使います」
その我儘は、数千年の流れの中で最も尊い我儘となって。
「わかりましたでは早速召喚を」
「はい……あっ」
「どうされました?」
「来ます。皆様、動かないように」
「はっ?」
これを築いたのは何のためだったのか。今は誰も知ることはない。
残された書にはこの式の発動方法と効果しか載っておらず、これを創った者の心を知ることはもはや誰にもできない。
音が鳴った。甲高い音が。耳をつく音が鳴った。国中に音が鳴り響いた。
国の中心は巨大な湖。水を斬り裂き、一瞬のうちに昇る光は、空へ到達し四方八方へと広がる。
薄い光の幕は質量を持って、ヴェルーナ女王国が領土、山々より平地まで余すところなく降り注ぎ――そして、光の壁が現れた。
「エイジスの魔法障壁……ということは、メリナ姫様まさか」
「侵入されました。現地もわかってるでしょうが、国境沿いにいる警戒班に急いで伝えてください。退魔退物障壁であるエイジスに触れれば怪我では済みません」
「はい」
騒めく玉座の間、青ざめる重役たち、不安な顔を見せる役人たち。
「何をしているのです。城勤めの方々は早く町へ走ってください。エイジスの魔力源は私たち含めた国民全員の魔力。幼子も関わらずこの国にいる者たち全員の魔力が使われます。少量とはいえ子供には苦です。急いで国民の状況と、いざという時の魔力回復の薬を。急ぎなさい!」
普段の姿からは想像もつかないような剣幕で、メリナは玉座の間にいる者達に命令する。騒ぐだけだった者たちはハッとした顔をして、皆一斉に押し合って玉座の間から立ち去っていった。
「心臓が、鼓動が、震えが……私にはやはり……」
玉座の間に残されたのはメリナ・ヴェルーナ・アポクリファただ一人。両腕で自らの身体を抱いて、彼女は身を震わせる。
ふと、メリナは何かを感じて顔を上げた。ゆっくりとその顔は、悲観から喜びに、そして泣き顔へと移っていった。
「メリナ、よくやったと言いたいが、どうにも、な。締まらんなお前は。主が父が甘やかしすぎからか、な」
「お母様……!」
玉座の間の入口に立つは赤色女王。輝く赤髪の魔法師、ファルネシア・ヴェルーナ・アポクリファ。
女王の後ろに立つ者達は皆一様に真剣な顔をして、力強い顔をして。
「ランフィード様……?」
「お久しぶりですメリナ様。凛としたあなたもまた、美しい」
「なぜ、ここに……」
「なぁに、あなた様に会うためならば理由などいりません。さて、少し騒がしくなってしまいますでしょうが、我らファレナ王女一団がヴェルーナの国にて剣を抜く許可をください」
ランフィードは言っていた。我々が戦う許可をくれと、玉座に座るメリナに言っていた。
彼は言っているのだ。我々が、ヴェルーナの国の代わりに戦うと。非交戦国家であるヴェルーナの国は兵力を持たない。その代わりに、彼らが戦うというのだ。
即ち、彼は非交戦をギリギリのところで守らせると、言っているのだ。
メリナはファルネシア女王の顔を見て、そしてその後ろにいる姉であるハルネリアの顔を見て、眼を瞑り、一つ軽くうなずいたあと、眼を開いて彼女は発言した。力強く。
「我が国で剣を抜くことを許可します」
ファルネシア女王が微笑む。女王の後ろにいる者達が一斉に頭を下げる。
そして女王を残して、彼らは玉座の間を後にした。




