第34話 月光透す瞳
遠い夢。夢の中、夢の中の幸福。繰り返される幸福の時。
「できてたら、どうする?」
大きな背中に問いかける。
「エリンフィアに土下座して産ませる」
迷いなく、彼はそう答える。何度聞いても彼はそう答える。
「産ませたら、どうする?」
「村に連れて帰る」
「私も連れて帰ってくれる?」
言葉に詰まる彼。背中越しに困ったような顔をしてるのだろう男は手を頭に、わしわしと頭を掻いて。
「冗談、我儘は言わない。分かってる。それに一度だけでできるもんでもないから大丈夫。気にしないでいいから」
言葉は建前。本当は、気にして欲しいと、夢の主は思っている。
「子供……か」
彼は上を向いて、静かにそう発言する。
「なぁ、月にはさ。化け物が住んでるって知ってるか?」
「化け物?」
「ああ、化け物」
彼は横を向いて、窓を見ている。窓の外を見ている。窓の外の月を見ている。
その強いまなざしを持つ彼の横顔。深い漆黒の眼に月あかりが反射して。
「そいつはな。眠ってるんだ。有史以来ずーっと眠ってるんだ。有史って何年かは知らねぇけどな」
「何急に?」
「まぁ聞けよ。そいつはさ、一度も目覚めてないんだけど、生きてるんだ。いつか目覚めるんだ。その時、人は滅ぶって言われてる」
「何それ」
「ははは、まぁ、つまりは、この世界にも終焉があるってことだな。本当かどうかは、置いといてな」
彼は、身体を捻じって振り向く。真剣な顔を、向けて。
「いつか終わるなら。今を大事にしたい。次を大事にしたい。もし俺に子供ができるなら、そいつには俺たち以外になって欲しい」
「以外、って?」
「俺たちじゃない誰かに。俺のように全てを諦めた馬鹿と違う、お前のように何も考えず流されるだけの馬鹿と違う、エリンフィアのように全てを受け入れた馬鹿と違う、そんなやつになって欲しい」
「そう……ね」
「願わくば、自らの意思で、人を救える人に」
「……そう」
「ハルネリア、お前は自分にもし子ができたら、どうなって欲しい?」
――どうせ、どうにもならないから答える必要はない。
そこでハルネリアは目が覚めた。背に伝わる硬い木の感触に、急激に意識を覚醒させていく。
ぼやける視界。流れる涙は寝ていたことによるものか。
ハルネリアは眼を擦り、身体を起こしてそこに座り込んだ。胸元からずり落ちる布は、身体を冷やさぬようにと自ら羽織ったもの。
ぼーっとする視界に男の姿が見える。全身に皮でできた鞘をつけ、そこに一本一本ナイフを刺しこんでいく。
そして背に輝くは赤と青の双剣。それを見て、ハルネリアは記憶の中の彼の名を呼ぼうとして息を吸ったが、すぐに彼は彼ではないと理解して、その息を止めた。
「セレニア、駄目だ欠けている」
「まともなものがないな。ゴミしか残してなかったからな。これならどうだ?」
「ああ、これなら何とか使える。セレニアの方は手矢は使えるか?」
「油をさせばなんとかな」
彼の隣でセレニアが同じように準備をしている。二人は漆黒の衣服の上に、次々と武器を装備していく。
二人の着る服は、アルスガンドの一族に伝わる戦闘服。木の樹脂からできたゴム状のその服は、筋肉の動きの補助と、緊急時の出血を抑える作用がある。
本来彼らは武具は魔術で小さくし、その服の隙間に全てしまい込んでいる。だがそれでは少し反応が鈍る場合があり、本気で戦闘を考える場合は彼らは必要な武具をそのまま装備するのだ。
当然、動けば音が鳴るため隠密行動には不向きになるが。
「起きたかハルネリア」
彼が振り向き、ハルネリアに声を掛ける。彼のその漆黒の瞳は、彼の父親と瓜二つで。
少し目を奪われていたハルネリアは、頭を軽く振って現実へと頭を切り替えた。
「ええ、ごめん、ちょっと寝すぎてた。魔道具の整備しないと、ね」
「いや、いい。ヴェルーナ女王陛下が暇だからと全てやっていた」
「ああ、そう。楽でいいわ」
ここは、彼が、ジュナシア・アルスガンドがロンゴアド国にあるとある森の中に作った隠れ家。木で組まれた小屋。比較的温暖な気候であるロンゴアド国でなければ雨風すら防げないだろうこの小屋に、彼らは集まっていた。
ハルネリアの後ろにはファレナとリーザ、そしてマディーネが横になって寝息を上げている。
小屋の外には木に紐を掛けてその上から布を被せて、天幕と呼ぶにはあまりにもみすぼらしいものがある。その布の下にはロンゴアド国王子であるランフィードと魔法師のショーンドが眠っている。
そして空、一人優雅に空中にヴェルーナ女王が寝ている。
刻は深夜。眠りの時間。ジュナシアとセレニア以外は皆、寝息を立ててねむっていた。
ハルネリアは傍に置いてあった水袋に口をつけて水を飲み、そしてジュナシアの方を向く。
「何だ?」
「いや、別に。ところで、ロンゴアド兵団の団長も来るのよね」
「ああ、ランフィードが言っていた。早朝に街道で待ってると」
「そう」
黙々と武器を確認し装備していくジュナシアとセレニア。まだ寝ぼけているのか、その姿をハルネリアはジュナシアの父親と母親に重ねて。
「セレニア」
「正直鍛冶場に持って行きたいところだなどれもこれも」
「仕方がない。これだけ無補給で村の外に出たことなどない。武器も相当無理をさせた」
「全くだ。これでファレナ王国からヴェルーナ女王国を守れだと。ハルネリアは常に無理を言う。私たちでもできないこともあるんだぞ」
セレニアの言葉に、ハルネリアは少しだけ口角を上げて笑う。
「何が可笑しい。全く気楽なやつだ」
「いえ、エリンフィアさんも昔そういったなって思ってね」
「師母が?」
「ええ、嬉しい? セレニアさんエリンフィアさん大好きでしょ?」
「……ちっ」
セレニアは恥ずかしそうに顔を背け、腰に装備した革製の鞘に短剣を突き刺した。
ハルネリアは本をどこからか出して、パラパラとそれを捲る。
「うん、またメリナから連絡が来てるわ。ファレナ王国とロンゴアドの兵士がどんどん国境沿いに集まってきてるって。一歩でも国境を超えたらエイジスの起動に入るみたい」
ハルネリアが本のあるページを指でなぞりながらそう言った。ジュナシアは武器の確認をしながら、ハルネリアの方を見て言葉を発する。
「エイジス、魔法障壁だったか。国一つを覆う。どれだけ持つんだ?」
「何もされなければ一月は展開できるはずよ」
「短いのか長いのか。言ってたとっておきのオートマタは間に合うのか?」
「調整だけだから多分もうできてるはず。召還して返したからもうヴェルーナ国内にいるわ彼女たち」
「そうか、今はとにかく数が欲しい。期待するぞ」
「ええ、とっておきだから期待してて」
セレニアは彼らの言葉に反応することはなく、全ての武器の点検が終わったのかその場に座る。
とっておきのオートマタ、それが何を意味するかはセレニアは知っているが、あえて何も言わない。
「朝、早いわよ。ゲートまで行ってヴェルーナに入ったらそのままヴェルーナ国境へ走って守備。ヴェルーナは非交戦国なんだから、彼方たちだけでやらないといけないのよ。オートマタは貸すけどね」
「準備はできた。もう寝るつもりだ」
「そうするといいわ。セレニアさんも」
「ああ、じゃあ、寝に行くか。おい、行くぞ……ジュナシア」
「わかった。ハルネリアも寝直せ」
「ええ」
二人は全身に武器をつけたまま、小屋の奥へと入っていった。二人を見送った後、ハルネリアは空を見上げる。真っ白な月が空に浮かんでいる。
「……願わくば、私の子はただ生きて欲しかった。ヴェルーナ女王国防衛戦、私が誰も、死なせない」
ハルネリアの小さく呟いたその言葉は、虫の音の中へと消えていった。




