第31話 果てなき帰路を進む
ロンゴアド国の建造物は、その国が持つ豊富な鉱物資源と建造技術により、世界でも類をみない丈夫さを誇っている。
石と鉄を組み合わせた外壁、北方から来る全ての敵を通さぬ難攻不落の砦。
戦争が少なくなった現代においてもそれは健在。旅人のために常に開かれている門ではあるが、そこには数百の兵士が滞在している。
その兵士たちが今、全員砦を出て陣形を取り並んでいた。左右四列。美しい陣形を取って彼らは立っている。
そして先頭。美しい剣を片手に静かに立つ彼。
「お待ちしておりましたファレナ王女様。遠路はるばる、馬車も使わずお疲れになったでしょう」
彼は、頭を下げた。その佇まいは正しく王者の佇まい。あまりの堂々とした姿に、圧を超え涼しさすら感じさせる。
「ランフィード」
ジュナシアが彼の名を呼んだ。ランフィードは顔を上げ、微笑みを浮かべる。自分の名を呼ばれたことが、嬉しかったのだろうか。
「やあ、久しぶりだね。といっても数日ぶりだけど、酷く長い時間が経ったように思えるよ」
寂しそうに言葉を繋げるランフィードは、その手に持った剣を胸の前に構え、そして右へ振り下ろした。その仕草に、ジュナシアは一瞬で彼の意思を理解する。
ジュナシアは振り返り、ファレナの顔を見た。ファレナは悲しそうな顔をしながらも、決意を込めた眼で彼を見る。
その眼を受けて、ジュナシアは背中から青と赤の双剣を抜いた。
「ありがとうジュナシア、そしてファレナ王女様。やはりあなた方は、いい人たちです。そしてファレナ王女様。我が父は、あなたを最初から道具として見ておりました。それを知らず、私はあなたに辛い思いをさせてしまった。申し訳ありません。私は、浅はかでした」
剣を構えたまま、ランフィードは静かに謝罪の言葉を発する。
謝罪の言葉を、これほどまでに心から発せられる人間は世界にいったい何人いようか。
ファレナは何も言わず、首を横に振る。
「ありがとうございます。しかし我が国はもはや完全にファレナ王国の傀儡。王は私に命じました。ファレナ王女を、仕留めよと。貴女はもはや、世界にとって害にしかならないと。戦争の種にしかならないと」
そう告げるランフィードの剣は、剣を持つ手は、震えていた。彼の心を表すように。
「その意見、戦争の種という一点だけをみれば、私も同意見ではあります。しかし……しかし……それは……これ以上は私は言葉を用意できません。王の命は絶対です。だが私は、いえ、これ以上は女々しいというもの」
そして彼の、ランフィードの手の震えは、剣の震えは止まった。
「僕は決闘を求める。相手は……そう、やはり君だ。ジュナシア・アルスガンド。君との決闘を求める。僕が勝ったら今ここでファレナ王女の首、ロンゴアド国のためにいただく。君が勝てば、ここは通そう。さぁ、どうか?」
右から前へ、剣を捻り、返すランフィード。突き出された剣先は、ジュナシアの眉間に向けられている。
これを断る者などおらず。ジュナシアは眼を瞑ると、そのまま一歩前へと出た。
ジュナシアは左手に持つ青い剣を地面に突き刺して、両手で右手に持つ赤い剣を握った。すると、赤い剣は一瞬でその形を変え、比較的短めの剣だったそれは、直刃が光る長剣となった。
「受けようランフィード」
長剣を両手で握り、ジュナシアは構える。初めて見せる一本の剣での構え。いつもならば双剣を使う彼だが、今は一本だけ剣を握っている。
何故、一本だけの剣なのか。それを理解している者はこの場ではヴェルーナ女王ただ一人。
「ランフィード、決闘という言葉を使ったな。それがどういう意味か、理解しているか?」
「ああ、決闘は己の信念のぶつけ合い。そして、死以外に決着は認められないもの。僕は王族だ。誰よりも理解しているさ」
「ならいい」
ジュナシアが赤い長剣をランフィードの剣に合わせる。ランフィードはそれを受けて、さらに真剣な眼差しを向ける。
「口上が必要かランフィード。聞いてやる」
「ありがとうジュナシア」
ランフィードは眼を瞑り、息を大きく吸い、肩を大きく揺らして、心の乱れを抑え込んでいった。彼の仕草は、彼の顔は、彼の身体は、戦いの空気を纏っていく。
彼の身体から立ち上るのは魔力。彼自身もまた、魔剣士であり、当然のように魔術を使える。
「我が名はランフィード・ゼイ・ロンゴアド。我が国の安寧のために、世界の敵たるファレナ王女につく悪を断つ」
堂々とした名乗り、決闘への口上。一介の騎士ならば、それに返すが礼儀。
だが、彼は、ジュナシアは一切それに応えることはなかった。彼は赤い剣でランフィードの剣を払い、スッと眼を細める。冷酷な、暗殺者の眼を彼に向ける。
その眼にランフィードは一瞬だが、寒気を感じた。目の前の男は、自分とは違うと改めて彼は感じた。
周囲の兵士たちは、彼らは知っている。ランフィード王子の実力を知っている。故に兵士たちは、勝てるかどうかよりも、どう勝つのかという思いでランフィードを見ている。
「僕から行ってもいいかい?」
ランフィードはこの期に及んで言葉を発した。ジュナシアは何も返さず、代わりに剣先を少しだけ左にずらした。
好きなだけ間合いに入ってこいと、彼は言っている。
踏み込んだ。ランフィードは一歩、大きく踏み込んだ。まるで身体が瞬間移動したかのように、彼のその体捌きは、正しく強者のそれで。
周りで見ていた兵士たちも感嘆の声を上げる。ファレナとリーザも、驚きの眼を向ける。
一介の王子がここまでの剣を身に着けている。その事実が、この場にいる全員に驚かせた。
ランフィードは右手に持つ剣を突き出した。真っ直ぐジュナシアの胸元を狙って。
当然のように魔力を帯びたそれは、見た目以上に斬れる刃となって、ジュナシアに襲い掛かる。
そしてそれはいともたやすく払い落とされる。軽くランフィードの剣先に当てられたジュナシアの剣は、一つの力を入れることなくランフィードの剣を巻き込んで右へと払われた。
がら空きになったランフィードの胴、顔、今のジュナシアは両手で剣を持っていて、ランフィードの剣を払い落とすためにそれは使われていて。
故に、無傷。ランフィードへのジュナシアの反撃は無い。
払い落とされた剣を引き戻して、ランフィードは流れるように円を描くように剣を振った。左から小さく右へ、ジュナシアの首元へ。
鳴り響く金属音。ジュナシアの首元へと振り下ろされたランフィードの剣は、赤い剣の柄に当り止められる。
真正面からの斬り合いでは手も足も出ないと悟ったランフィードは大きく跳び退き、くるりと右手に持つ剣を回すと、トントンと飛び跳ねるような足さばきを見せる。
そのまま、彼は跳んだ。凄まじい速度で。魔術を使って空中を蹴って、彼は空を駆ける。
普通の剣士ならば決して相手にすることはないだろう真上からの攻撃、空中で踏み込んで、ランフィードは剣を振り下ろす。
身体を大きく背面に反らして、ジュナシアは真上から来るランフィードの剣を受け止めた。止められた瞬間にランフィードは剣を引き、また空中を蹴って位置を変えて剣を振り下ろす。
またそれを受け止められると、さらに位置を変え、剣を振る。
それは、降り注ぐ雨のように。空を飛び回り次々と剣を振り下ろすランフィードは目の錯覚からか、何人もに増えて見えた。
次々と降り注ぐ剣を、次々とジュナシアは受けて払い落としていく。その動きは、まるでランフィードの剣がどこから降り注ぐかが見えてるかのように。次々と彼は受け止めていく。
ランフィードは空を蹴り、大きく跳ぶと左手を突き出した。
正攻法では、いや、剣では、いや、接近戦ではどうあがいても勝てない。
自分の剣に少なからず自信があったランフィードは、それを認めるためにかなりの労力を要した。だからこそ、それを認めてからは速かった。
ランフィードは右手に流れる魔力を、術式に沿わせて外へと発する。その魔力は正の熱を持って。即ち、炎となって彼の手から出でる。
火球。掌ほどの大きさの火球。だがその火球の魔術、当たれば人の一部を吹き飛ばす威力を持っている。
かなり威力の高い、危険な魔術をランフィードは友人であるジュナシアに向かって放った。一発、二発、三発。
次々と放たれていく火球を、ジュナシアは赤い剣で斬り裂いていく。右へ、左へ、剣は炎を裂いていく。
真正面から撃っては当たらない。ランフィードは剣をジュナシアへと投げつけた。剣先は真っ直ぐジュナシアに向かって、真上からそれは飛んでいく。
火球を払うのと同様に、ジュナシアはランフィードの剣を払い落とす。カツンと音が鳴り響いて、ランフィードの剣は地面に突き刺さった。
そしてそのあとに続くは火球。今度は複数個。両手で、ランフィードは次々と炎を撃ちだしていく。
ジュナシアは赤い剣の長さを短く、いつもの双剣のような長さにして、逆手にそれを持った。
動きが変わる。長剣を持っていた時とは別の動き、いつもの彼の動き。
まるで激流、逆手に持った剣を高速で振り、次々と火球を叩き斬っていく。
火球は真上からではなく、横からも、周り込むようにして飛んできている。
ジュナシアの、アルスガンドの長となるべく磨かれた感覚は未来視の域。どこからどう飛んできても、正面にいて対峙している限り彼の虚をつくことはできない。
ランフィードが作り出した火球は全て斬られ払いのけられた。
「なんて、やつだ」
思わずランフィードはそう口にした。口にしてしまった。彼は気がついたのだ。ジュナシアが剣を一本しか使わない理由に、気がついたのだ。
そう、ジュナシアは彼に対して手加減しているということに、気がついてしまったのだ。
魔術を使って空を駆けるのも限界が近づいて来ていて。ランフィードはジュナシアから距離を取って着地した。土埃がぶわっと浮かび上がった。
「決着は死以外にない、と言ったなランフィード」
「ああ、そうだね」
気がつけば、ランフィードの顔には汗が浮かんでいた。流れる汗の雫が周囲の空気に触れ、彼に冷たさを与える。
対照的にジュナシアは一切の汗をかいていない。実力差は明白。ロンゴアド兵団の兵士たちはこれに気づいていなかったが、ファレナとリーザはこれに気付いていた。
「前に言ったな。自滅は選ぶなと」
「ああ、覚えてる」
「二度言われないとわからないほど、お前は馬鹿なのか?」
「いや……そんなことはないさ。僕はそれなりに勉強してきたんだ」
「なら、わかるな」
「ああ、わかるさ」
ランフィードは刺さっていた自分の剣を地面から抜き、それを鞘へと納める。
そしてジュナシアに背を向けた。
「……参った。だが、謝らせてくれ。約束を違えることを」
「どういうことだ」
「僕は君を通すよ。でも、な。僕だけさ」
「何?」
「つまり、こういうことさ」
ランフィードは両手を強く、二度叩き合わせた。手を叩くその音は砦に鳴り響く。
門が開く、砦の門が。
「ボルクス、ベルクス、やはり追い返すことなどできなかった。後は頼む」
「はい」
門の中には巨大な剣を持つベルクスと、片腕が義手のボルクス。
ロンゴアド兵団副団長と団長。その二人が肩を並べて立っていた。
そして二人の後ろには表にいる兵士たちとは比べ物にならない程の数の兵たちがいた。
「ジュナシア、さぁ通ってくれ」
「ランフィード、お前はどうにも甘い奴だ」
「ああ、自分でもそう思うよ」
そしてランフィードは再び剣を抜き、切っ先を向ける。
ロンゴアド兵団に向かって。
「僕にはこうするしかない。大丈夫、もう兵士たちには言ってある。僕は、君たちと行く。僕は、ファレナ王女を守る。僕は、僕の国を捨てる。でなければ僕は生涯後悔し続ける。僕は、大量の屍の上を笑って歩くなど、できやしない。たとえ今ここで国に刃を向ける反逆者の烙印を押されたとしても」
「なるほど、けじめか。悪くないなランフィード」
「だろ? 王がなんだ。父親がなんだ。こんな美しい姫を道具にし、挙句の果てに陥れるなど、くそったれなやつだよ」
「王子が使っていい言葉ではないな」
「いいのさ。僕はこれからは騎士だ。か弱い女性を守る騎士だ。多少乱暴でもいいのさ」
「そうか」
ジュナシアは置いていた青い剣を左手に握り、ランフィードの横に立つ。二人の前には千人近くの兵士たちと、頑強な砦。
「なぁジュナシア、一つ競争と行かないか?」
「競争……?」
「ああ、どっちが先に、ロンゴアド国の領土へ入るか」
「勝てない勝負はするものじゃないランフィード」
「わからないぞ。案外いい勝負するかもしれないじゃないか」
この時の二人の顔は少しだけ、笑顔だった。




