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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第二章 輝ける君のために
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第26話 鮮血の屋敷 中編

 死んだ者は生き返らない。死んだ者は戻ってはこない。


 ならば復讐とは、誰のためのものなのか。死者のための復讐と謳いながらも、その実、死者は何も感じない。ならば、復讐とは誰のためのものなのか。


 その幼き少女は、地下室に寝かされている三人の男女に対して、繰り返し繰り返し、こう言った。


「食ってやる。食ってやる。食ってやる。死ぬまで食ってやる。パパとママのために、絶対に食い殺してやる」


 少女の父親も、少女の母親も、すでに魂まで含めて消滅している。両親のためと言いながら、実際それは両親のためなのかと問われると、きっと誰にも答えることはできない。


 復讐とは、いったい誰のためのものなのか。


 暗闇の地下室の中で、少女の持っている蝋燭だけが、光を発している。光に照らされた少女の顔は、涙を流しながら笑っていた。


 その心境をうかがうことなどできない。どこからかもってきた人の腕のような物体に噛り付いて、少女は涙を流しながら笑う。


「おいおい、おふくろさんの腕だろ。喰うんじゃねぇって。腹壊すぞ」


 まるで知り合いの子供に語り掛けるように、優しげな声で縛られた男は少女に語り掛けた。少女はそれを聴くことすらしない。


 静かに、泣きながら、笑いながら、少女は肉を貪る。小さな音でゴリゴリと、何かをすり潰すような音が地下室に響き渡る。


「ショーンドさん。この娘、なんなの?」


 最も厳重に縛られたハルネリアが、冷たい石畳に倒れながら問いかける。少女は食事をやめない。誰の言葉に反応することも無い。


「オーダーの、人食い夫婦の娘。あんなちっちゃいのにすっげぇぞ。両親とは比べ物にならねぇぐらい強い。あーあ、かわいらしい顔してるのにな。ちゃんと育ってればなぁ……もったいねぇ」


「そんなのわかってるわよ。違う、私が聞きたいのは、何でああなったのか、ってことよ」


「あー……話すと長いんだがぁ……」


 ショーンドはこのような状況であっても、悲観することはない。彼もまた、百戦錬磨の埋葬者。死にかけたことは一度や二度ではない。


「オーダーの夫婦はさ。結構簡単にやれたんだ。旦那の方は油断しまくってたから後ろを取れたし、嫁さんの方はちょっと手こずったが、それでも敵じゃなかった。まぁオーダーナンバーは10だからなぁ。余裕よ余裕」


「それで? 娘には負けたと?」


「いきなりだった。あの糸の魔術、触れただけで魔力が封印される。俺はアラヤの格闘術を持ってるからそれでも何とかなると思ったんだがな。ならなかったんだなこれが。あー……ギャラルドさんの言う通り、何人か連れてくるべきだったなぁ」


「何やってるのよもう。しゃんとなさい」


「ハルネリアさんも人の事言えるかって。だいたいなぁ……子供殺すのは俺はどーにも、気がなぁ……まぁこれでもいいかなって、な」


「あーもう……気分で埋葬者するんじゃないわよ……」


「こればっかりはな。まぁ、運が悪かっ」


 こつんと、音が鳴る。その音に反応して、ハルネリアとショーンドは口を止める。


 音を鳴らせたのは白い骨。少女が投げた、母親の腕だったモノ。


 揺れる、蝋燭の火が揺れる。少女は蝋燭が乗った台を地下室の机に置く。


 そして笑う。ニヤリと、口から赤い血を垂れ流して、眼から透明の涙を垂れ流して、少女は笑う。


 ただ、ただひたすらに、おぞましく、ただひたすらに、嫌悪感を感じさせるはずの光景は、何故か美しさを感じさせて。


 少女は両腕を広げ、ゆっくりを前へと進んだ。そして腕を伸ばし、掬いとるように何かを掴んだ。


「うっ」


 それは、少女の近くに倒れていた魔法師の一人である、マディーネの足。縛られた両足をまとめて掴み、少女はマディーネを逆さまに持ち上げる。


「これが一番、美味しそう」


 少女は口をゆっくりと掴んでいるマディーネ足に近づける。ローブの裾を一気にめくりあげて、露わになったマディーネの脹脛に向かって、少女は口を大きく開けた。


「ちょ、ちょっと! ちょっと待って! 美味しくないから美味しくないから! せめて味付けしてくださいぃ!」


 落ち着き、静かに少女を見るハルネリアとショーンドとは対照的に、身体をくねらせて必死に抵抗するマディーネ。


 その姿をみて、師であるハルネリアは小さくため息をついた。


「はぁ……」


「ひぃぃちょっと! ちょっと師匠何とかしてくださいって! 私のお手入ればっちりな綺麗な足がぁ!」


「わかったわかった。もういいわセレニアさん。やっちゃって」


 その声と同時に、逆さまにつりさげられたマディーネの目の前を何かが通り過ぎた。


 カツンと、金属音が響く。ふと、吊り上げられていたマディーネの足にかかる力がなくなる。


 足が地面に投げ出されると同時に、降ってくるのは小さな塊。


 その塊はマディーネの胸元に落ちて、はずみで少し浮いて、そして床へと落ちた。


「はいっ!?」


 マディーネの情けない声と共に、もう一つ、今度は少し大きめの塊が落ちて来た。それは水気を持って、激しく液体をまき散らせてマディーネの真横に落ちた。


 それを、少女の頭と、少女の手だと判断した時には、すでに少女は膝から崩れ落ちていた。


「容赦ないわねセレニアさん」


 地面に落ちたナイフを拾い上げて、暗闇から姿を現した漆黒の暗殺者であるセレニアは無表情でそのナイフをどこかへと仕舞った。


「セレニア様! 助かりました!」


「ちっ……埋葬者が三人で何をしてるんだか……ほら、紐を見せろハルネリアの弟子」


「は、え? はぶあっ」


 心の底から面倒そうに、セレニアはマディーネを足蹴にしてひっくり返した。マディーネは後ろ手に紐で縛られていた。マディーネの手首にかかる光る紐に、セレニアはナイフを通そうとしたがそれはすらりとナイフを通り抜けてしまう。


 紐は紐として実体化してるわけではなく。故に刃物で切ることはできない。


「……術式の解明が必要か。ハルネリア、どこから入ればいい?」


「触れただけで魔力の放出が封印されたから……たぶんこれ、機能を施錠する関係の魔術ね。開錠辺りを適当にぶつけてみたら? 何か反応するかも」


「わかった」


 セレニアはどこからか小さな針を出した。それを光の紐に絡めるように添える。


 そして三度、針を指先でつつく。すると針は曲がり、幾何学的な形を取った後、砂のように細かく崩れ落ちた。


「……駄目だ。これは、複雑……だな。ああ、面倒だ、腕ごと一旦落とすか?」


「ちょぉっとそれは!」


「冗談だ」


 本気で焦るマディーネに、少しおかしさを感じたのか、セレニアは少しだけ微笑んだ。


「うーん動けないから解明もできないわ私……ショーンドさん一番長くこの術式くらってるんだから、ン何かないの?」


「っていわれてもなぁ……俺ハルネリアさんみたいに器用じゃねぇもん」


「つっかえないわねぇ」


「使えてたら捕まんないって。あーくそ、どうするっかなぁ……」


 さぁ、それでは、復讐とは、誰のためのものなのか。


 死した母を喰らい。死した父を捨て。死した食料を足蹴にして。少女は自らの心を癒し、そして思う。


 強く少女は死者に願う。強く、強く。両親に言われたことを叶えてもらいたいと、少女は願う。


 ――お前は、魔の果てを目指すのだ。


 届かないはずのものに対して、少女は願う。願い、そして手を伸ばす。強く、強く。


 その願い、その意思、その意志、その志。届かないはずのモノに伸ばした全ての想いは、死した時に叶う。死者に会うには、死者になる他すべはなく。


 復讐とは、誰のためのものなのか。


 首が落ちても、腕が落ちても、死んだとしても、少女はもはや死ぬことはない。


「お姉ちゃんが、いちばん、おいしそう」


 セレニアの全身に電流が走った。足に一本、光が一本、絡みついて、そして突き刺さる。


 痛みではなく、感覚。何かが入ってきたという感覚。感じた時には、手遅れ。


「なっ」


 セレニアはすさまじい速度で飛びのいた。マディーネを足蹴にして、地下室の、蝋燭の光が届かない場所へと跳び退いた。


 セレニアの移動した軌道に沿って光の紐が走る。一度絡みついた光の紐は、もはや外れることはない。


 寒気がセレニアを襲った。急激に全身の力が抜けていく。カランカランと落ちたモノは、魔術で自分に貼りつけていた短剣。黒髪が一気に青くなっていく。


 光の紐は、少女が願った力の一端。果てを目指すために、果てを手繰り寄せるための紐。


 魔を超えたいと願ったその力は、魔を封じることで発現し、結果として、誰にも破れない絶対緊縛の術式となった。


 首を落とされて、腕を切り落とされた少女はいつの間にか五体満足でそこに立っていた。堕ちた頭は身体に戻り、手も同様に戻り。


「ぐ、くそっ、命のストックか? 違う、なんだ、こいつ……これではまるで……師母の刻印のような……!」


 セレニアは落ちた短剣を拾い、それを右手に構えた。その顔には未だかつてないほどの焦りがみられる。


「ぐっ……まずい、身体強化が……!」


「動くと面倒だから、心臓を抉りだして食べてあげるよ。黒いおねーちゃん。ふ、ふふふ」


「……舐めるなよ。私の足を一本止めたぐらいでどうこうできると思うな」


 短剣を二本逆手に構えて、セレニアはトントンと片足で跳ねて見せた。セレニアの右足には光る紐が絡みつき、それは左足を繋げようとフラフラと揺れている。


 その光の紐の先を見ることなく躱しながら、セレニアは構えた。目の前にいる少女を、死を忘れた少女を殺すために。


 そしてそれを見るハルネリアは一言、苦しそうな顔で呟いた。


「まずい、勝てない。セレニアさんじゃ勝てない。あれを、殺しきれない……!」

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