第16話 月の雫
「私は……馬鹿です……知ってるのに、知ってるのに……私は、求めてしまいました……知ってるのに、お母様は、どんな魔物よりも、魔物だって、知ってるのに、わたしは、わたし、は……」
いつの間にか
いつの間にか、吐露していた。胸の内を、吐き出していた。
「本当に、馬鹿で、何もできなくて。わたし、何も、なにもできなかったよぉ……」
止まらない涙、白いドレスを濡らす涙、流れる涙。
「知ってたはずなのに、自分は無力だって知ってたはずなのに、何で、こんなことをできるって思っちゃったのぉ……」
窓から差し込む月明かり。涙の一粒に反射して、キラキラとそれは輝く。
白い少女は、ただ泣いていた。自分の無力さに、ただただ泣いていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……ジュナシアさんごめんなさい……わたし、期待に、期待に応えられなかった……あなたを、裏切ってしまった……っ」
「そんなことはない」
「ごめんなさい……セレニアさん、ごめんなさい……わたし……何もできなかったっ……セレニアさんに、あんなに、勇気をいただいたのに……」
「……いい。いいさ」
「ごめんなさいリーザさん……わたしのために、国をでることになって……本当に、本当にぃ……ごめんなさいぃ……」
「そんな、私は、大丈夫です。大丈夫ですから」
「皆さんを、うらぎってしまった……わたし……」
「大丈夫だ。お前はよくやった。誰も、俺も、セレニアも、リーザも、誰もお前を責めはしない」
「ああ……あああ……」
聞こえていない。見えていない。
ジュナシアが何を言おうとも、セレニアが何を言おうとも、リーザが何を言おうとも、白き少女には聞こえない。
アズガルズの宮殿の一室で、少女は窓に向かって泣き続ける。
それは、少女自身が初めて感じた感情。胸を埋めるのは恐怖の感情。
自分が死ぬことすら恐怖することなく、ただ微笑むことができた少女は、ただ何かに、恐怖している。
「わたしはぁ……馬鹿です……! 馬鹿なんです……! 女王になれば、誰も死ななくてすむって、それが一番いいって、一番いいから……うまく、いくって……甘えて、甘えて……ああ、あああ……どうすれば、どうすればよかったのぉ……」
本当は、白き少女は知っていた。
「皆、巻き込んで……わたしが、いなかったら、最初から、いらないこと、してなかったら、ロンゴアドの兵士さんたちも、あんなに死ななくてよかったのにぃ……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
少女は知っていた。
「私が、殺しました……ロンゴアドの兵士、5万人以上……私が、あの人たちの犠牲……無駄にしました……」
自分が恐怖心をいただいいるのは、迫りくる罪の意識ではなく。
「ごめん、なさい……私は、何もできなかった……でも、でも……お願いしますジュナシアさん、セレニアさん、リーザさん、私を、私を……見捨てないでください……何でもします、なんでもしますからぁ……!」
見捨てられるという一点においてだけということを。
「あなたに何ができるの?」
冷静な一言、ジュナシアは見ることなく、誰が来たのかを理解する。
赤き髪の魔法師ハルネリア・シュッツレイ。音もなく部屋の扉を開けて、彼女は立っていた。
白き少女は、ファレナは彼女を見ることはない。下を向いてただ涙を流し続けている。
「結局ね、大国の好きなようにされてね、こうやって打ち砕かれるのよ。17の、しかも最近まで目が見えなかったような子供が、背負える重荷じゃないのよ。人を導くということは想像以上に覚悟がいる。ジュナシアさん、セレニアさん。彼方たちのせいよ。急ぎ過ぎたのよ」
「……知った風な口を」
「ちっ……」
ハルネリアに咎められて、ジュナシアとセレニアの顔が曇る。だが二人は何も言い返せない。
「もう……何か言い返して見せなさいっての。さぁて、ファレナさん。いつまで泣いてるの? ほらこっち見なさい。あーもうじれったい」
「おいハルネリア」
ジュナシアが止めるが、それに構わずハルネリアはずかずかと部屋に入る。
そしてファレナの頭を掴み、強引に顔を自分の方へと向けさせた。
「あ、ぐっ……」
「綺麗な顔が台無しよ」
「……ハルネリア、さん?」
「やっと帰って来たわね。久しぶりねファレナさん」
涙が手につくのも構わずに、ハルネリアはファレナの顔を撫でる。優しく、彼女は撫でる。
「人は大なり小なり、必ず罪を背負うわ。私も、何人も魔術師を殺してきたし、ロンゴアドのあの行軍だって、正直最初からあれぐらいは死ぬと思ってた。でもね、いいのよ。いいの。もう、いいの」
「……もう、いい?」
「ロンゴアドの人たちはそりゃ、死にたくないって思ってたでしょうけど、それでもわかってたから。何で死ぬのかわかってたから。だから、いいのよ。あなたが与えたのは選択であって、強制じゃないから。いいのよ」
「……でも」
「でもはなし。ねぇ、ファレナさん、本当にあなた、何もできなかったと思ってる?」
「……はい」
「違うわ。あなたは、一矢報いてる。アリアに。ねぇ考えてみて、何で彼女、でてきたの?」
「どういう、ことですか?」
「ずっと隠れてた方がよかったと思わない? ねぇ、よく考えてみて、アリアは、数百年間、世界から隠れ続けていた女よ。でもあの場にでてきた。これってなんで?」
「……私が、女王になると、言ったから?」
「そうよ。あなたの、まぁあんまり綺麗とは言えない演説だったけど、あのままだと諸王たちは誰も反対してなかったと思う。だって明らかに正統性があるもの。正直アレを覆すには、オディーナでは無理だった」
「それが、どうしてお母様に一矢報いることに……?」
「いい? 全てに理由があるの。アリアが隠れていたことにも、必ず理由がある。でも隠れていられなくなった。これって、たぶん、アリアにとっては致命的なことなのよ。だからあんなに急いでる。世界を統治することを急いでいる」
「……何で隠れてたんです?」
「それはこれから、でもね。私たちには二つ材料がある。アリアを出し抜く材料が」
「何ですか、それは」
「一つはあなた、アリアの魔力波長と全く同じモノを持っているあなた。その気になればきっと、彼女と同じことができる」
「私……?」
「そしてもう一つ、それは」
ハルネリアが部屋の入り口を見る。その部屋にいた全員が、ファレナを含めた全員がハルネリアの視線の方を見た。
そこに立っていたのは赤色の輝く髪を持つ女王ファルネシア・ヴェルーナ・アポクリファ。そして頭を下げる魔法師マディーネ・ローヘン。
「ヴェルーナ女王が私たちの味方だということ」
女王はその長い髪をかき上げて、ニヤリと笑った。何ともいえない笑みに、先ほどまで泣きじゃくっていたファレナは、唖然とした顔をしていた。
「全てに意味がある。無駄なことなど一つも無い。ファレナさんが歩いて来た道のりも、無駄じゃない。無駄じゃなくしてみせる」
「ハルネリア、さん」
「私たちはあなたを決して見捨てない。覚えておきなさい。あなたはすでにここにいる全ての人にとって、大事な人なのよ」
「はい……はい……!」
「さぁ始めましょう。まずはヴェルーナに帰ることから始めましょう。ねぇファレナさん、あなた料理はできる?」
「……あまり、できないです」
「じゃあ教えてあげるわ。何でもするというなら、何でもできるようになりなさい。でないと、私みたいに不器用な女になるわよ」
「はい!」
「ジュナシアさんたち、小会議室に行きましょう。とびっきり重要な、作戦会議と行きましょう」
「わかった」
赤き魔法師を先頭に、彼らは小さな会議室へを足を運ぶ。
彼女らの歩みはバラバラに。だが視線は同じ方向を向いて。
ファレナは感じていた。自分の周りにいる人たちは、自分と同じ方向を見ているのだということを。そして彼女は理解した。同じ方向を見ているこの人たちは、自分を決して捨てはしないのだということを。
母親のように、自分を捨てはしないのだということを。




