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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第63話 白百合の中で空を仰げば

 全ては揺れる。終わりはあと僅か。今際の際に足掻く意味など、あってはいけない。


 聞こえる。人が叫ぶ声が聞こえる。聞こえる。人が変わろうとする声が聞こえる。


 死の際が迫る。人の終わりが迫る。そう結局、人が欲を持って生きる理想郷などどこにもないのだ。


 声が聞こえる。懐かしい声が。綺麗な声が。


「俺が君を守ってみせる。絶対に」


 心が揺れる。心が震える。汚れきった自分。彼の手は、そんな自分をも優しく包み込んでくれて。


 夢が始まる。救いの夢が。皆が渇望した平和を得るために、少女の夢が始まる。


 思い起こされるのは無数の思い出。過ぎ去った思い出。過ぎ去ってしまった思い出。


 赤い槍を持って、人々を先導する。皆の顔は希望に満ち溢れ、真っ直ぐに敵を見据えている。


 幾多の戦いがあった。


 幾多の別れがあった。


 何人もの男が私を守ると言い、そして死んでいった。


 何人もの人を救って、何人もの人を守って、何人もの人を死なせて、得られた平和に、意味などあっただろうか。


 またどこかで戦いが始まる。人々は私を求める。戦いを止めるために、人々の敵を殺すことを私に求める。


 私は英雄。私は人々が求める英雄。誰よりも人を殺して、誰よりも戦って、誰よりも生きて、結局残ったのは何だろう。


 いつしか、人が死ぬ姿に何も感じなくなっている。


 いつしか、人を殺すのに何も感じなくなっている。


 私はどこまで汚れていくのだろう。


 真っ黒に腐れた血。心は疾うに壊れている。とうにこわれている。


 また人が泣いている。ずっと泣いている。そんなに泣いてばかりなら、そんなに悲しいのなら、どうして自分で何とかしないの。


 助けてと叫ぶあなた。その伸ばした手を、どうして傍の人に向けてあげないの。


 誰も彼も自分勝手。


 誰も彼もわがまま。


 私はあなたの母親ではない。


 私は救世主になれない。


 もうとうにこころはこわれている。


 こんなにも、世界は醜いから。こんなにも、人は醜いから。こんなにも、私は醜いから。


 全て消えてしまえばいい。全て消えて欲しい。


 私の全てを飲み込んで。今までの全てを飲み込んで。




 ――――世界の全てを飲み込んで。




 それは、そこにいた。


 刻まれていく時。最後の瞬間に、目の前にそれがいた。


 純白の翼。六枚の翼はまさに神話の戦士そのもの。真っ赤に染まる眼以外、全てが白い。


 空が揺れる。大地が揺れる。白百合の花畑の中で、それはなによりも白く輝いている。


 純白のエリュシオン。全ての終わりに現れたそれは、何よりも白かった。


 泣いている。赤い瞳から赤い涙が流れている。何のためにそれは泣いているのか、誰のためにそれは泣いているのか。それはとてもとても、綺麗で悲しそうで。


 翼が動く、六枚規則正しく。魔力が暴風のように吹き荒れる。


 それは飛ぶ。輝く黄金の月を背に、それは空に君臨する。神々しい、その言葉がこれほど合う光景を、他に見たことなどない。


 それは、間違いなく、ファレナという一人の少女を迎えに来た使者。


 ただ、ただ、泣いていた。純白のエリュシオンは泣いていた。


 きっと、過去も未来も全て含めて、たった一人だろう。人のまま果てに至ったのは、彼ただ一人になるだろう。


 だから、期待した。だから、恋焦がれた。だから、求めた。


 こ れたわたしをたすけてくれるさいごのひと


 わたしはいま、なにをしているのだろうか


「あはははは! はははは!」


 わらっているのは、だれ


 赤い槍が、空を埋め尽くす。赤色の血。私が流させた血。


 白を赤に染めて。私は生きる。人を救うために。わたしはいきる。


 私は、救われない。


 すくわれない。


 降り注ぐ槍は、断罪の証。誰の罪? 当然、私の罪。


 わたしはわたしをすくおうとするひとをゆるさない。


 白を赤く染めたい。白いままなんてありえない。人は汚い、世界は汚い、だから、赤く染まらないといけない。


 純白のエリュシオン、彼の身体は赤い槍の一本も通さなかった。槍は彼に触れるたびに、砕け落ちていく。私の断罪を、彼は受け入れない。


 当然だろう、断罪を受けるのは私なのだから。


 彼が降りてくる。飛び込んでくる。私の胸を刺し貫かんと。


 地面から生える赤い槍。空からも降り注ぐ赤い槍。彼を殺さんとする赤い槍。


 私は私を許さない。私はわたしをゆるさない。かれはわたしをゆるさない。


 ――本当は?


 赤い槍は全て砕けた。届くわけがない。数万の人を一瞬で殺せる槍は、彼一人は殺せない。


 純白の翼が羽ばたいた。舞う風に乗って、ひらひらと彼の羽が舞い落ちる。


 あまりにも美しい。あまりにも白い。


 手を伸ばして、その羽を手にしようとした。遠すぎて、届かなかった。


「ふ、ふふ……ははははは!」


 あまりにも自分が滑稽で、笑いが止まらない。


 何のために、私はここにいるのだろうか。


 間際で見た。ファレナの顔。ファレナ・ジル・ファレナの顔。


 十戒の旗は、九の力を十の戒律を持って身に宿す。魔力とは、人の魂の輝き。


 あの瞬間、確かにあの子は笑っていた。どうして笑っていたのだろうか。自分が消えてしまうその瞬間、どうして笑っていただろうか。


 自分は笑えるのだろうか。あんな風に笑えるのだろうか。


 あんな風に――いつからわらえなくなったのだろうか。


 空が低い。人は終わる。全ては終わる。私が終わらせる。


 あの子はどうして、間際になって私を殺すのをためらったのだろうか。


「わからないか?」


 わからない。おしえてほしい。


「ファレナ・ジル・ファレナにとって、ファレナ・ユネシアはアリア・セーラ・ファレナだった。母親だった。母親だったんだ」


 だから、なに。


「だから、殺せなかった」


 だから、それがわからない。


「何故わからない」


 わかりたくないから。


「わがままを言うな」


 だってわかったら、理解してしまったら、私は、完全に――――


「母が子に愛情を感じる。産まれた形はどうであれ、それは自然なことのはずだ」


 母が子を捨てる。それは普通の事。人は、自分のためなら子も捨てることができる。


「捨てられない人間もいる」


 捨てられる人間もいる。


「捨てられる人間は、涙など流さない」



 ――ああ



「君は、愛していたはずだ。だから、自分では殺せなかった」



 ――ああ



「ファレナは母親を殺せなかった。だったら、ファレナは自分の子を殺せないはずだ」



 ――ああ



「これで終わりだ。君の生も、君の苦しみも、もう何も、心配する必要はない。もう誰も、殺す必要はない。もう――置いて行かれることはない」



 純白の彼の手に輝くは、旗。ファレナ・ジル・ファレナの命全てを吸った旗。深紅の、純白の、旗。


 救われたいと思った。


 救って欲しいと思った。


 私が救った沢山の人たちと同じように、私も救われたいと思った。


 あの日、綺麗な花を摘んで、家に帰ったあの日。


 母が言った。もっと早く帰ってきなさいと。


 父が言った。今日はお前の好物を買って来たと。


 弟が言った。明日は一緒に遊んでと。


 帰れなかった私の家。全てが壊れた私の過去。すべてをこわしたあのひのできごと。


 夢を見た。白い夢を見た。花畑の中で、一輪の白百合を見つけて私は手を伸ばした。


 花を一つ摘もうとしたら、白い手が先にその花を摘み取った。顔をあげると、あの日の私がそこにいた。


 穢れていない、白いままの私。黄金の髪が風に舞い、青い眼が私を真っ直ぐに見てくる。


 そして笑った。あの子と同じ笑顔だった。


 綺麗だねと、私は言った。笑って私は、花を籠に入れた。


 もう落とすことは無い。もう手放すことは無い。最期まで一緒に。


 私は歌う。花畑の中で歌う。青空に向かって歌う。


 最後まで、最期まで、さいごまで。せめてさいごは、白百合の中で。


 白百合の中で空を仰げば。そこにあったるのは純白の翼。輝く純白のエリュシオン。


 赤い涙を流して、彼は飛ぶ。私のために、彼は泣く。


 赤い旗を胸に。私は歌う。白百合の中で私は歌う。


 声が聞こえた。私と同じ声。でも違う声。懐かしい声。愛しい声。


「お母様、次はどんなお話を聞かせてくれますか?」


 笑って彼女は私を待っている。夢の中で私を待っている。私の中で私を待っている。


 行かないと、早く本を選んで行かないと、愛しい子が待っている。



 ――ああ、思い出した。愛してたんだ、あの子を。



 舞い上がる純白の翼。向かう先は月なのだろう。彼こそがきっと、理想郷なのだろう。人のままに、最期を超えた彼こそが、人が行きつく果てなのだろう。


 ファレナ・ジル・ファレナの旗を胸に突き刺し、白百合の中でファレナ・ユネシアは歌う。空へと登る一筋の光を見て、歌い続ける。死ぬその瞬間まで、彼女は眼を開けて歌い続ける。


 人の死の果てに、壊れ崩れた少女の心。救ったのは、彼女の娘。


 ファレナ・ユネシアは旗を握り、残った最後の魔力をそれに注ぎ込むと、そのままその生を終えた。人を救うために、自らを壊し流し続けた少女は、死んだ。


 最後に、一人の少女を再び産み落として。


 空を見上げる。もう彼は空の彼方にいる。


 月が堕ちてくる。全ての終わりを告げる月が。


 それを見上げる一人の少女。黄金の髪を風に揺らし、青い指輪を手に空を見上げる少女は、小さく言葉を口にした。


「……ありがとうございます、おやすみなさいお母様」

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