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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第58話 流した涙は枯れ果てる

 生きて欲しいと、誰かが言った。


 生きるべきだと、誰かが言った。


 死んではいけないと、誰かが言った。


 希望となった少女は、勝利の瞬間まで死ぬことは許されない。生き続けなければならない。生きて生きて、悠久の平和を手にしなければならない。


 誰もが求めた少女の生が、少女を汚し続ける。永遠に。永遠に。内側から、彼女を犯し続ける。


 自分のような人ができないようにと願った少女の美しい願いは、今や地に落ち腐り落ち、残ったのは血の海の上で生き続ける女だけ。


 少女が戦い、得た平和な世界を壊したのは、少女の願い。


 もう彼女は白百合を手にすることはできない。白百合に囲まれることはない。


 だから、目の前に広がる光景は――――


「ねぇ、知ってた? ここはね、私の最期の場所なの。私の、最後の領地なの」


 赤い――――紅い――――朱い――――


「ここは私の領域。私の世界。広い? それとも狭い? ねぇ、何が見える? ねぇ、何が見えてる? ねぇ――ファレナ?」




 ――――血の海。




「これこそが、ファレナ・ユネシアそのものよ」


 そこは、真っ赤な世界だった。大地一面を這う血の海。白いファレナのドレスが赤く濡れる。


 それは少女が、ファレナ・ユネシアが流してきた血。血の上に国は出来ると、人は言うが、実際流した血を目の当たりにして正常でいられるものなどそうはいない。


 血の海から生える無数の武具。槍、剣、斧、盾、鎧、そして、兵士。ある者は槍に貫かれ、ある者は剣を突き立てられ、人の形をした何かが血の海に横たわっている。


 上を見る。赤い眼の鳥がいる。死肉を口に、ぐちゃぐちゃと音を立てて突き立てられた槍の上で口を動かしている。


 空を見る。空は真っ赤。青空など一つもない。輝く魔物の形をした黄金の月が、この光景が現実のものだということを教えてくれる。


 振り返る。ファレナ・ジル・ファレナは振り返る。背にいた少女が伸ばした赤い手を払って、ファレナは三歩前に進む。


 何かを踏んだ。柔らかい何かを。ファレナが視線を落とすと、そこは黒い虫が大量に蠢いていた。


 言葉が出ない。呼吸が荒くなる。ファレナは、生まれて初めて、目の前に広がるモノが醜いと思った。


「ようこそファレナ。ここが私の子宮。あなたが生まれたところよ」


 足を蟲が昇ってくる。あまりのおぞましさに、ファレナは必死に蟲を払って後ずさった。


「ふ、ふふ……ははははは……!」


 赤い槍を地面に突き立てて、ファレナ・ユネシアが笑う。自分が必死に自分から離れようとしている光景を見て、愉快に笑う。


「あーはははは! 初めて見たわ私! 私って、そんな顔するのね! あはははは!」


 笑う。笑う。笑う。ひたすらに笑う。


 笑い続けるファレナ・ユネシアの足元には潰れた蟲たちが血の海を漂っていた。それが足についても、靴についても、一切彼女は反応しない。


 それは、当たり前だから。当たり前の光景だから。


「何が、何が起こったんですか……? お母様、何で、いきなり、さっきの花畑は……? それに、それに……何で皆が……皆が!」


 叫び、崩れそうな自我を、それを見て強引に繋ぎ止める。


 無数の槍に貫かれて絶命する、仲間たちを見て、意識を繋ぎ止める。


「いきなり現れた! 槍! 赤い槍! ジュナシアさんたちはお母様を倒そうと迫って! それで、それで……何でこうな……急すぎて……哀しいとか言う前に頭が、おかしくなりそうですお母様……お母様……!」


「はいはい、ファレナ。いい子いい子。そうねぇ……うーん……どういえばいいかなぁー」


「幻……?」


「いいえ、現実よ。ある意味ね」


「魔術……?」


「当然。それ以外無いでしょ」


「あ、う……わからない。わからないですお母様ぁ……」


「全く、あなたはファレナの名を貰ったのですよ。もっとしゃんとなさい」


 その口は、その言葉は、強くファレナの胸を打つ。ファレナ・ジル・ファレナ。王国の名をそのままつけられた王女が、幾度となく言われた言葉だったから。


 だが、それを言っている人間の顔は、狂気に満ち満ちていた。


「魔術は、魔力を術式に乗せて、形を変えて放出する物。定義付けられた物を魔力を持って歪めて固定する魔法と違って、魔術はより単純な、魔力そのものの操作。ねぇファレナ。魔力とは、何?」


「魂の……力……」


「より正確に言えば、人の力。魂だけでも増幅ができない。肉体があって初めて、回復と増幅と放出ができる。つまり、魔力は人の身体にある物なの。魔力は肉体と魂。それぞれ繋げ循環するものなの」


「は、はい……」


「じゃあ、問題よ。心って、何?」


「え?」


「心。精神と言ってもいい。それって、何?」


「え、え……と……か、考え……というか……生き方で……思いというか……」


「心は、精神は、その人が持つ世界そのものよ。その人間が、肉体と魂を持って生きていくことで産まれる、世界そのもの。だから、肉体を捨てなければ行けないエリュシオンには心を持って行くことができない」


「……まさか」


「そう、ここは私の世界。私の心。『私』だけしか入れない場所。つまり?」


「ここにいるのは、私だけ?」


「正解。ふふふ……ははははは! あははははは! あなた一人で私が殺せるかしらぁ!? 時間は待ってくれなくてよぉ! あーははははは!」




 ――希望が消えた時こそが、絶望の時。




 そこは依然美しい世界だった。


 白百合が咲きほこる、希望に溢れた世界だった。


 天高く輝く月を除けば、であるが。


「どこ行ったの!? 消えるとか、そんなのって!」


「ファレナ様! 姫様がいない!」


 忽然と消えた二人のファレナを探す彼ら。月は迫る。時は進む。光の大地は輝く。


「ファレナ……何とかしろ。何とかしてみせろ……!」


 もはや懇願するしかなかった。絶望は、絶望を呼んで。時の進みは無常に、無情に。


 世界が終わるまで、あと――1刻程。

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