第57話 その手は赤く染まり
それが、何なのか。もう誰も知らない。
輝く手は、滑らかに空を撫で、美しく少女は踊る。
輝く月を背に。月光の下で光に包まれて、彼女は踊る。
笑って、笑って、嬉しそうに、楽しそうに。
全ての人にとってはこれは終焉なれど、少女にとってはこれは始まり。
やっと終われる。やっと始まる。
その想いが、彼女の顔を笑顔にする。夢も希望も、全てはここから始まる。
誰もが望まない未来を、ここに。
そこにあったのは、圧倒的な魔力の奔流だった。
それは風となり、暴風となる。ジュナシア・アルスガンドが纏う深紅のマントはそれに押され大きく空に舞う。
終わりは認めない。
終わりを認めてはいけない。
人が歩む今を、終わらせてはいけない。
輝く赤と青の双剣。アルスガンドの始祖が創り上げた剣は、今というモノを守るために。
時は迫る。終わりの時が。アズガルズの大地で、彼らは抗う。人の未来を救うために――――
「ねぇ……私に溺れてみない……?」
その声は、妖艶な声だった。一気に心を掴まれるかのような、引きずり込まれるような声は、真っ直ぐにジュナシアの耳に届いた。
遠くにいるはずのファレナ・ユネシアの声が、彼の耳元から聞こえた。
「エリュシオンが落ちるまで、一緒に溶け合わない……?」
優しい声だった。冷たい声だった。
「たぶん、いいえ、絶対にそれは、すごく、すごく気持ちいい……気持ちいいから……ねぇ……?」
「黙れ。時間稼ぎはいい」
「あっそう、残念。ふふふ、絶対気持ちいいのに。何人も虜になったのに。ふふふ、くひひひ……ははははは!」
少女は笑っていた。
嬉しそうに笑っていた。
ここが最期だとわかっていて、だからこそ笑っていた。
魔力の暴風の中で、剣が光った。赤い剣が。青い剣が。
向けられる先は、笑うファレナ・ユネシア。強い殺意を込めて。少女を殺さんとする意志を込めて。
その殺意は、その意志は、懐かしく、ひたすら懐かしく。ああ結局、自分に向けられるのは殺意だけなんだと、少女は思った。
だから笑った。高らかに笑った。
「あははははは!」
その声はもはや完全に狂気だった。美しい少女の顔は、狂気に歪んで笑っていた。
彼女を変えてしまった過去。失った今。もう少女は戻れない。ファレナ・ユネシアに戻れない。
もう全て、過ぎ去ってしまったのだから。
白百合の中で、狂った少女は笑う。黄金の月を背にして。
「遥かな、時を経て、夢幻の彼方に、私は一人。さぁ、踊りましょう。一緒に踊りましょう。ここは最高の舞踏会。手を取ってくれるのはあなた? それとも、あなた?」
姿が変わる。ファレナ・ユネシアの姿が変わる。
純白のドレスは赤色のドレスになり、黄金の髪はただひたすらに金色に輝く。
現れたのは槍。光り輝く赤色の槍。優雅にそれを取り、軽く振り下ろすその姿は、正に戦いの女神。
戦を終わらせる皇。戦皇女ヴァルキュリエ。ファレナ・ユネシア。赤色の鎧は彼女が流した血の分だけ赤く染まり、冷たく輝く。
「さぁ、いらっしゃい。私を殺して見せなさい。できるものなら、できるものならぁ……くひ……ふふ……あはははははは!」
終わりを告げる女神が笑う。楽しそうに、哀しそうに。
これはきっと、最後。これできっと、最後。
最終決戦。古の魔都、アズガルズで。
――終わりを君に。
「行くぞ」
――救いを皆に。
最後の戦いが、始まった。
空を舞う無数の本。舞い上がる無数の紙。
一つ一つが魔法陣を描いて。空一面にそれは広がる。
「マディーネ! 合わせて!」
「はい!」
二人の魔法師が手を天へと掲げる。魔力を全ての魔法陣に集中させる。
狙いは一点。血の皇女ファレナ・ユネシア。
魔法陣の中に、魔力の塊ができる。それは形を成し、現れたのは光の矢。
「1!」
「2の!」
「3!」
ハルネリアとマディーネ。二人の掛け声と共に、光の矢は放たれた。次々と、次々と放たれた。
まるで矢の雨のように。凄まじい速度でそれは降り注いだ。一点を、ファレナ・ユネシアに向かって。
そして当たる。一発も外れることなくそれは当たる。赤色の戦皇女は、光の矢の中へと消えていった。
「止めないで!」
「はい!」
止まることは無い。光の矢が止まることは無い。
当たる。当たっている。音が鳴っている。金属音。光の矢が金属にぶつかる音。
次々と、当たっている。一発一発が何の人にとっては必殺の一撃。それが次々と当たっている。
「よし!」
――何に当たってるのだろうか。
「ランフィード合わせろ!」
「応!」
光の矢を掻い潜り、駆けるジュナシアとランフィード。
地面を這うようにそれは迫り、二人は剣を振り上げる。
狙いは当然のように、ファレナ・ユネシアが首。二か所左右、同時に二人は剣を振り下ろす。
甲高い音がなった。金属同士がぶつかる音。二人の剣は、長い赤色の槍に止められた。
「セレニア! イザリア!」
「分かってる! これで終わりだ!」
ジュナシアたちが止めた赤色の槍を構えるファレナ・ユネシアの、背後から迫るセレニアとイザリア。
白い首が見える。金色の髪を輝かせる後頭部が見える。
セレニアは短剣を抜いてその後頭部に刃を突き立てんと襲い掛かった。同様に、イザリアも双剣を添えて首を落とさんと襲い掛かった。
これで終わり。
意外と簡単な終わり。
そう、ここにいるのは世界最高の実力者ばかりなのだ。例え連戦で疲れているとはいえ、たった一人の魔術師が敵うわけがない。
ファレナ・ユネシアはここで終わる。簡単に、いとも簡単に。首を跳ねられて、それで――――
「ねぇ、ファレナ」
「あ……ああ……」
「あなたは、何ができるの?」
「そんな、そんな」
「何ができたの?」
「そんなこと、ありえ、ない」
「これがあなたが迎えた、終わりよ。ねぇ、勝てると思ったでしょ? ねぇ、負けないと思ってたでしょ? ねぇ――誰も死なないと思ったでしょ?」
「あ、ああああああ!」
全ては、必然だったのだろうか。こうなるべくして、こうなったのだろうか。
絶叫がこだまする。巨大な月の下で、声が鳴り響く。
血に浸った白百合の花畑の中で、斬り裂かれ貫かれ、沈む仲間たちの前で、ファレナは絶叫した。
赤い剣が地面に突き刺さる。本が地面に落ちる。青い髪が血に広がる。
「ふ、ふふふ……ふひっ……あははははは! ああいい気持ち! 勝てるわけがない! 勝てるわけがないと、何故わからなかったの!? あはははははは! あなたのせいよ! あなたの! 皆死んだのはあなたのせいよ! あーははははは!」
「ああ……ああ……!」
同じ顔をして、同じ声をして、二人のファレナは全く同じ。だが、全く違う。
血が滴る赤槍を片手に笑うファレナ。赤い旗を地面に落し嘆き叫ぶファレナ。
月が迫る。世界の終焉を告げる月が。
「知らなかったの私? 私は、世界で一番強いのよ。あはははは!」




