第55話 誰かが求めた理想郷で
美しい夜だった。何も知らない人たちは空を見上げ、大きく輝く黄金の月を希望の象徴として、嬉しそうに楽しそうに見ていた。
月の光は太陽の写し身。その輝きはそれが発しているわけではない。
だが、それは今輝いている。自らの力で輝いている。
明るむ空。輝く月。迫る終焉。
きっとその夜は、有史以来全ての夜の中でも最も長い夜になるだろう。
眼を瞑り、思う。これが終わりだというならば、それもまたいい。だが、間違いなく、これは終わりではない。終わりであるはずがない。
美しいその夢は、決して叶えてはいけない。
生きる意味を失う未来など、決してあってはならない。
忘れるな。人の価値を。忘れるな。ヒトのココロを。
忘れるな。自分を。忘れるな。相手を。
忘れるな。生きる意味を。
忘れるな。望みを。
終焉に向かう世界を、止めるのは人の意志。足掻いてみせよう。足掻いてみよう。きっとそれは、とてもとても美しいものなのだから。
必要なのは救い。報いはいらない。ただ救いを。全ての人に救いを。救いを求める人に救いを。
救われない者に救いを――――
「やっと組みあがったわ。皆急いで準備を」
王都の中央に彼らはいた。様々な国の出身者からなる数百人の兵士。十数人の魔法師。そして、ファレナ・ジル・ファレナが中心の解放者たち。
神妙な面持ちで皆並ぶ。巨大な石枠の前に並ぶ。赤髪の魔法師ハルネリアがその門に手を当てる。
「メリナ、方角を」
「はい」
メリナ・ヴェルーナ・アポクリファが石枠の左側に手を添える。左右と上下、三つの石の柱で囲まれた空間に、白い光が灯った。柱に赤い文様が浮かび上がる。
「お母様」
「待て、しばしかかる」
「急いで」
反対側、石枠の右側に立ったヴェルーナ女王、ファルネシア・ヴェルーナ・アポクリファが石に手を添える。石枠の内側に、赤い光の壁が出来上がる。
空には巨大な月。もう時間は残り少ない。
「……すでに揺れている、か。やはりどう計算しても一発しか撃てんぞシルフィナ。石では強度が、な」
「一発でいい。全力でやってお母様。帰りはいらない。メリナ、方角の調整はどう?」
「地図の方向は合わせましたが、星の回転の調整が難しくて……正直自信がないです」
「言った通りにしてくれればいいわ。あとはラナと先生が。あなたは魔力を集中させて。大丈夫、あなたもヴェルーナ・アポクリファ。自信もって」
「はい……!」
石で囲まれた枠の中を膨大な魔力が走る。魔力の壁は巨大な光と化してそこに充満する。
できあがるは光の門。ファレナ王国の王都が中心に、嘗て人々の夢が集まっていたこの場所に、創り上げられた巨大な魔道具。
時間がなかった。あまりにも時間が。故にそれは、あまりにも無骨だった。
城塞の石の門をそのままくりぬいて、三本の柱にしてここに持ってきた。柱を左右に二本建て、中央に一本の柱を寝かせ、それで終わり。石の門と呼ぶにはあまりにも簡易的。だが、これこそが人の最後の切り札。
「お母様、いい?」
「うむ……しかし、射出型のゲート、か。古き時代に物を運ぶときに使っていたこれを、今の時代再び見ることになるとは、な」
「古い式も使いようってね。実際霊峰昇る時に使った実績があるし。お母様いける? 全力でやってよ。お母様のありったけでもたぶんアズガルズまでは射程ギリギリなんだから」
「見くびるでない。わらわが魔力であれば、星の裏まで吹き飛ばしてくれる、わ」
「手は打ってるけど、飛ばし過ぎもやめてよ」
赤髪の親子が二人。光の門の前で談笑する。二度と再び会えないかもしれないということを知りながら、談笑する。
優し気に微笑む赤色の女王。それを受けてはにかむ赤色の王女。
「シルフィナよ」
「何?」
「良き娘である。実に、良き娘である、な」
「……何それ。早くしてよお母様」
進む。時は進む。足掻く人たちを尻目に、進み続ける。
きっと、今という時はきっと、もう二度と戻ることは無いのだろう。
この先何があったとしても、例え全てが消え去ったとしても、今この瞬間は戻りはしないのだろう。
開いた眼が離せない。大きな月から眼を離すことができない。
それが世界の終焉を告げるモノだとしても、思わずにはいられなかった。美しいと、思わずにはいられなかった。
輝く月の下。白き娘は伸ばした手を月に翳す。明るく眩く、吸い込まれそうな輝きの中。彼女の黄金の髪が月に照らされる。
ああ、どうしてこんなにも、あれに惹かれるのだろう。
ファレナは考える。自分の今の気持ちを考える。『自分』の今を考える。
考えてもわかるはずはない。だから問う。そこに立つ男に向かって。自分の光に向かって。
「私は何故生まれたのですか?」
自分の言葉が、『自分』でない感覚。だからこそ、答えが欲しかった。その人が口にする答えが欲しかった。
だが彼は答えなかった。答えようともしなかった。
無言で立つ、漆黒の彼。いつか見た悲しすぎる漆黒の瞳は、いつしか強い意志に彩られて。
その瞳が、その顔が、その姿が、その意志が、愛おしくてたまらない。欲しくてたまらない。
流れる涙は何の涙か。ファレナの頬に涙の道が走った。
知っている。ファレナは知っている。
自分の先を知っている。
「ファレナ」
「はい……?」
「母さんに、教えてもらいに行こうか」
「……お母様に?」
「だって創らなきゃ、生まれないだろう?」
「……そうですね。うん、そうですね。あの……一つだけ、あの、一つだけ……」
「うん」
「私と……『私』と……」
「うん」
「……何でもないです。行きましょう」
「わかった」
結局、そうなることはないとわかっていたから、言えなかった。
作り物の身体。作り物の魂。作り物の心。
だがそれでも、ファレナ・ジル・ファレナは生きている。
まだ彼女は気づいてはいない。彼女は生きている。
それを知っていればきっと、それがわかっていればきっと、言うことはできただろう。
あなたを心から愛していますと。
終焉は来る。どうあがこうが、それは確実に。ならば大事なのは、その先。終わりの先。
さぁ始めよう。終わりの先へと向かおう。全ての人の今を未来へ進めよう。
大きな音が鳴る。鐘の音。準備ができたという音。
彼らは集う。砲台の前に。ただの一人も諦めた者はいない。ただの一人も前を見ていない者はいない。
遥か彼方、全てが始まったアズガルズの大地へ。
ファルネシア・ヴェルーナ・アポクリファは赤色の髪を輝かせ、赤色の光を纏いながら腕を広げる。
「良い面構えかな。では行く、ぞ。決戦である。大いに武勇を見せるがよい。期待しておる、ぞ」
ヴェルーナ女王は手を門へと翳した。赤い光がゆっくりと石枠の中へと流れ込んでいく。
「皆、光の中に。撃ち出すわ。衝撃でやられないでね」
石で囲まれた枠の中、光の壁の中へと彼らは入る。一人、また一人、皆決意を秘めて。
「メリナ、行ってくるよ」
「はい陛下。ご無事をお祈りしています」
ランフィード・ゼイ・ロンゴアド。砕けた黄金の鎧の代わりに白銀の鎧を纏って。黒いマントの中心んに輝く紋章はロンゴアド王家の紋章。
「姫様を守る……姫様を守る……絶対守る……絶対守る……」
リーザ・バートナー。遠くでその姿を見守る彼女の家族たち。臆病な女騎士は、何時しか強い心を持って。全ては、自分を受け入れてくれた人を守るために。
「師匠、こんな時に何ですけど、拾ってくれてありがとうございます。私、師匠の下で魔法師できて良かったと思ってます」
「何よ急に……まぁ、その、あなたがいてくれたから私、壊れないですんだからその……やめ、やめましょうマディーネ。私たちらしくない。うん」
「えぇー?」
銀髪の魔法師マディーネ・ローヘン。幼少期孤児となった彼女は、世界でも有数の魔法師に成長して。師であり母でもあるハルネリアより受け継いだその技術と心は、幾多の人を救って。
赤髪の魔法師ハルネリア・シュッツレイ。二度と大切なモノを失わないために。二度と悲しみに溺れないために。
「行くぞセレニア、イザリア」
「ああ」
「はい」
アルスガンドの三人。ジュナシアとセレニアとイザリア。世界で最も黒き暗殺者たちは、世界で最も白き守護者となる。
戦争は終わった。世界の解放は成した。あとは、母を解放するだけ。
「お母様、必ず、成し遂げて見せます」
純白の翼が描かれた旗を握り、白き娘は光の中へ。ファレナ・ジル・ファレナは光の中へ。
全ては、人々のために。
「では行く、ぞ。メリナ魔力を込めィ!」
「はい!」
全ては、自分たちのために。
「機関長、角度少し左」
「わぁっとる……重いのしかし……」
全ては、あの人のために。
「では行くぞ。それ……世界の果てまで飛んでいけぃ!」
全ては、救世のために。
彼らは飛ぶ。始まりの地へと向かって。空を走る一本の光は、空の彼方へと消えていった。
――全ては、光のために。




