第54話 空の果てにあるモノは
ふと、空を見上げて、誰かが言った。
「月、異様に明るくないか? 今日満月だったか?」
その言葉は普段であれば何気ない言葉だった。だが今この瞬間においてそれは、誰よりも核心をつく言葉。
光り輝く黄金の月。白夜のように白む空。そこにあるのは魂の座。誰もが行き着く最後の場所。
人が眠り続けることができる理想郷。眠り続けることしかできない理想郷。果ての先。
終焉の世界。名づけてそれは『月光のエリュシオン』。月にある終焉。
「やられた!」
本を叩き付ける音が鳴り響く。浮かぶ漆黒の髪、肢体をいじるオートマタ。
石造りのその建物は、ファレナ王国が王都にある魔法機関の支部。
「おかしいと思ったのよ! でも相手は異常だからって、オーダーに載るような魔術師たちがいるからって……納得してしまった! 普通世界征服したかったらあんなことしない! 支配した国を食いつぶすようなこと……しない! だって非効率的じゃないの!」
大きな地図を前に、机を叩きながら叫ぶハルネリア。赤い髪を振り乱して、もうどうしようもないと確信して。
「くぅ……敵、あいつは……わかりやすい敵になった……わざわざ……私たちを、あの子をここに連れてくるために……あいつは世界の敵となることで、最後の目標になった! なんて回りくどくて! なんて……効果的な餌……!」
頭をどれだけ使ってもこの状況をどうにかできる策が浮かばない。夜が明けるよりも早く、月からエリュシオンが降りる。倒すべき目標は、はるか遠く、一夜でたどり着くことなどできないアズガルズの大地。
「ハルネリア様、銘イザリア。800番素体換装始めます。肉体情報との調整終わり次第魂と繋げます」
「テスタメント……諦め……諦めるもんですか……! アズガルズ……どうすれば行ける……どうすれば……ゲートは駄目。近づけても三日はかかる距離まで……私の魔力をあの子に……何で使い切るかな私ぃ……! ラナ! ラナちょっと地図もう一枚!」
「はい姐さん」
筆に紙、すでに何枚もの紙と地図が床に落ちている。全てはハルネリアが作戦を考えた名残。
時は進む。何もできずただ、時は進んでいく。焦りだけが大きくなっていく。
「よし……この服、すごいですね。これだけ深く斬られても内臓が外へ出なかった。さすがはアルスガンドの戦闘服、ですね」
「治療お疲れさまですマディーネさん。さぁ、お腹、埋まりましたよ。生きてますかセレニアさん。セレニアさん?」
「う……」
揺さぶられ目覚めるセレニア。黒い眼がうっすらと開き。虚ろな目で天井を見上げる。
腰を曲げ起き上がるセレニアの背に滑り込むマディーネの手。頭を軽く左右に振り、セレニアは周りを見た。
人がいる。沢山の人が。紙の上で唸るハルネリア、その傍で口元を押え考え込むラナ・レタリア。隅で倒れている人の顔には布がかけられている。
セレニアの頬に手が触れる。まるで人形のように白く美しい手。左手に輝く青い指輪が、セレニアの意識を少しクリアにさせる。
「セレニアさん。大丈夫ですか?」
「ファレナ、か……なんとか生きてるみたいだ……終わったのか? 騎士団長、倒せたのか?」
「ええ、それは倒せましたが……でも終わってません。まだ」
「どういうことだ?」
「えっと……どういえばいいのか……その、お母様……いや、その、えっと……マディーネさん……」
「アリアが今、アズガルズの大地でエリュシオンを呼ぶ術式を発動させています。エリュシオンは月にあって、それが今この世界に降りてこようとしてます」
「……何だそれ?」
「エリュシオンがこの世界に落ちるんです。エリュシオンは魔力の塊。あの姿のジュナシア様がそうであるように、魔力の奔流は大きすぎれば近くにいるだけで人は押しつぶされて死にます」
「え……?」
「それだけではありません。これは未確認なので魔法師としては断言したくないのですが……ジュナシア様が言うには、エリュシオンが落ちれば人は全てエリュシオンへと、魂のみになると言います。つまり、人は皆死に、エリュシオンの住民となるのです」
「……本当かファレナ? 倒れていたからって私をからかってるのか?」
「本当です。マディーネさんの言うことは本当です。実際、月が近づいて来てるそうです。すごい速さで。朝日……明日の朝日が昇る前に、あれはこの世界にくるそうです」
「何だ、それ。おい、こんなことしてる場合か。急いで止めるぞ。結婚するんだぞ私は。死ねるか馬鹿。ハルネリアは何してるんだ。こういう時はあいつだろうが」
「結婚……? あ、ま、待ってセレニアさん」
「ああもうちょっとだけ触らせてぇ」
抱き付くように身体を支えていたマディーネを払いのけてセレニアは立ち上がった。足がよろめく。体力が落ちているのか彼女はフラフラと身体を揺らしながら、頭を抱えるハルネリアの下へ寄った。
追いかけるファレナとマディーネ。
「おいハルネリア!」
「……セレニアさん? ファレナさんたちも……身体大丈夫?」
「聞いたぞ。何故動かないんだ。明日終わるんだぞこの世界」
「……わかってるわよ。今考えてるのよ」
「何をだ。のんびりしてる場合か。速足の馬を出して走るべきじゃないのか」
「あなた……ここからアズガルズどれだけかかると思ってるのよ」
「え……?」
「普通にいけば馬で30日。宿場なんか今ないから、途中馬が潰れること考えて40日。馬じゃ無理よ。それともあなた、走れば行ける? 30日かかる距離を一晩で」
「そんな、遠いの……か?」
「セレニアさん。あなた前々から思ってたけど、結構世間知らずよね」
「……転移は?」
「ゲートなんかないわよ。アズガルズは世界諸王議会のきまりで、魔術や魔法に関係するものは一つの設置も許されていない。まぁ、魔力が封印されるから設置とかいう前の話なんだけど」
「……まさか」
「行く手段がない。オディーナ・ベルトー、あいつ、相当の策士よ。ファレナ王国そのものを餌にして私たちを釣った。くっ……くぅ……口にするとまた腹立つ……!」
セレニアは固まった。ファレナは悔しそうに下を見た。
もはやどうしようもないと、暗にハルネリアは言っている。
セレニアの胸にこみあげてくる物は怒り。そんなことを言うなという怒り。そんなこと許されるかという怒り。
「私は、結婚するんだぞ。あいつと、あいつがしようって……ふ、ふざけるなよハルネリア。何とかして……何とかしろ!」
「るっさいわね! わかってるわよもう! たまには自分で考えなさい!」
「何だ! 大体お前昔から詰めが甘いんだ! 何度死にかけたんだお前!」
「関係ないでしょ今!」
つかみ合い、叫び合うセレニアとハルネリア。子と親ほど歳が離れている二人なれど、苛立ちをぶつけ合う姿は同年代にしか見えず――
「結婚……マディーネさん。結婚って何ですか?」
「ええ!? いや、その……ほら、男女が夫婦になるってことですよファレナ様」
「婚姻ってことですか?」
「なんでそっちの言葉知ってるんです……同じ意味です」
「そう、なんですか……えっと……私も婚姻したいんですけど……」
「え? いや私に言われても……」
バタバタと埃を立て、暴れ罵り合うセレニアとハルネリア。それを後ろから見ながら、何気ない会話を続けるファレナとマディーネ。
終わりが近づいているというのにそこには何故か、悲壮感はなかった。何ともならないと誰もが気づいているのに。
決してそれは、諦めではなく。きっとそれは、希望であって。
「はぁはぁ……こんなことしてる場合じゃないわ……セレニアさん落ち着きなさい……」
「くそ病み上がりなんだぞこっち……はぁはぁ……」
「ふぅふぅ………セレニアさん。あなたの刻印って、どれだけ持つの? 一晩もつ?」
「無理だ……精々……うんと……ひとつ、ふたつって数えて、30ぐらい数え終わる間、だな……」
「30……ね。こう、途切れ途切れだったらどう? それ以上行ける?」
「……わからない。数えたことはない。たぶん連続で使うよりも、もう少しいけるとおもうが……でも限界はそうはかわらないと思う」
「……あとは魔力、か。ラナ。皆の治療はどう?」
「はい、リーザ様はすでに腹部の穴は塞がっています。ネーナ・キシリギは……駄目ですね。膝が残ってますがその下は無理でした。義足をつけるにしても彼女魔力をうまく使えません」
「ロンゴアドの人たちは?」
「ランフィード国王陛下はもう大丈夫です。外でジュナシア様と共に魔力回復のための瞑想をしています。ボルクス様は……まともに戦えないでしょう。傷もありますが、何よりも出血が多すぎました」
「魔法師は?」
「過半数が死に、もう半分は死に体です。元気なのは私と、ギャラルドさんぐらいでしょうか。ショーンドさんも皆の治療で相当魔力を使ったようですし」
「とりあえず二人……エイジスの式で町の人から強制的に吸えれば何とかなったのに……オディーナめ、まさか王都の人全員消してたなんて。どこまで考えてるのよあいつ……」
時は進む。こうしてる間にも時は進む。止まることは決してない。
終焉が近づく。月が近づく。もうすぐそこに、終わりが来る。
その時、扉が開いた。魔法機関の、冒険者ギルドの扉が。勢いよく開いた扉の前に立っていたのは赤髪の騎士と、白い装束の二人の男。
「ラーズ!? それにお父様と、お爺様まで!?」
「姉さん!」
扉の傍に座り込んでいたリーザが叫んだ。それに応えたのは、リーザの弟ラーズ・バートナー。
白き大剣を持った処刑人を両脇に、ラーズが現れたのだ。
「ラーズどうして、ここに……って何その顔。なんでボコボコなの?」
「いやあの……まぁその、姉さんの助けをって思って走ってたらさ……父上たちと途中で会っちゃってさ……そのまぁ……容赦ないんだもんなぁ……」
「ファレナ国に刃向かわんとするお前に容赦などはないラーズ」
「左様」
「何で俺ばっかり……はぁ……王都から逃げた兵たちに会わなかったら殺されてたぞ全く……ああ、ほら、援軍。いらないだろうけどロンゴアド国から100名ほどの兵士と、王妃様と、ヴェルーナから女王陛下が来てくれたから……まぁ宴には間に合っただろ……」
「こんばんはリーザ様。陛下とお姉様はどこです?」
「ああ、ハルネリア様ならあっちでなんか騒いでます」
「えっと…ああ。お姉様ぁ! お母様と来ましたよ!」
その声に反応して振り返ったハルネリア。メリナ・ヴェルーナ・ロンゴアドは大きく手を振り、自分の存在を示した。
微笑み手を振るメリナ。その後ろで疲れた顔を見せるヴェルーナ女王。
ハルネリアは二人を見て固まった。そして眼を強く瞑って頭を整理して、眼を見開いた。
「やっぱり、持つべきものは家族ね」




