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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第49話 行き着く先

「もう、いい」


 おびただしい死体と血の前で、誰かがそう言った。


 敵か味方か、どちらの誰が言ったのか。それはわからない。


 開く城門。ゆっくりと入ってくる者たち。彼らは敵味方に分かれてついさっきまで命の取り合いをしていた者たち。


 肩を並べ、剣を並べ、彼らは整然と入場する。ファレナ王国最大の城塞都市の中に彼らは入る。


 もう終わったのだ。戦いも、命のやり取りも、城門が開いたことでそれはもう終わりを告げたのだ。


 誰も何も言わなかった。誰も何も言えなかった。


 数万の人の命を乗り越え、彼らがたどり着いたのは終わり。憎しみも怒りも、悲しみも苦しみも、確かにあったが、それ以上にこの戦いの無意味さに皆負けた。


 ファレナ王国の兵たちは思った。騎士たちは思った。自分たちは国を守りたかったと。その為ならば死んでも構わないと。


 攻めてくる者たちは全て敵で、自分たちの国のためにはそれらを排除しなければいけなくて。


 それは確かに本物で。それは確かに真実で。


 だが、結局のところ彼らは疑問に負けた。まるで潰される虫のように殺されていく仲間は、一体何のために死んでいくのかという疑問に。


 だから、剣を止めた。だから、戦いを止めた。


 勝利者が未来を創る。敗者は今に埋もれる。


 城塞の中にいた者達は思った。もう自分たちでは何もできないと。自分たちはもういらないんだと。


 だから、剣を止めた。だから、足を止めた。


 もはや誰も何もできない。誰も何も言えない。


 世界を蹂躙するという大罪。それを受け止めきるにはあまりにも人々は弱くて。あまりにも決意が足りなくて。


 彼らは従って来た者達。ただ上に従って来た者達。ただ委ねてきた者達。


 だから最後は、委ねる。最後の思考は人任せ。それは罪であり、罰でもあって。


「いつ気づいた?」


 オディーナ・ベルトーは問いかける。目の前にいるアルスガンドの暗殺者に。


「さぁ? 何のことだ?」


 彼は答える。赤と青の剣を握りしめて。


「お前の父は、相当に頭が切れた。その才、見事継いだようだな」


「さぁ……どうかな」


 クルクルと回る赤と青の双剣。すでに空は夕方、日は傾き影は赤く燃える。


 結局のところ、ファレナ王国騎士団に士気など最初からなかったのだ。大量に集められた兵たちは、ただ力の下に集められただけにすぎず。


 それは、最初からわかっていたことであり、だからこそ彼らは正面から攻めることを選んだ。


 全てを滅ぼさなければ終わらないと思っていた者など、一人もいなかった。


「命をかけて戦う。それは、強く、美しい言葉ではあるが、実際それを成すのは容易ではない」


 城門を開けられ、大量に殺され、それでも進む死の兵士。それを命をかけて止めようとする者の数は、ファレナ王国騎士団の中にどれほどいるのだろうか。


 皆静かだった。その場にいた全員が、その場にいた両軍全ての兵たちが、足を止めて手を止めて、静かに立って見ていた。


 オディーナ・ベルトーと、それに対峙する一人の青年の背を見ていた。


 きっと、オディーナが勝てばファレナ王国騎士団の者たちは迷わず隣にいる敵に向かって剣を振り下ろすだろう。


 だが、オディーナが負ければ彼らは、きっと剣を捨てるだろう。


 何故ならこの戦いは、この混乱は、自分たちが始めたものではないから。自分たちが始めたくて始めたものではないから。


「疑問はあるだろう。誰にでも、もちろんお前にも。だがアルスガンドの息子。私は何も言わん。知りたければ、その剣で答えを得よ」


 ゆっくりと掲げられる銀色の剣。オディーナの手の中にあるそれは、夕日に照らされ赤く輝く。


「答えなどいらない。俺にとってお前は、ただの通過点にすぎない」


 銀色の剣に添えられる赤い剣。日の光を返さずとも、赤く輝くその刀身。アルスガンドの剣。


「では、始めよう。どうか、私を通過してくれたまえ」


 交錯する銀と赤。決して相いれない二本の剣。


 甲高い金属音が鳴り響いた。互いの剣を打ち付けた音。それは城塞中に鳴り響き、それはそこにいた全ての人の耳に届いた。


 二人は半歩距離を取り、剣と構える。この場には魔力封印の術がかけられている。魔術も魔法も、ここでは使えない。


 剣だけの戦い。純粋な、力の勝負。


 ――古典的で、直接的な命のやり取り。


 ジュナシアは踏み込んだ。素早く、無駄のない動きで。前に滑るように動き、右手の赤い剣を振り下ろした。


 そこまで速い剣ではなかった。悠々と受け止められる赤い剣。小さく火花が散る。


 受け流し、そのままオディーナが剣を振る。ジュナシアが振り下ろした剣と全く同じ軌道。同じ速度。当然のようにそれはジュナシアの青い剣に受け止められる。


 一合ずつ。互いに撃ちあって互いに受け止めて。


 それは、挨拶のようなものだった。互いに互いの剣を交わし、これから始めるという挨拶のようなものだった。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 呼吸を合わせる。目線を合わせる。互いを合わせる。


 ――さぁ、最期まで行こう。


 すでに間合いの中。眼を見開くジュナシア。眉間に皺が刻まれるオディーナ。


 二人は、更に深く踏み込んだ。肩がぶつかりそうなぐらい深く。


 狙いは首。ジュナシアは赤い剣を振った。オディーナは銀色の剣を振った。


 そして一瞬のうちに二人は身体を捻り、互いに相手の剣を受け止める。鍔迫り合いのまま互いににらみ合う。


 オディーナは両手で剣を押す。ジュナシアは片手で剣を押す。


 当然のように、ジュナシアの身体が揺れた。いかにアルスガンドの双剣術を極めた彼とは言え、単純な腕力で負ければ姿勢も崩れる。


 崩れた隙を見逃したりはしない。オディーナは打ち付けていた剣を軽く浮かせ、ジュナシアの赤い剣の上を滑らすようにして彼の腕に剣を喰い込ませようとした。


 ジュナシアは左手の青い剣でそれを受け止める。姿勢を正し、両手の剣を交差させ力を込めてオディーナの剣を押し返す。オディーナも同様に剣を押し返す。


 互いに剣を打ち付け、その勢いのまま距離を取る二人。体重の差だろうか。ジュナシアの方がオディーナよりも勢いよく後方へ飛んだ。


 小さく息を吐くジュナシア。表情を変えないオディーナ。


「まずい。勝てないぞ」


「はい」


 城門の上、はためくファレナ王国の旗を斬り落としてながら二人の戦いを見ていた者がいた。セレニアとイザリア。アルスガンドの二人。


「疲れが出てる。当たり前だ。肉体強化が解除されたままあれだけの敵を斬って進んだんだ。腕すら上がらなくなってるのが普通だ」


「セレニアさん。向こうの城門開けましょう。あの先ならば魔力封印解けるはずです。刻印を使えれば今の状態でも」


「よし」


 負けないと思っていた。


 セレニアとイザリア、彼女たち二人は決して負けないと思っていた。


 アルスガンドの名を正式に受け継いだ彼が、全力を出せば決して負けることはないと思っていた。


 全力を出せないのは魔力が封じられているからで、魔力があれば全力が出せて。


 魔力があれば、騎士団長とは言え簡単に倒せて。


 だから走った。一刻も早く勝つために。一刻も早く彼を助けるために。


 時を止め、時間を圧縮して、走った城壁の上。眼下ではジュナシアとオディーナがすさまじい速度で剣を打ちあっている。


 速くなっている。刻一刻と。オディーナの剣は、すでに人の域を超えていて。ジュナシアはその未来視の眼を全力で見開いて全力で使って、それでもだんだんと押されていって。


 負けないと思っていた。彼は負けないと思っていた。彼の仲間の大半が彼が負けるはずがないと思っていた。


 唯一、違和感を感じたのは白き鎧を着たファレナ・ジル・ファレナ。この場において戦闘から最も遠きにいた者。


 本当にオディーナ・ベルトーという男はこの程度なのだろうか。剣だけが強くてあの人にここを任されるだろうか。


 最後の城門が開く。王城へと続く大きな橋が姿を現す。


 橋を渡ればそこはファレナ王国城下町。そこはファレナ王国王都。


 ジュナシアは飛び込んだ。門が開いた意味を一瞬で理解したから。


 王都へと続く城門を潜る。一瞬で黒く染まる髪色。輝く赤い刻印。


 左手を覆っていた手袋はすでに外れている。この戦いで、戦力を隠す必要などないから。


 ――もしかしたら、それこそが報いなのかもしれない。


 刻印が赤く輝く。赤い光が彼の身体を覆う。


 母を貫いた力。数万の兵を屠った力。何人もの人を救った力。


 少なからず、彼自身溺れていたのかもしれない。力に頼り切っていたのかもしれない。


「つまらんなアルスガンド。貴様の父ならば、安易に城門を潜らなかった」


 魔力封印は、その場にいた全ての人の魔力を封印していた。彼だけが抑えられていたわけではない。ジュナシアだけが魔力を使えなかったわけではない。


 魔剣士にとっての全力とは、己の魔力と肉体、その二人が揃って初めて全力となる。


 ジュナシアは生まれて初めて戦慄した。血に刻まれた経験を瞳に乗せて、少し先の未来が見える彼の未来視の眼は、飛んでいく自分の腕が見えたから。


 それは未来の像ではない。見えた瞬間それは今になった。刻印の刻まれた左腕は肩口を残して斬り落とされた。未来よりも速く。オディーナの剣は彼の眼には全くみることができなかった。


 左腕が飛ぶ。オディーナはその腕を掴み、一瞬の迷いもなく投げ捨てた。ジュナシアの腕は橋の下へと落ちていった。


 一言も口にできない。魂を切り裂かれたような感覚。みるみるうちに、ジュナシアの身体から力が抜けていく。


「力は時に、眼を曇らせる。届かなかったなアルスガンド。私の勝ちだ」

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