第48話 道
――もし仮に、全ては終わっていたとしたら、足掻くことに意味などあるのだろうか。
厚い城壁。内より中に入ればそこは足の踏み場もない程の罠。
内より門を開ける。それは古より行われてきた城攻めの基本。故に守る屈強な兵士たち。屈強な騎士たち。
彼らは剣を握り、小さなのぞき窓から城塞の内を見ていた。赤髪の男が次々と仲間を斬り裂き、確実に進んでいく。
信じられない光景だった。たった一人が数万の人の波をかき分けていく。彼が通ったあとは、赤い血の道ができている。
誰もが思っただろう。あれは人ではないと。誰もが思っただろう。あれに近づきたくないと。誰もがおもっただろう。自分は城塞の中にいて、よかったと。
兵の一人は唾を飲んだ。ゴクリと喉が鳴った。
城塞の外では無数の人たちが乱戦状態で命を取り合っている。内では一人の男の手によって仲間が次々と死んでいっている。
安全なところから危険を見るのは、人の死を見るのはとても刺激的で。どんな見世物よりも、どんな世界よりも自分のいる場所は安全で安心だと、彼は思った。
人は、比較によって幸せを感じることができる。安全なところで死を見ている自分は何て幸運なんだろうと、彼は思った。
彼以外の城塞の中にいた者達も同じ気分だった。
だが、そんな幸せなど、偽物に過ぎず。
扉が開いた。城塞の内から城塞の中に入る扉が。扉は勢いよく開き、壁に叩き付けられ、蝶番がへし折れてそのまま内側に倒れた。
何が起きたと思うよりも速く。扉の傍にいた兵は全員死んだ。死んだ後で、兵たちの首から血が飛び出した。
壁の向こうにあった死が、こちら側に来た。
そこにいた全ての兵たちの視線が扉があった場所に集まった。あまりにも突然で、彼らは動くことはできなかったが目だけは動いて、そこを見た。
何が起きた。何があった。何が入ってきた。
思考が動く。思考が固まる。思考が揺れる。
感じたのは焦燥。そして恐怖。何故死んだ。仲間は何故死んだ。何故。
次の瞬間、その場にいた全ての兵は死んだ。何が起きたか理解できたものは一人もいなかった。
ただ、うなじに何かが食い込む感触だけはわかった。それ以外は何も理解できず、十数人の兵たちは死んだ。
倒れた兵たちの後に、立っていたのは二人の女。漆黒の髪と衣装。銀の刃を手に、二人のアルスガンドの女は立っていた。
「二手に分かれますか?」
「私はあっちだ。イザリアは向こう」
「はい」
イザリアとセレニア。異母姉妹である二人は、その顔立ちはあまり似てはいない。
だがそれでも、二人は似ていた。その生き方が、その想いが、その愛が、似ていた。
「それではセレニアさん。抜かりなく。そちらはお任せします」
焦がすような想いが、時には人を焼き、ついには自分を焼き、鉄と肉の集合体となった身体を魔力で動かすイザリアは、冷静に、冷酷に現状を理解し動く。
「私は帰る。二人で帰る。絶対に……!」
秘めた想いが、いつしか燃え上がって。生き残った彼以外の唯一のアルスガンドは、彼にとって何よりも大切なものになる。熱い想いは誰よりも強い生への渇望となって。
二人は背を向け走り出した。今まで歩んできた様々な思いを、未来へつなぐために。
目指すは城門の解放。そこにある無数の罠は彼女たちには足止めにもならない。
魔術でできた数十数百の罠。たった一本の短剣でそれは悉く解除されていく。
上にあろうと、下にあろうと、物陰にあろうと、それは一つの区別もなく全て解除されていく。
いつもよりも鋭く、いつもよりも正確に、いつもよりも速く。
その時の二人の動きは、正に最良。亡き師父が見ていたとすれば間違いなく言っていただろう。お前たち以上の者はアルスガンドにはいないと。
魔力の線を見るその眼で、時の流れを見るその眼で、見逃せない罠など一つもない。
所々にいた兵たちを一瞬のうちに斬り殺して、二人は城塞の中を駆ける。まるで風のように。漆黒の風のように。
彼女たちがここにいるのは、彼がいたから。ジュナシア・アルスガンド。アルスガンドの長となった彼がいたから。
全ては必然で。ここで彼女たちが駆けるのも必然で。彼が前へ進むのも必然で。
きっとそれは、最初から決められていたのだろう。人が至ったこの時は、きっと最初から決まっていたのだろう。
最初とはいつだろうか。彼が、哀れな姫君を救い出した時だろうか。彼の母が彼に殺された時だろうか。彼が生まれた時だろうか。
――違う。
「どけ貴様ら! これ以上無駄に死ぬな!」
「これ以上行かさんぞ!」
人込みをかき分けて、ジュナシア・アルスガンドの下へと飛び出してくる二人の騎士。
槍を持つ壮年の騎士、聖皇騎士オルディン。そして大剣の老騎士サーガス。
騎士の最高位。ファレナ王国騎士団の二人が、大上段に剣を構えてジュナシアに襲いかかった。
左手に青い剣。振り下ろされるオルディンの剣。右手に赤い剣。振り下ろされるサーガスの剣。
二人の剣を両の剣で止め、腰を落としたジュナシア・アルスガンド。彼の歩みは、今初めて止まった。
最初に彼がいた位置とオディーナ・ベルドーがいる位置。その丁度中間で、彼は脚を止めた。彼の後ろにはおびただしい数の死体と血。彼の正面にはおびただしい数の兵と剣。
「こいつ……魔力を封じてこの腕力か……!?」
「ぬぅぅ……!」
ジュナシア・アルスガンドは依然として赤髪だった。即ち彼の魔力は未だ封じられている。
肉体強化はなく。もちろん刻印の力も使えない。だがそれでも、彼は片手で二人の聖皇騎士を止めた。
「こ、こいつ、なんだこいつ動かねぇ!?」
「我が大剣をここまで容易く……どういうことじゃ……!?」
聖皇騎士の二人は決して弱くはない。ファレナ騎士団最高位は弱い者ではなれない。
実際この場所以外で戦えば、いい勝負をするだろう。二人掛かりならば例えジュナシア・アルスガンド相手とはいえあしらわれることはないだろう。
だが、この場所では違った。想いが違った。
不敵に笑うジュナシア。彼の眼に迷いはない。前に進むこと、前に進んで終わらせること、そのことに迷いはない。躊躇いはない。
だから言葉にした。未来のことを言葉にした。帰った後のことを言葉にした。
先へといこうとする彼に、今しか見えてない者は相手になるはずもなく。
ジュナシアは片手で二人を押し返した。赤と青の剣が交差し、流水のような滑らかさで動く。
「うっ!?」
「馬鹿な!?」
オルディンとサーガス。二人の鎧は粉々に砕けた。赤と青の双剣は、いとも容易く二人の鎧を切り裂いた。
笑みを浮かべるジュナシア。驚くオルディンとサーガス。
「お前……何者だよ……!?」
オルディンが問いかける。こんな人間がこの世界にいてはいけないと、その想いから彼は問いかけてしまう。
不敵に笑い。深紅のマントを翻し答えるジュナシア。迷いの中で生きてきた彼が、今一切の迷いを払って答える。
「俺はアルスガンド。ジュナシア・アルスガンド。アルスガンドの長にて、ヴェルーナ女王国の王」
赤色の長は剣を返す。血が目の前を覆う。
オルディンとサーガスは腹部から血を流し、その場に倒れた。致命傷は避けたのだろうが、もう彼らは動けない。
また歩く。赤色の王は歩く。一切の迷いを捨てて、今はただ、オディーナ・ベルトーを倒すために、彼は歩く。
始まりはある一人の少女が白百合を落とした時だった。だが終わりは、間違いなく彼。ジュナシア・アルスガンドが未来へたどり着いた時。
全てを繋げ、全てを至らせ、全てを進める。
――そして、アルスガンドの剣は、オディーナの下へと至った。




