第44話 全てを飲み込む邪悪を
――諸君、これで終わりにしよう。
ファレナ王国騎士団長オディーナ・ベルトー。彼の両親は騎士だった。
幼少の頃、木の棒すら重く感じるほどの小さな身体だった頃、彼の父はお前は騎士になれと言った。
それに疑問を感じることはなかったし、それが当たり前だと思った。
彼は父から剣を、母から魔術を習った。強い騎士になる。そう思い、彼は必死に鍛錬をした。
来る日も来る日も。雨の日も雪の日も。
そして彼は13歳で入学試験首席で騎士学校に入った。父と母に鍛え上げられていた彼は、当然のように騎士学校では負け知らずだった。
同年代どころか、教官たちも自分に勝てない。
そのことが少しずつ、少しずつ彼を傲慢にしていった。
騎士として傲慢さは恥だとわかってはいたものの、それでも彼は傲慢になっていった。同期たちに笑顔を見せて、彼らを心配したり一緒に鍛錬をしたりしてはいたものの、心の中では常に自分以外は自分よりも下だと思っていたし、実際誰よりも彼は強かった。
当然のように首席で騎士学校を卒業し、当然のように騎士団の中では最も危険で最も出世が早いと言われている交易路を守る部隊へと配属された。
そこには山賊がいて、海賊がいる。交易路を行きかう人々が運ぶのは全て価値があるもの。当然、それを狙い襲い来る者達は多い。
オディーナは鍛えた剣技と魔術で、着々と実績を積んでいった。気がつけば、彼は高位の騎士である聖光騎士となっていた。彼が19の時である。
ある日、彼はいつも通り交易品を運ぶ商人の護衛の任務に就いていた。
忘れはしない。暑い日だった。彼は、一人の男に出会った。
歳は同じぐらい。頭の先からつま先まで真っ黒の男。
赤と青の双剣を握りしめ、彼は街道の真ん中に立っていた。
賊だと、オディーナは思った。オディーナは迷わず剣を抜いた。そして走った。
距離を一気に詰めて、黒い男を斬るために彼は走った。
土埃をあげて、オディーナは強く踏み込んだ。振り下ろされる自分の剣。
とったと思った。勝ったと思った。自分の剣を躱せる人間などいないのだから。
結果として、彼は負けた。振り下ろした剣は漆黒の男に触れることはなく、逆に背を三回、胴を二回斬られてオディーナは負けた。当然、彼が護衛するはずだった商人は殺された。
悔しかった。任務が失敗に終わったということよりも、自分が負けたということが悔しかった。
実はこの時の商人が運んでいた物は大量の武器で、それが山賊たちの手に渡ることになっていたと知るのは数年後の事である。
オディーナは執着した。その黒い男に執着した。きっとまた出てくる。そう思ったオディーナは、傷がいえるや否や、狂ったように男と会った街道付近を通る人々の護衛任務を受け続けた。
もう一度会えたのは、そこから数年たってから。その時にはすでに、誰よりも任務を達成していたオディーナは聖皇騎士となっていた。父や母の階級を超えていた。
そして出会った黒い男。オディーナは当然のように挑み、当然のように負けた。悔しさよりも、諦めに似た気持ちが胸を包んだ。
強かった。男は強かったのだ。決して負けなかったオディーナは、再戦してまで叶わなかったことで、生まれてから今まで感じたことのないような感覚を味わった。それは、敗北感。
自分は決してこの男に叶わないのだろうかという気持ち。全てを投げだしたくなる気持ち。自分が築き上げてきたものが全て無くなったような気持ち。
男は言った。強くなったなと。オディーナは思う。あの言葉が無ければ自分は騎士を辞めていたと。
それから彼らは、会う度に戦った。何時しか互いに名乗り、何時しか互いに友となっていた。
男の名はアルスガンド。遠く、山の中に住む暗殺者の一族の長。
聞けばすでに結婚し妻もいるという。オディーナはそのことに驚き、少しだけ嫉妬した。
剣しかしらない自分。騎士としてしか存在できなかった自分。
さらにそこから、数十年の月日が流れた。
「む……夢」
目覚めは遠く、ファレナ王国の王城の中にある執務室の中。椅子に座ったまま、片手に本を持ったおディーナは目覚めた。差し込む朝日に照らされながら。
手元には大量の紙。敵がどこにいて、どこから攻めてくるのかが書かれている紙。見ても意味などない紙。
「アルスガンド。楽しかった。間違いなく。果たして……」
あの青年はあれ以上に楽しませてくれるのだろうか。
オディーナは外を見る。執務室から外を見る。遠く、木の奥に小さく見える王城への最後の砦。ファレナ王国における最大最後の城塞。
よく見れば、すでに城塞から煙が上がっていた。オディーナはそれを見て、笑った。子供のように笑った。
「もう、遅い。遅いのだアルスガンド。だが……もし、もしも……これすらも否定できるのだとしたら……」
それはきっと、何よりも楽しいことになるだろう。
今や、全ての悪を統べる者となったオディーナ・ベルトー。世界中ありとあらゆる人の敵となったオディーナ・ベルトー。
彼は剣を取った。そして鎧の上から深紅のマントを纏った。そのマントの背には、ファレナ王国騎士団の紋章が刻まれていた。
オディーナは歩く。自らの剣を持って、敵を討つために。
オディーナは思う。今までの自らの人生を振り返り、何と寂しい人生だったのかと思う。
ここまで何もなかった自分の人生、何も達成できなかった自分の人生。せめて最期は、華々しく。最高に、最悪に、誰もが恨む世界の敵として。
「さぁ、諸君、これで終わりにしよう。これで、最後にしよう。人の、世界の、最後が来る」




