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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第43話 せめて、今だけは

 広く遠く、遥か彼方が光の奥へ。太陽の輝きの奥へ。


 幾千、幾万、幾億、幾兆、生まれては生き、そして死んでいった人たちの歴史。長くて短い、人の涯て。


 散りばめられた黄金の魂はまるで星のように。強く淡く、輝く魂の光は全ての者に平等に。


 忘却の彼方に消えていった人たちの生に意味はなく、死に意味はなく、それはただ、あったという事実だけを世界のどこかに置いて来ただけの存在で。


 無限に思える有限は、夢幻の彼方で確かに存在していて。


 届かない過去に手を伸ばし、訪れるはずの未来を飲み込みながら、ただ一人孤独の中にいる"なにか"。それは、確実に、着実に、今へと向かっている。


 思う心は幾多あれど、目指す先はただの一つ。


 今まで以上の平穏を。命に価値がある世界を。皆が笑顔になれる世界を。


 誰も知らない明日を。誰も想像できない明日を。想い過ごせる毎日を。


 人の生に意味を。


 純白の翼を背に、未来に羽ばたける世界を。




 ――誰もが生きていい世界を。




「そのために、何十人も何百人も死にました。私が始めたことで、『私』が始めたことで」


 空には星、幾万の星。星は決して人の手に納まることはなくとも、光だけは眼を通して人の中へ入る。


「魂がどんなものか、それを知ってる人なんてたぶん、いないと思います。ですが、分かります。私は『私』が分かります」


 丘の上に一人、膝を抱えて星を見る。輝く月を中心に、永遠に広がるそれは、幻想的で。しかし確実にそれは実在するもので。


 丘の上に二人、青く透き通る眼に星を写し、手を伸ばす。触れることのない光に手を伸ばす。無限に遠いその世界を想って。


「ええ、混じってきてます。私は作り物だから、私は『私』になろうとしてるんでしょう。きっと、いつか私は私であって、私は『私』になる。でも、あの時の、初めて世界を見たあの時の私の気持ちは、絶対に私だから。それだけは、変わりたくない。渡したくない」


 開いて広がって、遠く灯の明かりが揺れて。地上には無数の命。一つ一つ確実に輝いて、一つ一つ確実にそこに在って。


 自分が決して行き着くことはないだろう未来に、想いを馳せて涙を流して。白い手は自分の膝を抱える。丘の上に一人。眼を開いて世界を見る。輝く光の中の世界を。


「できれば最期は、一番綺麗な場所で。『私』が殺した全ての命に包まれて私を終えたいと、思います。きっと同じですよね。お母様」


 立ち上がり、腰を叩いて二回。落ちる土と草。座っていた場所にあったはずの土と草は削れなくなり、そこには確かに彼女がいた跡がついている。


 生きている今。存在している今。未来には無くなるであろう今。


「だから、今だけでいいんです。今だけですから。今だけ……」




 ――今だけはせめて、未来をみせて。




「絶景かなぁ! おい見ろリンカード! あっちは黄金国の旗! あっちは南洋の覇者ゼンディル公の旗だ! はははは!」


「るっせぇな親父……いい歳してさぁ。ああー帰りてぇなぁ……」


「ははははは!」


 大きな声で笑うロンゴアド兵団団長ボルクスと、面倒くさそうに頭を押さえるその息子リンカード。彼らの前には大きな酒瓶と大量の食糧が並んでいた。


 彼らの周りにいるのはロンゴアド兵団の兵士たち。数十人、数百人、皆集まって思い思いに酒と料理を楽しんでいる。


 周囲は声という声が重なり、地を揺らすように音が鳴り響いてる。今宵は宴。明日死ぬ者たちのための宴。泣いて笑って、叫んでまた泣いて笑って、最期を覚悟するための宴。


 そこは巨大な草原。周囲を木の杭で覆っただけの簡易的な陣。膨れ上がった1万にも及ぶ兵たちが、大きな大きな声を出して騒いでいた。


 少し離れて陣の奥、武具の山の中に数十人の魔法師たちがいた。皆思い思いの魔道具を手に、静かにその時を待っている。彼らは魔法機関が魔法師たち。人を救う戦いのために、世界中から集まった魔法師たち。


 彼らは地面に座り、兵士たちと同じように酒と料理を思い思いに口にしている。手に持つものは同じでも、その姿は兵士たちとは真逆。


 彼らは誰一人何も言わず。静かにそれを口に運ぶ。静かに、静かに、今を大切にするように。


 彼らから少し離れたところにひときわ目立つ青髪の魔法師が一人。魔法機関埋葬者、首席第一位、ラナ・レタリア。大きくスリットの開いたローブの隙間から見える銀色の両足をカチャリと鳴らして、彼女は杖を握り息を吸った。


 息を吸い、肺に溜め、腹に溜めて吐く。一度、二度。傍らにいる赤い髪の魔法師の眼を見て、三度。


「ハルネリア、できるだけ人を集めましたが、これで本当に勝てるのですか?」


「さぁ……どうでしょうラナ様。まぁ半分は死ぬでしょうね」


「軽く言いますね」


「本当のことですからね」


「全く……あなたはいつでもそうですね」


「まぁね。よくわかるじゃないラナ」


「もうかなり長いですからね姐さんとは」


 肩に髪、手にグラス、前に果実。暗い夜の中、静かに肩を並べる二人の魔法師。


「よくこんなに食べ物準備できましたね姐さん。ヴェルーナから持ってきたんですか?」


「ううん、ここで作ったわ。あの子がね、飢えて苦しんでる人々のためって、アルスガンドの村から持ってきた土と種であっという間に作物を作ってね。毒抜きは、私がしたんだけど」


「世の中にはまだまだ見つかっていない式もあるんですね」


「まぁ、創ればできるものだからね」


 座り直すラナ。小さくなる金属音。彼女の両脚は、大腿部から下は鋼。魔法の式を込められた脚。


「ラナ、脚はどう?」


「慣れました。もう前よりも速く走れます」


「そう……本当はオートマタの義体みたいに、生身にみえるように作りたかったんだけどね。あなた魔力、結構独特だから古い型じゃないと耐久性がね」


「いいですよ。誰に見せるでもないですしこのままで。結構かっこいいですしね」


「……あなたこないだお見合いしてなかった?」


「先生が勝手に進めたあれですか。まぁ私の年齢が年齢ですからね。当然、お断りですよ。向こうも若い子のがいいでしょうし」


「そう……あなたがそれでいいならいいけど……」


「ふふふ、まぁそれだけが幸せだって、私は思えませんしね。そもそも先生も70超えて未婚なんです。人のこととやかく言って欲しくないんですよね」


「まぁね。ほら」


「あ、すみません」


 ハルネリアの手で空のグラスに注がれる青い酒。果実酒の甘い匂いがアルコールに混じって周囲を包む。


 ラナはそのグラスを音もなく口につけ、傾けるようにして中身を喉へ流しこむ。口を離しコクリと喉を鳴らす。


「ねぇラナ。ずーっと思ってたことあるんだけど、聞いていい?」


「何ですか?」


「今までものすごい数の人が生きては死んできたけど、その魂が作った魔力って、今どうなってると思う?」


「……消えたんじゃないですか? だって、魔力は使ったら消えるし」


「でも使ってない魔力もあるのよね。ほら、死体から魔力って取り出せるじゃない。カラカラになってても。そりゃ血とか肉に保存されるってのは知られているけど。でもいつか身体は土に還って、消えていくように見えて。でもよく考えたら消えてないのよ。だって」


「肉は小さな生命の餌となって分解されてその身体に……魔力は、世界に保存される?」


「魔力は魂からにじみ出たエリュシオンの力。魂以外はこちらからあちらに行けない以上、こちらに出た魔力の総数は増え続けることになると考えるのは自然。でもそう改定すると、おかしなことになる」


「空気、土、自然あらゆるものに人の魔力が宿ることになるが、実際はそうじゃないと」


「そう、それじゃどこかに行かなければならない。空に昇って星の外へ消えると考える? でも魔力が空へ行くなんて今まで誰も見たことがない。ラナもないでしょ?」


「それじゃ、どこかに溜まっている?」


「どこ?」


「知りませんよ」


「そりゃそうね」


「面白いですね。それ判明したら、いろいろすごいですよ。魔法機関の機関長にだってなれますよ」


「でしょ? だからマディーネと作業所で魔力の観測をしてたりするのよ私。まぁ、今まで何もでてこなかったけど」


「いろいろ考えますね」


 語る夜。いつもの通りに。魔法師たちは静かに、兵士たちは賑やかに。思い思いに最後の夜を過ごしていく。


 深まる夜、落ちる灯。暗闇に光る黄金の月。無数の星。


 眼を瞑り、いくつか数えればそこは死地。最後の安息は、冷たい草原の上で。


 全ては先のために。続く過去を未来へ繋げるために。


 夜は更けていった。

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