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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第42話 処刑人の子供たち 後編

 暗い書斎に姉弟二人、同じ眼を交差させて。


 リーザはまるで親に悪戯が見つかった子供のように眼を揺らして、言葉を探した。この状況に最もふさわしい言葉を探した。


 その結果、リーザの口から出た言葉は――


「げ……元気だったラーズ? 出世したんだって? おめでとう」


 その声は震えていたが、それでもいつもの調子のままだった。苦笑いをするラーズ。赤髪の姉弟、敵味方に分かれても決してお互いを敵と認識しない双子の二人。


 少し場違いだったかなと、リーザは思った。できればこのまま何事もなくこの場を後にしたい。目的のリストは手に入ったのだ。あとは主要な人物たちを助け、味方を増やすだけ。


「ラーズ。ごめん、私急いでるから。ちょっとどいてくれない?」


「できるわけないだろう姉さん……」


「やっぱり?」


「はぁ……まぁ座れよ姉さん。父上たちは明日の……ってもう今日だけどさ。夕方にならないと帰ってこないからさ」


「う、うん……」


 ラーズは書籍の机の傍にあった椅子をリーザの前に置いた。自分は反対側にあった椅子を。


 二人は文字通り膝をつき合わせて座る。暗闇に赤髪二人、互いに煌びやかな鎧に身を包んで。


「それで? 姉さん、何で戻ってきたんだよ? 父上が姉さんを許すはずないだろう? 下手したら騎士団に突き出されるんだぞ」


「それは……私だって戻ってきたくなかったわよ。でも、仕方ないじゃない。私たちが勝つためよ。大体ね、ラーズお城の仕事はどうしたの?」


「姉さんが帰ってきてるって母さんが伝えてきたからさ。飛んで戻ってきたんだよ。王城と各地の城は転移の術式で繋がってるからさ。一方通行だけど」


「お城、ねぇ……随分出世したのね。近衛兵になったんじゃないの?」


「騎士団長が推薦してくれてさ。今僕聖皇騎士なんだぜ」


「へぇ、おめでとう。夢がかなったじゃない」


「ん……まぁ、ありがとう姉さん」


 リーザはラーズの鎧を見た。胸に輝く聖皇騎士のエンブレム。騎士の最高位を弟は得た。そのことが少しだけ誇らしくて。


「……姉さん。あのさ。できればこのまま、地下室にずっといてくれないかな」


「え?」


「実は、騎士団長が兵を王城に集めてるんだ。十万以上はすでに集まってる。姉さんたちは王国の各所に潜伏してるつもりだろうけど、忘れてないかい? ファレナ王国は世界屈指の魔術の国だってことを」


「忘れてないわよ」


「バレてるんだ。魔力の大小ではっきりしない部分もあるけど、それでも大体の場所はわかってるんだ。勝ち目、ないよ」


「時間の問題だってのはわかってるわよ。でも、それでもやらなきゃ。私が戻ることで勝てる可能性が出てくるんだから戻らなきゃ」


「死ぬんだぞ姉さん。負ければ全部死ぬんだぞ」


「だから勝たなきゃ。皆死なないためにも勝たなきゃ」


「姉さん」


 そして無言。向かう合う二人。真正面から互いの眼を見て、微動だにしない二人。


 リーザの眼に込められた強い意志と決意。かつての彼女は決して持つことがなかったであろうその眼を、どこか寂しそうに見るラーズ。


 鎧が擦れた音が鳴る。カチャリとそれは書斎に鳴り響く。


「ラーズ、あなたは昔からそうだった。頭もいいし、勇気もある。実際こうやって処刑人でしかなかったバートナー家を大きくしたのもあなたの力。素直に尊敬するわ」


「運がよかっただけさ。僕は、最前線に送られながら最前線にいかなかったせいで、悉く生き残った。それだけさ」


「帰るわ私。最後に話せてよかった。あなたがいれば、この家も大丈夫ね」


「姉さん、ここは姉さんの家なんだぞ。どこへ帰るんだ」


「もうここには帰らない。私は私が必要だと言ってくれる人たちのところへ帰る」


「姉さん、待つんだ」


「待たないわ」


「くっ……甘く見るなよ。死ぬんだぞ」


「そう簡単に死ぬもんですか。ラーズそこをどきなさい。私の腰には、剣があるのよ? あなたは丸腰じゃないの」


「くそ、姉さんは、臆病だったじゃないか。騎士学校女子部で首席だったのに、そのせいでいまいち出世できなかった。訓練では誰よりも強いのに、いざ山賊狩りや、魔術師狩りとかになると全然で……泣きながら僕の身体を盾にしたこともあったのにさ。死ぬかと思ったよあの時は」


「ばっ、今それ関係ないじゃん! 何年前の話よ!」


「一年ちょっと前だよ!」


「ぐ……とにかく、私はいろいろ学んだのよ。まぁ半分ぐらい振り回されただけだけどね……とにかくどいて。押しとおるわよ?」


「……わかった。わかったよ」


「わかればいいのよ」


 立ち上がり、座っていた椅子を足でどかすラーズ。渋々と、彼は扉の前から離れた。


 何となく申し訳ない気分になりながらも、リーザはその部屋から出ようと扉の前に行く。鎧の中に死罪となった者たちの名簿を隠して。


「ああ、そうだ。姉さんそのリストだけどさ。去年までのだぜ?」


「えっ!? うっそ!?」


「本当だって、出して見てみなよ表紙」


「ええ!?」


 鎧の紐を緩めて、分厚い書類を胸元から引っ張り出すリーザ。月あかりを頼りに表紙に書かれた文字を見る。


 そこに書かれていたのは数字。年号。確かにそれは、昨年の数字が書いてあり、そこまでの物であるということで〆の印がされている。


「ああ……! くぅしまった面倒そうで頭が読むのを拒否してた……! あ、っていうか何で私がこの書類もってるってわかったのよ」


「姉さん胸ないんだからさ。そんなに鎧の胸元膨らんでたらわかるって」


「なっ、あ、ぐっ……」


「はぁ……それで? その古い名簿をもって帰れば、勝てる可能性が上がるって?」


「う、うう……」


「はぁ……姉さんいつも詰めが甘いんだよなぁ。で、どうするんだ? 帰る?」


「……こ、今年の、最新の名簿は?」


「城にあるよ。僕の書斎にね」


「……頂戴っていったら、くれる?」


「無理だろ。常識で考えろよ」


「そんなぁ……」


 バサリと大きな紙の束が地面に落ちた。紙を止めていた紐がほどけ、それは地面に散らばる。


 名前、名前、名前、何人もの名前。地面に散らばった、すでに処刑された者たちの名前。


 この名前に、もはや意味などない。


「……姉さん。あのさ」


「何よ……?」


「ファレナ王国騎士団は全部、何て言うかその、悪くなったって、思ってるだろ? 人を簡単に殺すようなやつらになったって」


「……まぁ、そりゃあ、ね」


「実は……強引な侵攻。拒否したやつらもいるんだ。良心に負けて剣を捨てたやつらが」


「そう……それで?」


「僕が全員匿ってる。他国出身のやつらもだ。他国の、国王の親族だっている」


「ふぅん……えっ!?」


「ヴェルーナ女王国侵攻。あまりに苛烈な殺戮に、その場から逃げ出した者がいた。その数は集めたら数千人になった。敵前逃亡ってやつさ。結果として、あの戦いは王国の敗戦だったけど。少し面倒なことが起きたんだ」


「な、何が起きたの?」


「責任を取る人間がいなくなった。あの戦いの大将はトリシュ卿だった。でも、あの人は死んだ。他の聖皇騎士、僕も含めてだけど、聖皇騎士はどんな騎士よりも自由だ。弾劾を拒否できる権利がある。だから、自ずと責任を取る人間は下へ下へと落ちていった」


「騎士憲章ねぇ……」


「元老院が下した判定は、あの戦いに参加し、逃げ帰って来た小隊長以上の兵全ての処断だった。何人になったと思う? 1000人近くだぞ? 小隊は5人、つまり5人に1人が小隊長なんだ。大量の首が切って落とされて、しかも罪人だからな。死体は灰になるまで焼かれて家族の元には帰れなかった」


 絶句。リーザは何も言えなかった。


「あの戦いに参加した兵たちは震えてたよ。だから、皆僕に頼って来た。僕は聖皇騎士でも、彼ら側だったからね。下っ端だったし。だから匿った。まぁその、ほとんど逃がしただけだけどさ他国に。どうしても家族と離れたくないっていう人たちは、奴隷たちに紛れさせて、各地に……」


「……やるじゃない」


「そんなこんなしてたらさ。どんどん増えちゃって。騎士団の命令に逆らって殺されそうになった人たちがさ。まぁうん、その、ここだけの話だけど、監獄砦、あの中今、彼らの家になってたりして」


「え」


「すぐバレると思ったんだけど、元老院はやる気なんだけど騎士団長はそんなのどうでもいいみたいで……じ、実は、レジスタンスみたいになりかけてるんだ彼ら。ぼ、僕は関係ないぞ? 何故か皆僕を長にしようとしてるけど本当に僕は関係ないぞ?」


「え、ええ……どういうこと?」


「知らないよ。どこ行ってたのか、いつの間にかネーナさんもあそこに参加してて……ああもう、とにかくそういうことだからさ。僕は関係ないぞ。僕は騎士団の人間だからな。巻き込まないでくれよ?」


「ネーナ家に帰るとか言ってたのに……な、何人ぐらいいるのそれ」


「3000人ぐらいかなぁ……本当に僕関係ないからな! あと僕の城! 攻めてこないでくれよ? あそこの兵前線行けない怪我人や老人ばっかりなんだから」


「あ、う、うん……」


「彼らの中で一番偉い人に出す手紙ここにあるんだけど僕本当に関係ないからな? あと、王都城塞は東の城門が老朽化でちゃんと閉まらないんだけど、そこから攻めないでくれよな」


「……ラーズ、下手ねぇ」


「そんなんじゃないからな! く…………姉さん生きろよ」


「うん」


 ラーズが手渡した手紙を、リーザは胸元へしまい込んだ。バートナーの封蝋印。間違いなくラーズの手書きの手紙。


 扉に手を掛け、リーザは扉を押した。音もなく開く扉。ラーズがリーザの肩に触れる。


「姉さん。ここが姉さんの家なんだ。もう帰らないなんて、言わないでよ」


「……じゃあたまには帰ってくるから。それでいいでしょ」


「たまに、か……まぁいいや。じゃあ、また」


「ええ、ラーズ元気でね」


「そっちも」


 リーザは黒い布を頭からか被り、悠々とその場を後にした。外は真っ暗。隠ぺいの布を被る必要もなく、彼女はもう捕まることはないだろう。


 バートナーの屋敷から少し離れて、リーザは振り返った。遠く屋敷の二階で手を軽く挙げるラーズがいる。一階で頭を下げる老執事がいる。


 子供の頃をすごした家に別れを告げて、リーザは仲間の元へと、走り出す。空には新円を描く月が輝いていた。

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