第13話 運命の選択 後編
夜の闇の中であっても、その一室だけはまるで昼間のような明るさを持っていて、ファレナはだだっ広い広間の片隅に座っていた。
右に左に、兵士たちは行きかう。彼女は一人、そわそわと落ち着かない様子でそこにいた。
「リーザさん、あの、少しお聞きしたいことが……」
「はい」
ファレナの隣にいた白い鎧をまとった騎士のリーザは、ファレナの方を見て返事をした。
「あの、セレニアさん、無事でしょうか」
「またそれですか姫様、食事時から何度も、大丈夫ですよ。私の弟が見ています。逃げることはありません」
「そうじゃなくて……リーザさんって、なんだかお堅いですよね」
「騎士ですので」
「むぅ……」
ファレナは城に連れてこられてから、事あるごとにリーザに同じ質問をしていた。そのせいでリーザは少し疲れたような顔を見せている。
リーザは小さく息を吐くとまた警備をするため、前を向いた。
「リーザさん」
「姫様、寝室の準備ができるまではお静かにお願いします。私は聖光騎士とはいえ、所詮は一介の騎士。あまり下々の者にお声をかけるのはいかがなものかと。姫様の言葉は、安くは無いのです」
「そう言われましても……気になって……」
「はぁ……一体何が気になるんですか。姫様を攫った罪人。もしかしたら、少しはお優しくされたかもしれませんが、それでも悪なのです。王妃様は姫様がいなくなってからそれはもう大層悲しまれてですね……」
「悲しんでいました? お母様が?」
「それはもう。騎士団長も必死でしたよ。世界中に騎士団を向かわせて探索をさせています。ここだけの話、国交がない国にも人を……」
「そんなに私を殺したいのですか? あの方たちは」
「は?」
「私はもうちょっとは生きていたいですね。いろんなものをみて、いろんなものを食べて、もっといろいろしたいです」
「え、あ、いや……ちょっと待ってください。そんな姫様は殺されたりはしませんよ。そんな恐ろしいことをあの女に吹き込まれたのですか?」
「殺されない?」
「え、ええ」
「ふふふ、またまた、リーザさん冗談うまいですね。ふふふふ」
「いやその……ありがとうございます……?」
違和感を感じながらも、リーザは苦笑いを返す。微笑むファレナの顔こそが、冗談を言ってるようにしか感じられない。
ファレナは微笑みのままで、スッとリーザを見て、もう一度同じ言葉を放った。
「殺されない?」
「ええ……姫様、一体」
「そんなはずはないでしょう。だって、殺したんだから、苦しかったですよ。ああ本当に、どれだけ手を伸ばしても、お母様は私の手を取ってはくれませんでした」
「……なにを」
「だって、苦しかった私を見て、お母様はただ待ってたんですよ。私が死ぬのを待ってたんですよ。他の人と談笑までして、まだ死なないのかと、待ってたんですよ」
「…………な、え?」
「いっぱい、いっぱい血を吐きました。あの人が私の手を取ってくれなかったら、私は、あのまま死んでいました。光の世界をみることなく、ただ、お城の片隅で、ただ死んでいました」
ファレナは微笑みながら、ただただ事実を並べる。その言葉とは裏腹に、彼女の表情は優しく、ただ微笑んでいた。
その姿にリーザは、何とも言えない感覚を覚えた。
「ふふふ、それで、どうして、殺されないんですか?」
「なっ……そ、そんなはずは、王妃様が? いや、国王様が亡くなって、泣いて、葬儀、ひ、姫様、夢か何かをみたのでは?」
「夢、ですか? うーん、そうだったら嬉しいなと思います。でも、苦しかったんですよ? お母様が私を見てたんですよ。苦しかったんですよ? ねぇ、リーザさん。本当に、殺されないと思いますか?」
「う……私は、騎士団長は、王妃様は……姫様……」
「どうしましたリーザさん?」
リーザは混乱した。自分が殺されそうになったと訴えるファレナの顔は、何故か笑顔だったから。
その顔は、ただ笑っていて。リーザはそれを信じていいのかどうか迷う。しばらく無言の後、リーザのとった答えは自分の居るべき位置。思考の停止。
「城に戻りましょう姫様。殺されるとかそんなの、ありえません。大丈夫です。姫様はきっと、お疲れになってるだけです。そんな、王妃様に殺されるなんて、言ってはいけませんよ」
「……そうですか。ああ、これで終わりですか。何て言うか、楽しかったんでしょうか。光の世界は、夢のように美しい世界ですねリーザさん」
「そう……ですか。私にはわかりません」
「ふふふ」
ファレナは微笑んで、笑顔で、広間を見回す。見納め、数日で見るということはもうできなくなるだろということを、彼女は悟った。
だから、彼女は周りを見る。色を感じる。人を見る。笑顔でただ、周りを見る。
「最期ですら、人に自分の運命を委ね、ただ従う」
澄んだ声、ファレナの耳に届いたのは、澄んだ男の声。それは彼女を闇の中から救い出した男の声。
見回していたファレナの目に、唐突に彼らの姿がうつった。
「それでいいと? 本当に?」
漆黒の眼をした男、漆黒の眼をした女。二人はファレナの目の前に突然現れた。周りはいつの間にか青の光の中で、時が止まって、いつの間にか全ての人と兵士は動かない人形となっていた。
「ジュナシアさん、セレニアさん。これは……?」
「セレニアの刻印は時を止める。あと少しでセレニアの魔力が尽きる。ゆっくり話せるのは、あと少し」
「あと少し……」
「君がこのまま城へ戻って、そのまま死ぬというのならば俺たちはこのまま消える。もう二度と君の前に現れることは無い。もう、助けることも無い」
「もう……ない」
「だが……だが、死にたくないというなら」
「いう、なら?」
「君にこの醜悪な世界をもっとみせてあげよう」
無言、しばらくの無言、止まった時の中で、三人は無言だった。
セレニアがジュナシアの肩を握る。限界が近いと、彼女は眼で訴えていた。
「さぁどうする?」
「私は、どうすればいいですか? 教えてください。私は、どうなればいいんですか? 教えてくれれば、その通りにします。教えてください」
「ファレナ」
「はい」
「君が決めるんだ」
「私が、きめていい? だって、私は姫ですよ。子供ですよ。それでも、いいんですか?」
「いいさ、そんなもの、どうでもいいことだ。さぁ……どっちだ?」
「えっと……やっぱり死にたくないです。そうです、生きます。私は、この美しい世界をみたいです。私を連れて行ってください」
「セレニア」
青い光は収束し、世界の時間が動き出す。
運命の選択は自らの手で行えることは稀で、気が付けばそれはなされているもので、だからこそ、それを選べるのならば、ただ彼は選んでほしかった。
彼は決心した。目の前にいる何も知らないまま消え去ろうとした白い花を。守ることを決心した。
「あ、なっ、えっ!?」
動き出した世界で、突然目の前に現れた漆黒の二人にリーザは飛びのいて剣に手をかける。あまりにも驚いたのか、彼女はその手を滑らせ、三度剣を擦ってようやく抜きさった。
「あなた誰!? いや、違う! そっちの女は牢屋に! ラーズ何してるの!?」
慌てふためくリーザを尻目に、ファレナは駆けだした。目標は漆黒の彼、ジュナシア・アルスガンド。
彼の肩に手をかけて、ファレナはジュナシアの背に隠れる。その姿に、魔力を使いすぎて疲労困憊のセレニアは少しだけむっとする。
「姫様! 危険ですこちらへ!」
「リーザさんごめんなさい! でも私、死にたくないんです! 死にたくないんですよ!」
「お、おのれ一体どんな術を姫様に! ここまで記憶を書き換えれるなんて、人の心をもてあそんで! 許さない!」
「リーザさん! 本当に、本当に私、殺されかけたんですよ! 信じてください!」
「そんな、そんなはずない、王妃様は……」
「姉さん何してるんだ! 賊だぞ!」
突然響くラーズの声、額に汗を浮かべて、彼は広間へと走ってきた。
ラーズの後ろには大量の兵士たち、その中には巨体を持つロンゴアド兵団副団長ベルクスもいた。
「姉さん! 聖光騎士は、王国の騎士が高位! 賊を討つに迷いはあってはならない!」
「そ、そう……そうね。ありがとうラーズ。申し訳ありませんベルクス殿、私たちがふがいないばかりに再び姫を攫われるところでした。御助力をいただけませんか?」
「うむ、そういうことならば全力でお助けいたします。兵団の者よ! やつらを捕らえよ!」
兵たちが一斉に広間に入ってくる。その数はもはや数えられる数ではない。ジュナシアたちを囲んで、兵士たちは槍を彼らに向ける。
ファレナはもはや何を言っても無駄だと察し、不安げに彼を見上げる。
「セレニア、魔力はどうだ」
「駄目だ。手助けはできない。あの騎士様に散らされた分、回復が遅い」
「薬を飲め。回復するまで俺がやる」
「ああ……無理はするなよ。私は止められないぞ。のっとられるなよ」
「わかってる。もう子供じゃない」
セレニアはファレナを彼から剥がし、自分の背に置く。不安げにファレナは彼を見る。
「な、何をするんです? もしかして、また時間を?」
彼女の問いかけに、彼は答えない。もう一度質問しようと息を吸ったファレナをみて、代わりにセレニアがその問いかけに答えた。
「あいつの刻印は特別だ。まぁ見ていろ。世界中の魔を超えようとしてる者が欲している、エリュシオンの一端が見れるぞ」
「そ、それって、どういう?」
「ふふふ、さぁ、何人、生き残れるかな。ふふふ……」
「ええ? こ、殺すのはちょっと……まぎれもなく私のせいになりますし、それなんか嫌ですし……」
「お前……」
彼は、一歩前へと進んだ。左手の手袋を外して、それをセレニアに向かって投げる。
セレニアはファレナのずれた言葉に呆れつつも、その手袋をしっかりと受け止めた。
アルスガンドの暗殺者の左手には、皆同じ紋章がある。
それは円を重ねた紋章。アルスガンドの刻印。その輝きは持ち主の心に沿い、様々な色の光を放つ。
ジュナシア・アルスガンドの手には赤い刻印。彼が何度も浴びてきた、その赤という色は、彼の手に強く、強く輝く。
彼は左手を握り、胸の前で強く魔力を込める。輝きは増し、いつの間にか彼らを囲んでいた兵士たちは、リーザは、ラーズは、ベルクスは、その輝きに眼を奪われていた。
彼は誰にも聞こえないように、自分の中で大きくなっていく力に対して言葉をなげかけた。
「母さん、初めて人のために使うよ」
輝きは、広間を覆いつくす。光はただただ、広がって、全ての力を解放させて。
そして――光から現れたのは、人の形をした魔そのものだった。




