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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第40話 貴族の家

 朝、太陽が昇るころ、鐘の音が鳴る。敵が攻めてきたことを知らせる鐘の音が。


 雄叫びが響き渡る。剣戟の音が響き渡る。


 一つ、また一つと、時間と共に消えていく音。昼過ぎには、音は無くなった。


 日が落ちれて、遠くの空が赤く輝いているのを見て、大きく溜息をつく女性。煌びやかなドレス、輝く宝石。大きな屋敷の庭にある白い椅子に腰かけて黒い茶を飲みながら、彼女はまた、溜息をつく。


「奥様、そろそろ城に入った方がよろしいかと」


 足の長い老紳士がそう言った。女性は茶を口に含み、三度目の溜息をついた。


「我らが城には騎士団も入っております。旦那様も今夜にはお戻りになられます。どこに敵が潜んでいるかわからない今、お屋敷に拘るのはいかがなものかと。護衛騎士がいるとは言え」


「ゼフ」


「はっ」


「もう一杯、欲しいわ」


「かしこまりました」


 頭を下げ、下がる執事。空のカップを机に置いて、憂鬱そうに赤く燃える空を見る貴族の夫人。


 ファレナ王国の貴族たちが治める領地で戦場になっていない場所はもうない。抵抗の果てに死んだ貴族たちも多い。


 無駄な死のない戦争などありえない。綺麗な戦いなどありえない。


 だから彼女は、溜息をついた。この国の命の価値に憂いを感じて。


 ふと、誰かの気配がした。中庭の一角、茂みの中、がさりと何かが動いた。


 覚悟はしていた。もはやここも、戦場であることに違いはない。ここまで敵が来ることはありえると、それは常に思っていた。


 だがそれでも想像するのを、実際に目の前で起こるのは違う。


 溜息も何も出ない。人を呼ぼうと声を出そうとしても、眼が茂みから離れない。意識を他に向けれない。


 力を振り絞って、何とか手を伸ばし、机に乗っていたカップを払う。落ちれば地面にぶつかってそれは割れ、音を出すはずだと思って。


 だが地面は芝生。深い草がクッションとなって、カップは割れることはなかった。


 茂みが動く。庭師が丁寧に整えた中庭の樹々が、草が、花が、どこからか来た蛮人に揺らされている。


 それが酷く、悲しくて。


 だから叫んだ。


「やめなさい! 花が散るでしょう!」


 自分の命の危険よりも、自分の庭が荒らされるのが嫌で声がでた。


 屋敷の中から大きな足音がする。ドタドタと複数人の人が駆ける音がする。


 屋敷から中庭へ出る扉が開く。ガシャンと大きな音を立てて、扉についていたガラス細工が地面に落ちる。


「奥様!」


 片手に剣を握った執事が飛び出してきた。血相を変えて、紳士的な彼が決してしないような顔をして。


「い、如何なされました奥様!?」


「あそこ、誰かいるわ。あなた心当たりは?」


「いいえ! 何者だ!」


 駆ける執事。老人とは思えないその動き、一足に剣を振り彼はその茂みの草木を斬りはらった。


 大切な草木が斬られたことに、少しムッとしながらも貴族の夫人は冷静に立ち上がって歩く。自分の庭に入った輩を一目見ようと。


「む!? あなた様は!?」


 そう言って固まった老執事。剣を向け、驚いた顔でその剣の先にいる者を見る。


 近づく婦人。屋敷からの明かりを頼りに、茂みの中にいた者の顔を見る。


 そこにいたのは――


「リーザ? あなた、何してるの?」


 純白の鎧を着た赤髪の女騎士だった。剣を眉間に突き付けられ、ひくひくと顔を痙攣させている。


「お、お母様……実は……あの、ゼフさん、とりあえず剣を……」


「ああ、これは失礼いたしました。しかしお嬢様、お戻りになられたのでしたら表から参られた方がよろしいかと思われますが」


「だって、その、私は……」


「どうぞお嬢様。お手を」


「ありがと……」


 執事に手を引かれ、立ち上がるリーザ。そのまま屋敷へと促されたが、執事の手を振りほどいて彼女は申し訳さなそうに首を横に二度振った。


「家に、帰ってきたわけじゃなくて、私はお話をしたくて……お母様に」


「……承知いたしました。奥様」


「ええ」


 下がる執事と後退するように、貴族の夫人はリーザの前に立った。その顔は無表情。笑うこともなく、叱りつけることもない。自分の娘が、賊のような真似までして自分に言いたいことがあってきたのなら、それをただ聞くのが親の務め。


 そう思って夫人は、静かにリーザの言葉を待った。


「お久……ぶりですお母様」


「ええ、遠征に行くと言ってからですから、一年近く経ってますね」


「お、お父様とお爺様は?」


「あの人たちは王城です。処刑人ですから。明日には城に戻ると連絡を受けております」


「し、城? 王城から王城に戻るんですか?」


「バートナー家は城持ちになったのです。ラーズが出世しましたからね。デリンス峠の上に城があります」


「デリンスって……デリンス公爵様がいたところじゃ……」


「デリンス公は一族全て火刑に処されました。隣国への侵攻を反対した罪で」


「そんな……そこまでしなくても……」


「そこまでかどうかを判断するのは国王です。今は王代理のオディーナ公が全てを取り仕切っています。異議は何一つ認められません」


 淡々と言う夫人の顔に、一つの感情もない。彼女自身、慣れきっているのだ。この国の現状に。


「……お母様」


「はい」


「あの、実は私ですね。ある御方のですね、護衛騎士として今やってましてね」


「はい」


「その、何て言うか、ほらこの国今、大変じゃないですか。それで、その、お母様、お母様に、ちょっと離れててほしいなって」


「離れる?」


「はい、その、こ、この国を離れて……ヴェルーナ女王国に言って欲しいんです。私頑張ってましたんで、お、お屋敷を貰えます。勿論ゼフさんも、屋敷の召使たちも皆連れて行っても大丈夫です」


「それで?」


「逃げてください。この国を。危ないですから。私は、お母様たちに危険を……お母様?」


 何度目か、夫人は幾度目の溜息をつく。そして振り返りリーザに背を向ける。興味がないと、背で伝えるように。


「お母様待って……お願いしますお母様。ここは、戦場になるんです。バートナーの領地には監獄砦があります。巨大な、犯罪者を押し込める砦が。そこを……敵は狙ってます。そこに捕らえられている反逆者たちを、この国に刃向かった人たちを味方に引き入れるために」


 ああ、なんて思慮の足りない子なのか、夫人はリーザをそう思った。そして深く溜息をついた。


 リーザの言葉は敵軍しか知りえないこと。ならば間違いなく彼女は――


「ゼフ」


「はっ」


「リーザを捕らえて地下室に入れておきなさい。鍵を忘れずに」


「お母様!?」


「奥様、それは流石に」


「ゼフ」


「……かしこまりました」


 深く頭を下げた老執事は、目にも止まらない程の速さでリーザの腕を取った。関節が締め上げられ、身動きができなくなる。


「ま、待って! 待ってくださいお母様! 今は、もう今はそんな場合じゃ!」


「リーザ、明日はあの人が帰ってきます。国を捨てたこと、王に刃向かったこと、そして……敵をここまで引き入れたこと。許されません。本来ならば、騎士団に突き出してしまうのがいいのでしょう」


「お母様! 待って!」


「ですがあなたは私の娘。死ねとは言えません。ですから、隠します。何としてでも。ゼフ、護衛騎士様には知られないように」


「はっ」


「待って……そんな……!」


 屋敷へと引きずり込まれていくリーザ。遠くでその姿を見た召使たちは眼を丸くさせ、固まっている。


 他言しないようにと、老執事は召使に目で合図する。召使たちは頭を下げ、それに応える。


 夫人の口から溜息が漏れる。憂いが深くなる。暗い夜は、更に暗くなっていって。


 落ちたカップを拾って一人、彼女はまた中庭の椅子に腰かけた。遠く輝く赤い空を見上げながら。


「……ここからは自分でやりなさいリーザ」

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