第38話 ファレナ王国侵攻
そこは、橋。
そこは、街道。
そこは、草原。
そこは、山。
ずらりと並ぶ数千の兵。剣、槍、盾、弓。様々な武装を持って、大きく広がり陣形を取る。
もはや隠れることに意味などなく、それは紛れもなく進攻ではあるが、きっとそれを非難する者はいないだろう。
ファレナ王国にはいくつかの城塞があり、貴族が治める城がある。巨大な国土を治めるためのその仕組みは、同時に他国の侵攻に対する防壁となる。
潰えた夢はここから始まり、絶望は今日より終わり、世界は変わる。
ロンゴアド国を中心とした西国連合と、ファレナ王国が支配したその他すべての国との戦争。それは世界規模に揺らぎをもたらし、歴史上最大の大戦争が今始まらんとしていた。
大軍の前を純白の馬が掛ける。黄金の鎧に身を包んだロンゴアド国王が、ランフィード・ゼイ・ロンゴアドが誰よりも大きな声で叫ぶ。
「全軍、剣を抜け! 槍を向けろ!」
剣を抜く音が重なる。足を踏み込み槍を構える音が重なる。
「道は前! もはや退路は無い! 我らが敵は世界の敵! 正義は我らにある!」
騒めく空気、震える地面、訪れる一時の静寂。
「全軍……陣形そのまま足を前に! これより我らが行うは世界の解放なり! 行くぞ! 我に続けぇぇぇぇ!」
「うおおおおおおおおお!」
駆ける白馬に乗った王。それに続けと騎馬が駆け、歩兵が駆ける。
軍勢は雪崩のように。土埃を挙げながら一気に前進する。全ては目の前の城を落とさんがために。
敵城内で号令が上がる。
「城門開け! 迎え撃つのだ!」
「城門開け! 討って出るぞ!」
真正面、遠くに見える城の城門が開く。現れるは数百の騎士と、魔術師。
ここら一帯を治めるリケドルト公爵が城のバルコニーから大きな声でファレナ騎士団の兵たちに号令を飛ばしていた。髭を蓄え、隠し切れない腹のふくらみを鎧に押し込み、汗を流しながらも必死に彼は剣を振り回して声を荒げた。
自らの領地を守るために、自らの城を守るために、必死に、必死に、領主は声を荒げる。
駆ける。両軍全力で駆ける。一対一の戦いではなく、それは軍勢と軍勢の戦い。
広く広大な草原で、両軍は空が震えるほどの雄叫びを上げ、全てを霞ませるほどの土埃を上げ、命の価値を麻痺させて。
「せりゃああああ!」
その戦いは雷光から始まった。先頭を行く白馬、それに騎乗するランフィードは雷を纏った剣を振り抜いた。
雷光と共に銀色のヘルムは空を舞う。ヘルムの中に頭を入れたまま。ランフィードが走り去った後には盛大に血を吹きだして倒れる兵士が一人。
一瞬怯んだファレナ騎士団が先頭の兵たち。勢いのままに突っ込んでくるロンゴアド兵団始めとする西国連合軍。
両軍が、真正面から激突した。
「おおおおおおお!」
それは壮絶な光景だった。兵が交錯し、槍が、剣が、魔術が、ありとあらゆる攻撃が飛び交った。
槍に突かれ死ぬ兵がいる。剣を振い敵を殺す兵がいる。殺した兵は次の瞬間には殺される側になっている。
真正面から、広大な平原でぶつかり合えばそれは、どんなに陣形を整えようともすぐに乱戦へと変わる。兵力の削り合い。命の削り合い。兵たちが絡み合い、次々と殺し殺されていく。
「行けぇぇぇぇ! 続けぇぇぇぇ!」
前へ、前へ、前へ。兵力は同数。だが、片や西国連合軍側は用意できるほぼ全ての兵力。対するファレナ王国騎士団は一つの城、城塞の兵力。
「おおおおおおお!」
雷鳴が轟く。ランフィードの前にいた兵士たち数人が黒焦げになる。
ランフィードの傍にいた一人のロンゴアド兵が気づいた。遠くで黒いローブを来た者たちが一列に並んで手を突き出しているのを。そして彼は大きな声を上げた。
「国王陛下! 魔術師たちの砲撃です!」
「盾構え! 急げ!」
ランフィードの声が戦場に響く。先頭にいた兵たちは背に装備していた盾を身体の前に掲げる。
盾から広がる、光の壁。それは広く大きく、兵士個々人の身体どころか馬をも覆う。それは魔力を寄せ付けない退魔の魔法障壁。
「こんな乱戦なのに躊躇う気配がない! 味方ごと撃つ気なのか!? 陛下!」
「盾構え! 怯むな魔法師様を信じろ! 来るぞ!」
ランフィードが叫んだ直後、光の玉が打ち出された。
離れた場所からランフィードたちに向かって打ち出された魔力の弾。数人の魔術師たちはそれを次々と、次々と撃ち込んでいく。
光の玉は、矢のように速く。生身で触れた兵は一瞬のうちに肉塊となるほどの威力で。
血しぶきが上がった。それはファレナ騎士団の兵のものだった。ただでさえ敵味方入り乱れて戦う最前線に後ろから魔力の弾を撃ち込まれたのだ。成すすべなく死んでいったファレナ王国の兵は一人や二人ではなかった。
味方を撃ち抜いて、その魔力の弾はランフィードたちに到達する。一発一発が必殺の威力であれど、彼らが持っている盾の魔法障壁を貫くほどではない。
一発、二発、バチバチと音を立てて、魔力の弾は魔法の壁にぶつかった。
「国王陛下!」
「考えるな! 今は身を守れ! 盾班追いついてるのか!? できるだけ前へ出るよう伝えろ!」
「はい!」
「くっ……思った以上に消耗が……早く、急いでくれ」
血と肉。骨と皮。次々と、次々と人が死んでいく。
これが戦場。命を捨てる場所。
それを見ている人々がいた。城より少し離れた町の人々。彼らは町の外に並び、戦場を一目見ようと遠くから眼を凝らしていた。
その中に一人、木の椅子に座る少女がいた。彼女は町の宿で働く町娘。数日前に不注意から足を怪我して、立って歩くことができなくなった少女。
「怪我をしてるのか君?」
ふと、彼女背後から声が聞こえた。立ち上がることができない少女は、首を腰を回して後ろを見た。
そこに立っていたのは、深紅のマントを羽織った一人の男。漆黒の髪、漆黒の瞳、この世のものとは思えない程綺麗なその姿。
「右足か? 見ていいかな?」
少女はこくりと頷いた。微笑みながらその男は、少女の右足に手を添えた。
手から伝わる。暖かさ。放たれる淡い光。
「よし、痛みは少しあると思うが、歩くのに問題はないはずだ。立ってみて」
言われるがままに少女は立ち上がった。相当深い怪我だったはずなのに、すんなり立つことができた。
少女は顔をあげる。お礼の言葉を伝えようと、口を開く。
そしてその口から声が出るよりも速く、目の前にいたはずの男は消えていた。キョロキョロと周囲を見回しても誰もいない。いるのは手を握りながら戦場に向かって無意味な声を上げている町民たちだけ。
あれは夢だったんだと、少女は思った。足が治ったのは元々なおっていて、怖いから立たなかっただけだと、そういうことにして少女は顔を前に向けた。
遠く、響く戦場の声。心なしか、その声がもう一方から聞こえるような気がして。
誰かが言った。城の裏に土埃があがっていると。別の誰かが言った。城の裏から敵が来たんだと。
敵、ファレナ王国に暮らす彼らにとっての敵とは、侵略してきたロンゴアド国。
――果たしてそれは、本当に敵なのだろうか。




