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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第35話 救いを

 ――あの日、頭首様が私に言いました。


「国王を、殺すと? 冗談……ではないですよね?」


「18年前だ。俺とオディーナは疑問に思っていた。果たして……協会にいる魔術師たちだけであそこまでの集団、作れるかどうか、と」


「は、はぁ……確かに、言われてみれば」


「オディーナは騎士団長になった。誰よりも国の中枢に近い男だ。そこであいつは10年、皇の称号を得てから8年。そして掴んだ。聖堂の魔術師、黒の魔術団。それを作った人間を」


「それが、国王?」


「俺も城に何度か入って調べた。間違いはない。王があれを創って、聖堂に人を送り込んでいた」


「一国の王が……あの醜悪な集団を……何のために?」


「知らん。直接聞くわけにもいかないからな」


「それは……そうですが」


「あいつを呼べ。一国の王だ。箔をつけるには最高だ。あいつにやらせる」


「はい……いやしかし、一国の王ですよ。頭首様がなさった方が」


「俺は出ない。あと、そうだな、共も出さない」


「まさか、一人で!?」


「ああ、何だ、文句でもあるのか? 俺の息子だぞ」


「いやしかし!」


 ――その日は何かが、おかしかった。あの人は、人を試すことはしても、決して命を軽んじはしませんでした。なのに


「ルシウス、お前、何故人を出した?」


「若様は頭首様のたった一人のご子息、死なせるわけにはいきません」


「俺の子だぞ。俺とエリンフィアの子だぞ。死ぬと思ったのか? あいつの刻印、どんなものか知ってるだろう? お前、エリンフィアの子を、信じられなかったのか?」


「申し訳ございません……しかし……しかしですね頭首様……あなたは常に言ってたではないですか! 任務を受ける際は仕事の成功よりも生存を優先しろと!」


「……生存?」


「頭首様!」


「……ああ、そう、だな。ああ、ルシウスよくやった。そうだ、セレニアもやったのか?」


「セレニアは昨日の鍛錬中、刻印を使用したようでまだ魔力が回復しきっておりません」


「ああ、そうだ。そういえばそうだった……はぁ……ルシウス。ファレナ王国の城に入って、あいつが去った後の城の様子を確認しておいてくれ。万に一つもないと思うが、あいつがしくじったらお前が王を殺しておいてくれ」


「はい」


 ――その日は、ファレナ王国の国王が死んだ日。そして、アルスガンドが終わった日。


 薄暗い曇り空。雪が混じる山の際にその城はある。


 世界最大の国、ファレナ王国。全ての交易の中心となる地にあり、鉱山の数も世界有数。更に海にまで面しているその国は、世界で最も富が集まる場所。


 城の一角の窓が割れた。飛び出してくる漆黒の塊。


 城の王族たちが暮らす場所から飛び出したそれは、空中で身体を回転させ、空を飛ぶ。いや、空を落ちていく。


 城の壁に足を添える。石と土埃を巻き上げながらそれは城の外壁を滑り落ちていく。


 見上げる兵士。叫ぶ兵士。矢を構える兵士。


 漆黒のそれは城の外壁を蹴った。そして駆ける。空を駆ける。二度三度、空を蹴り、それは城の外周を飛び越える。


 濃い雲の隙間から覗いた日に照らされて、その漆黒の塊が色を取り戻す。血に濡れたその男が空に浮かび上がる。


 アルスガンドの長の子。その時はまだ名を持っていなかった彼は、ファレナ王国の空を駆けた。漆黒の眼を遠くに向けて。そしてそれは遥か下の森の中へと落ちていった。


 遠く、城下町の中からそれを見ていたルシウス。まだその時は若々しい顔を保っていた彼はそれを見ていた。


 待つこと数刻。瞬く間に国中に広がる王が死んだとの報。ルシウスは町の角で身を隠しながら微笑んだ。彼は自分が尊敬する長の、その息子がここまで大きな仕事をやり遂げたことが誇らしかった。


 一応確認して、すぐに彼を追いかけて自分も戻ろう。そうルシウスは思った。


 ルシウスはアルスガンドの一族の中でも隠密行動に長けた者。まるですべてをひっくり返したかのような城内を悠々と彼は歩き、王の死体を確認した。王の間では何人もの人が集まり、嘆き悲しんでいる。慕われていた王なのだなと、彼は思った。


 ふと、違和感を感じる。王の死を前にして、泣いていない者がいる。王の娘、ファレナ王女。彼女は王の死体を眼の前にして、何故か嬉しそうに何故か驚いたように、キョロキョロと周りを見ている。


 もう一人、泣いていない者がいる。王妃。泣いてるような仕草はしている。だがその眼、その顔、一つも悲しみを感じていない。


 あまりの衝撃に、心が麻痺しているのだろう、その時はルシウスはそう思った。


 そしてルシウスは魔術で村に任務の成功の連絡をして、城を飛び出して走った。彼は思った。きっと一足先に長の子が村についているだろう、村は祭りかと思う騒ぎに違いない。早く帰りたい、と。


「それで?」


「はい、そして私はアルスガンドの村の入口に戻りました。岩戸を開けて、さぁ中へ入ろうと思った時、信じられないものを見ました」


「何があった?」


「オディーナ・ベルトー。彼が岩戸の前に立っていたのです」


「騎士団長の、オディーナか?」


「はい。私は彼に話しかけました。何をしているのですか、と。彼は答えませんでした。彼は徐に剣を抜くと、じりじりと私の方へと近づいてきました。そして彼は、私の腕を斬り落としました」


「……一撃でか?」


「はい、すさまじい剣でした。私の未来視はそこまで強い方ではありませんが、それでも未来視です。私も見た物の動きの一瞬先を見れるのです。それでも、全く見えませんでした。気がつけば私の腕は、空に飛んでいました」


「左腕か?」


「はい、遅れて吹き出す血。遅れて襲い掛かる痛み。私は、恥ずかしながら地面をのたうち回りました。薄れていく意識の中、私が見た物は私の左手の刻印を使って岩戸を開けるオディーナの姿でした」


「嘘をつくな。腕を斬り落とされた瞬間に刻印は移動するはずだ。反対の腕に。あれは魂に刻まれるものだ」


「どうしてそうなったのか、どうやったのか私もわかりません。彼の一撃は私の肉体から刻印を引きはがしたのです。彼は私の腕を捨て、岩戸の中に、村の中に入っていきました。どこから現れたのか、沢山の、騎士団の兵を連れて」


「……それで?」


「私は、気を失ってはいけないと必死に食らいつき、立ち上がりました。そして足を動かした。村の中へと向かって。蛇の森を掻い潜り、罠を避け、追いついた数人の兵を殺し、私は村の奥へ。私は、そこで見ました」


「……何を?」


「一族を、殺して回る頭首様と、それを見ているオディーナ・ベルトー」


 チリチリと、何かが音を立てて割れた。何かが動いた。


 光る刻印が並ぶ壁。その刻印一つ一つが、強く光を放った。


「何故だ……父は、何故そんなことをした?」


「その答えを私が得たのは、つい最近です。私は、その答えを得るためだけに、ファレナ王国に取り入りました。魂が残っていたイザリアの死体を持って取り入りました。娘が目の前で切り刻まれ人形にされるのを耐えたのも、答えのために」


「何故だ。何故そうなった。何故そんなことをした」


「この世界は、人という種は、人を生かすために存在している。古代アズガルズの魔の使い手たちが刻み込んだ救世の刻印。それは、人を救世の主に変えるもの。その究極の目標とは、人というものを滅ぼさないこと」


 つまりは、人を殺さないための刻印。


「救世の刻印は、人のための物。人を守る物。それが、あの時狂った。守るはずの人に否定されて、滅ぼすはずの敵に滅ぼされた瞬間に、狂った。人が、万年かけてその刻印の在り方を捻じ曲げた」


「回りくどい! 早く核心を言え!」


「おかしくなったのは頭首様ではない。確かにあの人は焦っていた。あなたを長にしようと焦っていた。だが、それでもあの人はあの人だった。優しく、人の死を悲しんで、嘆いて、あの人は、あの人だった。あの人は一族の者を殺したりはしない! 意味もなく殺そうとはしない!」


「……村の皆が、イザリアも含めた皆が、父を殺そうとしたのか?」


「そう! あの日、村の全ての人間に救世の刻印が発動した! 村人全てが、長に襲い掛かったのです! 長は、一国の王を殺させた! それが救世の刻印にとって発動の鍵となってあの結末です!」


「馬鹿な」


「救世の刻印はねじ曲がってしまったのです。人類が滅びるほどの脅威にしか反応しないはずの刻印が、前回の救世の主が否定したことで不安定になったのです。人類の滅亡に至らないほどの小さな脅威、例えば世界を変えてしまうかもといった者を対象に発動するようになってしまった」


「……オディーナが何かしたのか? 何故あいつがきたタイミングで」


「オディーナの目的は国王殺害の犯人の確保。彼が来た理由はあの悲劇とは、また別なのです」


「つまり」


「一族を滅ぼしたのは救世の刻印。オディーナが来たのは、アルスガンド様を捕らえるため。エリュシオンの扉を開いたあなたを捕らえ、世界を取るための道具にするため……つまり、オディーナにとっても全くの予想外だったのです。あの光景は」


「そんな馬鹿な……」


「救世の刻印は不死性を与える。頭首様とは言え死なない者を殺しきることはできません。いくら切り刻んでも蘇る者たちにいつしか追い込まれ、そして、ついには死にました。あの方を殺したのが誰の剣だったか。私にはわかりません。頭首様の刻印でこの刻印の壁まで来て、ここで力尽きたのです」


「救世の刻印を発動したものは目的を失えば死ぬ?」


「はい、その結果、一族の者は全て死にました。あとは……オディーナ。彼は死んだ死体の中にあなた様がいないことに気づきました。だから、彼は一芝居うった」


「村を派手に焼いて、俺にもう一度城に……そして復讐させようと……?」


「はい。結果として、あなた様は城へ侵入しました。もしかすると、ファレナ王女がいなければあの場で捕らえられていたかもしれません」


「そんな、馬鹿な。そんな都合よく……」


「事実です」


 汗が落ちる音がした。ジュナシア・アルスガンドの汗が、冷たい石の上に落ちた。


 彼は汗が伝った頬を手で拭い。周りを見る。刻印は静かに輝き、歴代の長の棺は冷たく積み重ねられている。


「過去は、ここまでです。ここからは、未来。さぁ……始めましょう。アルスガンドの長を継ぐ、儀式……頭首様の……先代の願いを、叶えてやってください」


 石で囲まれたはずの部屋に風が、吹き始めた。

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