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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第34話 報いを

 そこにあるのは魔を超えたなにか。世界の理に触れるなにか。


 ある時は空間を無くし、ある時は時を無くす。速さを無くし、死を超えて、生を超える。


 それは、世界を曲げる能力。理を書き換えるために刻み込まれる印。


 円形の紋章が111。その壁に刻まれている。色は全て等間隔に、七色に移り変わっていっている。


 色を失った紋章は二つ。その壁から失われている紋章は二つ。それ以外は全て、そこにある。


 刻印に照らされて映し出される石の棺、その数100以上。その中にいるのは歴代のアルスガンドの長たち。死んだその時の、そのままの姿で長たちはそこにいる。


 アルスガンドの一族、人の陰、魔の始まりより続く一族にして、魔の終わりを告げる一族。


 そこには、彼らの全てがあった。


「人の血とは、脆いもの。万年もその血の力を受け継がせるには、血そのものが決して穢れないものであるか、もしくは、血の配合を厳しく制限するしか、ない」


 座っていた。老人が一人、左腕を肩口から失った老人が一人、座っていた。年月を経て歳をとったという姿ではなく、ただ若さを吸い取られたといった姿。


 深い皺が刻まれた顔。しかしながら、その眼は力強く。


「前者は、ヴェルーナの血統。血自体が、魂に繋がれた魔法師が始祖の血。後者は、我々、アルスガンドの血」


 アルスガンドの暗殺者、生き残った三人目の男ルシウス。彼は111の刻印の壁の前に座って、小さく肩を揺らしていた。


 やつれ、老人となったその身体。木の枝のような手足。肉と皮だけの身体。立って動くことができるのかすら疑問が浮かぶその姿。


「父と娘に、母と息子に、兄と妹に、姉と弟に、血を残すために、我々は抵抗なく、子を作らせました。薄い血は、そもそもこの村では生きることはできない。毒の村、長の墓標、刻印の壁、ありとあらゆる試練を作り、私たちの祖先は血の薄い者を殺し続けて……今に血を残しました」


 刻印の光に当てられて、二人の顔が照らされる。正真正銘、生存しているアルスガンドの最後の二人。アルスガンドの長の子である男と、その傍らにいることを許されたセレニア。


「それは決して……素晴らしいことでは、ありません。長は……先代の長は、それはおかしいと、訴えました。長の血は濃く、力は強かった。先々代の長と、先代の長。対立しました。全ての始まりは、長がエリンフィア様に心を奪われたこと」


 ルシウスの語る声は、静かで、ささやくような小ささではあったが、不思議と聞きづらくはなかった。壁の刻印がより一層光を増していく。


 周囲が照らされる。


「エリンフィア様は、血が薄かった。そう、君と同じだセレニア。エリンフィア様は、未来視の眼も、莫大な魔力も、なかった。辛うじてこの地に、刻印の壁の前に来れる程度の、血だった。本来はそんな薄さだと、長の妻にはなれない……ですが長は、あの人は、押し通した。痛快、でした。あの時は」


 ルシウスは手を伸ばした。その手の先にあった蝋燭に火が灯った。その灯は周囲に広がり、その灯の光を受けた壁の蝋燭は次々に点火していった。


 大きな石の広間が、姿を現した。


「村の老人たちの、ふざけるなという罵倒を、端から黙らせていきました。敵対する皆の弱みを握って……外で私的な殺人をして金を得ていた者、外に愛人を作っていた者……一人一人、いい伏せられて、最後に、決闘です。先々代の長と、先代の長。勝ったのはもちろん、先代の長、僅か15の時」


 立ち上がるルシウス。彼を中心に広がる刻印の広間。床から天井まで、積み重なった大量の石の棺に囲まれて、彼らは相対する。全ての始まりと、終わりのこの地で。


「結局、後に長はファレナ王国と繋がったり、外に愛人を作ったりしましたが、まぁあの人らしいです。それもまた、あの人の魅力。私たちは、一族の皆は先代の長が好きでした。楽しかったなぁあの人が長になってからは……」


 嬉しそうに、懐かしそうに、微笑み天井を見上げるルシウス。目から涙がこぼれ落ちる。


「さぁ、思い出話は、ここまで、よく来てくださいましたアルスガンド様。よくきたねセレニア。命尽きる前に、全てをお話ししましょう」


 そこはアルスガンドの歴史そのもの。全てを残し、全てを伝えるその場所は、一族の者にとって最初にして最後の場所。


「いつからだ?」


「エリンフィア様が死んだあの日から」


「何故、俺たちを騙した。お前の死体はあった。刻印も……お前の分は戻ってきている。どうやった」


「死体はファレナ王国が兵の一人を殺し、顔をいじりました。刻印は腕ごと魂から切除しました」


「……話せ」


「はい」


 ルシウスの表情はまるで氷のように冷たく、笑顔のまま固まっている。その顔が気に入らないのか、拳を握りしめ、怒りの顔を見せるセレニア。


 ルシウスは歩いた。広場の中を、ゆっくりゆっくりと、ジュナシアたち二人の周りを彼は歩く。


「……アルスガンドの一族は、15になれば成人し、この場で刻印を手に移されます。刻印は111ありますがその全てが消費されたのは、長いアルスガンドの歴史の中でも数えるほどの期間だけと言います。あの日、あなたが、長の子であるアルスガンド様が刻印を得た日。外は、曇り空でした」


 ルシウスは歩いた。一つの棺の前に向かって、それは歴代の長が眠っている石棺から一つだけ外れたところにある、棺だった。


 ルシウスは棺に手を掛ける。そしてゆっくりとそれの蓋を押した。


「この場にいたのは先代の長、そしてエリンフィア様と、数名の戦闘班。私もいました。刻印譲渡の儀式は、滞りなく行われました。さすがに何十回もしているのです。滞るわけがありません」


 石棺の蓋は、音を立ててズレる、じわじわ、じわじわと。ルシウスの手に押されて。

 

「あなたも、そこまでは覚えているはずです。刻印が移され、赤色の髪は漆黒に染まり、瞳は光を失い。左手には赤い刻印。皆当然だと思いました。そして期待しました。その一年前にイザリアが得た刻印の力は類を見ない能力でしたから、皆それ以上の能力を期待しました。そして」


「そのまま俺は初めて刻印を発動した。そして変わった。人でない姿に」


「はい。姿そのものが変わるなど、長いアルスガンドの歴史において一人もいませんでした。沸き立ちました。あなたの父も、それはそれは驚いた顔を見せていました。そこからは……」


「……気がつけば、血の海の上で、母さんの腹を貫いていた」


「はい、そしてあなたは暴れだしました。頭首様が止めろと叫び、私たちはあなたを止めようとしましたが……あっという間に三人の身体が弾けました。私と頭首様は刻印を使い、手足の腱を切ってでも止めようとしましたが、それも無駄でした」


「辛うじて覚えているのは、溢れる力と……眠かった。ああ、凄く眠かったのを覚えている」


「腕を切ってもすぐさま元に戻る。切り落としたとしても元に戻る。細切れにしたとしても元に戻る。その時思いました。このままでは、アルスガンドの村が滅ぶと」


「何故殺さなかった……俺は、あんなことになる前に、殺してほしかった」


「殺せませんでした。頭首様は、あなたの首を二度はねました。それでも死ななかった。恐ろしかった。私は、どうしようもないと思い始めた。頭首様も同様に。それは間違いなく、人の手にあまるもの、人類の敵になりうるもの」


「何故封じ込めなかった。刻印の壁は、封印できるはずだ。永遠に時間ごと」


「やろうとしました。頭首様は、仕方がないと刻印ごとあなたを封じ込めようとしました。ですが……エリンフィア様が、許しませんでした。あの方は叫びました。あの子を見捨てたら私がお前らを殺すと」


「何故、そうなる。封じ込めても、死ぬわけじゃない」


「あの方は、どうしようもなく母親でした。刻印ごと封印するということは、凍った世界で永遠に生き続けること。それが、嫌だったのでしょう。あの方は頭首様を殴りつけて、必死に封印をさせまいとしました。あの方はあなたを、人類の敵となりうるものを庇ったのです」


「……馬鹿な。何故、そんな無意味な」


「その結果が、これです」


 いつの間にかルシウスが押していた棺の蓋は向こうへと落ちていた。音もなく、埃も立てず、無音で開かれたその石棺の中。刻印の壁から差し込む光がその中を照らす。


 ルシウスは眼を瞑った。それを見ないように。


 ジュナシア・アルスガンドはそれを見た。セレニアもまた、それを見た。


 その時、二人の胸中に様々な感情が沸き上がった。悲しみ、慈しみ、愛しさ、虚しさ、怒り、絶望。


 石棺の中にあったのは、女の身体。青い髪を広げ、大きく穴の開いた腹部を隠すように両手で覆った女の身体。


 それは――――


「先代の長の妻にして、あなた様の母君、エリンフィア様のご遺体です。どうぞ、顔を見せて差し上げてください。きっと、お喜びになります」


「そんな、馬鹿な……」


 よろよろと、彼がおよそするはずのない足取りで、一歩一歩、彼はその石棺の前へ歩く。


 棺を覗き込む。手を、その棺の中にいる人の手に添える。


 冷たく、石のよう。だがその形、忘れるはずなどなく。


「これが先代の長が隠し続けていた秘密の一つです。あの人は、エリンフィア様の死を受け入れたくなかった。その身体を土に返したくなかった。だから、ここに納めた。ここにいれば、その身体は永遠にそのまま。それは一族の歴史に反する最大の罪ではあるが、それでもあの人はそれをした」


「父は……平然と、母さんが死んだことは仕方がないって言ったぞ……そんな、ことをするような……」


「あの人は……心が壊れかけていました。一族のためとはいえ……あの方は殺し過ぎました。外でも、中でも……辛うじてそれを支えたのがエリンフィア様だったのです。だから、離れることなどできませんでした」


「……そんな馬鹿な」


「そして、その身体。よく見てください。その身体。瞳。瞼を開けて、眼を見てください。さぁ」


「そんな……できるか。できるわけがない……眠ってるんだぞ……そんな……」


「私が……やるよ」


「セレニア、待て……」


 セレニアは彼の制止も構わず、その手をエリンフィアの閉じた瞼の上に運んだ。そしてゆっくりと人差し指でその瞼を開ける。


 当然、瞼の下には眼がある。周囲に白い結膜、中央に黒い瞳孔。


 ――七色に輝く瞳。


「そうだ、そうだ……母さんは自分から死にに来た。自分から、自分から。何かに、抵抗するように。両手を、震わせて」


「七色に輝く瞳は、その者が救世の刻印に覚醒したことを示します。エリンフィア様は、よりによって自分の子を、人類の敵となったあなた様を滅するために世界に選ばれてしまったのです」


「不死の刻印すら使わずに、ただ全力で俺の手の前に、自分の命を捧げた……何故、そうなった」


「救世の刻印はそれ即ち呪い。発現すれば救世のために世界の奴隷となります。それに抵抗するほどの強い意志。この世界のどんな英雄よりも強い意志。世界広しと言えども、世界の意思を跳ねのけれる人間などいません。誇りに思うべきです」


「……これに、何の意味がある。人の敵に負けるようなものに、何の意味が」


「そう、アルスガンド様は意図せず、世界を否定したのです。そこから、全てが狂いました。エリンフィア様の愛が、あなたの強さが、意図せず世界を狂わせていきました」


「どういうことだ……」


「時は進みます。あの日に、あの、一族の者全てが死んだ日に」


 外は日が落ち、世界が闇に包まれる。


 ルシウスの話は続く。過去から今。始まりの次は過程、そして終わりへ。


 石棺の中、冷たいその中で、ただゆっくりと青髪の母は眠っていた。

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