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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第32話 遥か古の故郷

 木々の間から差し込む木漏れ日を、潜ること幾度。ついに彼らはそこに帰る。


 苔の生えた巨大な岩が左右永遠と続いている。その岩の高さは永遠天まで続き、苔の滑りにその岩を登ることは誰にもできないだろう。


 懐かしいと、笑みを浮かべてそこに立つ赤い髪の魔法師。


「やっと、中に……入れる……」


 ハルネリアは小さくそう呟いた。この岩の向こうを何度思っただろうか。うっすらと涙を浮かべて、ハルネリアは岩の苔を擦り取った。


 岩を見上げて歩くファレナと、それについて行くリーザ。外からみれば何の変哲もない岩である。しかし、ファレナはただただ感嘆の声を上げて、それを見る。何もないはずなのに、表情をころころと変えて、彼女はそれを見る。


 その姿を横目に、セレニアがしゃがみ込んだ。土を払って、木の葉を払って、現れたのは小さな石の台。


 セレニアは左手の手袋を外した。現れる青い刻印、青い指輪。左手を現れた石の台に乗せ、左手の指を規則的に、動かす。


 最後に親指で石を三度押す。青い刻印の輝きが強くなり、小さな金属音が鳴った。


 その音は岩の向こうに伝わり、染み込み、周囲に響き渡る。


「いいか。これから言うことをしっかり守れ」


 ジュナシアが彼に似あわない大きな声でそう叫んだ。岩に、一本の線が入る。


「アルスガンドの村は三つの区画がある、入ってすぐ、罠と毒蛇だらけの鍛錬場。罠は全て外してあるが、毒蛇は全て殺すことはできない。常に足元を気にしろ。緑色の小さな蛇だ。噛まれたら霊薬を使え」


 岩が、線を中心に割れる。地面を独りでに、ゴリゴリと土を削りながら。


「抜けたら小さな小川がある。その小川の向こう、橋を渡れば、居住区だ。いいか? 川、畑、その他木の実。そこに生ってるものは一切触れるな。イザリア」


「はい、皆さん、出る前にお渡ししたアルスガンドの戦闘装束は着てますね? 解毒剤と止血剤を練り込んだ樹脂でできています。ハルネリア様の工房を使って私がつくった私とセレニアさんの予備の戦闘装束です。すみませんが皆さんの体格に合わせていませんのであしからず」


 ハルネリアがローブの首元を伸ばして、どこか誇らしげに胸元を見せた。彼女はローブの下に、漆黒の衣装を着ていた。


 ファレナとリーザも同じく。


「手袋とブーツもしっかりおつけください。木が引っかかった程度では破れないのである程度は安心できます」


「いいか、アルスガンドの村は全てが毒でできている。畑に種を植えれば数日で収穫できるし、家畜は草を食べさせれば食べごろの体になって数十年生きる。だが、あそこでできたものは全て毒だ。俺とセレニア以外は木の葉に触れただけでも発熱して死に絶える。あそこは、虫一匹生きれない死の村だ」


 説明するジュナシアの後ろで、音を立てて岩が持ち上がり、一気に後ろにずれた。段々とそれは重なって、まるで最初からそこにあったかのように岩の洞窟が現れる。


「全てが毒。その中で俺たちは生きてきた。だからアルスガンドの人間は全ての毒に耐性がある。もし耐性が無い新しい毒であったならば、それは身体自身が危険だと判断し一切身体に吸収されない。そして三つ目……」


「機械人形となった私も含めて、辛うじて入れるのは居住区までです。あの村の最も深いところ、最深部はアルスガンドの血が濃い者しか入ることが許されません。セレニアさんでもギリギリの場所です」


「いいか、居住区までだ。ハルネリアも、ファレナも、決してそこから奥に入れない。入ろうとするな」


「……何があるの?」


「代々のアルスガンドの長たちの身体と、刻印」


 ハルネリアが固まった。驚きと、悲しみと、嬉しさ。全てが混じった顔を見せる。


「ジュナシアさんの、お父様のお墓があるんですか?」


 固まるハルネリアの後ろから、恐る恐るファレナがそう質問した。彼は感情を動かさず、淡々と話す。


「墓というよりも、ただ石の棺に入れられて並べられてるだけだ。アルスガンドの長は、死んだあとそこにいなければならない」


「何故?」


「さぁ? 昔からずっとそうだったから、としか俺は知らない。アルスガンドと名乗った者全てが、何十人も、何百人もそこにいる。死んだ時の姿そのままで腐ることもなく」


「それ……何だか……」


「同情はするな。侮辱になる」


「す、すみません」


「いいか、そこはお前たちは一歩たりとも入れない。入ろうとすることすらできない。そこに入ることが、アルスガンドの暗殺者になる条件だ。そこに入れない一族の者は皆、入れる者の召使いになる。だから、ファレナたちは村で待ってもらうことになる。いいな?」


「はい」


「何か聞きたいことはあるか? なければ行くぞ。いいか、とにかく蛇と、食物。一切触れるなよ」


「待って。聞きたいことあるから」


「……何だハルネリア」


「その奥って、あの人、いるの?」


「いない。父は死んだ。もうどこにもいない」


「いや、そうじゃなくて……」


「いない。もうどこにもいない」


「……わかった」


「行くぞ。注意しろ。イザリアとセレニアは前を行け。毒蛇をできる限り殺すんだ」


「しょうがないな……」


「わかりました若様」


 振り返るジュナシア。赤いマントが翻る。


 大きく開いた岩の洞窟。時だけで伝説になるであろう、1万年という長き時を経た場所がそこにはある。


 嘗ては村人でにぎわっていたこの村も、今は誰もいない。誰もどこにもいない。


 だがそれでも、戻ってきた。彼らは戻って来た。遥か遠き、故郷に帰って来た。


 赤い剣が光る。青い剣が光る。アルスガンドの村が、彼らを迎え入れた。

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