第30話 歩みの先へ
「いいですか。まずすべての事を相談の上行う必要があります。まずは村長を決め、長たちの中から更に代表を決めます。ここで注意しなければならないのが中立性。いつまでも守られるものではありませんが、兎にも角にも」
都の中央に沢山の人が集められていた。アラヤの国にある全ての村の有力者たちが集まり、大きな板に黒鉛で書かれていく図と字を見ながら皆頷いている。
ただ都のために物を作り、物を送り、ただ生きていたこの国の民。急にその全てが民の手に降りた時、人々の反応は真っ二つに割れた。誰かがうまくやっててくれという者と、自分たちでやらなければならないという者。
隣国はロンゴアド国より派遣された数人の学者たちの下で彼らは一日一日を学ぶ。国を国として存続させるために、民たちは学ぶ。わからないならわからないなりに、彼らは学ぶ。
他国の学を得ようと必死な者達を横目に、筋骨隆々な男たちが次々と馬車に箱を運び入れていた。箱が揺れるたびにガチャガチャと金属音がなっていた。
運び入れているものは刃と鎧。交易品としてロンゴアド国へ流し、その分の資金を得る。交易は外交の要。閉鎖的だったアラヤの国も、少しずつ普通の国になっていっている。
急激な変化ではあっても、それでもついてこれるのは皆がそれを必要だと思っているから。
ロンゴアドへの武具が入った箱の蓋を蹴り開ける女がいた。どこか嬉しそうに、箱の中の刃物を手に取って女は微笑みながら適当に傍にいた男に指示する。
「おいお前、もう五箱、同じ長さの短剣をこっちの馬車に運び入れるんだ。あと、これも欲しい。運べ」
「へい!」
箱から一本短剣を取り出して、それに枯れた大樹に差し込む日の光を反射させている。光に小さく微笑むセレニアの顔が映し出されている。
アラヤの剣は全てが鍛冶師一人一人の作品。短剣一本とってもその鏡ような磨きに、精錬された鉄のしなやかさに、魅了されるものは多い。
それが山ほど手に入る。それだけで、セレニアの口元は緩んでいた。
「イザリアのためにももっと貰っとくべきかな。なぁどう思う?」
「十分だろう。あいつはセレニアのように剣をすぐは投げない」
「そうか? お前がそういうなら……うーん、いやもう一つ貰っておこう。あいつの双剣も欠けてたしな。あの長さのやつを……」
剣を吟味するセレニアに、傍に立つ彼。深紅のマントを枝に掛け、ジュナシア・アルスガンドは口元を緩めて周囲を見回した。
大樹が枯れて日が差し込むようになった都に、その変化に困惑する民、その変化を気にしない民、その変化に喜ぶ民。
人々は皆家から出てみていた。都で作業する人々を見ていた。手伝おうと動く者もいた。汚らわしいと訝しむ者もいた。だがそれでも、もう変わってしまったのだ。深い溝はあろうが、時間が経てばそれも埋まるだろう。
「セレニア」
「ん?」
周りに知った顔がいないことを確認したジュナシアは、セレニアに声を掛ける。いつもよりも感情を込めて、いつもよりも緊張した面持ちで。
「どうした?」
「思えば、俺から何かをやるのは、初めてかもしれないが、いや特に、深い意味はないんだが」
「何だ改まって」
「来てくれ。あまり人に見られたくはない」
「何だ?」
彼に呼ばれて立ち上がったセレニアは、そのまま彼に呼ばれるがまま木の陰に歩いていく。
一歩二歩、周囲より少し薄暗いその場所へ。周囲に人がいないことを、彼は更に確認する。
そして振り返って、突き出す、右手。強く握られたそれを、解くように一本一本指を広げ。
「深い意味はないんだ。ただ、俺が持っていても仕方が無いと思って。今までの感謝の……とにかくセレニアに、やる」
彼の掌の上に乗っていたのは、青い宝石のついた指輪だった。万の月日を経て尚輝く、アズガルズの宝石のついた指輪。かつて、世界を変えた者が愛の証に渡した三つの指輪の一つ。
何気なく渡した指輪ではあるが、見る者が見ればそれは、一国の国宝にもなるほどの宝物。
「お前どこで、こんなものを……?」
「少しな。ほら手に取れ。指に合わなければ、ロンゴアドで直せばいいから」
差し出される手に、輝く宝玉。影に合ってもそれは、青く輝いていて。
少し驚いた顔を見せたセレニアは、いたずらを思いついた子供のように笑って手袋を外し、左手を出した。手を甲を下に、青く輝く刻印を外に。
宝石よりも強く、美しく輝く青い刻印。それを見て、彼は察する。彼女が何を求めているのかということを。
ジュナシアは指輪を手に取ってセレニアの指に向けた。最初は中指、次は小指。
あつらえたようにそれが合う指は一本だけだった。左手の薬指だけだった。
左手の薬指は心の臓と繋がっている。そんな言い伝えがあって。
しょうがないかと、彼は心の中で言った。そうなったのだから、これはこれでいいと、彼は思った。
彼は青い指輪をセレニアの左手の薬指にはめ込んだ。青い刻印の光が青い宝石を照らす。青く青く、どこまでも深く。
「ふふっ……上出来。初めての贈り物がこれだ。イザリアがどんな顔をするかな。ふふ、楽しみだ」
「セレニア。ロンゴアドに戻ったら、一度帰ろうと思う」
「帰る? どこに?」
「帰る場所など、一つしかないだろう」
「……アルスガンドの村に帰るのか? 今更?」
「ファレナ王国の西はあらかた味方になった。ヴェルーナ女王と、ランフィードの手でな。だから、次の手は、ファレナ王国に攻め入るだけだ」
「そんな大事な時に、何故だ?」
「そろそろ、はっきりさせようと思う」
「何を?」
「敵を」
彼は手を伸ばした。木に掛けていた深紅のマントを取ろうと。そしてそれを掴み、木からマントを降ろす。
深紅のマントを羽織る彼。漆黒の衣装に、深紅のマント。羽織るそれは、王の証。
「なぁ、実際お前……王になる気など、ないんだろう?」
「ん……まぁ、な」
「いつ言ってやるんだハルネリアに。あれは、信じてるぞ。私から言おうか?」
「いやそれは……もう少し、あとにしようか。悲しませるのもなんだ、あれだろ」
「ふぅ……変わったなお前。それで誰を連れていく? 私だけか?」
「あそこは……ああなったとはいえ、それでもアルスガンドの隠れ家。一族以外の人間では、長時間いることなどできないさ。だから行くのは、俺とお前だけだ。いや……イザリアもいけるか。オートマタの身体はどうなんだ?」
「知るか。本人に聞け」
「……ハルネリアに聞いてみるか」
深く息を吐くジュナシア・アルスガンド。どこか憂鬱そうに。その肩に手を置くセレニアもまた、どこか気が進まないという風な顔をして。
二度と戻らないと決意して、全てを処理して去ったあの場所をもう一度見る。そのことが、どれだけ辛いことか。二人にとってあそこはもはや、苦い思い出でしかなくて。
「俺は結局……ただついてきただけだ。巻き込まれるがままに」
「そうしたいと思ってやったのなら、それでいいんじゃないか? この世界、自分の意思だけで行く道を選べるやつなど、何人もいないさ。特に、私たちのような人間にはそれは、難しいことだ」
「ああ……そうだな」
「あいつらと私たちは違うんだ。あわせる必要などないさ。したいことをしたいと言える人間が、全てにおいて正しい人間というわけではないんだから」
「……だが、セレニアの指は、ファレナと同じ大きさなんだ。生き方も、何もかも違うと思っても、同じものはあるものだ。だから、見習うことはできるはずだ。俺達も、いい加減あいつの前向きさを見習わないとな」
「うん……お前がそういうなら私は……うん指? どういうことだ?」
「いや、三つあったんだが。あれに見つかって……欲しいというから。一つ……」
「どういうことだ? 三つ? 何が?」
「い……いや、つまり、見習わないといけないなという、ことが……」
「……うん?」
「とにかく、行くぞアルスガンドの村に。アラヤの国で俺たちのできることはもうない。行くぞセレニア。ロンゴアドに戻って話したら出発だ」
「うん……む……あ、お前まさか……?」
速足で馬車に向かう彼を、駆け足で追うセレニア。クシャクシャと、湿った木々が二人の足の下で鳴る。
道はできた。あとは進むだけ。赤色のマントが揺れる。漆黒の髪が揺れる。遠き森の奥で、岩戸に封印された村の中で待つ男が空を見る。
時は進む。時が訪れる。その時まであと少し。彼らは馬車を走らせた。その時に向かって。




