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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第28話 魂の園

 一つが一つ、人の魂。


 集めに集めた数百数万数千数億。無限に思えるそれは、アラヤの国が守護者。その実態はただの人の魂を詰め込んだ木。


 稚拙な魔術だった。苦しみしか与えないような、稚拙な魔術だった。一目見ただけでそれは出来損ないとわかるほどの稚拙な魔術だった。


 言われてみれば誰にでもわかる。ただ魔力の源としてしか用いられない魂。ただの物としてしか用いられない人の源。それは、その術者が他者を物としてしか考えていないことの証。


 生える木は、人の形を創り、木の槍を持って敵を刺し殺す。術者の敵を刺し殺す。都の主の敵を刺し殺す。


 老人の敵を刺し殺す。


 アラヤの大樹の胎の中。ただ自然を愛し、緑を愛し、静かに静かに、死ぬまで静かに暮らすことを願う都の人たちには決して思い描くことができなかった老人の腹の中。


 投げ捨てていた。人を弔うと言い、墓を建てると言い、彼は人を投げ捨てていた。肉体を樹に、魂を樹に、魔力を樹に。全ては彼の一族が都を治めるためのもの。


 確かに、嘗てそこは楽園だったのだろう。一人の女が創り上げた楽園だったのだろう。


 世界中が魔を求め争う中、そこだけは誰も侵入することができなかった。アラヤの一族の血に刻み込まれた印が無ければその地に入れないのだから。必然、敵は入ることはない。


 人を守りたいと願い刻み付けたその印。それは、万年経った今であってもアラヤの民の血に刻み込まれている。


 世界で最も尊きその願い。今や一人の老人の欲望の下に。


 都の人々は皆家に隠れ窓から外を見ていた。また誰か、愚か者が来たのだと人々は達観し、無表情でそれを見ていた。


 沸き立つ大樹。盛り上がる地面。現れる大量の木の人形。その数軽く1000以上。


 全ての人形の顔が入口を見ていた。全ての人形の槍が入口を向いた。


 そこから入ってくるだろう敵を察知して、それら全ては殺意なくただ敵を殺すべく立ち上がった。


 いつも通り槍を伸ばして、いつも通り敵を刺し貫いて、いつも通り都を守ってくれる。


 それを見るまで、当たり前のようにそうなるものだと誰も疑わなかった。


 脚が覗いた。漆黒の脚が。人の形をしながら、明らかに人ではないそれ。


 大樹が揺れた。いつもよりも強く、強く揺れた。アラヤの民の、血に刻まれた印が揺れる。それはあってはいけないと、大樹が、アラヤが叫んでいる。


 それは黒かった。全身が黒く、背には四枚の深紅の翼。赤い眼。その血が持つ色が、その身体に現れていた。


 人の形をしていることが奇跡的。それは歩く。漆黒の魔は世界で最も魔から遠いと言われている大樹の中を歩く。


 一斉に槍を向けた。大樹の尖兵たちは槍を向けた。大樹が叫んでいる。手を出すなと。お前たち如きが手を出すなと。


 全ての魔を超える世界の果て。死の向こう側。エリュシオンの門をくぐった者の姿。漆黒のエリュシオンがその場に姿を現した。


 数千の兵たちは槍を伸ばした。それを刺し貫かんとして、しかしその槍は届くことはない。一瞬で、瞬きよりも速い一瞬で、その槍は粉々に砕け散った。


 漆黒のそれはまだ遠くにいるが、それでも砕け散る。遠くにいるものから砕け散る。


 距離も時間も全て超越し、木の兵は全て砕け散る。出る先から砕け散る。アラヤの大樹の守護者。人の命を詰め込んだだけのそれはあっけなく、いとも簡単に砕けていく。もはやそれにいる意味などなく。


「急ぎましょう。セレニアさんやっぱり、あの屋敷ですか?」


「そうだ」


「皆さん、行きましょう」


 歩く兵たち。先導する黒い魔者。誰が止めることができようか。


 アラヤの兵たちは、都の外からきた自警団たちは気づいた。次々と砕け散っていく木の兵たちはただの傀儡であるということを。現れては砕けるそれは、彼らが向かう先にある屋敷を守るように現れているのだと。


 漆黒のエリュシオンと化した者が振り返った。赤く輝く眼が言っていた。見て来いと。この先にいる者の姿を見て来いと。


 だから歩みは速くなっていく。少しずつ速くなっていく。気がつけば、皆走っていた。


「レーシェル、僕は思ったよ」


「何を?」


「世界は広いんだなって」


 恐怖で震えていた身体もいつか震えが止まっていて。恐ろしいと思ってたこの都の中を、彼らはただ真っ直ぐに走り抜ける。砕ける木の兵を横目に。


 いつの間にか追い越していた。黒い影を。それの傍を通る時に全ての者は感じた。言い様のない恐ろしさと頼もしさを。


 そしてたどり着く。都の中心。大きな屋敷。扉を叩き割り、彼らはその中へと入り込む。


 アラヤの都を支配する老人の家。そこに屋敷を守る者は一人もいなかった。木の兵も生えることはなかった。


 誰に邪魔されることなく進むアラヤの解放者たち。先頭を行くファレナの背に、彼らは続く。大きく小さな屋敷を彼らは歩く。


 バタバタと足を鳴らして、開くこと扉の4枚、そこはあった。光り輝く術の陣の中心、不敵な笑みを浮かべて老人は座っていた。同じような服装をした青年を携えて。


 老人は言った。


「ようこそ。我が国へ」


 その陣は、人の魂を樹に埋め込む陣。人の命を使って狭い国の長となっていた老人は、ただただ勝ち誇ったように笑っていた。


「すまぬな客人たちよ。私がここより離れればアラヤの守護者は消えてしまう。迎えに行きたかったのだがなぁ……」


 太々しく、老人は言った。余裕綽々といった様子で。


 実際余裕があったのだろう。外で何が起こっているかなど老人にはわからないのだから。老人の術はその程度なのだから。


 どこまでも、狭い世界にだけ生きてきた老人。都の長。巫女の宮。


「うぅむ……のぉ我が孫よ。わしに会うに……都に住まわぬ者への手順、これでよかったかな?」


「いいえ、まずは下の者に話を通し、その後数刻待機後に都の洗礼を受けてからです」


「うむ、ということじゃ皆の衆。ああ外来の者もどうせじゃから洗礼を受けてもらおう。どの洗礼が……よいかな?」


「指落し、耳落し、腱切り、血流し、いろいろございますが……この者たちはどうやら宮様を殺さんと欲している模様。先の兵を失ったこともあります。やはり……魂を抜いてしまっては?」


「じゃな。では皆の衆。この陣の中に入りただ安らかに眠るがいい。全ては大樹が為に。さぁ、来るのだ。さぁ」


 老人は手招きをした。その皺の刻まれた手を振り、その場にいる者達を招こうとしている。


 そこにいる全ての者達は動いた。部屋になだれ込んだ。だがそれは、老人の手招きに応じたわけではない。


 大きなその部屋は禍々しく光る陣を中心に。外の民たちは老人たちを囲んだ。誰一人陣を踏むことなく、誰一人宮の元へ行くことはなく。その部屋を彼らは囲んだ。アラヤの兵、アラヤの自警団、そして少年たち。


「ほぅ、思ったよりも入っておったな。さぁどうする? 踏み入らねば勝てんぞ? それともそこで、ただわしを囲んで」


 老人の言葉を待たずして飛んだ四本の短剣。それは少しのズレもなく光り輝く地面に等間隔に突き刺さった。


 角を取る四点。魔力の流れを断ち切る四点。


 消える光の陣。木の兵を操る魂の陣。樹に魂を結び付けていた陣。


 窓が光り輝いた。都が光り輝いた。樹に押し込んでいた魂の光が、空へと浮かび上がった。


 差し込む光は人の命の光、光に照らされて、老人は笑う。自らの術がいとも簡単に破られたことに腹も立てず、苛立ちも見せず、ただ老人は笑う。


 驚いた顔を見せる老人の孫とは対称的に、一つも表情を変えない老人。狭き都であったとしても、長としての矜持を彼は、確かに持っている。


「魔の流れを見る眼。アラヤの民が失った、巫女が持つと言われた瞳。そうか、そこな娘はアラヤに連なる者か」


 煩わしそうに老人の言葉と視線を躱して、短剣を投げたセレニアは背を向ける。その背を見て、老人は一層笑った。


「主らぁ、ワシを殺す気か? この国がそんなに欲しいか? うん? そこな童、どうじゃ。この国を欲するか? うん?」


 語り掛けられた少年の一人は、その問いかけに答えることなどできず。


「都に籠っていれば、誰も死ぬことはない。外の者は確かに、外敵が来れば真っ先に死のう。だが、アラヤの血は都さえあれば消えることはない。何故それがわからん。大事なのは、アラヤが血を絶やさぬことであるぞ」


「……宮様、おひとつ、ご質問をよろしいですか」


「おう、主の名は?」


「アラヤの外村が出身、ランドと申します。姓は、まだ許されてません」


「ああ、都に記載されておらん者か。本来ならば直接話など許さんが、まぁよいか。話せ。聞こう」


「外の……都の外の、様子は知っておりましたか?」


「外? どの件じゃろう?」


「東国に村々が攻め落とされ、民が奴隷とされてしまったことです。あの時……思えばあの時です。一兵でもくだされれば自警団は決して汚れることなく……」


「ああ、あの件か。話は聞いておるが、先のわしの言葉わからんかったか? いいか若者よ。都の外は、都の盾なのだ。例え全て奪われアラヤの大樹が無数の敵に囲まれようともな。アラヤの血は絶えんのだ。随分苦労したようだが、まぁ、それは仕方ないということだな」


「アラヤの血とは……何なんですか。そこまでして守らねばならないものなのですか?」


「アラヤの血は、万年続く偉大なる血。確かに、古のように魔の瞳も失われ、残るは肉に宿る治癒のみ、時を重ねるということはそういうこと。古の血を万年そのまま残せることなど奇跡よ。だが薄いと言えども、それは人という種を超えた血。残さねばならんのだ」


「……しかし、人々は苦しんでいます。都が一切の援助をしないことで、外の村々は貧しく、国を捨てる者もいます。血を守るためとはいえ、何故こんなことを」


「馬鹿者が。なんど言わせる。ふぅ……それで、結局どうしたい? この国が……欲しいか? ガキどもが、そこな小娘どもにそそのかされて国盗りを企んで、見事ここまでこれた、と。ふぅー……くだらん。自分という物が無いのかお前たちには」


「ぐ……」


 全てを抑えつけた張本人がそれを言う。そのことに、誰も何も言い返せず。


 兵たちは円を開けた。窓の外には依然として命の光が空に昇っている。


「どうやってこれほどの魂、集めたのですか?」


 聞いたのはファレナ。純白の鎧を着て、一歩彼女は前に出る。


「病い、人の形をせず生まれた者、この国をどうにかせんと欲した馬鹿ども、生きる価値の無くなった者たちの悉くを樹に埋めた。先代の、先々代の、そのまた前の代の、永遠と続く都の長、宮の仕事の一つじゃ」


「何のために?」


「都を守るために決まっとろうが娘。アラヤの民を守るための、偉大なる守護者となるためのな」


「そうですか? それじゃあ、どうして都の兵まで殺したのですか? その守護者さんは」


「それは、うむ、民を守るために、そうしなければならんと判断したのだろう」


「……何故、アラヤの国に、兵がいるのですか?」


「……何?」


「ずっと考えていたんです。だって守護者さんがいるのでしょう? でしたら、兵などいりませんよね。私あまり賢くないので、教えて欲しいのですけど。兵力としてはわざわざ人を配置しないでもいいですよね?」


「それは、うむ……」


「……人の魂は、物に封じ込めない限りそれだけでは消えてしまうと言います。向こうの世界、魂のあるべき場所へと消えると言います。もしかしてですが、あなた、アラヤの兵数百人は切り札、だったんじゃないですか?」


「……何が言いたい?」


「術式がこうやって破られて、外では次々に魂が向こうの世界へと消えていく。この状況になっても自分を助けてくれる何かをすでに兵に使ってるんじゃないですか?」


「…………ほぅ」


「何かはわかりませんけどね。でも、それこそあなたが、アラヤの民よりも自分を大切にしてる証。難しいことばっかり言ってますけど、結局、そうなんですよね」


「なかなか……面白い」


「……なんて、まぁその、実は知ってたんですけどね最初から。ここには元都の兵もいます。使ってみます? 命のストック。奪ってみます? 民から魂。それであなた、死ななくてすみますよね。強くもなるんでしたっけ?」


「なんだと?」


「こんなに年寄りになって、こんなにわかった風なこといって、切り札は、自分の命を救う術。あなたは結局、自分がこの都で一番大事なんです。人の魂を弄ぶただの死霊魔術師。それがあなたの正体」


「何をいうか小娘、そのようなこと……知っていた? どういうことだ?」


「彼女、セレニアさんっていうんですけど、魔術の仕組み、えーっと術式の解明でしたっけ。得意なんですよね。簡単だったみたいですよ解除も。そもそも魔術の陣を使うってのがぁ下手な証拠の……あはは、まぁ、そこは、いいですよね」


「そんなはずは! ぬっ!」


 立ち上がり、すぐそばにいたアラヤの兵に向かって手を向ける。一度、二度。こんなはずはないと。三度、四度。


「残念でしたねおじいさん。皆さん、捕まえちゃってください。殺しちゃ駄目ですよ老人ですし、何をしたか、何があるのか、全部話させなきゃいけません。さぁ、どうぞ」


「待て、わしが宮だぞ! わしが都だぞ! 寄るな貴様ら!」


 老人に、その孫に一斉にかかる若者たち。彼らはあっという間に二人の腕を捉え、あっという間に縛り上げていく。


 窓の外、光はまだ上へと登っていく。何年、何十年ためたのだろうか。数万数億の魂が樹から出て消えていく。


 その光の中、深紅のマントを腕で払い立つ男がいた。彼は消えていく人の命の結晶を見ながら、静かに立っていた。憐れむように、弔うように、ただ光を眺めながら。

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