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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第24話 歪の国の住民に救いの手を

 想像を絶する光景を目にした時、人は様々な反応をする。


 動けなくなる者。叫ぶ者。嘆く者。


 彼は、真っ白になっていた。目の前の光景が夢のようで。ありえないと言いたくて、ありえないと思いたくて。


 アラヤの大樹、その大樹が創る木の人形は、フラフラと左右に揺れながら木の槍を伸ばす。木の槍は長い長い枝のよう、右に左に触手のように曲がり、次々と人を殺す。


 真っ直ぐに、人を殺すためにそれは動く。それはアラヤの守護者。人々が苦境に立った時に現れる巫女の尖兵。人々の救世主。


 だがそれも、結局は外から見れば魔の尖兵。世界で最も魔から離れているはずのこの国の、自然の象徴であるこの国の、アラヤの大樹が創るそれは、正しく魔そのもの。


 喰っていた。その樹の兵士たちは、人を喰っていた。


 飛び散る赤い水。千切れる何か。


 赤色の中に見える白い何か。黒い何か。黄色い何か。


 解体されている。人が解体されている。樹に解体されている。


 どんな植物であれ、その身体を維持するためには養分が必要で。天を衝くほどの巨大な大樹ともなればその量は膨大で。


 故に大樹の尖兵たちは人を喰らう。それはあまりにもおぞましくて。


「すみません。もう死んだ人は救えません。あなた、お名前は何て言うんですか?」


 この光景を、何故この人はこんな冷静に見れるのだろうか。


 ランドは赤い旗を握る女性の言葉に答えることはできなかった。言葉を忘れたように、口を開いても何も言えなかった。


「わかりました……出ましょう。お話はそこで。リーザさん前切り開いてください! セレニアさんのとところまで!」


「お任せを! ネーナあんた死にたくないんなら手伝いなさいよね!」


「……今だけだから」


 駆ける二人の女騎士たち。その動きは俊敏で。紙一重で木の槍を躱しながら次々と木の人形を切り裂いていく。


 幸運なことに、大樹の兵は形を失ってもすぐには再生しない。次々と、次々と同じ形の人形が増えはするが、壊れた人形はそのままなのだ。


 だから切り開ける。押せば開く。


「行きましょう。旗の下にいれば木の枝が刺さることはありません。リーザさんたちが疲れる前に、抜けます」


 駆けだした旗持ちの女性。その白い手がランドの手を引く。


 後ろは大丈夫かのかと、ランドはふと気になって振り向いた。振り向いた先に、彼がいた。


 深紅のマントの男。赤と青の剣を握って、まるでそこに来るとわかってるかのように、するすると木の槍をすり抜けてアラヤの守護者を解体する男。


 涼しげなその顔。一切の疲れも見せず。次々と木の兵を解体していく。


 時に短剣を投げ、時に剣を振り、時に蹴りを繰り出し、赤い線を残して次々と敵を倒すその様。圧倒的なその様は、ランドにどこか安心感を与える。


 彼がいれば、後ろから襲われることはないのだろう。ランドは少しだけ気を取り直して、旗の女性に引かれるがまま走った。


 不思議な光景だった。全力で走っている。それだけで正面にいた木の人形たちは壊れていく。壊されていく。


 ランドは思った。何故旗を持つ彼女は全力で走れるのかと。もし万が一旗を落とせば、もし万が一自分の正面の兵が壊れなかったら、この走りはただの自殺行為にしかならない。


 目の前の人形が砕け散る。片手で剣を、片手で魔術を。器用に左右入れ替えて次々と大樹の尖兵を倒していく赤い髪の女騎士。


 そしてもう一人、澄んだ眼でアラヤの刀剣を振う女騎士。鞘の中を走らせて、最高速度のまま抜刀と同時に斬る。アラヤ式剣術の極致。今では誰も伝えることのないはずの剣技。


 後ろ。もう遠くなってしまったが一体も敵が迫ってきていない。あの男が、全て抑えているから。


 先ほどまで感じていた絶望感。閉鎖感。気がつけばそれらは薄くなっていて。


 全てが流れるように。空気が流れるように。無人の道を進むように。彼は走る。白い手に引かれながら。


「あっ」


 どこまで走っただろうか。唐突に、突然に止まった。全てが止まった。


 彼らの脚が止まったのではなく、その周りが止まった。


 景色が少しだけ白んでいる。木の槍が空中に止まっている。


 遠く。大樹の入口の近く。止まった時の世界の中を、誰かが黒い髪を揺らして立っている。鋭く、冷たく、漆黒の瞳で彼女は見下ろしている。


「止まらないでください! リーザさんたちも急いで!」


「こ、これは……?」


「お話はあとで!」


 跳ぶ。走る。躱す。目の前の止まった木の槍を避けながら、走り続ける。


 止まった時の世界は全てがそのままで。全てが破壊できない物に変わる。


 走る。走る。走る。どれだけ走っただろうか。息が切れて頭が止まったその時に、眼の前に広がったのは木漏れ日の差し込む暗き森だった。


 人が並べられている。人が積み重ねられている。殆どが生きてはいるが、負傷していないものはいない。


「まだいるのか?」


「いいえ、セレニアさんもう大丈夫です。魔力の方は大丈夫です?」


「大丈夫」


「それはよかったです」


 大樹の尖兵は、木の人形。大樹の外には決して出ない。


 大樹の外に出ればもう襲われることはない。それに気づいた時、ランドは剣を鞘に納めて座り込んだ。そして自分の腕をつかむ。混乱する頭を戻すように。震える身体を抑えるように。


「ランド!」


 そんな混乱の中にあった彼を呼び戻したのは、よく知る女性の声だった。彼は飛び跳ねるように立ち上がり、声の方へと駆けた。


 いた。倒れる人達に囲まれて、その女性は座っていた。片腕から血を流しながら。


「レーシェル! よかった生きてた!」


「それはこっちの台詞だ馬鹿! お前先頭だったのによく!」


「よかった本当に……レーシェル、怪我してるのかい?」


「ちょっと切っただけだって。派手に血は出たけど、縫う程じゃないよ」


「そうか……よかった……」


 微笑むレーシェルの顔に、手を伸ばして。ランドはそのまま彼女の傍に座り込んだ。


 彼は周りを見た。倒れているのは数十人。アラヤの自警団たちもいるが、そのほとんどはアラヤの兵。都を守る正規の軍。


 そして気づいた。結局自分たちは、自国民同士で、仲間同士で殺し合っていたんだということに。


 助かったという安堵感と同時に訪れる虚無感。一体自分は何をしていたんだという、虚しさ。


 落ちる心を叩くかのように、突然音が鳴った。大きな音だった。彼はその音に反応した。


 大樹の入口から大きな何かが飛び出してきた。それは、先ほどまで自分を襲っていた木の人形。大樹の尖兵。


 それは勢いよく外の樹にぶつかり、粉々に砕け散った。人形が飛び出してきたあと、悠々と出てくるのは深紅のマントに身を包んだ男。


 漆黒の瞳に漆黒の髪、赤と青の双剣を両手に、傷一つ負わずにそこからでてきた男は双剣をクルクルと回し、そのまま鞘に剣を納めた。


 マントに着いた木片を払っている彼。傍にいた黒い装束の女に一言二言交わした後、彼はランドの方へと歩いた。


 男が持つ威圧感。ランドは、そしてその傍らにいたレーシェルは、彼から眼を離すことができなかった。


 目の前に立つ。漆黒の男。いつの間にか旗を持っていた金髪の女も、男の傍にいた。


「ずっと見ていた。この国を知ろうと、俺たちはずっと見ていた」


 男は見下ろしている。ランドを、レーシェルを、アラヤの国の兵たちを見下ろしている。


「結局わからなかった。お前に聞いても、それでもわからなかった」


 男は、怒っていた。何故怒っているのかはランドには理解できなかったが、それでも怒っていることは理解できた。


 レーシェルは固まっている。男の冷たい眼に、指一本動かせなくなっている。


「お前たちはわかっているのか? お前たちは殺したんだ。同じ国の、ただ扉の前にいただけの、ただ言われるがまま扉を守っていただけの男たちを殺したんだ。わかっているのか? お前たちは、無意味に人を殺したんだ」


 ランドは思った。そんなことはわかっていると。だが言い返せなかった。殺してしまったことはわかっているが、何故殺したかは説明できなかったから。


 自分の手で殺したのに、自分の意思で殺したわけじゃない。その違和感。その嫌悪感。ランドの表情は、見る見るうちに青ざめていった。


「暗殺者ごときの言葉だが、聞け。人を殺すときは、殺すに至る意思を持て。さもなければ自分で自分を殺すぞ。もう手遅れかもしれないが、それでも心に刻め。お前は生きているのだから、人の死を無意味にするな」


 それだけ言い残して、彼は背を向けた。冷たい言葉だったが、どこか温もりを感じる言葉だった。


 レーシェルは黙っていた。ランドも黙っていた。二人はもう何も言えなかった。


「私はファレナ・ジル・ファレナ。本当は、介入するつもりはありませんでした。彼が、国には国の、思想というか、そういうのがあるから、無意味に手を出す必要はないと言いましたから。私もその通りだと思いましたから。こっそりと巫女様に会って帰るつもりでした」


 アラヤの兵の胸当てを外して、ファレナと名乗ったその女性は優しく二人に話しかけた。座り込んで、彼らと同じ視線で。


「でも、ほっとけません。もうほっとけません。私たちはファレナ王国から世界を解放する者です。すみませんが、あなたたちを使わせてもらいます」


 立ち上がるファレナ。伸びる白い手。ランドを助けた白い手。人々を守る白い手。そして――


「この国は、壊れるべきだと思います。ファレナ王国の支配、都の支配、自警団たちの支配。どれであっても誰一人幸せになれる支配ではないと思います。だから、壊すべきです。壊して、作り直すべきです」


 アラヤの国を壊す白い手。


「私これでも王族でしたから、ちょっとイメージ悪いんですけど。革命ってやつですかね。市民の、皆さんのための革命。毒をぜぇんぶ絞り出します。まぁ意外と簡単だと思いますよ。リーザさんが言うにはですけど」


 何がしたいのか。何をしようとしてるのか。ランドは知る由もなかったが、それでも思った。その伸びる白い手が、きっと何かを変えてくれるのだろうと。


 だから手を取った。正直なところまだ彼自身、何をしたいのかということは考えれてなかったが、それでも思ったから。今を壊してしまいたいと思ったから。彼は手を取った。


 アラヤの国の解放は、きっと今を壊すことから始まるのだろう。歪みを正すには、それを一度砕くのが手っ取り早く。


 白い手をしたファレナは、優しく微笑んでいた。

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