第22話 歪みの国の青年
最初は、ただの交流だった。
ファレナ王国は世界最強の騎士団を持つ大国。その国が求めてきたのは、アラヤの技術。
アラヤの国は世界から隔離された国。その国の文化は、技術は、術は、世界にも類をみない。
ファレナ王国の代表は、言葉巧みに、大量の金を持ってアラヤの国に技術の解放を求めた。その求めを、国の長である宮は一蹴した。
技術提供はしない。その他の協力もしない。黙って手ぶらで、帰れ。
傲慢な答え。だが、世界の中心であるアラヤの都の長にとっては、当たり前の答え。
老人はその答えで、ファレナ王国の者達が悔しがり、苛立ちを持って国へ帰ると考えた。老人は、そこまでしか考えることができなかった。
当然、それで終わるわけがない。
そこからは早かった。ファレナ王国はあっという間に国境沿いの村を制圧し、そこにいた者たちすべてを見せしめに殺した。50人足らずの村人が全員殺された。
普通の国家ならば、迎撃のための兵を送ることだろう。報復のために軍勢を送ることだろう。
だが老人は言った。それがどうした、と。
そして放置した。アラヤの村々が蹂躙されていくのを、老人は放置した。
老人にとって、アラヤの国にとって、都の、アラヤの大樹の外は蛮族の住む地。都の外の者はもはや人にあらず。ファレナ王国は老人のその考えに、アラヤの国のその思想に考えが及ばなかった。
三つほど、村を滅ぼしてから思う。ファレナ王国のアラヤの国担当の騎士は思う。これではこの国を支配するのに何年かかるかわからない、と。
都は隠蔽され、アラヤの国民以外では見つけることができない。例え見つけることができたとしても、一度敵対した者を樹が体内にいれることはない。
だから取り込んだ。アラヤの国の、都を恨む者達を取り込んだ。志に溺れる者達を取り込んだ。
そして教える。支配者の悦び。どんなに高い志を持っていたとしても、堕ちてしまえばそれはただの建前になる。
強く何かを求めるということは、どんなに綺麗なことでも、どんなに素晴らしいことでも、ただの欲である。欲望に終わりなどはない。一度何かを得てしまえば、執着というものでさらに縛られる。
男の欲望。支配、肉、女、酒。彼は溺れていた。30に満たない若者である彼は、そのすべてに溺れていた。溺れて、もはや現実を見ていなかった。
「アラヤの国が……俺の物になるんだ……ふふふ……巫女様ってどんな女なんだろうなぁ……さぞかし綺麗なんだろうなぁ……」
馬車の上で脚を組んで、男は笑う。アラヤの国、自警団団長ヒュリナス・サラドガ。仲間の前では決して見せないその醜悪な顔。国を売り渡した愚かな男。
「団長」
馬車の幕が上がる。ゆっくり走る馬車の後方から、駆け足で兵士の一人が馬車の覗く。欲に溺れたヒュリナスの顔は、一瞬で真面目な団長の顔になり、兵士の方を見た。
「どうした?」
「大樹が揺れています。このままの陣形ですとファレナ王国騎士団の者達に被害が及びます」
「そうか、わかった。自警団を前に出してくれ。ランド君を先頭に。俺たちが彼らの盾になるんだ。アラヤの大樹は、俺たちを決して襲いはしない」
「わかりました。それではランド隊長を前にします。団長の馬車も前に出します」
「うん? ああ……いや、俺は中央にいる。全体を見回したいからな」
「わかりました。ではそのように」
「うむ、頼む。もう少しでアラヤの国を変えられるぞ。頑張ってくれ」
「はい」
幕が下りる。ヒュリナスの顔に影が掛かる。馬車を操る男の背を見て、ヒュリナスは顔を歪ませる。この国の長となることを夢見て、顔を歪ませる。
美しかったはずのその夢を、醜いその心で思い描いて。
自分たちの狭い宮殿を守りつづける老人たち。自分たち以外を守らない老人たち。ひたすらに変革を拒絶した老人たち。
それに嫌気がさした若者たちは一人、また一人とこの国を去っていく。残ったのは、出ていけなかった者達。
この地が大事な者、家族が、友人が捨てられない者。
実際のところこの国は国として名乗ってはいるが、国ではなく、集落に近い。
誰が支配するか、どう支配するか、どう政を行うか。その全てがこの国では曖昧である。
ただありのままに。自然のままに。アラヤの大樹の中で産まれ、そして死ぬ。この生涯を、永遠先の時代まで。
そんな植物のような思想は結局は、選民以外で叶える手段などなく。選民は、格差は、搾取によって生まれるものであり、搾取を正当化するためには、それが当たり前だと刷り込む必要がある。
行き着く先は人を操る信仰。アラヤの国は、建国の雄であるアラヤの巫女を信仰する宗教国家である。刷り込まれ続けて数千年。都が村々を蔑ろにすることに不満をいう者はいても、財産を巫女に捧げることに不満を言う者はいない。
命を削ってでも、巫女へ物を送り続けるのは当たり前。実際のところそれは重税に他ならないのだが、この国に住まう者達は誰もそれを税と認識していない。
歪。この国を出た者は皆それに気づいている。この国は、歪んでいる。
この歪みに気付いたヒュリナスは、間違いなく賢人で、英雄だった。それを正そうとして自警団を結成した彼の想いは、確かに正しかった。
アラヤの国を国にしようとする彼の思想。彼の意思。ファレナ王国騎士団の人間に汚されるまでは確かに、彼は救国の英雄だった。
だからこそ彼らは信じていた。ヒュリナスのすることを、いうことを、妄信的に信じていた。
「やっと! やっとこの国が変わるんだ! あぁもう! わくわくするなランド!」
「ああ……そうだね。確かに、胸がこう、熱いよ。でもレーシェル。さすがに剣を抜くのは早いだろ。もう少し我慢しなよ」
「我慢なんかできるか! やっと来たんだぞ! あー……すごいなぁヒュリナスさんは。憧れるなぁ。こんな大軍を準備できるなんて、父上の代からは考えられないぞ」
「ほとんどファレナ騎士団だけどね……」
「鉱山の人たちも、鍛冶場の人たちも、協力してくれたんだ。成功させないといけないぞランド。都を落とせれば豊富な畑も得ることができる。みんなお腹いっぱいになれるぞ。ふふ」
「協力、か。言い方だよね……」
「宮に鉄槌を! 私たちは人々を守れる国を創るんだ! どんなに苦しめられても、見捨てずに人々を守る国を創るんだ! よぉし頑張るぞ! もっとこの国を強くするぞ!」
「……ああ」
女剣士であるレーシェルは、隊の先頭で馬の上で剣を掲げている。誇らしげに、嬉しそうに、後ろに続く百名を超える軍勢の先頭で彼女ははしゃいでいる。
この国は歪んでいる。
ヒュリナスはファレナ王国の手で欲を植え付けられ、自分が生まれたアラヤの国を世界に連なる大国にしたいという夢を歪められ、今やただ自分が長になることしか考えていない。長になって贅沢をすることしか考えていない。
都の老人たちは都の、大樹の外の情勢には目もくれず、どれだけ国民が死のうがどうでもいいことと切り捨て、ただ先人たちが創り上げた大樹の在り方を守ることだけしか考えていない。外からの貢物が無くなれば都も今まで通りではいられないのに。そこには頭が回らない。
一歩でもこの国を出れば、それは幼稚で、簡単なことで、子供でも気づくだろう歪さ。しかしながらこの国にいる者は誰も気づかない。どうしたらいいかということを考えすらしない。
この国は間違いなく滅びへ向かっていた。そしてその滅びの先にいるのは、世界の覇者となったファレナ王国。
子供のようにはしゃぐレーシェルを、ランドは冷静な頭で見ていた。袋小路へ自ら足を突っ込もうとしているような、不思議な息の詰まり。それが彼にはずっとあった。
結局この国を救う手段は何なのだろうか。この国でただ一人、ランドだけがそれを考え続けていた。このわけのわからない焦燥感と、息苦しさを解決してくれる何かを、彼は求めていた。
ふと、彼の耳に声が届いた。女の声。小さな声。
彼の真後ろを行く馬車の中から聞こえる。
「あの……胸元とか、お腹回りとか、きついんですけどやっぱり。脱いでいいですかねこの鎧……」
「駄目ですよ……思ってたんですけどまた太りましたよね間違いなく……やっぱりヴェルーナでぐーたらしたから……」
「そ、そんなことは……!」
「もう、静かにしててくださいよ。バレたら面倒なんですから。肩のベルト緩めますから背中向けてください」
「はい……」
馬車から漏れる声を、不思議な顔をしながらランドは聞いていた。首を少し傾げて。彼は前を向く。
原始のこの国を、前に進める手段を皆はき違えて、ただ争いは始まる。自国同士の争いが始まる。
アラヤの大樹は大きく揺れる。木々の葉から落ちる大きなしずくは、大樹の涙のようだった。




