第15話 国の奴隷
そこは確かに、繁栄した町だった。繁栄した国だった。その過多あれど、人々は確かにその国では幸せだった。
人を守るために、国を守るために、王は決断した。
生きるために、生き抜くために、王は決断した。
王は、強大な力に服従する道を選んだ。
その結果、確かに国は救われたが、大切なモノをこの国は失った。
それは自由。生きる自由、生かす自由。
王はやむを得ない理由があったとはいえ、人々から奪った。金を、食料を、自由を、命を。
皆を生かすために死なせた。守るために死なせた。明日のために、今を殺した。
結果として残ったのは、この町の風景。世界でも屈指の、繁栄した国であったロンゴアド国の王都は今や混沌の中に。
町を彩っていた商店の数々、様々な品物が並んでいた軒先には今や何もない。
ここにいれば世界中の料理が食べれると評判の飲食店が並ぶ通りは今や虫と鼠の楽園になっている。
常に婦人たちが集まって話す声が聞こえて来ていた居住区から聞こえてくる声は、子供が泣く声だけ。
廃墟のようなこの光景。生きているということが苦にしかならないこの光景。力強かったロンゴアド国など、もはやどこにもない。
この光景をもたらしたのは確かに他国のせいではあるが、この光景を許したのは国王なのだ。
この光景は、国王の決断によって作られたのだ。
――明日のために、今を捨ててはいけない。
その言葉が今になって胸に突き刺さる。王の胸に深々と突き刺さる。燃え盛る城を背にした王の胸に、深々と突き刺さっている。
自分たちを逃がせと叫んだファレナ王国騎士団の騎士を皆殺しにしても、それでも王の心は晴れない。
町のいたる所で叫び声がする。ロンゴアド兵団の兵がファレナ騎士団の兵を囲み、逆に囲まれ、町のいたる所で殺し合っている。
戦闘に巻き込まれて死んだ民も一人は二人ではないだろう。正しくこれは惨劇。多少の犠牲はやむを得ないと決心して攻め入った一人の女によってもたらされた惨劇。
王は苦しかった。そして怒っていた。
この光景は自らが招いたものではあるが、だがそれでも、愛しき我が国である。少なからず憤りの心を抱いてしまうのは仕方のないこと。
赤い旗を片手に、決意の籠った眼で自らを見ている女がいる。純白のドレスに純白の鎧。黄金色の髪。返り血の一つも浴びず、そこに旗を持って立っている女がいる。
その女が、真っ直ぐに自分をみている。この町を戦場にした女が自分をみている。
ならば
「そうだ正しい! 貴様らは正しい! だが、認めれん! さぁ覚悟を見せろ! 我が首をとってみせろ! 我は王なり!」
左右から飛んでくる二つの黒い塊。二人の暗殺者。
剣を首に突き立てんと、二人は真っ直ぐに飛び掛かってくる。右にイザリアの双剣。左にセレニアの短剣。
右から左、王の剣はゆるやかな曲線を描いて、それしかないという動きでイザリアの双剣を払い、セレニアの短剣を落とした。腕力の差か、たったの一撃で二人の暗殺者はその突進を止める。
突然セレニアの身体が真後ろに跳ぶ。一気に逆流する胃液、口元から飛び出るそれを眼で追って、そしてセレニアは気づく。蹴られたことに、気づく。
黄金の脚。セレニアを蹴り飛ばしたその勢いのままに、王は反転し剣を振る。イザリアの首を取らんと真上から振り落とされる。
雷光を纏った剣、受け止めればたちまち黒焦げになってしまうだろう。
イザリアはそれを視て、身をよじった。ギリギリ雷光が肌に触れない距離、ギリギリ自分の間合いから外さない距離。そのギリギリで、銀色の剣を躱す。
一回転、イザリアの右手の剣を回し王のガントレットの上へ。王の腕を止めて、左の剣で王の首。
イザリアの剣は迷いなく、王の首を襲う。如何に全身を鎧で包んでいると言えども、肝心のヘルムを装備していなかった王にとって、それは当たれば致命傷。絶命に至る剣。
だがその剣は、虚しく空を斬る。斬ったのは王の髪の毛数本だけ。王は屈んだのだ。
そのまま王はぶつかる。肩口からイザリアの身体に。鎧込みで、圧倒的体重差である。細身のイザリアは容易くバランスを崩す。
拘束が解かれた王の剣は、雷光を発し左から右へ、大きく弧を描いてイザリアの身に迫る。その光景を視てはいるが、イザリアは反応できない。
アルスガンドの長が得意とする未来視。見た光景を経験で先へと進ませるその技術。相手の動きの先が視えるその技術。
それをもってしてもイザリアは反応できない。雷光を発した王の剣は完全に彼女の身体を捉えていた。
だがそれでも、彼女は一族の中でも屈指の実力者。当たることがわかっていれば、当たってもそこまで影響のないようにするだけ。
双剣を並べ、自らの身体の前に突き出す。王の剣はそんなものでは威力を殺すことなどできない。
結果として、両の剣を粉々に砕かれ、両腕に剣を喰い込まされたイザリアは王の剣の勢いのままに投げ捨てられる。飛んだ先は壁。
壁を身体で叩き壊し、イザリアは口元から血のような液体を吐き出した。オートマタの身体とは言え、中身は生身と同じ構造。血を吐くということは内臓にダメージがあったということ。
「強い……師父よりも剣の腕は上かもしれない……」
イザリアは思わず口に出した。それほどに王は強かった。
どんなに強靭な肉体とは言えども、こうなってはすぐには動けない。
これが、どれほど意味があるのか。
これに、どれほど意味があるのか。
王はここで討たれるために、剣を振っている。死ぬために剣を振っている。
振う必要のない剣を振っている。
「ふざけるなよ……死にたいなら、自分で絞首台に行け……自分で首を括れ……自殺するのに人の剣を使うな……卑怯者め……!」
よろよろと起き上がり、震える声で言葉を繋ぐセレニア。両手を背に、前に屈み、起き上がると同時に両手に現れる短剣数十本。
刃の山のようになった両手を後ろから前へ、全身のばねを使って振るセレニア。数十本の刃は光の線となって飛んでいく。弧を描き、正面全てを覆って、飛んでいく。
前から降り注ぐ刃の雨。王は銀色の剣を持ってそれに向かう。王の顔は、何故か笑みを浮かべていて。
「そうだ」
大きく振り下ろされる銀色の剣。雷光を纏って暴風のように叩き付けられる剣圧。一気に10以上の刃がそれに叩き落される。
落としきれないものは寸前で躱して、王は笑う。自分の目の前を飛んでいく刃の雨の中、笑う。
笑っている。
「その通りだ。余は卑怯者だ。この国をこのように変えてしまった余は、それでも最期を飾りたいと願っている。誰も余に共感などできぬだろう。見苦しいと、皆口を揃えて言うだろう……それでいい、それがいい」
聞こえる。周囲の音。国の音。人々が叫ぶ声、人々が泣く声。
「余はこの国を終わらせてしまった。もっと前に選択はできたはずだった。頭を下げる前に選択はできたはずだった」
笑って、泣いた。王は笑いながら泣いた。自虐的に笑って、悲観して泣いた。
「絞首台……その選択は民が決起してこそ意味がある。だが今はこの国は攻められているのだ。貴様に、ファレナ・ジル・ファレナ。アリア女王の写し身たる貴様に我が国は攻められているのだ」
王は剣を向けた。赤い旗を向けられた。王国は侵略された。
「ならば絞首台に立つ選択はできん。いいか……! 余は王である。貴様らが、貴様ら小娘どもがどれほど策を練ろうとも、どれほどこの国を正そうとしても、結局は小さな小さな反逆に過ぎない」
声を上げる。剣を向ける。
「……何故待てなかった! 何故動いてしまった! これでは貴様らはここで終わってしまう! 世界中へ戦線を広げることなどできはせん! 何故余を救うなどという無駄なことのために! 急いでしまった!」
世界の混沌、剣以外で正すことなど。
「何故甘さを見せた! これでは……これではなぁ! どこまで行ってもアリアの掌の上だぞ! この……馬鹿者どもが! 次は、次はどうするつもりだ!? 戦うだけで解放などはできんぞ! お前がロンゴアド国を奪ってこそ次の足掛かりになるのだぞ!」
王の口元から血が一滴落ちた。血を吐いている。王は血を吐いている。
ファレナ王国と、アリアと交わしていた契約。絶対服従。王はそれを破った。魔術で躱された絶対的な契約。それを破れば死ぬという契約。
「殺せ……余を力でねじ伏せろ……一度しか機会はない。余が一人で死んでは、意味がない。余の剣を叩き折り、そして余を討て。この国を、奪え。奪うのだファレナ。アリアが行ったことを、次はお前がやるのだ。そしてこの国を使って、世界を救え。さぁ……さぁ!」
「ああ……」
赤い旗を地面に刺して、ファレナは声を上げた。彼女は、そしてこの場にいる全ての者は理解した。
王は死に場所を求めて剣を振っているのではなく、協力しているのだ。自分の最期を使って、ファレナに協力しているのだ。
ファレナたちには拠り所が無い。ヴェルーナ女王国に匿われているとはいえ、その女王国は復興のために殆ど動けない。戦力も限られている。そのような集団が、自分たちが救ってやると声高々に叫んだところで所詮は小娘の戯言。ただの遊戯。
確かにそれで世界中を回り、次々に町を解放すればいつかは名声もついてくるだろうが、いつかを待つほど時間はない。
王は、それを知っていた。だからこそ、王は剣を向けた。だからこそ王は言葉を向けた。
「この国を、解放者の国として、世界に名乗りあげてこそお前の言葉は……!」
しかし、それは――
「国王陛下。あなたは、一つ勘違いをしています。大きな大きな勘違いをしています」
「むぅ……!?」
「だからこの国をあなたは救えなかったのですね。だからあなたは、この国を滅ぼしてしまったのですね」
「何……だと? 何を言っているファレナ・ジル・ファレナ」
「私が教えてもいいのですが、ああ、もっとふさわしい人がいましたね。ではお任せいたしましょう。さようなら、国王陛下。あなたは確かに、愚かな王でしたが、それでもあなたは見事に王でした。私はあなたを、一生忘れることはありません。さようなら。国の王様。国の、奴隷」
もう、何も言うことはないと、ファレナは背を向けた。赤い旗を翻して、歩き出した。
ファレナとすれ違うように、一人の男が歩いてくる。男は決意を込めて、剣を抜く。
顔を向ける。その眼を真っ直ぐに、王に、父に向ける。
ランフィード・セイ・ロンゴアド。ロンゴアド国第一王子。国王陛下の一人息子。彼の剣に雷光が走る。
「ランフィード……」
「父上決着をつけましょう。本当の、決着を」
血が落ちる。王の口元から止めどなく流れる血が顎を伝わり、地面に落ちる。
気づけば、町から聞こえてくる音は小さくなっていた。王都での戦いが終わろうとしていた。
決着を。今に決着を。
二人の男は互いに雷光を纏い、剣を構えた。




