第14話 王
黄金の山、黄金の海、黄金の空。
そこにあるのは、人の欲。人の目標。
黄金色の欠片を必死に集める男たち。袋に、木箱に、両手に。溢れんばかりに黄金を掴む男たち。
外から声がする。人々が叫ぶ声、争いの音に交じって、様々な人の声が混じって、国を覆っている。
王城が宝物庫で、黄金を漁るは煌びやかな騎士の鎧に身を包んだ男たち。宝物が傷つくことも気にせずに、男たちは必死に黄金を集める。必死に、必死に。
男たちを焦らせるのは火。燃え盛る火。風を揺らして、風を熱して、爆音と共に火が燃え盛る。全てを焼かんと火が燃え盛る。
世界に誇る、大国ロンゴアド国の王城が今、赤い赤い火に包まれていた。
「宝物庫を漁る他国の兵。これほどわかりやく、国の終わりを告げるものが他にあろうか?」
一人、王は玉座で嘆く。炎の燃え盛る城の中で、一人王は嘆く。
銀色の剣を傍らに、黄金の鎧を身に纏い、王は一人玉座に座る。玉座の周りには多数の死体。ファレナ王国騎士団の鎧を纏った兵士たちの死体。
無数の死体を前に、王は玉座に。もはや王に従う者はいない。その城の中で、王に従う者はもういない。
「余は、この国の王だった。私は、この国においてただ、座に座るだけの王だった。故に最期は、一人なのだ」
城のどこかでまた何かが爆発した。火を消そうと走る者ももういない。燃え盛る火の中に、王は一人。
その佇まい。たった一人になったとしてもその佇まいは正に王。最後まで剣を傍らに、玉座に座るは王の矜持。
銀色の剣に滴る赤い水。それは玉座の下の赤い絨毯に染み込み、王の座を飾る。
「王になるべく生まれ、王として育ち、王として生きた我が生涯。ああ、余は何も迷う必要などなかったのだ。今ならわかる、偶像として置かれ、偶像として殺されたファレナ国王の心が、今ならわかる」
血の上に座る王。火ごときではその身を焼くことなどできない。
王は玉座に。それを退かせたければ、討つしかない。王を討つしかない。それは過去から今まで、何度も何度も行われてきたこと。
王は笑った。ニヤリと口角をあげて。自分の前に立つ、二人の女を見て王は笑った。
邪魔なしがらみはすべて地面の上に斬り捨てた。あとは、思うがまま、最期を迎えるまで。
「だが、余は偶像ではない。死ぬべき時は今であろうが、ただ死ぬことなど、許されない。故に守ろう。余は余の国を、城を、国民を、守ろう。壊され、蹂躙され、死に絶えてしまったわが国ではあるが、それでも守ろう。剣を取ろう」
王が握る一枚の紙。それは契約書。服従の契約書。呪式と呼ばれる自らに枷をかける契約書。その契約を破れば、自らの枷により死ぬ。
ファレナ王国に最後の最後で剣を向けた王は、死ぬ。それは決定したこと。あとは、どうやって死ぬか。
事実、それを回避する手段はあった。城を焼くという明確な反逆行為は王を守るためでもあった。つまり、他者の手で城を落とされれば、王はファレナ王国を裏切ったわけではないために即座に契約違反とはならない。
あとは幽閉後に、契約の主を討てれば、契約は無くなる。
だがそれは、他者に自らの命を渡すということ、自らの命運を譲り渡すということ。
だからこそ、王は受け入れなかった。王は自らの意思で、剣を取るのだ。
「余を、暗君として討つがいい。余を、暴君として討つがいい。それでお前たちは初めて、この国をとることができる。だが忘れるな。余も、簡単には殺されんぞ。余は、王である」
無駄死にであると、理解していた。だがそれでも、今ここで自分は死にたいと願った。戦いの末に死にたいと願った。
その願い。自分勝手なその願い。それはただの意地。
最期は、王として。幾多の国民を飢えて殺してしまった暴君として。最期は、責任の下に。最後は、命を賭して。
王は一人剣を取った。
「奪え。余から奪え。全てを奪え。奪って直してみせろ。さぁ、かかってくるがよい。その刃を、我が胸に突き立てろ。さぁ……殺してくれ美しい暗殺者たちよ」
立ち上がる。玉座から王は立ち上がる。王はもう二度とこの玉座に座ることはない。
握る銀色の剣。纏う黄金の鎧。羽織る深紅のマント。
ロンゴアド国創始者が身に纏っていた武具。それに身を包んで。王は戦士として立ち上がる。最期を覚悟して、最期を求めて。
雷光の下に王は剣を構える。
「さて、では行くぞ。なに、心配はいらん。思う存分にやるがいい。だが忘れるな。余は死ぬまで戦うぞ」
王は一人、最期に一人剣を取った。国民を見捨てたその業を一身に、王は剣を取った。
彼は討たれることを望んだ。力の限り戦い、その末に討たれることを望んだ。
王を助けるためにここに来た二人の暗殺者。燃え盛る城。その熱風に漆黒の髪が揺れる。
王の行動に彼女たちは理解などできない。共感などできない。何故なら、王ではないから。彼女たちは王ではないから。
だがそれでも、彼女たちは殺気を向けられれば反応してしまう。剣を振りかぶられては反応してしまう。
王は踏み込んだ。強く足を踏み込んで、王は跳んだ。
まるで矢のように、雷光を纏って、王は突進する。その銀色の剣を掲げて。
振り下ろされる王の剣に、一つの迷いはない。真っ直ぐに、吸い込まれるように、その剣は目の前の女の、セレニアの首元に向かって振り下ろされる。
爆音と爆風。雷光。
セレニアはその剣を寸前で躱した。王の剣は彼女の身体の上を通り、遥か後方を叩き割る。
何故、こんな無駄な剣を振うのか、彼女にはわからない。
隣でそれを見ているイザリアも当然のように、わからない。
剣は殺人の道具、人の命を絶つ道具。それを振うのは人を殺したい時だけ。彼女たちが持っている剣に対する意味は、それだけ。
王は違う。王は剣に、自らの存在を乗せている。それを叩き壊してくれることを望んでいる。
その意思の差。それは永遠に埋まることはない。
困惑していた。剣を寸前で躱し、寸前で剣を受け止めながら、セレニアは困惑していた。
殺すべきか否か。彼女はこれほど迷ったことは今までなかっただろう。
イザリアも同様に、困惑していた。王を救うべくこの城に入った。しかしながら今は、王は殺されるべく自分たちに向かって剣を振っている。
自分たちが、終わらせていいのかどうか。
自分たちは、終わらせる人間なのかどうか。
容赦なく王は剣を振る。二人に向かって剣を振る。困惑を叩き壊さんと、王は剣を振る。
その重い一撃。受け止めるざるを得ないその一撃。
一瞬のうちに抜き放たれた双剣でそれを受け止めたイザリアは、ガラス玉の眼を左右にせわしなく動かす。
その眼の中、その瞳の中に、未来を写して。そして決断した。そのすぐ後、最初の行動。
会話。
「国王陛下、あなたは、死ぬことで責任を取ろうというのですか?」
「その通り」
「どうせ死ぬなら、戦って死にたいと?」
「その通り」
「それが逃げであると理解して、その上であなたはそうしたいのですか?」
「その通り!」
「わかりました。では、そのように」
「応とも!」
「セレニアさん」
その選択を曲げることなど誰にもできない。王は王らしく、最期まで立って死にたいのだ。
火薬と刃。並べて壁を割るセレニア。大きく開けられた穴から吹き込む風が、城に充満した煙を追い出す。
セレニアたちが放った火は玉座の間のすぐ後ろまで迫っていた。壁に大きく開けられた穴の先は、中庭。二人は並んで穴の前に立つ。
「ついて来てください。外へ。そこで、殺してあげます」
「国王陛下、悪いが私たちには誇りなどはない。だから、私たちの剣に期待しないでくれ」
開けられた穴から飛び降りるセレニアとイザリア。王は眼を瞑り、炎を背に感じながら穴に向かって歩き出した。
一歩ごとに、王の脳裏に映像が浮かぶ。記憶が浮かぶ。瞬きをするたびに、それが鮮明に映し出される。
自分が子供の頃、母に手を引かれ歩いた中庭。青年の頃、妻の手を引いて歩いた中庭。壮年の頃、子の手を引いて歩いた中庭。
そこが死地になるというならば、それはどんなにうれしいことか。
様々な思い出を胸に、王は穴から飛び降りた。黄金の鎧を太陽に輝かせ、銀色の剣を太陽に輝かせ、王は飛び降りた。
そして見た。落ちる最中に王は見た。こちらに向かって進む赤い旗を。純白の鎧を。
反逆の最後は、王の死を持って。それはどのような物語であっても、決まり事のように。
戦争の最後は、支配者の死を持って。それはどんな時代であっても、決まりごとのように。
燃え盛る城。決意の王。最後の生贄。決戦の時が来た。




