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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第11話 王都の朝

 窓から差し込む朝日に、顔を背け、眠そうな目を擦りながらベッドから起き上がる女がいた。


 撫でつけるようにして、癖のついた髪を整える。大きなため息。憂鬱な一日がまた始まる。


 彼女は立ち上がって、服を探す。昨晩脱いで置いたはずの場所に、服は無い。またため息。今度は先ほどよりは小さい。


 見回しても服は無い。仕方がないので、彼女は椅子の上に投げ捨てられていた服を取った。黒く伸縮性のある、戦闘服。強く身体を締め付けることで筋肉の動きを補助し、万が一の止血にもなる戦闘服。


 アルスガンドの暗殺者集団が着る、戦闘服。


 彼女は強引にそれに頭を押し込んで、少しずつ伸ばしながら服を身に着けていく。下着はその服に押されて傷の原因になるので、つけない。


 上だけ服を着た後に気付いた。下の服が無い。そしてまたため息。今度は大きい。


 せっかく着た服を脱いで投げ捨て、彼女はベッドの掛布団を持ち上げた。そして彼女は、ベッドの中に戻る。服が戻ってくるまで、寝直そうというのか。


 だが彼女は横になることはなかった。布団を胸元まで羽織って、ベッドに座って彼女は外を見ていた。


 ただぼーっとして、顎に手をあてて、つまらなそうに外を見る。何も考えず、何も思わず、ただゆっくりと、外を見る。


 そしてため息。


「ため息ばかりついてるようですと、幸運が逃げると言いますよ」


 突然聞こえてきた優しげな声。女性の声。扉の開く音も、床のきしむ音も、空気の揺れる音もなく、その声の持ち主はベッドの傍らに立っていた。


 ベッドにいた女は首だけを動かして、そのベッドの傍らに立つ女に視線を向ける。虚ろな目を向けて。


「セレニアさん。昨夜は早めにご就寝できたはずです。いつまで寝ぼけているのですか?」


「服、ないんだ。外は少し寒い」


「ああ、なるほど」


 小さな宿屋。普段は旅人たちでごった返す宿だが今は彼女たち以外誰一人いない。


 静かだった。鳥が鳴く声が聞こえるほど、静かだった。旅人のような服装をしたイザリアは、まるで使用人のように棚を開けて、服を出す。セレニアの分の服、そして下着。椅子にそれらを乗せて、イザリアは空いている椅子に座った。


 机に置かれていたティーポットを傾けて、冷えきった茶をカップに入れてそれを一気に飲み干して一息ついた後、イザリアはゆっくりと視線を上げてセレニアを見る。


「セレニアさん、そろそろお金が無くなります。宿代も今日で終わりでしょう。これ以上は、外になります」


 イザリアは空っぽになった袋を机の上に出した。それは金貨が詰まっていたはずの袋。半月ほどの滞在で、その中身は空っぽになったのだ。


「そんな馬鹿なこと……イザリア、無駄遣いしたのか……?」


「いいえ、普通に食料と宿代を払っただけです。貨幣の価値が、おかしくなっているんです」


「……税金か」


「はい」


 世界に誇る大国、ロンゴアド国の王都にあるとは言え小さな宿である。半月ほどで金貨数十枚が無くなるはずはない。普通であれば。


 だが今はファレナ王国の支配下にあるために、莫大な税を課せられているのだ。市民はまともに支払うことなどできず、命を削って食料を差し出している始末。


 人々は限界だった。ロンゴアド国の王都、煌びやかな王国の首都。その町であっても飢えを感じていない人はいない。比較的裕福な宿屋の主人でさえも、日がな一日宿の受付で伏せて動かない。


 やれやれという顔をして、セレニアは立ち上がった。イザリアが出した服を、下着を身に着けて。その引き締まった身体を服に隠して、その姿はどこをどうみてもただの旅人。ただの冒険者。


「イザリア、冒険者ギルドはどうだ? あそこなら、無料で寝れるんじゃないか?」


「冒険者用の部屋は埋まっていました。魔法機関の宿舎を回してるぐらいですから」


「……全く」


 服を着て、飲み物を口にして、眼が冴えて来たのかセレニアは普段の顔を取り戻していた。


 セレニアは宿屋の窓から外を見る。行きかう人、町の所々で人々を見張る兵士たち。兵たちもまた、どこか疲れたような顔をしていた。


 表にいるのはロンゴアド兵団の兵士だけ。ファレナ王国より派遣された兵たちは外にはいない。


 裏を返せば、ファレナ王国よりきた兵たちは皆、城の中にいるのだ。他国の兵は城内へ、自国の兵は場外へ。


 その現実が、この町は支配されているのだということを知らしめる。セレニアは小さくため息をついて、ベッドに腰を下ろした。


「民を守るため、服従の道を選んだ……か。一体これで何が守れているんだろうな」


 セレニアはそう口にした。彼女たちはこの町に潜入して半月あまり、その鍛えられた潜入の腕を使ってこの町を隅々まで調べていた。それこそ、城の中まで。


 支配の過酷さ。それは城に潜入せずとも想像することはできたが、それでも実際に目にするとしないでは違う。城内の支配は、その想像よりもずっと、酷いものだった。


 王が頭を足蹴にされて、大臣が、重鎮たちが皆何も言えず国の法を変えられていく。その光景を眼の前で淡々と見ていた二人は、もはや何も言えなくなっていた。


 そこまで他人に興味を抱くことはない二人でも、この国のありさまは流石に酷いと感じていた。

 

「イザリア、進攻はまだなのか?」


「まだですね。やはり、国王がファレナ王国と交わした契約のせいで大胆には動けないようです。それに、やはり兵力が足りないです。一日、二日でこの城を落とさないと敵に援軍が来ますしね」


「兵数か……どうする? 私たちで数減らすか?」


「やめておきましょう。10や20、それこそ100人殺してもたぶん、変わらないです。若様も余計なことはするなといっておりました」


「若様……ねぇ……」


 どこか遠い眼をして、セレニアは冷え切った紅茶をカップに注いでそれを喉に流し込んだ。冷えて苦くて、茶としてのよいところはほとんどないそれを、表情一つ変えずに飲み込む。


 軽く眼を擦り、セレニアは小さく息を吐いた。


「なぁイザリア……私は、正直言って、わからない」


「何がでしょうか」


「王……今更名乗り出て、苦労も知らず、悲しみも知らず、ただ強さだけを見て象徴に添えると言い出した。それを、あいつは……何一つ文句を言わずに、受け入れた」


「それは……ハルネリア様も知りえなかったこと。若様は人を責めることはしません。口下手なので。あとあの方は裏表がない人ですので、あの時の言葉が全てだと思います」


「だろうな……はぁ」


 上る朝日に、沈む表情。片足を抱えて、セレニアは椅子に深く腰掛ける。


 トントンと、小さく窓が揺れる音がする。風の音。この日は風が強いのだろう。


「何故恨み言を言わないで済むんだ。何故師母だけが自分の母親だと、叫ばないでいられるんだ。どれだけ心が広いんだ。私など、私たちなど、実の父親すら認められなかったのに」


「ルシウス。あれは、確かにあいつでした」


「そうだ。ファレナ王国騎士団の人間と、親しそうにしてたな随分と」


「どういうことでしょうかと、言う必要はありますかね」


「どういうことだと考えるよりも前に、答えは出ている。あれは、あれは間違いなく……間違いなく……!」


「……セレニアさん。今は、憎悪はいりませんよ。それに、それだけではないのですきっと。まだ、殺すのは早い。まだ、一つだけ解明していないことがある。だって、私を殺したのは」


「くそっ……ふざけるなよこのタイミングで。あいつ……くそっ……」


「セレニアさん」


「ああ私は……視線が欲しい、言葉が欲しい……強い……意志がほしい……」


「落ち着きなさいセレニアさん。今は、あれに構っている時間はないはずです。あの程度の男に、構っている時間などないはずです。今は、この国を取り戻すのが先です」


「わかってる……わかってるさ……その通りだ……」


 揺れる思考を強引に戻すために、セレニアは自分の頭を押さえた。強めに、グイッと両方から抑えた。


 その様子に、イザリアは少し頷いて。真剣な面持ちでゆっくりとセレニアに言い聞かせるように言葉を発する。まるで、機械のように、淡々と、ただ聞かせるように。


「セレニアさん。本題です。落ち着いたまま、お聞きください」


「……なんだ?」


「若様からの命です。5日後、王都を落とすとのことです」


「なっ……さっきまだだって言ったじゃないか……!?」


「ええ、ですから今ではないということです」


「へりくつを……待て、兵は集まったのか? 作戦は? 正直、今攻め入っても……さすがの王都、とんでもない強固さだぞ。城壁には攻城兵器まであるんだぞ」


「しかしまさか魔術の発達したこの時代に伝書鳩とは驚きましたが、届いた手紙があります。書かれてることは一つは、今の連絡。もう一つは、私たちに対する指令。5日以内に、準備してほしいとのことです」


「何を?」


「火薬。そして油」


「まさか……!?」


「はい、ハルネリア様は、若様は、城を丸ごと焼き払うつもりです」


 差し込む朝日に、二人の顔が照らされる。二人は腹違いの姉妹なれど、この瞬間の表情は対称的で。


 驚き固まるセレニアと、眉一つ動かさず座るイザリア。


 暫く後に動く二人。感情を押し殺し、想い人の望みのままに、二人は動く。


 王都はいつもと変わらない、支配された朝を迎えていた。

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