第10話 星空
西に太陽。空に月。赤らむ町に、夜が訪れる。
裏路地、表路地、大通り、家々。いたる所に小さな光の玉が浮かんでいる。それは人を温める、魔法の光。
苦しめられてきた人々にとって、暗闇は不安を呼ぶ。少しでも安心できるよう、ファレナの指示の下、必死に浮かべた魔法の玉。その数は1000個以上。
その光が照らす町の一角にある巨大な屋敷。そのバルコニーに肩で息をする銀髪の魔法師がいた。疲労困憊で、彼女はハルネリアに背を擦られていた。
「はぁはぁはぁ……死んじゃうんですけど私……一日で町中に明かりを浮かべるって……師匠は……ちゃんとできたんですか……はぁはぁはぁ……おえっ」
「よく頑張ったよく頑張った。私もちゃんとヴェルーナ女王国とセレニアさんたちとの通信、繋げたからね」
「さすがに一つの町埋めるほどの魔力……ああ死ぬ……私死んじゃう……死ぬならファレナ様の大きな胸の中で死にたかった……気持ち悪い……」
「はいはい、聞き流してあげるから耐えて耐えて。胃液でそうになったら飲み込んで」
「飲み込むとか言わないでくださいなんか来るから……うっぷ、吐いたら……死ぬ、いろんな意味で……しぬぅ……」
えずくマディーネに背を擦るハルネリア。たった一人で町の一軒一軒の家から大通り、裏路地まで余すところなく光を灯したマディーネは、正しく疲労困憊だった。
その様子を遠目に。輝く街を下に。部屋の中から数人の者達がそれを見ている。どこか優し気に、どこか悲し気に、彼らは輝く町を見ていた。
「形は元に戻ったね。人も……家に帰れるようになった。市場までも元どおりさ。僕が知る限りだけど、確実にこの町は戻って行っている。でも、戻らないんだな。結局、壊れたら、戻らないんだよね」
白銀の鎧を着た、ランフィードが町の明かりを見ながら、寂しそうにそう口にした。町は驚くべき早さで復興したが、それでもやはり違う。日が落ちた直後ではあるが、人々はただの一人も町の外にはいない。
町は、明るかったがどこか、寂しそうだった。
「なぁ、ジュナシア。何故アリアはここまでするんだろうね。まるで人という存在そのものに、恨みをいだいているようだよ。ここはまだマシなんだ。遥か東方、海の先、服従を拒んだイスリナス共和国は島ごと消し飛ばされたそうだ。本当に、何故こんなことをするんだろう」
ランフィードは見る。壁に寄りかかるジュナシアの顔を見る。彼は何かを考え込むように眉間にしわをよせて、無言で、片目を閉じて、両目を閉じて。
「さぁな。どうでもいいさ。俺には」
そう一言。彼は言って、顔を上げた。彼の見る先は、下の町ではなく遥か遠く、星の海、夜の空。大きな月。
「そうか君は流石だな。僕はどうにも考えてしまう。答えなどでないのにな。ところで、ファレナ様先ほどから何をしてるんですか? 魔道具じっと見たりして」
「あ、いやその……書かれていくのが面白くて……」
ファレナは部屋の隅で座っていた。彼女の目の前で、小さな黒鉛が紙を走っている。その動きを彼女は静かに目で追っていた。
黒い炭は紙に黒い線を残す。線は意味を成して、浮かび上がるのは文字。綺麗な文字が、紙に浮かび上がっていった。
「何度も見ましたけど、すごいですね魔法って。遠くのお手紙をこんな風に飛ばせるなんて」
「ええ、魔法も魔術も、人の英知そのものですよ。僕もいろいろ学びましたが、それでも驚きの連続です」
「ジュナシアさん、これ誰の文なんですか?」
「ん……? ああ……」
壁から身体を浮かして、ジュナシアはファレナの下へと歩く。途中、羽織っていた深紅のマントをベッドに投げ捨てて。腰の剣をベッドに投げ捨てて。
「これは……セレニアの字だな」
「へぇ、きれいな字を書くんですねセレニアさん」
「仕込まれたからな。ただ、一文字だけ、左右反対に書くんだ。癖なんだろうがな。イザリアはよくそれを直そうとしていたが、結局直らなかったな」
「えーっと……あ、これですか?」
「ああ」
「へぇ、やっぱりよく知ってるんですね……あ、最後のこの文字はなんですか?」
「これは……アルスガンドの暗号文だな……報告で暗号文を使うだと。セレニア何のつもりだ」
もう黒鉛は止まっている。ジュナシアは紙を持ち上げる。
「あれ、ジュナシア読み聞かせてくれるのかい? 助かるよ」
「いや、ランフィード、暗号文を解読するだけ……」
「さぁ、全部読んでくれるんだろう? ははは」
「しょうがないな……まず……連絡用の狼煙の色か……」
ジュナシアは淡々と、静かに文章に書かれている言葉を口にした。淡々と、淡々と、感情を一つも込めないで、彼はその文字を口にしていく。
書かれていたことは潜入によって得た情報の数々、定期的に変えられる狼煙の色、兵の数、町の様子、王の現状。
確かにそれは悲惨な内容ではあったが、ロングレイズにて現状を知った彼らにとって、それはほぼ想像通りの内容だった。市民は苦しみ、王は頭を垂れ、町にはファレナ王国騎士団の人間が自由に人々を虐げている。それは、想像通りだった。
「まだ、殺されてないだけマシといってしまうのは、残酷でしょうかランフィード王子殿下」
「いや……その通りだと思いますファレナ様。生きていれば助け出せる。生きていれば。だが、焦ってはいけない。兵数が圧倒的に違うのですから」
「はい」
文章自体はそこまで長くはなかった。書き手の性格からか、余計なことは一切書かずにただ見たままを連ねたのだろう。
兵の交代時期から王城の配置数まで。一通りの内容をジュナシアは読み上げた後、彼の口は止まった。彼の読んでいた文章が、暗号文のところに至ったからだ。
「……セレニアめ一番面倒なやつを。すまない、紙とインク、あとペンはないか?」
「ああ、確か、そこの引き出しにあったね。僕がとって来よう」
ランフィードは立ち上がり、引き出しから紙と筆、そしてインクの入った小瓶を取り出す。それを机において、彼はジュナシアの眼を見て小さくうなずいた。
ジュナシアはその机に座り、送られてきた紙を見ながら、一文字ずつランフィードが出した白紙の紙に文字を書いていく。見て、考えて、一文字。見て、考えて、一文字。
「暗号……ですか。やっぱりそういうのってあるんですね。初めて見ました」
興味深そうに、ジュナシアの肩口からファレナが覗き込む。わかってるのかわかってないのか、ふんふんと頷きながら、彼女は彼の肩に寄りかかるようにして、その作業を見る。
「これ、どういう仕組みなんですか?」
「ん……文字を、固めるんだ。いくつかまとめて。それで混ぜる。混ぜ方に指向を持たして……その指向は一人一人独特で……まぁ、解読というよりも変換、だな」
「全然わかりません」
「わからなくてもいいさ。どうせ、使うことなど……ないはずなんだがな……」
書く。文字を書く。読める文字に、書き換えていく。
それはだんだんと、だんだんと意味を成して。そしてついに、一つの文章として完成する。
それは、単純な文章。一つの意味だけの文章。
「ルシウスがいた? 誰ですジュナシアさん?」
彼の手は、止まっていた。その文章をみて、止まっていた。
手どころか身体も、思考も。ファレナの言葉は彼には届いていない。
口元を手で覆って、彼は遠くを見る。記憶の彼方を見る。繋げて、導き出す一つの仮定。
「……そんな馬鹿な。何のために。だが、そうだ。そうでなければ、ああはならない」
「ジュナシアさん?」
「ハルネリア!」
彼に似つかわしくない、大きな声だった。その大きな声は、バルコニーでマディーネを解放するハルネリアに向けられていた。
ハルネリアはその声を聴いて、振り返る。何の用と言わんばかりに、首を傾げながら。
「セレニアに文章を送りたい。どうすればいい?」
「え? 無理よ。あっちに受信用の魔道具おいて、こっちと基点を繋げなきゃいけないし」
「そうか、くそ……いやだが、確かに刻印は、二つ以外全部あったぞ……剥がしたのか? そんなことをしたら……」
「ジュナシアさん、どうしたんですか? この文章が何か?」
「いや、気にするなファレナ。これは、俺達の問題だ。お前は、気にしないでいい。これは、俺達の……気にしないでくれ。お前はもっと、もっと前をみるんだ」
「そう、いうなら……」
「……とにかく、これで兵の配置もわかった。ハルネリア、まだ王城に攻め入れないのか?」
「まだよ。今ボルクスさんたちが動いてるからそれを待ってからね。焦らず、今は身体を休めなさい。まだまだ、解明しないといけないことは多い。解決しなければならないことは多い。一つずつ、一つずつよ」
「……仕方ないな」
ジュナシアはインク瓶の蓋をカチャリと置いて、立ち上がった。彼は窓辺に向かって歩く。ランフィードとファレナも、それにつられて窓辺に向かって歩く。
並んで三人、それぞれ生まれは違えど、人を統べるべき立場に置かれた者達。
三人は空を見上げた。そこには無数の、人の数以上の星が輝いていた。




