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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
最終章 白百合の中で空を仰げば
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第9話 ロングレイズ解放

 車列。馬車の列。長い長い馬車の列。


 次々と、次々と、馬車は町へ入っていく。そして積まれていく馬車の積み荷。ロンゴアド兵団の兵士たちの手によって、ロンゴアド国の王子であるランフィードの指示によって。


「ああ君、それは民に配ってくれないか。ヴェルーナの女性たちが焼いてくれたパンだ。倉庫に入れては腐ってしまう」


「わかりました!」


 運ばれてきた物は大量の食糧。そして日用品。ボロボロになった町を修復するための資材。


 人々はその馬車の列を見て、知った。この町が解放されたことを。そして並んでいた。光を取り戻した眼で、人々は並んでいた。ロングレイズの中央通りいっぱいに、人々は並んでいた。


 目的は食べ物。生きる上で必要な、最も必要な物。それを受け取った人は、例外なく笑顔を見せる。


 この町において、長らくなかったはずの笑顔が、久方ぶりに蘇ったのだ。


 そして声。町は声で溢れていた。喜びの声、感謝の声、困惑の声。


 人が並び、互いに語り合い、笑顔で食べ物を受け取って口に運ぶ。たかがパン一切れ、たかがスープの一杯。たかがそれだけのことなのに、人々は笑っていた。心の底から笑っていた。


 笑顔の向こう、人々の隙間、奥。薄い衣服を着た女たちの集団がいた。小さな子供も、大人も、老婆もいる。娼館から逃げ出した娼婦たち。彼女たちは皆食べ物を食べながら、身を寄せ合って座っていた。


 その中心、子供たちに囲まれて座っている二人の女。アドラネとリーザ。


 少女の一人からパンを渡されて、二人はそれを食べる。冷え切った、固いパン。歯が折れるかと思うほどのパン。強引に噛むと、ジワリと溢れる甘い味。


 もそもそとそれを食べながら、リーザはアドラネの方を見た。彼女はどこか遠い眼で、人々の列を見ていた。


 彼女の眼が何故か寂しそうに見えて。リーザは何も言うことはできなかった。何も言わず、パンを口に運ぶことしかできなかった。


 きっとアドラネの眼は、ここが占領されてからずっと汚い物だけをみていたのだろう。娼婦として、見せられていたのだろう。


 それが理解できるから、リーザは何も言えなかった。


「あっ」


 唐突に漏れる声。アドラネの声。口からでたその声は、驚きと喜びが混じったような声だった。


 正面、遠く、人混みをかき分けて歩いてくる。深紅のマントを羽織った男。そしてその後ろ、赤い髪の、本を握る女。


「ハル、ネリア……?」


「アドラネさん? 知ってるんですか?」


「あ、いや、その……ちょ、ちょっとごめん」


「えっ? ちょっとアドラネさん」


 防寒用に貰って来た毛布を頭まで被って、アドラネは蹲る。顔を隠すかのように、彼女は座り込んでしまった。


「ごめんジーナ。話しかけないでくれるかい」


「え、ええ? な、なんです? ええ?」


 リーザはアドラネの行動に困惑したがそう言われてしまってはどうしようもない。アドラネを横目に、リーザは前を見る。


 歩いてくる赤い色の二人、ジュナシアとハルネリア。近づいてくるにつれてリーザの耳に彼らの会話が聞こえてくる。


「もう、やらかしたわね本当に。ほらなんか言ってみなさいよ」


「……言うことはない」


 歩いてくる男、その胸元に輝くヴェルーナ王族の紋章、揺れる深紅のマント。ジュナシア・アルスガンドはどこか困ったような表情で歩いて来ていた。


 そしてその横、本を閉じて、本を開く彼女。パタパタと音を立てながら、彼の横で赤色の魔法師が苛立ちを表している。ハルネリアの表情は硬かった。


「作戦ってのは手順全てに意味があるのよ。城との交代時期を狙ってこちら側の人間を王城に入れる。それが一番自然なわけ。何にもないのに兵士が数人帰ってきたら怪しすぎるでしょうが」


「……それもそうだが」


「そうだが何? やっぱり言うことあるの?」


「いや……無い」


「はぁ……セレニアさんたち先に入れてるけどさぁ……作戦変更よもう……騎士団の人間全員やったのは流石だけど言われたこと以上の事しちゃ後先がさぁ。わかってるの?」


「わかってる」


「本当にぃ?」


「……ああ、いた。リーザだ。おいリーザ」


「あ、ちょっと……もう」


 リーザを見つけたせいか、それともハルネリアの小言に耐えきれなくなっていたのか、ジュナシアは小走りでリーザの下へと向かった。


 そしてリーザの目の前に立ち、開口一番、彼は言った。


「リーザ、剣を返せ。いつまで持ってるんだ」


「え、剣?」


「俺の赤い剣だ。渡しただろ」


「……姫様に、ちがった、ファレナ様に渡したけど?」


「何だと? 行き違いになったか……仕方ない。ハルネリア俺はファレナのところに行く。あとは頼む」


「え、ちょっと! 話は終わってないんだけど!」


「また今度だ。用事ができた。じゃあまた後でな」


「ちょっと待ちなさい!」


 そう言い残して、ジュナシアは消えた。深紅のマントを羽織っていて目立つはずの彼は、瞬きするよりも速く消えた。


 ハルネリアは消えた彼を眼で探したが、当然のように見つからない。一つ大きくため息をついて、ハルネリアは本を強く閉じた。バンという音が周囲に鳴り響いた。


「はぁ……全く……」


「あの、シルフィナ様? 何かあったんですか?」


「あーいや、別に……リーザさんは知らされてなかったことだから、大丈夫よ」


「知らされて?」


「気にしないで大丈夫。あなたはちゃんとやってくれたし。手順ちょっと飛ばしちゃった彼のへまだから」


「は、はぁ……?」


「はぁぁぁ……どうしよっかなぁ……潜伏……市民にまぎれさせて……いやでもそれじゃ城に入れない……」


 その赤色の頭を手で抑えて、ハルネリアは悩む。次の手を次の手を、リーザの目の前で、彼女は悩んでいた。


「シルフィナ様……?」


「え? いや……とりあえずハルネリアでいいわ。私一応魔法師としてついてきてるからね」


「はぁ……ハルネリア様。それで、何が?」


「いやその……リーザさんにはちょっと……」


「何で遠慮してるんですか? え、何か私、失敗しました? やっぱり娼館焼いちゃったのは問題でした?」


「あー……それはぁいいんだけど……そのぉー……まぁおいおいね! リーザさんはよくやったわ!」


「……う、うん?」


「ところで……この子供たち、何? あなたの隠し子?」


「そんなわけないじゃないですか! ハルネリア様じゃあるまいし! 娼館に売られた子供たちですよ!」


「ああ……そこまで壊れてたのねこの町……」


 ハルネリアはそういうと、どこか悲しそうな顔で少女たちを見た。


 少女たちは皆、パンをかじりながら、寂しそうに、寒そうに震えている。それを見て、同情しない者はいない。普通の人間ならば、同情せざるを得ない。


「世界中どこでも、こんな子供が増えてるんでしょうね」


「そうですね。私も、眼を疑いましたよ」


「早く解放してあげないと、世界中を……はぁー……よし。早く屋敷の整理して、作戦立て直さなきゃ。それじゃ私もマディーネの手伝いに戻るから。ある程度したら屋敷に来なさいよリーザさん」


「は、はい……あ、ちょっと待ってくださいハルネリア様」


「うん?」


「アドラネさん、あのぉ。ちょっと出てきてくださいよ。アドラネさん」


「アドラネ? 誰?」


「この人に助けられまして……ちょっとアドラネさん!」


 叫びながら、呼びながら、リーザは足元の毛布を引っ張った。アドラネの入った毛布を力いっぱい引っ張った。


「や、やめ! ひっぱるんじゃないよ! あーもう!」


 声がする。必死に抵抗するアドラネ。リーザは構わず、それを引っ張る。


 引っ張る。引っ張る。ハルネリアはそれを不思議そうな顔で見る。


 そして――


「もう出てきてくださいよ! せりゃあぁぁ!」


「あっこらジーナ!」


 ついに毛布が剥がされる。出てきたのは、両膝を抱えて丸まっていたアドラネ。


 ハルネリアと眼があう。アドラネは恥ずかしそうに、ハルネリアから目線を外して立ち上がった。


 立ち上がったアドラネを、ハルネリアはじっと見ていた。そしてハッと見開いて、何かに気付いたかのようにゆっくりと手を挙げて、アドラネの顔を指さして大きな声で叫んだ。


「せ、セイレン!? セイレン・アウラオネ!?」


「あっ、くっ……ひ、久しぶり……」


「セイレンあなた生きてたの!? うっそ本当に!?」


「な、なんとか、いろいろあってさ。ははは……」


「ショーンドさんは知ってるの!? えっ!?」


「あ、いや、知らないんじゃないの? はははは……」


 苦笑いをするアドラネ。満面の笑みでアドラネの身体を触るハルネリア。


 それをポカンとした顔で見るリーザ。思わず、リーザは二人に尋ねた。


「あの、ハルネリア様と、アドラネさん、知り合いなんですかね?」


「アドラネ? セイレン名前変えたの?」


「い、いろいろあってさぁ。まぁ……その、流石にね、本名じゃ生きにくいっていうか……まぁ大したことじゃないさね……」


「そう? いやぁ久しぶりね! 元気そうじゃない!」


「ま、まぁ……ははは」


 リーザの言葉はほとんど届いていなかった。再会を喜ぶハルネリアに、眼を左右に泳がせるアドラネ。


 周りにいる少女たちも不思議そうに二人を見ていた。


「何で13年も……その格好、まさか」


「ははは、まぁー……娼婦に、なってたんだ私。ははは」


「娼婦……何でまた、埋葬者11位のあなたが……」


「11位!? えっアドラネさん11位だったんですか!?」


「ま、まぁ……一応? ちょっと言いふらすんじゃないよジーナ」


「それは大丈夫ですけど! すっごいじゃないですか! てっきり私、見習いの魔法師様だとばかり!」


「はははは……」


 盛り上がるリーザと対照的に、どんどんと笑い声が弱くなっていくアドラネ。無理やり笑っていたアドラネも、ついには笑えなくなって。小さくため息をついた。


「ハルネリアは……変わらないね。顔も、身体も、13年前と全く一緒さ。私は歳とっちゃってさ。なんか、恥ずかしいよ。いやでも、もうちょっと暗かった気がするねあんた」


「何があったのセイレン。なんであなたが、オーダー狩り一緒に行って、途中でいなくなって……ショーンドさんかなり落ち込んでたわよ?」


「ああ……あいつには悪いことしたね。今、何してるんだいショーンドの奴」


「もう彼埋葬者順位8位よ。あなた超えちゃったのよ」


「そうかい……それはよかった。あいつは魔力量はイマイチでも、度胸があったからさ。いいところまで行けると思ってたんだ。私みたいな馬鹿な師匠についてなかったら、もっと早く上がれただろうにね」


「……何があったの?」


「別に。ただ、嫌になっただけさ。人を殺すのが、魔法を人に使うのが。結局私は馬鹿だから、生きるために娼婦になるしかなかったけどさ。まぁこれでも結構楽しかったさね。充実……もしてた、かな。ははは」


「セイレン……」


「笑っちゃっていいさね。私は、馬鹿だったから……逃げたから……私は……なんか、虚しくなってさ。もっと違う何かがあるんじゃないかってさ。子供みたいにさぁ……ははは、でも、結局、男に股開いて金を貰ってる馬鹿な女さ。こんな歳になっても、結局そこから抜け出せない。ははは」


「…………っ」


 ハルネリアは、リーザは何も言えなかった。アドラネの言葉に、何も言えなかった。きっとアドラネは自分で口にしている以上に、様々な経験をしている。しかし、それを聞くことは誰にもできなかった。


 暫くの沈黙の後、アドラネは服を正してハルネリアに背を向けた。これ以上顔を見せたくないと言うように。


「なぁハルネリア。この子たち、面倒見てくれるところないかい?」


「……この子たちを預かってほしいってこと?」


「そうさ。この子たちはさ。何にもないんだ。全て奪われてしまったんだ。ほっとくことなんてできやしないさ。でも、娼館もなくなってしまったしさ。私には、この子たちを養え切れない。だからあんたが……頼むよ。昔馴染みってことでさ。まぁ恥ずかしくって隠れてたけどさ」


「そうねぇ……」


 ハルネリアは頷きながら、子供たちの顔を一人一人、見て回った。子供たちはハルネリアの眼を見返しはすれど、しっかりと見はしない。少女たちは、大人が、人が怖いのだ。


「……家事とか、できる?」


「ああ、それは問題ないさね。小間使いみたいなことさせてたからね。掃除、洗濯、炊事、それなりにできるよ子供たち」


「セイレンは?」


「うん? 私は関係ないだろ?」


「いいから」


「自慢じゃないけど一通りできるさ。まぁそりゃ、料理人とかと比べられたら困るけどさ」


「なるほど、よし、じゃあ合格。あなた達明日から、ヴェルーナ女王国の侍女ね。ああ侍女って言っても、召使みたいなものだからあんまり待遇よくないわよ。お母様……女王陛下は結構口うるさいところあるから、注意してね」


「はっ? え?」


「補給品もってきた馬車。明日の夜に一斉に帰るから乗せてもらってね。ああ、手紙書かなきゃね」


「はぁ!? 何でハルネリアがそんなこと決めれるんさね!?」


「私があの国の王女だからよ。ちなみに赤いマントの男いたでしょさっき。あれヴェルーナの次の王様。私の子供」


「はぁぁ!? ジーナ本当かい!?」


「うんまぁ、信じられないかもしれないですけど本当です。はい」


「えぇ……城の……えぇ……」


 脱力するアドラネ。何を言ってるのか理解できない子供たちは、互いに顔を見て首をかしげている。


「正直、ヴェルーナかなり人手不足だからね。先の侵攻でかなり死んだし、侍女たちもたくさん帰ったし……他の娼婦の方たちはヴェルーナ復興のために働けるなら働いて欲しいんだけど、どう? ああ、娼婦はもうしないでいいわ。したければ止めないけど」


「ハ、ハルネリア……」


「うん、じゃあ手紙作ってくるから。またあとでねセイレン。あ、今度は逃げちゃ駄目よ。子供、不安になっちゃうでしょ」


「それは……わかってるけど……」


「それじゃ。ちょっと時間かかっちゃったわね。マディーネが泣いてるかも。リーザさんそれじゃまた後でね。一応あなたファレナさんの護衛なんだから、夜には屋敷にくるのよ」


「はい、わかりました!」


 ひらひらと手を振って、ハルネリアは駆け足でその場から消えた。立ち去って行った。


 それを何とも言えない表情で見送るアドラネ。ハルネリアの姿が人込みに消えた後、アドラネは顔を抑えて空を見上げた。


 空は明るく。太陽が輝いている。一切の雲が無く、まさに青天。


「ジーナ……いや、リーザか……あんたらさ。早く、他も助けてやんなよ。皆たぶん、この空を待ってるよ」


「もちろんですよ! といっても私は何にもできないんですけどね……」


「何言ってるんだい。私も、子供たちも、皆も、解放しちゃったじゃないか。娼館、本当は焼かなくてもよかったんだろう?」


「いやぁ……まぁ……」


「自信もっていいんだよ。こんなにスッとした気分、久しぶりさね。あんたは、よくやったよ」


「いやぁ……やっぱりそうです? やっぱり私結構やりますよね! パンツ破られた甲斐がありましたよ! ふへへへ!」


「…………早く履いてきなよ」


 青く輝く空の下。人々は笑う。ただただ、幸せそうに、皆笑う。


 人々は、ただただ、解放された喜びの下で、笑っていた。

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