第6話 ロングレイズ解放戦 前編
人々は諦めていた。
生きるためのすべてを搾取され続けた人々は、諦めていた。
支配されて一年足らず、全てが一変した世界において、人々は諦めていた。
ロンゴアド国が最大の歓楽街を有するロングレイズの町でも、それは同じだった。
皆手を伸ばすことすら諦めて、領主に納めるための金を、食を、贅を、命を得るために、人々は必死に日々を暮らしていた。
もはや正という物はない。もはや邪という物もない。
裏路地を除けば、そこは死に絶えた人々の墓場。腐りきった肉、それを喰らう鼠、飛び回る害虫。
嘗てロンゴアド国において最も栄えたその町は、今は見る影もなく。人々は嘗てないほどの貧困の中にいた。
咳がそこら中から聞こえる。衛生面の悪化が、病をもたらしたのか。
子供たちの眼には光が無く、倒れた人を漁る人々は銀貨一枚に群がり殺し合う。
最悪だった。それ以外に形容する言葉がなかった。
その最悪の町を、数人の兵士たちが歩いている。両手を縛られたリーザを連れて。
リーザ・バートナーの服装は薄布一枚だった。綺麗に飾り付けられてはいるが、中が透けて見えるほどの薄布。娼婦が纏うような服だった。
胸元には輝く白い羽。それにリーザは小さな声で話しかけた。
「選ばれなかったら本当にどうするの……うまく行く気がしないんだけど……」
羽は小さく揺れ、リーザの肩を二度打った。その白い羽は、魔力の塊、使い魔。
それを創った主に声を届け、視界を届けるもの。彼の使い魔。
「二度は……肯定だっけ……どういう意味よもう……しかしこれ、酷い臭い。ねぇあなた、いつからこうなの?」
リーザは彼女を繋いだ紐を持つ兵士に話しかけた。兵士の一人は沈んだ顔で周囲を見回しそして彼女に答えた。
「いつからですかね……私たちも忘れましたよ。ロンゴアド国は、一気に変わった。ロンゴアド兵団はバラバラにされて、ベルクス副団長含む精鋭部隊の王都護衛隊はファレナ王国に出兵させられました。兵団はもはや抵抗すらできないのです」
「暗黒の時代、か……あーあ、遠くまで来ちゃったなぁもう」
「そろそろ娼館です。私たちにできるのはここまで、あとはお任せしますリーザ様」
「あー……死にたい……」
匂い、そこの一角だけ、匂いが違った。
腐臭にまみれた町の中でそこだけが、特別な匂いを発していた。
甘い匂い。香を焚いているのか、甘い匂いが漂っていた。
その匂いの元には、大きな建物が立っていた。木と土、魔術で彩られた輝く屋根。そして屈強な男たちが扉の前に並んでいる。
巨大な娼館。人の欲の塊。まだ早朝だというのに、男たちはそこに並んでいた。
どの男も身なりがしっかりとしている。高級娼館なのだ。普通の庶民では入れない。ましてや、この町の状況ならば尚更。
リーザを連れた兵士の一人が門番の男に声をかける。門番の男はリーザを一瞥すると、裏口へと彼らを誘導した。
並ぶ人々の視線がリーザに注がれている。彼女はそれを見ないように顔を伏せ、歯を食いしばって兵士たちに連れられて行った。
――そこは、リーザが想像していたよりもずっと、美しい場所だった。
真っ赤な絨毯で敷き詰められた床。通路の片隅には花がある。花が刺さっている花瓶には金の装飾。誰が見ても高価な物だとわかる。
壁にもまた高価そうな絵が飾られている。作られた楽園。暗く、堕ちきった外とは違う別世界。
この娼館は領主が直接資金提供をしている場所。故に、世界が違う。
ロンゴアド兵団の兵士たちは歯を食いしばっていた。突然襲われて、ファレナたちに降った彼らは、一般の兵士でしかない。即ち庶民なのだ。
故に、憤っていた。自分たちが道具のように使われていた裏で、このような場所が作られていたことに、彼らは憤っていた。
兵士たちはリーザを置いて娼館を後にする。外の世界へと帰っていく。この腐りきった世界を叩き壊してくれることをリーザに期待して。
「ふぅーん。それで、いくらだったんだい?」
「三枚……」
「金貨?」
「はい……」
「それは安い! はははは若いのに大変だ! 館長の豚もえげつないねぇ!」
大笑いする女がいた。木の柵に囲まれて、大笑いする女がいた。片手に飲み物を持ち、足を出して妖艶に座り、笑う女がいた。
二人は柵に囲まれた部屋にいた。その柵は、リーザに自分は見世物だと、商品だということを理解させるのに十分だった。
柵の外を男たちが歩く。時折立ち止まり、店員の男を呼んで何かを聞いている。その声は彼女たちには届かない。
「不思議だろ? すっかすかの柵なのに声もなぁんも届かない。私たちの会話も外には聞こえないんさね。しかし……ぷっ、三枚って。はははは!」
「うう……そんなに笑わないでも……」
女は、リーザよりもずっと年上だった。娼館においてもかなり年齢が高い方にあたるのだろう。それでも年を重ねたことで得た妖艶な空気は、圧倒的だった。
最初の一日は顔見世。新顔としての宣伝。女はリーザの教育係。
目の前を男たちが流れていく。娼館において最も目立つ場所に彼女たちは置かれていた。客寄せのために。
「まぁ安心しときなって。一日目は客つかないからさ。騎士様たちが指名したら別だけどさ。いきなりつくってのはないさね。安心しなってジーナ」
「はいアドラネさん……ありがとうございます」
リーザ・バートナーは当然ながら、ファレナ王国にとっても有名な騎士。ここにいるということが本来はありえないこと。
故に彼女は偽名を使っていた。娼館において、女たちの身元をいちいち調べたりはしない。誰も疑問に思うことも無く、彼女は自らの名を偽ることができた。
リーザは膝を抱えて、できるだけ視界に男たちの顔が入らないように座っていた。男たちの眼は、モノを見るそれで。高名な貴族の娘として、高位の騎士として生きてきた彼女にとって、その眼は何よりも醜いものだった。
「ジーナ。ほらジーナこっち見な」
「はい……?」
同室の女に、アドラネにそう言われて、リーザは顔を上げた。彼女はリーザの目の前に両手を突き出した。
そしてアドラネは手を返した。一度、二度、手のひらと甲をしっかりとリーザに見せるように。
両手を握って、広げる。一度二度。そして三度――――
「うわっ」
唐突に彼女の手から小さな花が現れた。真っ赤な花。あまりにも突然に現れたために、リーザは驚いて身体を反らし、声を上げた。
その様子を見てアドラネは再び笑う。大きな口を開けて。
「はははは! すごい驚いたねぇ今! はははは!」
彼女は手を閉じる。花は光りとなって消えた。
アドラネの顔があまりにも楽しそうだったからか。沈んでいたリーザの顔もそれにつられて少しだけ明るさを取り戻す。それがまた嬉しかったのか、アドラネは更に笑った。
「はははは……はぁー。どうだい? ちょっとは気が晴れたかい?」
「ええまぁ……ありがとうございますアドラネさん」
「いいさいいさ。おんなじ仲間さね。そんな堅苦しいのは無し無し。何があったのかはわからないけどさ。ここからは同じところで暮らす家族なんだ。楽しくやっていこうよ」
「はい……えっと、さっきのって、使い魔ですよね」
「おっわかる? ジーナ魔術師?」
「いえ、魔術はちょっと齧るぐらいです。アドラネさんは、魔術師なんですか?」
「魔術っていうか、昔ちょっと魔法師やっててねぇ。もう10年以上昔だけど」
「魔法師だったんですか!? えっ本当に!?」
リーザの顔色が変わった。深く沈んでいた彼女の顔が、魔法師であったいうアドラネの話で一気に明るくなった。
「なんだい急に食いついて」
「何で、魔法師が娼婦に!? だって、魔法師ですよ! 高貴で強くてかっこよくて……かっこよくて!」
「ちょっと……落ち着きなって。ほら男どもがいるだろ表、声聞こえないと言ってもそんな必死になったら訝しんで余計みられるよ」
「あ、すみません……う、うん……」
身を正し、正座するリーザ。柵の向こうでは、相変わらず男たちが彼女たちをみて店員と話し込んでいた。
視線を下に、顔を表に。憂いを持って彼女は座り直した。
「ジーナは魔法師に、なんか思うところあるのかい?」
「いや、その……私魔法師になりたくて……魔法は綺麗だし、魔法師様は皆強いし……人を殺す悪い魔術師をばったばったと倒してくれるし……かっこいいし……」
「幻想だねぇ。実際、そんなかっこいいもんじゃないさ」
「……どうしてアドラネさんは娼婦に?」
「ここじゃ過去を聞くのは無し。入る時に説明されただろう?」
「す、すみません……つい」
人には様々な経緯がある。娼婦にとってそれは触れられたくないもの。
娼館において仲間の過去を探るのは最大の禁忌とされてきた。過去を尋ねるということがどれほどの罪か、リーザは冷たい表情になったアドラネをみて、それを思い知った。
「魔法師はね……結局やってることは人殺しさ。どんだけきれいごとを並べても、それは間違いない。私は……それに気づいてしまったんだよ」
「アドラネさん……?」
「同期に赤い髪の魔法師がいてさぁ。えげつないのそいつ。女子供もどーん。んでばらばら。それみて思ったんだぁ。ああ、私たちの仕事って、汚いんだなぁって」
「でも、やっぱり正義のためですし……」
「そー。だから厄介。賞賛されちゃうんだよ。あの女も機械みたいになっててさぁ。可哀想だったなぁ。まぁ結局娼婦になるしかなかった私がいうことじゃないけどさ」
「アドラネさん……その……」
「裏、見たかい?」
「裏?」
「この部屋来る途中。カーテンで仕切られた裏の部屋がみえただろう?」
「ああ、見ました。中に何があるんですか?」
「子供」
「えっ」
「上は14、下は9つ。そんな子供」
「…………えっ!?」
少しの間固まって、そしてリーザは跳び上がった。あまりの驚きに、眼の前にいる男たちの視線を気にすることもなく。
「子供!? なんで!? ここ娼館ですけど!?」
「うん。そーだね」
「な、そんな、まさか」
「そーいうこと」
「そんな、そんな……待って、じゃあ、あの奥に入る男たちって……!?」
「そーいうこと」
「そんな、そんな……なんて……なんてことを……」
「この国は終わってるのさジーナ。あまりの貧困さが、この国を終わらしちゃったのさ。なぁー何で魔法師様はこれ助けてくれないんだろうねぇジーナ」
「う……」
「あの子たちは絶望してる。今日の仕事終わったらあの子たちの顔を見てみるといい。子供の顔じゃないからさ。ふふふ、まさかこんな時代が来るなんてね。男どもは何を考えて、あの幕を潜るんだろうねぇ」
「アドラネさんは……アドラネさんは助けてあげないんですか? 魔法師ですよね元とはいえ」
「無理さ。私は弱いんだ。魔法師は皆強いと思ってるジーナには悪いけどさ。魔法師なんかピンキリさ。オーダーの30番台ですら勝てない魔法師もいるのさ。ここの館主は……ファレナ騎士団の息がかかった魔術師だからね。それとも、ジーナなんとかできるかい?」
「う、それは……」
「まぁ、落ち着きなよ。ごめんちょっといらないこと言ったね。忘れてくれていいよ。日が落ちたら、領主がくるだろうけどさ。できるだけいい顔してた方がいいよ。領主の支払いは凄いからね」
「領主……館主……」
「ふふふ、まぁー楽しくいこうさね。意外といいもんだよ男に求められるのも」
「…………はい」
リーザは座り込んで、顔を下に向けた。彼女の頬に、白い羽が触れる。
はっとした顔をして、リーザはその羽に手をあてて、小さな声で呟いた。
「ねぇ……今日中に何とかできるかな……?」
動く白い羽、ゆっくりと、二度、羽はリーザの肩を打った。
彼女に、肯定の返事をした。
「さすが! あの! アドラネさん!」
「な、なに? いきなり大声で」
「協力してください! この町今日中にすぱっと解放しますよ!」
「え? 何?」
驚き呆けるアドラネと、この町に来て初めてやる気を見せるリーザ。
遠く丘の上で、使い魔を通してそれを見ていた深紅のマントを纏う男は、微笑みながらため息をついた。そして、振り返りオートマタの軍勢に向かってこういった。
「日が落ちる前に全ての兵の位置を掴む。多少目立ってもいい。俺が何とかする、急げ」




