第4話 侵攻は誰のために
「いやはやいい時代になったものだ! はははは」
「さようですな」
大きな屋敷の中で、大きな腹をした男が大きな声で笑っている。その傍にいる執事風の男もまた、同様に笑っている。
ロンゴアド国は、巨大な王国である。世界屈指の兵力を誇り、ファレナ王国、ヴェルーナ女王国と並び世界三大王国として名を馳せる国である。
その統治は中央に王を置き、地方には高名な貴族を置くことで治められている。中央の監視の下、この国には大小様々な都市があるのだ。
ロンゴアド王国西方にヴェルーナ女王国に最も近く、ヴェルーナとの交易で栄えた巨大都市があった。都市の名をロングレイズ。その大都市を任させるはロングレイズ家当主。この肥満体の男。
彼はゲラゲラと笑い、酒を飲む。彼の前に並べられているのは庶民であれば生涯に一度食べれるかどうかというとてつもなく豪華な食事。そして、女。
男は半裸の女たちに囲まれていた。酒を飲み、グラスが空になれば女がそこに注ぐ。
食事、酒、女、そして金。ここには欲の全てがあった。
「王の支配がなくなるだけでここまで自由になるとは! ファレナ王国様様だ! はははは!」
「さようですなぁ」
領主である男は、贅の限りを尽くしていた。妻も子も、同じように別室で男を、女を、連れひたすらに贅の限りを尽くしていた。
それができるのも、奪っているから。
「ところで領主様。領民たちがまた税に関する陳情を持ってきておりますが」
「またか。内容はなんじゃ」
「いつも通りでございます。税の削減をと」
「いちいち持ってくるんじゃないわ。そんな馬鹿なことを言うやつはとっとと殴りつけて鉱山に送れェ」
「ははは、そうくると思いましてすでに手配はしております。しかし、最近ファレナ王国騎士団の者達から直接催促が来るようになっております。我が屋敷に保管している税、幾ばくか渡した方がよいかとおもいますが……」
「馬鹿か。もっと領民から奪って渡しておけ。若い女を何人かくれてやればファレナ騎士団の馬鹿どもも簡単に退くであろうが。頭を使え頭を」
「なるほど。さすがですな。ではそのように」
「火葬場に燃料を送っておけよ。町が臭くてかなわんわ」
「はい」
人々は全てを奪われていた。この都市では領主一人を生かすために大量の人間が死んでいた。
それもこれも中央の、王国の枷が無くなったから。今まではロンゴアド兵団という強力な監視者がいたために、ここまでのことは決してできなかった。
しかし今はそれがない。つまりは自由。領主たちはある意味、解放されたのだ。
となればあとは堕ちるだけ。確かに、この状況であっても民を第一に考えている領主もいた。だが、半数の領主たちは堕ちきっていた。
腐敗。人は強大な力を持てばそれを振わずにはいられない。今良心を持って人の道にはずれんと耐えている領主も、一度堕ちればすぐにこの領主と同じようになる。
人々は抵抗できない。食と睡。両方を奪われた人々は、何もできない。
一歩屋敷を出ると、骨と皮だけになった領民たちが食料を追い求め這いずり回っていた。男は昼夜働き、女はその身を娼婦に落とす。子供は旅人を殺しその持ち物を奪う。
人々は暗黒の中にいた。泣いても、祈っても、誰も助けてくれない。そんな暗黒の中に。
だが、如何な暗黒と言えども、晴れる時は来るのだ。人々はまだ知らない。ロングレイズより少し離れたヴェルーナ国境にある砦が、今まさに落とされていたことを人々はまだ知らない。
ファレナ王国騎士団のヴェルーナ侵攻のための兵、そしてロンゴアド兵団の兵と、他国より派兵された兵。
総勢5000人。その巨大な砦にいた兵の数は5000名なのだ。
対するはオートマタの兵100名と、赤色の旗を掲げる9騎。合計109人のみ。
5000対109。普通ならば、数に勝るファレナ王国連合軍の兵に109人が勝てるはずがない。
だが――――
「ウオオオオオオオオオオオ!」
「なんだ、なんだこれ、なんだこれ」
「近づくな死ぬぞ! 矢だ! 矢を放て! バリスタだ! 誰かバリスタを回せ!」
低い声だった。砦に響くのは、漆黒の魔者の咆哮。そして断末魔。
勝てるわけがなかった。5000であろうが、1万であろうが勝てるわけがなかった。四枚の赤色の翼をもつ魔者に、勝てるわけがなかった。
それが動くたびに、数十人が肉片になる。あまりの速さに血が蒸気となって。人の形を失った肉体が壁に叩き付けられる。
兵士たちは恐怖した。一切の躊躇を持たずその魔者は迫ってくる。強い意志をもって、迫ってくる。それがたまらなく兵士たちは怖かった。
すでに大量の兵たちが砦から逃げ出していた。涙を流し、糞尿を垂れ、兵士たちは必死に町へと逃げだしていた。
だが逃げることなどできない。森に、草原に、砦から町へ向かう道に、一歩でも足を踏み入れた瞬間にその兵士たちは無数の刃で貫かれていた。
「まだ知られるわけにはいかない。この暗がりと混乱だ。判別などできない。一人も逃がすな。すぐに罠を張り直せ」
冷たい口調でオートマタに命令する漆黒の瞳を持った女。血で濡れた刃を強く振り、血を払う。
砦の中、砦の外、兵士たちは右往左往しながら死んでいく。ひたすらに死んでいく。死ねという意志を向けられて、死んでいく。
断末魔と叫び声。砦を包み込むその音の数々に耐えきれなくなった者たちは兵舎の一角で頭を抱え震えていた。互いに毛布を頭からかぶり、ガタガタと震えながら心が壊れそうな感覚に必死に耐えていた。
「嫌だ、嫌だ。何でだよ俺たちはただの守備隊……ファレナ王国騎士団に命令されるがままきただけの……」
「何だ……何だぁ……俺は、まだ死にたくない。死にたくない。兵団に入って最初の任務がこんな、こんなぁ……!」
「君たち」
「えっ? あっあなたは!?」
「しっ。静かに。こっちへ来るんだ。悪いが僕たちも余裕はない。下手に逃げれば死ぬぞ。ロンゴアドの装備を一つでもいい身に着けてついてくるんだ。彼は、ロンゴアドの者は殺さない」
「王子……王子殿下……!」
「大丈夫だ君たちは。僕から離れるんじゃないぞ」
兵たちはその言葉にどれほどの安心感を得ただろうか。彼らは涙を流しながら、さわやかな微笑みを向けるランフィード・ゼイ・ロンゴアドにすがった。すがりついた。
恐怖心、そして安堵感。ロンゴアド国の兵たちは涙が止まらなった。そして彼らは必死に、必死に、必死に、ランフィードについていった。
「ボルクスこれで最後だ! そっちはどうだ!?」
「こっちももう終わりますぜ! 魔法師様も結界を張ってます!」
ランフィードが砦の上にいるボルクスに向かって大声を上げる。ボルクスは鋼鉄の腕を掲げてランフィードに負けない大声で答えた。
もう終わる。その言葉は、正しかった。
終わったのだ。あっけなく。他愛なく。ごく短時間で。
兵士たちにとっては長い時間に感じられたであろう。だが実際はごく短時間。ものの数刻で一つの砦が落ちたのだ。
砦の中で、赤色が無い場所はない。そこら中に飛び散る血、血、血。それは惨状。漆黒の魔者が創り上げた惨状。
生き残った兵士たちは、砦の大一間に集まり武器を一か所に固めて捨てていた。武器を失った者から順々に腕を縛られ、並べられていく。その数数百名。全てロンゴアド兵団の兵士。
ロンゴアド兵団以外のファレナ王国騎士団より派兵された者達はほとんど死んだ。生き残ったのは、武器を捨て許しを請うた者のみ。
砦より逃げ出した者達は全て死んだ。街道で、森で、草原で。
結果として、ロングレイズ近郊の砦は、ファレナ王国にも、ロンゴアド国にも知られることなく落ちたのだ。それは、理想的な奇襲であった。
膝を着き、並ばされる兵士たちの下に赤色の旗を持つ純白の鎧を纏う女が現れた。彼女は美しく、幼げな顔をしていたが、全ての者を飲み込むかのように威風堂々と旗を持って立っていた。
そして彼女は凛として、しかしながら優しげに兵士たちに話しかけた。
「私たちは解放者。戦皇女ヴァルキュリエの使徒。あなたたちを苦しみから解放する者達。この砦は、今この瞬間より私たちの拠点とさせていただきます」
吸い込まれそうな瞳だった。決意の籠った瞳だった。ロンゴアド国の兵士たちは不思議と、その瞳に釘付けになっていた。
「あなたたちに選択肢を与えます。私たちの兵となるか、それともこの砦の地下牢でこの戦争が終わるまで拘束されるか、どちらがいいですか?」
純白の女の問いかけに、兵士たちは互いに顔を見合わせた。彼らはひどく混乱していた。彼らはまだ、今この状況に思考が追いついていないのだ。
「私たちはロンゴアド国を解放します。ファレナ王国から、この苦しみから、解放します。夜が明けるまでにどちらにするか決めてください。逃がすことはできませんが、命の保証はしましょう」
兵士たちは彼女を見上げた。彼女の持つ旗を見上げた。
暗い夜にあっても、その旗は、その旗にかかれた純白の翼は、光り輝いていた。




