第3話 赤色の王
人々は歓声を上げる。大きな声で、歓声を上げる。歓声の先は、赤色の旗。
血で創られた赤色の旗。血を流すことを決意した者たちの旗。
赤き旗に輝く純白の翼。それを掲げるは純白のドレスに鎧を着こんだ女性。
たった9騎が、世界を救うために旗を掲げてヴェルーナの国より出立する。人々はそれに期待と羨望の籠った眼を向け、歓声を上げている。
舞い落ちる無数の花弁。英雄となるべく出立する者達を送るための花吹雪。花の国ヴェルーナ女王国に相応しい光景。
「メリナ様!」
馬の上から一人の男が大きな声を上げ、手を振った。涼やかな顔をして、笑顔で全力で腕を振るランフィードに、人々の視線が集まる。
彼が声を上げた先には赤色の髪を風に揺らして立つヴェルーナの第二王女メリナがいた。町の入口の、門の傍に従者たちと共に立っていた。
小さく手を振るメリナに向かって、ランフィードは大きな声を出した。
「メリナ様! ロンゴアドを解放したら迎えに来ます! 結婚しましょう! ロンゴアドの王妃になってください!」
少しも恥ずかしがることなく、彼は大きな声で人々の頭の上を超えて、メリナ王女に向かってそう言った。全力で手を振りながら。
頬を赤らめながらも強く何度もうなずくメリナ王女をみて、人々は更に沸き上がった。まるで祭りのように、そこにいる全ての人々は笑顔だった。
「はははは言ってやったぞ! あれ見てくれよ了承してくれてるんだぞ! どうだジュナシア僕もやる時はやるだろう!」
「恥ずかしくないのかお前は」
「ないね! はははは!」
笑う。心の底から嬉しそうに、幸せそうに。ランフィードは笑う。周囲にいる人々と同じように、彼は笑った。
笑顔が並ぶということが、こんなにも素晴らしいことだとは。ジュナシア・アルスガンドはそう思った。
深紅のマント。それはヴェルーナ女王国に伝わる国宝。魔法師の始祖が創り上げた王の証にして、世界最高の魔道具の一つ。
子供が手を振っている。小さな身体を懸命に揺らして、彼に向かって手を振っている。その小さな手には、赤い花が一輪。
彼は馬を寄せてその花を受け取った。嬉しかったのか、それとも急なことで驚いたのか、子供は花を渡した姿勢のままで硬直していた。
それがどこかおかしくて、小さく彼は微笑んだ。そして花を深紅のマントの首元に刺して、少し大きめのブローチのように飾り付けた。
皆知っている。深紅のマントが王の証であることを知っている。これはこの国で唯一の国宝なのだ。だから誰でも知っている。
それを纏う者が王であることを知っている。
「本当によろしいのですかな? あの外套を渡しても」
「よい。わらわが孫にして救国の英雄ぞ。誰ぞ反対するものか」
町を出る彼らを城から見下ろす者がいた。一人は赤色の女王、ファルネシア・ヴェルーナ・アポクリファ。もう一人は魔法機関が機関長、老魔法師ジークムント・ガラルギオス。
彼らは二人肩を並べて、非交戦国のこの国で起こるはずのない出兵の光景を静かに見ていた。
「しかし思い切りましたな女王陛下。よもやシルフィナ王女様のご子息に、王位をわたすとは。てっきり私はシルフィナ王女様を女王にすると思っておりましたのに」
「何、それが最もよいことだと思っただけのこと。実際、西方のオルケーズはあれが王となると聞いて早々と使者を送ってきた、な」
「オルケーズの兵もいましたからのあの侵攻。巨人を叩きのめした者が王となると聞けば、震えあがるのも無理はないでしょうな」
「所詮は小国よ。右に左にフラフラと飛び回ることを駆け引きだと勘違いしている馬鹿どもよ。分かりやすいやつらよ。他愛ない、な」
「なんともなんとも、口が悪いですな女王陛下」
女王は窓を開けた。町から離れた城にすら届く声。人々の声が、女王の輝く赤い髪を揺らした。
女王はその声を聴きながら、思い出していた。遠く見える深紅のマントを羽織る男に、そのマントを渡した時のことを。
そして王にすると告げた日のことを。
――数週間前。
風が吹いていた。風が強い日だった。
部屋の窓を風が叩く。ガタガタと窓を鳴らす。
部屋の中に一人の男が座っていた。漆黒の髪に、漆黒の服。つまらなそうに彼は椅子に座り窓を見ていた。
そして彼の後ろ。赤い布を持って立つハルネリアと、ファルネシア女王。ベッドに腰かけるイザリアに、ベッドの中で寝転がるセレニア。
かなりの人数ではあったが、静かだった。窓が揺れる音が部屋に響くほどに。
すでにそこで、ハルネリアは話していた。彼が自分の子であるということを、話していた。
その事実に、誰も何も言えない。それが静寂を作っている一つの理由。
「信じにくいのはわかる。受け入れにくいのもわかる。今更なのもわかる。でも、受け入れて欲しい。あなたの血は……」
ハルネリアが赤いマントを持って、複雑な顔をしてそう言った。その言葉に、彼は返事はしなかった。
それどころかハルネリアが話している間。一つも彼は言葉を発しなかった。
「今この国の人々は皆、疲弊してる。人がたくさん死んだ。人がたくさん傷ついた。だから、必要なの。皆を元気づけるための、新しい風が必要なの。だから……」
彼は振り返った。窓を見ていた彼は、初めてそこでハルネリアに顔を向けた。
彼は無表情だった。その強い意志を魅せる眼を、ただ無表情に彼女に向けていた。
何を考えているのか誰にも窺うことはできない。だがその眼は、決して彼女を非難しているわけではない。
だからこそ、彼はこう言った。
「何をして欲しいんだ?」
一言、たった一言。その一言が、どれほどハルネリアの心を晴らしたか。
恨み言なと一言も言わず、ただ彼は望みを聞く。人のためだけに生きてきた彼だからこその、言葉。
「……これを」
ハルネリアは深紅のマントを彼に渡した。彼はそれを受け取り、広げた。
深紅のマントの首元に輝くは銀色の翼。ヴェルーナ王家の紋章。
「このマントはヴェルーナの始祖が創り上げた王の証。王者の外套。魔法障壁であるエイジスと同じ効果がある世界最高の防具。我が国の国宝。これをあなたに身に着けてほしい。意味は、わかるわね?」
「王になれと?」
「今すぐじゃない。即位はファレナさんの侵攻が終わってから。けど国民には、あなたという王がいることを伝える。国民にとって救国の英雄であるあなたが王族であって、王だったと聞けば否が応でも人々は沸き立つ」
「そうか」
「抵抗はあるでしょう。嫌だというのもわかる。でも」
「俺は政はわからないぞ。国が滅ぶ」
「大丈夫、執政はお母様が引き続き行う。ヴェルーナ女王国は男王の時は前女王が、結婚した場合はその王妃が執政を行う。男の王は象徴でしかない。いい気分じゃないかもしれないけど、あなたは象徴としては最高よ」
「なるほど、誰がやっても、とりあえずは大丈夫か」
「ええ、やってくれる?」
「好きにしろ。所詮立場だけの話だ。俺のやることは変わらない」
考えることも、迷うこともしなかった。
それが意外で。城の王女となることを否定したハルネリアには意外で。しかしながら、何故かうれしくて。
そのやり取りを見ていた女王は笑っていた。イザリアは誇らしげにうなずいていた。セレニアは興味なさげにベッドに横たわって眼を瞑った。
「それじゃ、お願い。明日からいろいろと手続きは進めておく」
「わかった。ああ、ハルネリア」
「何?」
「すまない。すぐには母とは呼べないかもしれない。努力はするが、どうにも、な」
固まった。ハルネリアの身体が固まった。その言葉に、彼女の身体が固まった。
何故か、涙が溢れてきた。その顔を見せたくなくて、彼女は顔を伏せる。
そして涙を隠すためか。彼女は唐突にベッドまで走ると、そこで寝ていたセレニアの腰を叩いた。
「な、何するんだお前」
「あなたこの子の許嫁でしょう一応! イザリアさんの次だけど!」
「つ、次とは何だ! っていうか何だいきなり!」
「前々から思ってたけどあなた戦い以外だと本当に無能なのよ! 明日から私の部屋に来なさい! 宮廷のマナーから何からしっかり教育してあげるわ!」
「なっ……」
「あーイザリアさんが生きてたらなー! ファレナさんが結婚してくれたらなー!」
「な、何だこいつ……大丈夫か……」
子供のように心の揺れを誤魔化すハルネリアの姿をファルネシア女王は笑いながら見ていた。
子が成長するのをみることは、親にとってはうれしいものなのだろう。女王は笑っていた。心の底から笑っていた。
そしてそれと同じ顔を、ファレナたち一行が出立する姿を見る時もしていた。
未来がどうなろうとも、今は国中の者達が笑っている。そのことがうれしくて、ファルネシア女王は笑っていた。花の国で彼女は笑っていた。




