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第三十話 手紙と夜食

『エリカさんへ


 手紙、出すのが遅くなってしまってごめんなさい。

 忙しくてなかなか書く時間がなかったんです。

 両親が罪人となり、ろくに挨拶もできぬまま領地に戻った私に、気遣ってくれる手紙を出してくれたこと、とても嬉しかったです。

 本当にありがとう。

 できることなら、直接会ってお礼が言いたかったのだけれど、夏休みが終わる頃まで学園に帰れそうにありません。

 もうすぐあるお祭りを一緒に回れなくて、残念です。お祭りではパレードや花火がとてもきれいなのでぜひ楽しんでください。

 領地のことですが、心配はいりません。ラインハルト様が後見人になってくれたおかげで大きな混乱もなく、なんとか運営できています。といっても、実際に仕事をしているのはラインハルト様で、私は何もしていないのですけれども。

 すごいんですよ、ラインハルト様。ご自分の領地と私のところの領地、二つも支えているんです。私も早くラインハルト様を手伝えるよう必死に勉強しています。

 エリカさんは夏休みも学園に残っているとのことですが、どうしていますか?エリカさんと会えなくて寂しいです。

 また、学園で会えるのを楽しみにしています。


 ヘレーネより』





(……これでいい、かな?)

 ヘレーネは書き上げたばかりの手紙を何度も読み返す。誤字脱字は勿論、失礼な印象を与えないかも確認する為だ。

 それで大丈夫だと判断した彼女は封筒に入れ、封蝋を押す。


 両親が捕まり、領主になる決心をしたヘレーネだったが、屋敷に戻ると予想以上の光景が広がっていた。

 まず、屋敷には人っ子一人いなかった。恐らく使用人たちは両親が捕まった時点で我先にと逃げ出したのだろう。

 それからその使用人たちが退職金代わりにしたのかほとんどの部屋が金目の物を探したのか荒らされ、廊下や壁に飾られてたはずの様々な美術品、小さな家具や母親が集めていた服などが全て消えていた。

 これでは仮にヘレーネが一人で領主になろうとしても、何もできなかっただろう。


「いかがされましたか、ヘレーネ様」

「あ、あの、手紙を出したくて」

「承知しました。ではこちらからお出ししておきます」

 そう言って恭しく手紙を受け取るのはラインハルトが連れてきた侍女である。他にも多くの者がこの屋敷で働き、そのおかげでこの屋敷は以前よりずっと綺麗になっているのだ。とはいえ、相変わらず区別がつかない情けない状況なのだが。

 手紙を渡し終えたヘレーネはそのままラインハルトのいる書斎まで向かう。

 手紙にも書いていたように彼女は領主として勉強をしているところで、そしてその勉強をラインハルトに見てもらっているのだ。

 ラインハルトは二つの領主業に加え、彼女の勉強も器用にこなしている。要領が悪いヘレーネには絶対真似できない。

「ラインハルト様、失礼します」

「ああ、入っていいぞ」

 声がしてからドアを開けるとラインハルトは書類が積もった机に座っていた。

 屋敷から持ち出されなかった数少ない家具である。重厚で黒塗りされたその机は、本来ならヘレーネの父の持ち物だったのだが、父親よりもラインハルトが座っている方が様になっているのはどうしてだろう。

 ヘレーネが使うのは彼女が勉強するために運び入れられた小さめの机だ。そこに腰掛け、ラインハルトから出された教書を読みそのレポートを出すのが今の課題となっていた。

 専門用語などは辞書で調べ、それでもわからなければラインハルトに直接聞くか、もしくは頭を悩ませるヘレーネに気づいてラインハルトが助言しつつ、時間は過ぎていく。

 日が沈んで空が赤く染まりかけた頃、ラインハルトはペンを置き、小さく息を吐いた。

「……大丈夫ですか?」

 その吐息からかすかな疲労を感じ取り、ヘレーネは思わず声をかける。

「ん、ああ大丈夫だ」

「少し休憩されてはどうです?」

「いや、その必要はない」

「でも……ずっと働き通しですよ」

 これは今日の話ではない。ラインハルトがヘレーネと共にこの屋敷にやってきて以来、彼は一日も休まず働いている。

 彼の体が心配なヘレーネは少しでもラインハルトに休んでほしかった。

「今、仕事を貯め込むと後が大変になる。今は少しでも無理して片付けた方がいい」

「……はい」

 そう言われるとヘレーネは引かざるをえない。

 ヘレーネにはラインハルトの仕事を肩代わりできず、彼が休んでいる間に溜まる書類は結局ラインハルトがどうにかしなくてはいけないのだ。

 結局夕食の時間になってもラインハルトの仕事は終わらず、ヘレーネのみ勉強を終えることになった。

 そして、いつも通りのメニューを食べ、入浴し、ベッドで横になったヘレーネはぼんやりとラインハルトのことを考える。

(ラインハルト様、ちゃんと食事はとっているのかな……)

 もうずっと彼は書斎で食事を済ませている。ちゃんと味わえていはいないだろう。

(……このままじゃ、駄目だよね)

 ラインハルトばかりに負担をかけ、何もできない自分が恥ずかしい。

 勉強の成果が全くないわけではない。少しずつ実になっているのはわかる。

 けれど、ヘレーネは今大変な思いをしているラインハルトを手助けしたかった。

 ヘレーネはそっと寝室を抜け出し、書斎に向かう。ドアは閉じられていたがその隙間には灯りがこぼれており、彼が仕事中なのはわかった。

「…………」

 ヘレーネは、そっとその場を離れる。




 コンコン、と聞こえたノックにラインハルトは顔を上げる。

「ラインハルト様、あの、夜分遅くに申し訳ありません」

「ヘレーネか、どうした?」

 入ってきた寝間着姿のヘレーネが持っているのは銀のトレー。その上にはリゾットとハーブティーが乗せられていた。

「や、夜食を作ったんです。その、お腹が減っていらっしゃるかと思って」

「夜食を? そうか、いただこう」

 実のところ、ラインハルトは夜食など食べないのだが、だからといって拒否するほどこだわりがあるわけでもない。

 机の上を軽く片付けてトレーを受け取る。

「おいしそうだな?」

「……お口に合うといいのですけど」

 緊張の面持ちであるヘレーネに笑いかけ、ラインハルトは匙でリゾットをすくって口に入れた。

「うん、おいしいぞ」

「よかった……」

 ヘレーネがほっとしたように微笑む。

「君は料理ができたんだな」

「ええ、まあ、少しだけですけど……」

 昔、ごはんを食べさせてもらえなかったことがあり、夜中にこっそり自分で用意するしかなかったなんてラインハルトには言えない。

 短い会話を何度か交わした後、ヘレーネは自室に戻った。

 ヘレーネがいなくなった書斎で、ラインハルトはもう一度リゾットを口にした。

 どこにでもある普通のリゾットだ。米とチーズの他には調味料ぐらいで肉などは入ってないが、夜食にはこれぐらいシンプルな方がいい。

 そもそも、ラインハルトは食に対する興味が薄いのだ。まずいものよりおいしいものを食べたいとは思うが、最低限栄養がとれてまずくなければ文句なんてない。だから自分の屋敷では同じものをローテーションにしている。

 この屋敷でも同じようにしているため、ヘレーネのリゾットは久しぶりにローテーション以外の食事になる。

(リゾットか……別に好物でもないが、たまには悪くないものだな)

 そういえば、ヘレーネも自分と同じローテーションで大丈夫だろうか。今後は違うものも用意したほうがいいかもしれない。

 そう考えながらハーブティーにも手を伸ばせば、体の中が温かくなるのを感じる。

(……やはり、疲れが溜まっているか。わかっていたこととはいえ、少しばかりきついな)

 ここの領主はお飾りとはいえヘレーネであり、ラインハルトはあくまで後見人兼代理人に過ぎない。

 領主なら一枚で済む書類も代理人なら二枚、三枚と必要になる。

 それ自体は大した手間ではないのだが、それが全ての業務につくとなると、面倒くさいことこの上ない。

 ある程度ヘレーネの勉強が終わるまでこのままでいるしかないのだが、一つだけこの状況を一気に解決する方法がある。

 それは、二人が婚姻関係を結ぶことだ。そうすればここの領地も正式にラインハルトのものにできる。

 最初から手段の一つとして考えていたが、今は真剣に検討している。正確に言えば、春休みにヘレーネを引き取った時からだ。

 どうせいずれは結婚しなくてはいけない身分。しかも利益になるばかりではなく、自分に従順で一緒にいて不快にならず、それなりに好感も持っている。こんな具合のいい相手は他にいない。

(それに、彼女も断らないだろうしな)

 というより、断れない。そんな選択肢など存在しない。

 カツン、という音に我にかえる。見ればリゾットの皿が空になっていた。

 リゾットだけではなく、ハーブティーの方もいつの間にかなくなっている。無意識に食べきってしまったらしい。

 ラインハルトは空になった二つの食器を重ねて机の隅に置く。先ほど食べたばかりなのに、どうしてだか名残惜しい気持ちである。それほどまでに腹が減っていたのだろうか。

 何気なしに、窓の外に目を向けるとそこには暗がりが広がっていた。今は見えないが、そこには庭があり、様々な花が咲き誇っていて、よくヘレーネがシャインを連れて散歩しているのを見かける。

(彼女は花が好きなのか? もしそうなら、うちの庭にもいろいろ手配をしておくか)

 将来的にあそこに住むことになるかもしれないのだから、少しでも居心地が良いようにするべきだろう。

 ラインハルトはそこで思考を切り替え、目の前の書類に集中する。


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