幸せへの道
帝国の聖女として公になってから半年と少し。
ついこの間、ドゥニエ王国で新たな聖女の就任を祝うお祭りが行われた。
ディザークはそれに出席したが、香月さんは元気らしく、聖女の装いもよく似合っていたそうだ。
聖女就任のお祭りは王都で三日三晩開かれたという。
それくらい聖女に期待しているのだろう。
「香月さんにとってはつらいかもなあ」
と、こぼせば、ディザークに訊き返された。
「どういうことだ?」
「あー、えっと、重圧って言うか、重責って言うか、とにかく精神的に圧力を感じるんじゃないかなって。そんなに大きなお祭りが開かれると、それだけ期待されてるんだ〜って分かってちょっと重くない?」
お祝いしたい気持ちは分かるけれど、聖女からしたら、自分にそこまで期待されているとプレッシャーを感じるのではないだろうか。
……わたしだったらあんまり嬉しくないなあ。
幸い、帝国には現聖女マルグリット様がおり、わたしも聖女として公表されているものの、大きなお祭りを開かれるほどお祝いをする雰囲気ではない。
王国は聖女がいなかったから余計にお祝いムード一色なのだろう。
「……サヤは大丈夫か? やはり、重荷に感じているか? もしそうなら無理に人前に出なくても──……」
言いかけたディザークの唇に指を当てて止める。
「わたしは大丈夫。聖女ってめちゃくちゃ面倒だなあって思うけど、それを重荷には感じてないよ。別に魔力充填もつらくないし」
「そうか」
少し安堵した様子のディザークに笑い返す。
「まあ、わたしはそんな責任感も強くないからね。自分にやれることをやるってだけ」
「ああ、無理はしないでほしい」
「その点は心配しなくていいよ」
親指を立てて見せればディザークもふっと笑った。
それから、ディザークがわたしの左手を握る。
なんだろうと見ているとスッと指に何かが触れた。
左手の薬指に細身の可愛らしい指輪が通されていた。
驚いてディザークを見れば、少し照れた様子で視線が逸らされ、けれどもすぐに戻ってきた。
「こんなことを言うのは今更かもしれないが……」
まっすぐに紅い瞳に見つめられる。
「サヤ、俺と結婚してくれ」
それにわたしは驚いたが即答した。
「うん、ディザークと結婚する」
もはや口と頭が直結しているのではと、自分でもそう思うくらいだった。若干食い気味だったかもしれない。
あまりに早かったからかディザークが目を丸くした。
「即答だな……?」
「だって前にも訊かれたし。何度でも言うけど、わたしはディザークと結婚したいし、するつもりだから」
「……そうか」
目を伏せたディザークの顔を覗き込む。
「嬉しい?」
「……ああ」
「わたしもディザークがプロポーズしてくれて嬉しい。でも、プロポーズで指輪を贈るってよく知ってたね?」
ディザークの前では元の世界の恋愛について話した覚えはないし、プロポーズという言葉すら出したことはないはずだ。
首を傾げたわたしにディザークが苦笑する。
「レナータが教えてくれた」
それに、なるほど、と首を戻す。
レナータ様には元の世界の恋愛や結婚について話したことがあるし、プロポーズについても色々と言った。
わたしはサプライズプロポーズが苦手だ。
パーティー会場や人目の多い場所で、傅かれてのプロポーズというのが嫌だ。
そういうのは二人だけの時に何気なくしてほしい。
大切な瞬間だからこそ二人の時がいいし、派手な花束やプレゼントも要らないから、真剣に向き合ってほしい。
ただお互いにお揃いの指輪があればそれで幸せ。
「サヤ様はその『ぷろぽーず』はどんな風が好きなの?」
と、訊かれた時にそう答えた。
多分レナータ様はわたしの希望をそのままディザークに伝えたのだろう。
ディザークが目の前で自分の左手にも指輪をはめる。
同じデザインのシンプルなものだ。
その手を見ていると、視線に気付いたディザークがわたしの左手に触れる。
「『控えめで落ち着いたもので、でもお揃いがいい』」
それもレナータ様に訊かれて答えた言葉だ。
「そんなことまで話したんだ?」
「レナータは記憶力がとても良くてな、サヤとのお茶会を真似をしながら教えてくれた。一人二役で、まるで小さな劇を見ているようだった」
「そうなんだ? それは凄いね」
人の話した言葉をそのまま覚えて口に出せるなんて、そう出来ることではない。
だが言われてみればレナータ様と話していて、前に話したことをもう一度話したり説明したりといったことはなかった。
元の世界の話をしていても同じ質問をされた覚えはない。
「たまに話を強請られるんだが『それは前に聞いたわ!』と怒られることもある」
「あはは、なんか想像出来るね」
レナータ様にとっては一度聞いて知っている話を何度もされても面白くないのだろう。
でも、ツンと顔を逸らして怒る姿が簡単に想像出来て可愛かった。
ディザークの指輪を指先で辿る。
わたしのものとデザインは同じだが、ディザークのもののほうが幅がある。
宝石はないけれど、ほんのり青みがかった白銀の指輪はとても綺麗な色で、よくよく見るとうっすらわたし自身の指が透けて見える。
「これ、ガラス……?」
わたしの問いにディザークが首を振る。
「いや、シルヴァレーンという大型の魚の形をした魔物の鱗を加工したものだ。色は指輪と同じで、大きさは食堂のテーブルくらいあるんだが、加工出来る鱗は左右の横ヒレの裏にある一枚だけなんだ」
ちなみに宮の食堂のテーブルは五、六メートルくらいある長いものだ。
大型の魔物という言葉で片付けていいものなのだろうか。
その魚の鱗と言うなら一枚でもそこそこの大きさなのが想像出来る。
「これが鱗なの? 凄く綺麗……」
「加工の過程で熱を加えると少し透き通った色になる。こう見えてかなり強度があるんだ。踏んだり投げたりしたくらいでは壊れることはない。その分、シルヴァレーンも防御力が高くて鱗の加工も苦労するらしい」
まじまじと指輪を見る。
魔物の一部とは思えないくらいの美しさだ。
「すまない、もしや魔物の素材は嫌だったか? 金属だと肌が荒れることがあると話していたから、貴金属は避けたが……」
「覚えててくれたんだね」
「忘れるものか。その、改めて別のものを贈ろうか?」
「ううん、これがいい。ディザークがわたしのために選んでくれたものだから。それに魔物の素材っていうのは気にしないよ。むしろ初めて魔物っていう存在に触れて感動してる。元の世界では魔物なんて空想上のもの扱いだったし」
触れた指輪の表面は滑らかで、金属みたいに少しヒンヤリしていて硬くて、少し力を加えただけで壊れてしまいそうだ。
「良かった」
そう呟いたディザークは心底安堵している風だった。
皇弟殿下という立場の人でも緊張することなんてあるのだなあ、と意外に感じたが、そんなディザークの姿が嬉しかった。
「先ほども言ったが、シルヴァレーンから採れる鱗は左右の横ヒレの裏にある一枚、つまり一匹で採れるのは二枚だけで、何代か前の皇帝も皇后に鱗を贈ったそうだ」
皇帝も同じシルヴァレーンから採れた鱗をブローチに加工して、皇后は付け外しの出来る飾りにし、夫婦揃ってよく身につけていたという。
その皇帝と皇后は仲の良い夫婦だったと後世の歴史書にも残るほどであったらしい。
当時は貴族の間でも、一匹のシルヴァレーンから採れた鱗を使用した装飾品を夫婦で身につける、というのが流行ったそうだ。
「シルヴァレーンの鱗は長生きすると剥がれて新しいものに再生するが、エラの裏の鱗だけは一生変わらないことから、その鱗を身につけると『夫婦の愛が長続きする』と言われていたようだ」
「へえ、それって今もそう言われてるの?」
「分からん。だが、そうであればとは思っている」
「そっか」
それはつまり、わたしとの関係が長続きしてほしいと願ってくれているということだろうか。
そうだとしたら、これほど素敵な贈り物はない。
「……気に入ったか?」
自分の指にはめられた指輪に触れていると、ディザークが恐る恐る訊いてきた。
それにわたしは大きく頷いた。
「うん、ありがとう、ディザーク。こんなに気持ちのこもった贈り物をもらえて、凄く嬉しい。大切に使わせてもらうね」
喜びのままにディザークの唇へキスをすれば、優しく抱き寄せられた。
……まさか、異世界で結婚相手を見つけるとはね。
元の世界で暮らしていた時は想像もしなかったし、異世界に召喚されたことは完全には許せないけれど、でも、ディザークと出会えたことは幸せだと思う。
そっと唇が離れ、どちらからともなく笑みこぼれる。
繋いだわたし達の手には同じ指輪が光っていた。
* * * * *
「それでサヤ様、ディザークお兄様から『ぷろぽーず』をしていただけましたの!?」
と、ディザークのプロポーズから三日後に遊びに来たレナータ様が、開口一番に訊いてきた。
今日もディートリヒ様が付き添いをしている。
とりあえず二人に挨拶をして、席を勧めた。
レナータ様とディートリヒ様もきちんと挨拶を返し、ソファーに座ったが、レナータ様の目がキラキラと輝いていた。
言葉にせずとも気持ちが伝わってくる。
「レナータ様のご想像通り、先日、ディザークにプロポーズをしていただきました」
「まあ、やっぱり!? お兄様からの贈り物は!?」
「こちらの指輪を贈ってくださいました」
左手を見せればレナータ様だけでなく、ディートリヒ様もちょっと身を乗り出してわたしの手を見た。
「不思議な色の指輪ですわね……?」
「うん、金属じゃなさそう」
首を傾げた二人に、ディザークから教えてもらったシルヴァレーンという魔物の鱗について伝えた。
ディートリヒ様は「そんな魔物がいるんだ」と感心した様子だったが、レナータ様は青い瞳を輝かせ、色白の頬を少し染めながら「素敵……」と溜め息を漏らした。
希少な魔物の、それも一匹から二枚しか採れない鱗を加工して作られた対の指輪。
「夫婦の愛が長く続くことを願って贈るなんて、それはもう、好きと言ってるようなものだわ! わたしも未来の旦那様から贈られるなら、そういう特別なものがほしい!」
その場面を想像したのかレナータ様がうっとりした表情でお菓子を食べている。
「婚約者が決まったらねだってみたら?」
「それじゃダメよ! わたしを想って、わたしのために用意された特別な贈り物だからこそ価値があるの。同じものをねだって、それをもらったところで嬉しくないわ」
「お兄様は乙女心がわからないのね」と続けられて、ディートリヒ様が少し肩を落としていた。
貴族や皇族は十二歳で婚約者を決めることが多いそうなので、もしかしたらもうディートリヒ様の婚約者は内定しているのかもしれない。
「ディザークにこっそり教えてくださったおかげで、素敵な贈り物と幸せな思い出が出来ました。ありがとうございます、レナータ様」
何でも人に話すのは問題だが、今回のことはレナータ様なりにわたしのことを考えてディザークに伝えてくれたのだろう。
お礼を言うとレナータ様が顔を背けた。
「別にお礼なんていりませんわ。ディザークお兄様とサヤ様が幸せになってくれれば、それでいいの」
照れている姿が可愛らしい。
「おかげさまでディザークと婚姻の日取りについても話し合うことが出来ました」
「え、いつ結婚するのっ?」
レナータ様が身を乗り出してくる。
「お互い立場もありますので準備期間も考え、皇帝陛下の承認をいただき、半年後に結婚式を挙げようということになりました」
「半年後……」
レナータ様の表情がなんとも言えないものになる。
多分、大好きなディザークが結婚してしまうという切ない気持ちがあるのだろう。
でもその表情は一瞬だった。
「ねえ、サヤ様、結婚式の招待状はわたしにも送ってくれるでしょ? ドレスの色は何色にするの? 装飾品は?」
キラキラした目で見つめられる。
「そうですね、ドレスの色は白にしたいと思っています」
「白? そんな地味な色になさるの?」
「わたしは聖女ですから白のほうがいいでしょう。それに、わたしの生まれた国では結婚で着るドレスは白が多かったんです。色々な意味がありますが、わたしはその中でも『あなたの色に染まりたい』という意味を込めて選びました」
レナータ様とディートリヒ様の頬が赤くなる。
「すごく情熱的ね……」
「意外でしたか?」
「ええ、でも、ディザークお兄様は喜ぶと思うわ」
頷くレナータ様が何を考えているのか、その表情を見たらすぐに分かった。
……きっと、この会話もディザークにこっそり話すんだろうなあ。
その時のディザークの表情を見られないのは残念だが、でも、ディザークならばその意味を正しく理解してくれるだろう。
「ええ、そうだとわたしも嬉しいです」
……異世界でこんなに幸せになれるとは思わなかった。
だけど、これからもこの幸せは続くのだろう。
そんな曖昧な予感めいたものを感じる、午後の穏やかな時間だった。




