まあ、でも、わたしは許さないけどね?
周辺国の使者はほとんどが王族やそれに準ずる公爵家で、わたしは美しい外見の人々に少し気圧されつつも、なんとか挨拶を済ませていた。
……笑顔を続けるって結構大変なんだよね。
ちなみにディザークはにこりともしない。
それでいいのかなと思うのだが、周りも気にした様子がないので、これでいいらしい。
周辺国の使者や帝国の貴族などに囲まれて、ちょっと困っていると見知った顔が近付いてくることに気付いた。
ディザークの腕を軽く引けば、こちらに目を向けたディザークも近付く影へ視線を動かした。
話をしていた貴族にディザークが軽く手を挙げると、貴族は一礼して身を引く。
それと入れ替わるように話しかけられた。
「本日はお招きくださり、ありがとうございます」
礼を執ったドゥニエ王国の王太子の横で、香月さんも慌てて礼を執る。
「帝国の素晴らしい日に立ち会えたこと、とても光栄です。何より、我が国が召喚した聖女が帝国の輝かしい未来に貢献出来ると思うと、より一層喜ばしく思います」
わたしのことを放置して、役立たずだから好きに持っていけとばかりに手放しておいて、何を恩着せがましいことを言ってるんだろう。
チラとディザークを見上げれば、眉間のしわが深くなっている。
視線に気付いたのかディザークと目が合う。
けれどもすぐにディザークは王太子を見た。
「ああ、そうだな、そのことにはドゥニエ王国には感謝している。サヤを役立たずだと判断してくれたおかげで我が国は優秀な聖女を手に入れることが出来た。恐らくサヤは貴国が望む聖女の能力に及ばなかったのだろうが」
ディザークの言葉にひそひそと周囲の人々が近くの者と互いに耳打ちするようなさざめきが広まった。
王太子の言い方では、まるで王国が帝国のためにあえて能力の高い聖女を差し出したように感じられたが、それが事実ではないとディザークの言葉で分かっただろう。
「そのようなことは……。帝国からは魔法士を派遣していただいておりましたので、二人召喚されたため、帝国に片方の聖女をお渡ししただけです」
「そういうことにしたいのならば好きにすれば良い。ただし、サヤを貴国に派遣はしないし、返すこともない」
「そんな、我が国は帝国への聖女の派遣について頷いたというのに……!」
ディザークが大きく溜め息を吐いた。
「確かにそれについて、もしもの際には王国から帝国に聖女を派遣してもらうという話にはなっているが、その逆の協定は結ばれていない」
つまり、帝国が王国に聖女を派遣しないというのは協定違反にはならないらしい。
「もう一つ、まるで帝国が聖女を出し渋っているような言い方であったが、ドゥニエ王国に聖女を派遣しないというのはサヤ自身の意思によるものだ」
ディザークの言葉にわたしへ視線が集まった。
わたしは笑うのをやめて、悲しげに見えるように眦を下げて俯いた。
「ええ、その通りです。王国には良い思い出が一つもありません。むしろつらい思い出が多く、ドゥニエ王国に行けば、また以前のように粗雑な扱いを受けるかもしれないと思うと怖いのです」
怯えるようにディザークの腕にしがみつけば、ディザークの手がわたしの手に重ねられる。
「無理はするな」とディザークの声がした。
周りの人々がざわつき、さすがに王太子もこれはまずいと感じたのか浅く頭を下げられる。
「それに関しては申し訳なかった。私はきちんと使用人をつけ、客室で対応するようにと指示をしたのだが、使用人達が指示に従わず、あなたにはつらい思いをさせてしまった。……本当にすまない」
王族が頭を下げるなんて、そうあることではないのだろう。
少しざわめきが大きくなったものの、この流れであれば、許さざるを得なくなる。
……まあ、でも、わたしは許さないけどね?
「謝罪は受け入れます。でも、許すことは出来ません。異世界に突然放り出されて、誰にも頼れない状況だったわたしを粗雑に扱ったことは事実です。それに、わたしはもうドゥニエ王国には行かないと、以前にも申し上げましたから」
王太子がパッと顔を上げた。
その驚いた様子からして、謝れば許してもらえるとでも思っていたのかもしれない。
わたしは王太子から香月さんに視線を移した。
「香月さん、直接会うのは数週間ぶりだね。元気だった? 王国での暮らしは大丈夫?」
「え? あ、うん、良くしてもらってるよ」
「それなら良かった。なんだか変な噂を聞いてね、ドゥニエ王国の王太子殿下は結婚して王に即位したら香月さんを側妃に迎えようとしてるって話なんだけど、香月さんは王太子殿下と結婚するの?」
それに香月さんが何かに気付いた顔をする。
王太子がギョッとした様子でわたしを見て、何かを言う前に、カツコツと足音が聞こえてきた。
誰もが音のほうへ顔を向ければ、それは皇帝陛下がこちらへ歩いてくる音だった。
「やあ、サヤ嬢、楽しんでいるかい?」
わたしはにこりと微笑んだ。
「はい、皇帝陛下のお心遣いのおかげで香月さんと会うことが出来ました」
「そうか、それは良かった。……君がドゥニエ王国の聖女ユウナ・コウヅキ嬢だね?」
皇帝陛下の問いに慌てた様子で香月さんが礼を執った。
「は、はい、帝国の太陽、皇帝陛下にご挨拶申し上げます……!」
「そう堅くならずとも良い。ところで随分と人が集まっているが、何の話をしていたんだ?」
「ドゥニエ王国の噂について話していました。王太子殿下が結婚して、王位についた後に香月さんを側妃として迎え入れるという話で、それが本当なのか訊いていたところです」
皇帝陛下の目が愉快そうに細められた。
「へぇ? コウヅキ嬢はヴィクトール殿と結婚されるのかな?」
香月さんがそれに首を振った。
「いいえ、私はヴィクトール……殿下と結婚するつもりはありません」
「っ!?」
凛とした香月さんの声は意外とよく響いた。
まるで図ったかのように、楽団の音楽が途切れたタイミングだったため、周囲の人々の耳にもはっきりと聞き取れただろう。
王太子がまた驚いた顔で香月さんを見たけれど、香月さんは王太子を見ることはない。
「この世界に来たばかりで、まだ聖女の役目も果たせない私は未熟者なんです。もっと聖女として訓練をしなければいけないと思います。それに元の世界では私は未成年で結婚出来る年齢でもありませんし、何より今は聖女という大役に専念するためにも結婚する気はありません」
香月さんの言葉に皇帝陛下が訊き返す。
「結婚よりも聖女としての役目を優先したいと?」
「はい」
「なるほど」
強く頷く香月さんの横で王太子殿下の顔色が少し悪くなっていたが、いい気味だと思った。
これで無理やり香月さんを丸め込んで側妃に迎え入れることは不可能だろう。
帝国の皇帝だけでなく、周辺国の者達も聞いているこの場で香月さんは王太子との結婚を否定した。
「サヤ嬢はいずれ私の義妹となるし、我が国の聖女である彼女の友人は我々にとっても友人のようなものだ。もし困ったことがあれば頼るといい。まあ、ドゥニエ王国も聖女を大事にしているだろうから、そのようなことはないかもしれないが」
「ありがとうございます」
……はい、香月さんと皇帝陛下が繋がった。
しかも皇帝陛下が優しくしたからか、会話が途切れたところで周辺国の使者達が香月さんと王太子に話しかけ始める。
これならきっと周辺国との繋がりも持てるだろう。
皇帝陛下と目が合うと、パチリとウィンクされた。
感謝の意味を込めて小さく頷き返す。
……ちょっと疲れたかも。
ディザークの腕を軽く二回叩くと、気付いたディザークが口を開いた。
「サヤが疲れたようなので、少し休ませてきます」
「ん? ああ、ずっと挨拶を受け続けていたからね。控え室の一つを使うといい」
「はい、そうします。……サヤ、行こう」
皇帝陛下に礼を執って、休憩のために会場から一度下がることにした。
挨拶はほぼ終わっていたし、今は香月さんにみんなの意識が集中しているので、わたしが席を外してもそれほど問題はないと思う。
ディザークに連れられて廊下へ出て、近くの控え室に向かった。
部屋に入り、ディザークは少しだけ扉を開けたままにして、わたしをソファーへ座らせてくれる。
「ありがとう、ディザーク」
「いや、慣れないことをして疲れただろう。今日は前回と違って受け答えする場面も多かったからな」
ディザークが隣に腰を下ろす。
「それもあるけど、あんなに大勢に囲まれたの初めてだったから、ちょっとビックリしちゃった。婚約発表した時も多かったのに、それ以上だったね」
「サヤが聖女と公にされて、繋がりを作っておきたいと思う者が増えたんだ」
「ああ、そういうこと?」
婚約発表の時も結構な数の人から挨拶をされたけれど、今回、その倍とまではいかないまでも、前回以上なのは確かだった。
「でも聖女と親しくなったからって別に得なこととかないような気がするけど」
「そうでもない。サヤと親しくなっておけば俺と繋がりも持てる上に、怪我や病気などいざという時に無償で、しかも優先して治してもらえるかもしれないからな」
それはそれでせこい。
……まあでも優先して治療してもらえるのは大事なことなのかもしれない。
この世界、医療はそれなりに進んでいるようだけど、やっぱり治癒魔法には敵わないらしい。
王侯貴族などお金のある人は神殿やお抱えの治療士がいるものの、聖属性魔法を扱える人が少ないため、神殿で治療してもらうには寄付金という名の治療費がかかるのだとか。
平民はそんなに金銭的な余裕もないので、よほどのことでなければ、薬で治すのが一般的だそうだ。
だから、聖女が時々奉仕活動と称し、神殿を訪れた平民の怪我や病を治癒魔法で治すのだ。
まだわたしは行ったことがないけれど、そのうちマルグリット様と行くことになるだろう。
それまでに治癒魔法の訓練もしておかなければ。
「それに聖女の、それも皇弟の婚約者の友人という立場は一種の飾りみたいなものだからな。それ欲しさに近づく者も多い」
「ディザークはそういうの嫌なんだよね?」
「ああ、俺もサヤも物ではない。自分を良く見せるための装飾品のように扱われるのは不快だ」
ハッキリと言い切るディザークに笑みが浮かぶ。
「ディザークのそういうとこ、好きかも」
そう言えば、ディザークが顔を背けた。
耳が少し赤くなっているので照れたのだろう。
「……お前は少々直接的すぎる」
こほん、と小さく咳払いをしてから言われた。
「正直者って言ってほしいなあ。まあ、ディザークが嫌ならやめるけど。……嫌?」
「嫌ではないが……」
「ないが?」
ディザークが顔を背けたまま続ける。
「……まっすぐすぎて、少し、照れる」
思わずディザークに抱き着いた。
頭上から「な……っ!?」と驚いた声がしたけれど、わたしは構わずギューッとディザークを抱き締めた。
「可愛い〜!」
わたしに好きだと言われて嫌だと返されたらへこむが、好きと言われると照れて困るなんて返されたら誰だってキュンとしてしまうと思う。
今だって、わたしに抱き着かれてどうすればいいのか分からない様子で固まっている。
そういうところを可愛いと感じるわたしは捻くれているのだろうか。
「ドキドキしてるね」
抱き着いた胸元に頬を寄せれば、ディザークの少し速い心臓の鼓動が伝わってくる。
「今まで、女性とこのように触れ合ったことがないんだ。……仕方ないだろう」
「ディザークから見て、わたしはちゃんと女性なんだ? よくあれこれ言われるし、子供扱いされてると思ってた」
ディザークがはあ、と深く溜め息を吐いた。
「子供を婚約者にしない。……そろそろ離れてくれ」
そっと肩に手が添えられる。
「嫌だった?」
「サヤ、お前は無防備すぎる。女に慣れていない男を信用するな。それにからかうのも良くない」
「からかってないよ」
即答したわたしにディザークが思わずといった様子でこちらを向いた。
背伸びをして、その頬にキスをする。
「わたしはディザークの婚約者になったんだから、恋愛するならディザークとだけだし、好きになる努力も好きになってもらう努力もしたいだけ」
驚いた顔で、頬を手で押さえるディザークの眉間から、しわがなくなっていた。
……しわがない方がやっぱり美形だなあ。
頬を押さえていた手がそのまま口を覆うように隠す。
視線を逸らされたものの、顔が少し赤くなっているので、怒っているわけではないようだ。
「……俺も努力する、つもりだ」
だが、とディザークは続ける。
「俺ばかり振り回されるのは男として、少々、その、気恥ずかしい」
「わたしもドキドキしてるよ?」
「そうなのか?」
驚いた様子で訊き返されて、ディザークの手を取り、わたしの鎖骨の下辺りに手を触れさせる。
わたしよりも大きな手が恐る恐るといった感じでドレス越しに触れた。
ややあって、ふ、とディザークが笑う。
「確かに」
手を離すと、ディザークに抱き締められた。
「……小さいな」
感慨深げに言われてわたしは苦笑する。
「ディザークが大きいんだよ」
でも、ディザークの大きな腕にそっと抱き締められるのは嫌じゃなかった。
むしろ温かくて安心感がある。
……ずっとこうしていたいな。
そう思った瞬間に、ああ、そうかと理解した。
わたしはやっぱりディザークが好きなんだ。
自覚すると途端に顔が熱くなる。
「ディザーク」
呼べば、ディザークの腕がわたしを解放する。
目が合ったので、わたしは精一杯の笑みを浮かべた。
「わたし、ディザークのことが好きだよ」
ギシッとディザークが固まった。
それがおかしくて、わたしは声を上げて笑ってしまった。




