210話─乙女たちの終戦
少しして、とある並行世界からフィルの運命変異体が招かれる。絵描きを生業としているのか、全身絵の具で汚れていた。
見た目はオリジナルとさほど変わらないが、伸び放題の髪をヘアバンドで束ねており一層中性的な印象を与えている。
「あの、その、えっと……なんでぼく、ここに呼ばれたんでしょう? 締め切りが迫ってるので、早く絵を完成させなくちゃいけないんですけど。あと、いくら僕にウォーカーの力が無いからって、迂闊に呼び出すのはやめてほしいですね」
「ごめんね、もう一人の僕。実は……」
若干不機嫌な運命変異体に、フィルは彼を呼び出した経緯を説明する。その間、アンブロシアはとある儀式を行っていた。
彼女を救済するための条件を、アンネローゼが三つ提示した。一つ、屍魔法の力を捨て、もう二度と用いないこと。
二つ、ルナ・ソサエティには二度と関わらず、カルゥ=イゼルヴィアへの帰還もしないこと。三つ、最重要機密を全て話すこと。
「……なるほど。これで大体ソサエティ本部の造りについては分かったわ」
「これも持っていきなさい。このIDパスは、七栄冠専用のもの。全てのセキュリティレベルに対応してるから、本部を落とすのに使えるわ」
「ありがとう。じゃ、遠慮なく貰っとくわ」
「礼はいらない。どうせ、もうアタシには不要なものだから。……向こうはもう、話が終わったみたいね」
三つの条件を飲んだアンブロシアは、己を魔女たらしめている魔法を捨て去った。もう二度と戦うことは出来ないが、幸福を得るための対価なら安いと彼女は笑った。
さらにソサエティ本部に存在する秘密の連絡通路について教え、さらに自身用のパスをアンネローゼに渡す。これで、魔女たちとの戦いは有利になるだろう。
「お待たせしました、二人とも。ほら、お互い挨拶してください」
「あ、あの、こんにちは。ぼ、ぼくはフィル・シーハルと言います。……うう、こんな美人さんに会うの初めてで何言っていいかわかんない……」
「……ふふ。お世辞なんていらないわ。アタシはアンブロシア。ついさっきまで魔女だった……今は、何の力もないただの女よ」
フィルの運命変異体への説明が終わり、アンブロシアとの顔合わせが始まった。顔を赤らめる運命変異体を見て、アンブロシアはそう口にする。
「いえ、お世辞だなんてそんな! 心からそう思ってます、正直に言うと……すごく、好みです」
「えっ……。そ、そうなの? ……あ、ありがとう」
運命変異体からのアプローチを受け、アンブロシアは顔を真っ赤にしてしまう。そんな彼女を、オリジナルコンビはニヤニヤしながら見守っていた。
「ま、続きは彼の世界に帰ってから存分にやりなさいよ。じゃあね、アンブロシア。もう二度と会わずに済むことを祈ってるわ」
「……ありがとう。正直、アタシかあんたのどっちかが死なない限り、この戦いは終わらないと思ってた。だから、もう一つお礼してあげる。オリジナルの方のフィルくん、こっちに来て」
「なんでしょう?」
「このペンダント、あげるわ。ベルティレムの使う記憶支配の魔法に耐性を得られる、この世に一つしかないアタシのハンドメイドよ」
オリジナルの方を手招きし、手を差し出させるアンブロシア。魔力を集め、しずく型をした銀色のペンダントを彼の手の上に乗せた。
氷のような心地いい冷たさを放つペンダントを見ていると、アンブロシアがそう口にする。が、フィルはいまいち飲み込めていない。
「ベルティレム? 誰ですか、それ」
「アタシが追っていた、ソサエティを裏切った疑惑のある女よ。そいつは、他人の記憶を自在に操る魔法を使えるの。あなたも、すでにやられている痕跡がある。だから、それを託すわ」
「ねぇ、私の分はないわけ?」
「あんたはいらないでしょ。気付いていないかもだけど、あんたはもう抗体が出来つつある。しばらくすれば、完全といかなくても耐性を得られるはずよ」
自分にもペンダントを寄越せと言い出すアンネローゼに、アンブロシアはそう答える。ぶーたれているアンネローゼをフィルが宥める中、続きを話す。
「アタシは奴との戦いで、記憶を消されたフリをしていたの。ベルティレムを欺くためにね」
「その戦い、僕は覚えていないんですよね。もしあなたの言っていることが正しいなら……」
「消されたわよ、フィルくんの記憶は。だから、アタシとベルティレムの戦いを覚えてないの」
そこまで言った後、アンブロシアは側にいたフィルの運命変異体に手を差し出す。少年もおずおずと手を差し出し、握った。
「もう行かなきゃ。いつまでもここにいたら、ベルティレムが殺しに来るかもしれないし。……あいつには気を付けて。何を企んでいるのか、分からないから」
「ええ、その言葉覚えておくわ。元気でね、アンブロシア」
「さようなら、オリジナルのアタシ……そしてフィルくん。さ、行きましょ。運命変異体の方のフィルくん。これからよろしくね」
「は、はい! こちらこそよろしくです!」
二人は手を繋ぎながら、オリジナルのフィルが作り出した黄金の門を潜り抜ける。そうして、向かうべき世界へと旅立っていった。
「……なんだか、呆気ない幕切れね。ま、後味の悪い結末じゃないからいいけど」
「そうですね、形はどうあれルナ・ソサエティの戦力が減ったわけですし。これで残る幹部は……三人でしたっけ?」
「そのはずよ。その中には……まだ、マルカがいるけどね」
迅雷の魔女マルカ。フィルたちが最初に交戦した七栄冠であり、完敗を喫した因縁の相手。彼女へのリベンジの時は、確実に近付いている。
「あ! そうだ、クラヴリンのこと忘れてた。早く探しに行かなきゃ」
「え、彼来てるんですか?」
「そうよ。フィルくん奪還の助っ人として、レジェが連れてきてくれたの」
「そうだったんですか、じゃあお礼をしないといけませんね」
黄金の門を消し、フィルはアンネローゼと手を繋ぎながら森の中を進んでいく。その様子を、遙か北にある荒野からベルティレムが千里眼で見ていた。
「……いいのかい? 彼らを放置してしまって。もう、私たちのお家芸が通用しなくなるが」
「問題ないさ。どんな形であれ、アンブロシアを排除出来ればそれでいい。私の記憶操作の魔法も、完全ではないしね。いずれは彼らに効かなくなっていたし、気にすることはないよ」
ベルティレムの傍らには、憂いの君が立っていた。彼女の問いかけに、本体は静かに答える。この段階ですでに、彼女の計画は最終段階に入っていた。
記憶支配の魔法がフィルたちにバレたところで、支障はない。もうじきに、ミカボシ復活の準備が整うのだから。
「さっき悦楽の君から連絡があってね。イゼルヴィアの方では、もう準備が終わったそうだ」
「ほう、この二日でかい? アンブロシアがネクロモートの量産を終わらせていたとはいえ……。それで、勝ったのはどちらかな。ソサエティか、レジスタンスか」
「それは向こうに戻ってからのお楽しみだよ、我が分身。さ、行こう。しばらくはこちらに戻ることはない、次にこっちに来るのは──封印の御子の計画が始動する時だ」
そんなやり取りの後、ベルティレムたちは世界再構築不全を起こしてカルゥ=イゼルヴィアへ帰還する。そんな中、フィルたちはクラヴリンを見つけ出すことに成功していた。
「いや、助かった。アンデッドたちが消滅するのがあと少し遅かったら、我輩はダメだったかもしれん」
「間に合ってよかったです。クラヴリンさん、助けに来てくれてありがとうございます」
「気にするな、レジェの頼みを聞いただけに過ぎぬ。礼ならあやつに言うがいい」
「そうねぇ、レジェにはあとで美味しいスイーツをたくさん奢って……」
森を出て、シュヴァルカイザーの基地に帰ろうとする三人。その時ら彼らの目の前の空間が歪みはじめる。
直後、そこから傷だらけになったローグが転がり落ちてきた。生きているのが不思議なほどの大怪我を負っている彼に、フィルたちは駆け寄る。
「ローグ!? どうしたのよその傷、一体何があったの!?」
「フィル、アンネローゼ……。どうやら、間に合った……みたい、だな」
「喋らないでください! すぐ基地に戻って手当てを」
「……付けろ。奴が……ミカボシが、目覚める。もうすぐ、奴が……封印が、解かれ……」
そこまで伝えたところで、ローグは気を失ってしまう。ただ事ではないことを悟り、フィルたちは急ぎ基地へと戻っていく。
世界の命運を賭けた戦いは、新たな局面に突入しよとしていた。その行く末は、まだ誰も知らない。




