196話─アンブロシアの目的
その日の夜、フィルはずっと不機嫌だった。見知らぬ土地にあるログハウスに監禁され、愛する恋人のまがい物に世話をされているのだから。
「ほーら、晩御飯が出来たわよー。今日はビーフシチューにしたの、たくさん食べてね」
「……」
フィルの目の前には、湯気を立てる大鍋が置かれている。中には、アンブロシア謹製のビーフシチューが入っていた。
濃厚なソースの中には、大切りな牛肉やジャガイモ、ニンジン等がこれでもかと投入されている。付け合わせのサラダもパンも、どれも美味しそうだ。
「ほら、早く食べないと冷めちゃうわよ? あ、もしかしてアタシに食べさせてもらいたいんだ? しょうがないわね、じゃあ口移しで」
「自分で食べるので結構です!」
ずっとアンブロシアを無視していたフィルだったが、実力行使に出ようとしたためテーブルに手を叩き付けながらそう叫ぶ。
とはいえ、中々ビーフシチューを食べる気にはなれなかった。調理中に何を混入したかも分からないものを、呑気に食べるわけにはいかない。
(惚れ薬やら媚薬やら、とんでもないものが入ってる可能性がありますし……適当に理由を付けて、食べずに寝てしまうのが一番ですね)
「あ、もしかして疑ってる? だいじょーぶ、薬なんて入れてないわよ。でもぉ……ビーフシチュー食べてくれなかったら、次からはいろいろ入れちゃうかも」
そんなフィルの心理を見透かしたアンブロシアは、ニヤニヤ笑いながら暗に圧をかける。睨み付けてくるフィルを見ながら、先にビーフシチューをお椀によそって食べはじめた。
「んー、美味しい。こんなに美味しいお肉、滅多に食べられないわよー? いらないなら、全部食べちゃおうかしらー」
「う、ぐ……分かりました、食べますよ……」
最初こそ我慢していたフィルだが、十分も経つ頃には腹の虫がぐうぐう鳴り出していた。すでに鍋の中身は半分ほど減っているが、アンブロシアは止まらない。
これだけ食べても異変が起きていないのだから、混ぜ物などないだろう。そんな考えが鎌首をもたげ、フィルは誘惑に負けてしまう。
(ちょっとだけ……ちょっとだけなら、大丈夫ですよね。お肉を一切れ食べるだけなら……)
そう自分に言い聞かせながら、お玉でビーフシチューを救いお椀に入れる。トロトロになった肉をスプーンで一口サイズに切り分け、食す。
そこからはもう、無我夢中で料理を貪った。敵襲に備えてずっと神経を尖らせ、昼食を摂っていなかったフィルはビーフシチューを全て平らげてしまう。
「ふふ、いい食べっぷりだったわ。ビーフシチューもサラダもパンも、一気に完食しちゃったわね」
「……悔しいですが、料理の腕は認めます。こんなに美味しいビーフシチュー、僕でも多分作れません」
「いぇーい、褒められちゃった。これで二人の仲も一歩前進、ね」
アンブロシアの料理の腕は、フィルも認めるほどのものだったようだ。不本意ではあるが、料理の美味しさを賞賛するフィル。
それを聞いたアンブロシアは大喜びし、花が咲いたような笑みを浮かべる。魔法を唱えて自動で食器の洗浄を行う中、フィルを見つめる。
「じゃあ、ご飯を食べ終えたし……行きましょうか? ベッド」
「いいです、僕はあっちのソファで寝るので。半径一メートル以内に入ってきた瞬間、舌を噛み切るのでそのつもりでいてください」
どこかアブナイ雰囲気を醸し出しながら、アンブロシアはフィルをベッドに誘う。当然お断りし、つれない態度で返答した。
「あぁん、つれないわね。でもいいわ、少しずつ誘惑して」
「一つ聞いていいですか? あなた、ずっと僕を奪うだのなんだの言ってますが……本当にその気があるんですか?」
「……どういうことかしら。アタシは本気よ、君を攫う時だって、あの女の前でキスしてあげたじゃない」
「ええ、そうですね。なら、今もそうすればいいじゃないですか。あなたなら、無理矢理手篭めにしてしまうことも出来るはず。でも、それをしない」
肩をすくめるアンブロシアの言葉を遮り、フィルは淡々とした口調で問いかける。ジッと相手の目を見つめ、疑問を口にする。
「時間をかけるのは、あなたにとって不利なはず。アンネ様だって、いつまでも寝込んでるわけじゃない。それに、オボロたちもいる。今この瞬間にも、仲間たちが僕を奪還しに来るかもしれないのにあなたは焦りすらしない」
「……」
「チグハグなんですよ、あなたの言っていることとやっていることは。そこに強烈な違和感を感じているんです、僕は。あなたの狙いは……なんなんですか?」
拉致されてからというもの、フィルはずっと違和感を抱いていた。アンネローゼからの略奪を成功させるには、早急にフィルを自分に惚れさせる必要がある。
それこそ、惚れ薬なりなんなりを使ってしまうのが手っ取り早いのだ。自分の魅力だけでオトす、などと悠長なことをしていれば、それだけ奪還されるリスクが高まる。
「……そうねぇ。君を手に入れたい、ってのは本当よ。でも……それ以外にも一つ、目的があるの。それを果たすために、あえて引き延ばしてるのが現状ね」
「目的……一体なんなんです? あなたのもう一つの目的は」
「アタシの目的は一つ。ベルティレムを殺すことよ」
フィルの問いに、アンブロシアはもう一つの目的を明かした。彼女の放った予想を超える言葉に、フィルは困惑してしまう。
ベルティレムのことは、レジスタンスでの葬儀が終わった直後にシゼルやローグから聞かされてはいた。ルナ・ソサエティの最高幹部、月輪七栄冠の一人。
今現在、カルゥ=オルセナのどこかに潜伏している厄介な存在だと。だからこそ、アンブロシアの真意が分からない。
「どういうことなんです? 確か、その人は」
「アタシたちの仲間よ……いえ、正確には仲間のフリをしていたが正しいわ。あいつ、何か企んでるのよね。それを確かめるのが、アタシの裏の目的なの」
そう口にした後、アンブロシアは語る。ここ最近、ソサエティ内部で不穏な動きがあると。穏健派と過激派の衝突と腐敗の加速を引き起こし、内部分裂を画策する『ナニカ』がいるのだと。
懐から銀色に輝くモノクルを取り出しながら、魔女はさらに話を進める。
「独自の方法で、仲間に内緒でいろいろ調べたの。そしたら、あいつ……ベルティレムがどうも怪しい動きをしてるのが分かってね。あいつによって、いろんな人たちの記憶の改ざんが起きてることが判明したの」
「記憶の……改ざん?」
「そう。あいつは何かしらの目的のために、ターゲットの記憶を消し、あるいは作り替え、自分の足取りを辿れないようにしてる。とうの昔に失われたはずの、超高等な記憶支配の魔法を使ってね。古代の資料を元に作ったこのモノクルの力で、それを見破ったの」
彼女の言葉に、フィルは言葉に出来ない不穏なものを感じ取る。そんな彼に、モノクルを右目に装着したアンブロシアは決定的な一言を叩き付けた。
「率直に言うわ。君、記憶を消されてる痕跡があるわよ。たぶん、君は……いや、君の仲間はすでにあいつに会ってるはずよ」
「そんな、あり得ない! そんな怪しい人に会っていたら、絶対に忘れませんよ!」
「だから言ってるじゃない。記憶を消されてるって。これまでベルティレムに記憶を支配された連中も、みんな同じこと言ってた。そして……あの女の魔力の残滓を、身体に宿してるのよ。君もそう」
「仮にそれが本当だとして、そのベルティレムという人は何故僕に接触したんです? 敵同士なんですよ、僕と彼女は」
アンブロシアの言葉を、フィルは必死に否定する。だが、否定すればするほどに、彼が持つ記憶に綻びが生じていく。
忘れてはならないことを忘れているような、大切な『ナニカ』を早く思い出さなくてはならないような。そんな感覚が、頭の中に広がる。
「あいつはすでに、君に接触して何かを話した。でも、それを覚えてられると困るから記憶を消した。そんなところかしらね」
「僕は……僕はその人と会ったのかな? 会ったとして、何を話したんだろう?」
「さあね、それは本人から聞いた方が早いわ。多分、あいつはこの会話を探知してるはず。近いうち、アタシを消しに来るでしょうね。それまで、アタシと一緒にいてもらうわよ。君も真実を知りたいでしょ?」
「それは……そうですが……。あ、まさかそのために略奪愛がどうのと理由をつけて」
「それは嘘なんて言ってないわ。アタシ、君に一目惚れしたの。マルカとの大立ち回りやってる監視水晶の映像見た時にね」
自分を攫ったのは、ベルティレムが接触してくる理由を作るためだったと思うフィル。が、アンブロシアは本気で横恋慕しているようだ。
不穏な話によって生じたフィルの不安を消し飛ばすかのように、彼女は早口に語りはじめる。どのようにしてフィルを知り、惚れたのか。一切合切全部。
「オリジナルと運命変異体の違いがあるって言ってもさぁ、同じ人間なわけじゃない? だから、性癖とか人の好みとかも似てくるわけよ。アタシたちはそこがドンピシャで同じだったってわけ。分かる?」
「いや、まあ……分からなくもないですが……」
「それにね、オリジナルへの対抗心だってあるわけよこっちには。人が年齢=彼氏いない歴記録更新してるのに、それを尻目にイチャコラされたら奪ってやりたくもなるってのよ」
(うわぁ、しまった……。この話、物凄く長くなりそう。迂闊なこと言っちゃったなぁ……)
アンブロシアの真意を問い質すつもりが、最終的には彼女の独壇場になってしまった。口を挟むことも出来ず、フィルはひたすら聞き役に徹するのだった。




