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【後】堅忍不抜



 冴えない人生を歩んできた私だが、入社半年後の今、思わぬ幸運に恵まれている。


 社内一の美女と名高い先輩から、熱烈なアプローチを受けているのだ。モテ期など無縁な私が何故、彼女に気に入られたのか理解不能だが、とにかくぐいぐい迫られている。セクハラ問題で絶滅寸前の職場恋愛も、女性から誘う分にはフリーパスだ。


 もちろん私も悪い気はせず、先日、ついにデートに誘った。返事はもちろんイエスだった。


 ここまでを見れば順風満帆、縁起を担ぐ必要など皆無だと思われるかもしれない。しかし私には焦りがあった。受け身ばかりでリードできなければ、いずれ愛想を尽かされる気がしたのだ。好事魔多し。幸運は永遠には続かない。


 だがそれは魂なき過去の話。

 祖父の(ふんどし)を得た私は、情熱のままに行動を開始した。

 彼女の好みを調査してデートコースを設定、何度も現場を視察した。複数パターンを想定しトラブル対策も万全、計画書は企画書並みに分厚くなった。眠れる自分の才能に驚くほどだった。

 

 この成果が、褌の下支えあらばこそなのは言うまでもない。仕事中は堅固に、オフタイムは緩く。褌はワークライフバランスの物理的肉体的なコントロールを可能にする。

 私は()き替え用の褌を注文した。もはや褌なしの生活は考えられない。


 デート計画との両輪にも関わらず、仕事の効率は落ちず、むしろ上がった。「顔つきが違うね」と上司に褒められ、思わず顔を撫ぜた。人生が上向く実感があった。



  ¶ ¶ ¶ ¶ ¶



 そして当日。

 私は祖父の褌を締め、決戦に(のぞ)んだ。

 エスコートは不慣れながら、入念な計画書に助けられ、デートはつつがなく進行した。夜が迫り、さりげなく誘ったホテルにも、彼女は上機嫌で同行した。男の正念場である。


 私には、一つだけ懸念があった。

 ベッドインの際、褌を見られてしまうことだ。彼女が褌派ならいいが、そうでなければどんな拒絶反応を生むかわからない。かといって褌以外の選択などあり得ない。これは私の魂なのだ。


 この事態を避けるべく、私の計画書では、先にシャワーを浴びることになっていた。ホテルには備え付けのガウンがある。脱いだ衣類に褌を隠し、下着なしのガウン姿で戻れば、問題は解決するはずだ。


 予約した部屋に入った私は、情熱的に抱きつく彼女を制して、計画通り、浴室へ移動した。

 服を脱ぐと、褌の中の愚息がこれでもかと突き上げてくる。勃起に応じて変形するのが褌の長所だが、紐が緩めづらくなる問題が生じる。


「えっ、なんでフンドシ……?」


 その声に顔を上げ、私は目を疑った。

 浴室の扉が開き、彼女の顔が覗いている。その視線の先が私の褌と、その下の種子島(たねがしま)にあるのは明らかだった。ちなみに種子島は鉄砲の隠語であり、ロケット発射場も意味する。どちらも男性器に符合するのは偶然だろうか。


 一拍の後、風呂場は爆笑の渦に呑み込まれた。

 かくして私の初デートは、無惨に爆散したのである。



  ¶ ¶ ¶ ¶ ¶



 褌男が美女に振られた話は、早馬の如く社内を駆け巡った。マドンナのゴシップは面白可笑しく尾ひれがつき、私は翌日には「褌太郎」「褌くん」と呼ばれ、トイレや更衣室の有名人になった。


 この屈辱の日々を、私は仕事に没頭することで(こら)えた。彼女を恨む気持ちは一筋もなかった。


 恨むとすれば、私自身の弱さだ。

 あの時、私は心の何処かで褌を恥じた。それ故に姑息な計画を練り、目撃された際にろくな弁明もできなかった。いや、弁明など必要ない。胸を張り、褌の偉大さを彼女に語ればよかったのだ。

 私にはそれができなかった。

 褌に裏切られたのではない。私が褌を裏切ったのだ。


 この汚名をそそぎ、性根を鍛え直すには、仕事で結果を出すしかない。曾祖父がくぐった剣林(けんりん)弾雨(だんう)に比べれば、なんと温い逆境か。私は文字通りに褌を締め直し、一心不乱に業務に取り組んだ。


 しかし、事態は私の努力を待ちはしなかった。数日後、私は社長室に呼び出された。通された部屋の奥、豪奢なデスクを間に置いて、私は社長と対峙した。机には数枚の書類があった。


 セクハラで訴えられたのか。それとも左遷か。戦々恐々としながら立ち尽くす私に、社長は幾つか質問をした。すでに調べは済んでいるらしく、ほとんどは事実確認だった。

 最後に、社長が尋ねた。


「君は……まだ褌を履いているのか?」


 胸の奥に眠る和の魂が、まばゆい光を放つ。

 私はベルトを緩め、スラックスを落とすと、真っ白な褌を社長に(さら)した。この心に、一片の迷いもないことを示すために。


 ふいに社長が立ち上がり、ベルトを緩めた。

 背広の裾の下に現れる、真っ赤な褌。

 デスク越しにはためく、褌と褌。

 互いの目が合った。言葉は要らなかった。

 社長の差し出した手を、私は強く握り返した。

 


  ¶ ¶ ¶ ¶ ¶



 それからの私の人生を簡潔に語り、この物語を締めくくりたい。


 脇目も振らず仕事に邁進した私は、社長の覚えもめでたく、役職の階段を駆け上った。社外の交渉も任され、人脈のパイプを広げた。私の褌エピソードは定番ネタになり、中にはカミングアウトする相手もいた。誰もが気骨ある人物だった。


 その後、私は会社を出て独立。地元に戻り、小さな会社を立ち上げた。社訓は「褌を締め直せ」。田舎にあって世界を相手取る中小企業として、世間の注目を集めている。

 入社式では全員に褌を送った。着用義務があるわけではないが、社員の士気はおしなべて高い。


 もちろん私は、今日も褌着用。

 毎日が《勝負下着(サムライパンツ)》である。

 


 

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