第19話 魔法と猫
パリの街は街灯を輝かせていた。それはただの電気が電球のフィラメントを燃やしているだけなのかもしれないが、それは星にさえ見えた。そして通り過ぎてゆく車が放つヘッドライトやブレーキランプの光は、流星群を彷彿とさせた。
そして、そんな空の下を歩いていた島田は、周りの通行人からの視線に気が付き放心状態から復帰した。島田の手には何やら湿った暖かさを感じ、島田は自分の手を見た。するとそこには明らかに自分のものではない、白くて、綺麗な爪が台無しのマニキュアで装飾された手があった。
島田は不思議に思い、その手の方をたどっていくと、見覚えのある背中が見えた。
「音虎?」
すると音虎は歩いたまま振り返り言った。
「どうしたの?」
音虎はその火照った顔を、少し恥じらいながらも島田に見せていた。
「どこへ行くつもりだ?」
「ホテルに帰るんだよ、そんなことも覚えてないの?シマちゃん飲みすぎだよ」
島田は自分が酒を飲んで酔っ払っていることに初めて気が付き、少し恥ずかしかった。しかし、先ほど音虎の火照った顔を思い出した島田は言った。
「音虎も酔ってるんじゃないのか、顔が真っ赤だぞ」
音虎はまた振り返って、さらに頬を赤らめて言った。
「何言ってんの、私は一口も飲んでないし、顔が赤いのはシマちゃんのせいだよ」
「俺が何かしたのか?」
音虎は何かを思い出しながら言った。
「嬉しかったよ」
「ならよかった」
島田は心の底からそう思っていた。そして島田が気が付いたときは、差し込む朝日に照らされた自分の腕を見た時だった。島田は体が痛むも、その体を無理やり起こして周りを見ると、島田はベットから落ちて床で寝ていたのだと気が付き、とりあえずベットに座った。
「ゔっ」
島田は何事かと思い後ろを振り返ると、ベットには音虎が寝ていて、音虎の足が島田の尻の下敷きになっていた。島田はそれに気が付くとすぐに立ち上がり、位置を変えて座りなおした。そして丁度そのタイミングで音虎も目が覚め、体を起こして寝起きのガラガラとした声で言った。
「痛い」
「ご、ごめん」
音虎は下着姿だったが、島田も寝起きだったため驚いたりする体力はなく、見なかったことにした。しかし、島田はそれよりも気になることがあった。それは、なぜ自分が音虎と同じ部屋で寝ていたのか、それと昨日の記憶が途中から曖昧だったからだ。
「なあ音虎、俺はなぜ一緒の部屋で寝ていたんだ?」
音虎は下着姿なのを恥じらいもせず立ち上がり、洗面所へ向かいながら話し出した。
「シマちゃんが酔いすぎて、私の部屋を上げたら自分の部屋と勘違いして入っていったからだよ」
島田は、自分が昨日街のバーに行き、仕事に疲れた若いサラリーマンが居酒屋でビールをがぶがぶと飲むように、赤ワインを飲んでいたのを思い出した。そして、島田はもう一つ質問した。
「俺、昨日音虎に何を言ったんだ」
すると、数秒間が空いたのち音虎が洗面所から歯ブラシを銜えたまま、笑顔で顔だけを出して言った。
「また飲みに行こうね、シマちゃん」
音虎は言わなかったが、島田は何となく自分が恥ずかしいことをしたんだろうと察し、これ以上聞くと自分で自分の首を絞めそうだったので、そのまま自室へと帰ろうとした。するとそれに気が付いた音虎は島田を止めた。
「待って」
「なんだ」
「私に考えがあるから、ヴィンセントさんに会わせて」
島田は、昨日があまりに濃い一日だったため、魔女の血を分けてもらいに来ていたことをすっかり忘れてしまっていた。
「あぁ、別にいいけど…よし、十二時にフロントだ、少し休憩させてくれ」
そう言うと、島田はタバコとライターを持つと、一人パリの街に消えて行った。
島田はセーヌ川をまたぐベルリー橋という煉瓦でできた橋の下で、少し淀んだ緑の川を眺めていた。そして無意識にタバコを銜えて、ライターで火をつけて吸った。川は汚くて臭いのに、綺麗な建物やどれくらい古いのかわからない船などの周りの風景のおかげか、島田は決して不快には感じず、なんなら心地よくも感じていた。
島田はそんな川のせせらぎに耳を傾けていると、昨日のことが次々とフラッシュバックしてきた。音虎の目に反射する夜景、潤った音虎の唇、音虎の唇の暖かくて柔らかな感触、音虎が見せたあの火照った笑顔などだ。そして島田はそれを思い出すたびに、自分は酔っていたから、疲れていたんだろう、と自分に嘘をついた。
しかしそう自分をだますたびに、音虎が言った「素直になるべきだと思う」というフレーズが頭をよぎり考えることやめた。そしてまた川を眺めていると昨日のことがまたフラッシュバックしてきて、島田をいじめた。すると、島田の横に白いケープマントを着てフードをかぶった見知らぬ人が立っていた。
島田は少し気まずかったのかわざと気が付いていないフリをして、早くどこかへ行ってくれと願っていた。しかしその人は島田の願いに反してゆっくりと近づいてきて、若い女性の声でフランス語で言った。
「帰れ、死人が増える」
島田はそれを聞いた途端、背筋にとてつもない寒気を感じ振り返ったが、そこには人影すら見当たらなかった。島田は一瞬怖くなったが、おかしな人がいるもんだなとだけ思い、今起きたことは忘れることにした。
十二時を迎える五分前に島田はフロントに到着した。そして、音虎も到着した島田に気が付き、島田のところへ歩いて行き言った。
「おかえり、休憩はできた?」
「あぁ、それより昼は中華でもいいか、そんな気分なんだ」
「いいよ、私もちょっとジャンキーなものが食べたかったし」
そして島田と音虎は中華料理を堪能し、タクシーに乗り込みフランス国営歴史博物館へと再び向かっているところだった。島田は音虎に考えがあると聞いていたので、それが何なのか気になり聞いてみることにした。
しかし、音虎は「秘密」と言うだけで、一向に言おうとはしなかった。そしてタクシーはフランス国営歴史博物館に到着し、島田と音虎はヴィンセントの管理する部屋の前までたどり着いた。すると音虎は、島田に「入ってこないでね」とそう言うと、一人で部屋に行ってしまった。
島田は素直に音虎の言っていたことを守り、ドアの前でひたすら待っていた。そして島田の前を六人目の従業員が通り過ぎた頃だった。ヴィンセントの部屋から音虎の嗚咽する声が聞こえ、さすがに島田も我慢できずに部屋に入ってしまった。
するとそこには、ただ壁を見つめるヴィンセントと、地面に座り込んで涙目で血を吐いている音虎の姿があった。島田はヴィンセントが音虎に何かをやったのかと思い、怒鳴りつけた。
「おい、お前音虎に何をした!」
しかし、ヴィンセントはただただ壁を眺めているだけで、微動だにしなかった。これが余計に島田の怒りを逆なでし、ヴィンセントを殴ろうとした。すると音虎は、島田を必死に止めながら説明した。
「シマちゃん、違うの。ヴィンセントさんは何もしてない」
音虎はむせながらもそう言うと、島田に魔女の血が少量入った小瓶を渡し、指をパチンと鳴らした。すると、ヴィンセントはようやく動き出し、島田たちを見ると怯えた顔で言った。
「やってくれたな…」
ヴィンセントの声は震えていて、ため息を深く吐きながら、ゆっくりと天井を見上げた。島田は状況がよくわからず、音虎の方を見た。すると、音虎は島田の顔を見て、悲しそうな顔をして言った。
「シマちゃん、約束は守ってほしかった」
音虎が言った瞬間、島田と音虎の目の前に青白い稲妻が発生し、次第にそれは空間を縦に裂き、中からは島田が川で見たケープと同一のものを着た人が出てきた。そして、島田は魔法使いを始めて目の当たりにしたため、すでに混乱していた。
そしてその魔法使いが姿を現すと、部屋の隅で腰を抜かしてたヴィンセントが、島田も聞いたことが無いようなフランス語で島田を罵倒し始めた。するとその魔法使いは、低い男性の声で音虎に言った。
「おい、わかるよな」
「はい」
音虎はそう言い魔法使いの方へと向かった。するとその魔法使いは、タンジーという黄色くて小さい菊のような花を三本床に落として、音虎と一緒にその裂け目に入り込んだ。そして、その裂け目が閉じ始め、閉じ切ってしまう一歩手前で音虎が叫ぶ声が聞こえた。
「逃げて!」
その悲鳴のような音虎の声は、島田の混乱した脳に鋭い危険信号を発生させた。島田はドアを薙ぎ払うように開け、出口へと必死に走った。そしてその瞬間、島田の背後から青白くて激しい光が三回ほど閃光して、白い爆発が島田や従業員たちを包み込んだ。
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余談ではありますが、最近野草を取って食べるのにハマっていますw是非皆さんもノビルとかヤブカンゾウとか、まだ生えていると思うので食べてみてくださいwwどぶネズミでした。




