83話
「本当に、とんでもない事をしてくれたな」
殺気、怒気を隠そうとしない多数の魔人と魔女に囲まれて、拓郎に絡んだ例の男性は今震えあがっていた。そしてそんな中、1人の魔人が先ほどのセリフを吐く。なお、この言葉の主は過去に拓郎にファミレスにて直接会話をした彼である。
「お前は知らないのか? 彼のそばにいた女性二人を。片方は指名手配はされているが、それはちょっかいを出すな関わるなという意味だ。あそこにいたのはクレア・フラッティと、ジェシカ・ノーランド。どの国の人間でも大人であるならばこの二人の魔女の事は知っていると思ったのだがな」
そして魔人から念入りに事実を伝えられる。無視も耳を閉ざす事も許されない。無理もない、事態のころがり方によっては凄惨な状況が生み出されていた可能性があるのだから。そしてちょっかいをかけた男性もその事実を理解し立てなくなってしまった。震える脚は生まれたての小鹿の様であり、表情はもはや青を通り越して白い。
「今あの二人は今までの中で一番落ち着いているんだ。お前は運が良かったな? 彼女が荒れている時期に出会っていたら、お前の体は今頃チリとなって霧散していたであろうよ」
他の魔人も、容赦なく現実を伝えていく。事実、そうやってクレアに文字通り物理的に消された人間など山ほどいる。そう言ったものを知っているからこそ、クレアに対して刺激をするな、とにかく避けろという方針を取り続けてきたのが彼等だ。その恐ろしさは骨の髄まで、魂の芯まで刻まれている。
だからこそ、今日の一件は肝が冷えた。かつて、クレアは食事中にごろつき数人に絡まれた事が切っ掛けでその国のごろつきや犯罪者たちを狩りだしたことがある。もちろんその行動には法も何もあった物ではなく、クレア本人が悪だと決めた相手を容赦なく一方的にすりつぶしていった。すりつぶすというのは文字通りそのままの意味だ。
言うまでもなく、いくら悪党や犯罪者相手と言ってもやり過ぎどころの話ではない。でも、その国の中枢も警察ももちろん国民もクレアの行動を止める事など出来なかった。それはまさに天災のそれであり、ただひたすらに一刻も早く立ち去ってくれることを祈る事しか出来なかったのである。
そしてすべてが終わってクレアがその国から旅立った時には、その国の人口の5%が消えていた。これが途轍もない大虐殺だ何てことは説明など必要ないだろう。しかし、それを誰も咎める事などできやしない。犯罪者たちだってただやられた訳ではないし、中には魔人や魔女もいてクレアと戦った者も多かった。
しかし、その誰もが一筋の傷もつける事が出来なかったのだ。攻撃を全て受け止めきられた後、容赦なく壁や地面に押し付けられてからすりおろされた。もはやグロいなんて物ではないのだが、それすらクレアはハイライトの消えかかった目で何でもないかのように眺め、そして息絶えたらきれいさっぱり痕跡を消してしまっていた。
まるで何もなかったようにきれいになるが故に、その光景は恐怖をより煽るものとなった。勝ち目など無いとさっさと国外逃亡を図った者も当然多かった。だが、クレアの魔法から逃れられた者は誰一人としていなかった。全てが擦り潰され、痕跡を消され、存在していなかったとしか思えない結末を迎えたのだ。
そんな大量虐殺を行ったクレアだが、目も表情も何一つ変わる事は無かった。その国に当時いたある一人の市民は口にした。あの姿を見れば、デーモンなど赤子以下だろうと。昨日までいた人間が今日はきれいさっぱり消えていく。これがどれほど恐ろしいか……あまりに現実味がなく、あまりにも空虚で、現実味がない。だと言うのに、それこそが紛れもない現実なのだと。
もちろんこの事件は各国に即座に伝わった。政府だけではなく、裏社会に生きている者達にも。そして絶対に手を出すな、あの魔女が関わっているならばすぐさま手を引け。もし手を出したバカがいたらそいつは即座に殺せという指示が飛んだのは至極当然の事だろう……そんな爆弾に、あんなことをいい年をした大人がしたのだから、魔人や魔女達の怒りは天井知らずとなるのは当然である。
「そ、それはもちろん知っている! だがあのクレア・フラッティがまさかあんな男と一緒にディナーを楽しんでいるなどと思えんだろう!? 無感情で、殺戮すら普段と変わらぬ顔でやる無慈悲な魔女、クレア・フラッティがだぞ!?」
しかし、絡んだ男性も知ってはいたがあんな姿をしている女性がクレア・フラッティだと分かるかと反論した。知っているクレア・フラッティの外見と表情があまりにも違い過ぎたから仕方が無いだろうと。が、そんな反論は魔人や魔女達の怒りにガソリンを注ぐだけである。立てなくなっている男性のすぐそばに冷気の光線魔法が飛ぶ。
「お前の目は本当に腐っているようだな。そのクレア・フラッティをあそこまで人間に戻したのがあの男だ。あの男がいるからこそクレア・フラッティの精神は安定し、今までの中で一番穏やかになっているのだ。我々はあの男が暗殺などされぬように遠くから護衛をしている。これは国からの指示でもある……お前はそれに喧嘩を売ったのだ」
光線を飛ばした魔人が睨みつけながら絡んだ男性に対して冷たい視線と共に吐き捨てるような勢いでそう口にする。
「これは最終通告です。万が一逆恨みでもして彼に危害を加えようとする可能性がありましたからこうして念入りに説明しているのですよ。ねえ、ある会社の副社長さん? 貴方にも財力を始めとした力がそれなりにある。だからその力を使って彼にお礼参りという奴をされると困るのですよ。そんな事をされて万が一あの男性が死んでしまったりしたら……世界の終わりなのですから」
と、魔女が穏やかではあるが強い意志を込めて絡んだ男性に通告する。彼女の言う通り会社の副社長である彼だが、その裏で問題のある連中との繋がりもあったのだ。実際過去に彼はそう言う奴らを使った行動を行っていたりする。だからこそ、こうして念を押しておかねばならないのである。
「世界の終わりというのは比喩ではありませんわよ? 今のクレア・フラッティから彼を事故や寿命以外の形で奪ったらどうなるかのシミュレーションなども行われておりその結果を伝えているだけですわ。実に98%の可能性でクレア・フラッティとジェシカ・ノーランドの二名が暴走し、地球を木っ端みじんにするという結論が出ていますの。まさに、彼が居ないなら世界に価値などないという奴ですわね」
と、また別の魔女が告げる。彼女の発言には嘘偽りなどいっさいない。100万回ほどシミュレーションが実行され、98.698542247%の確率で、拓郎が暗殺された場合クレアとジェシカの2人が地球を破壊して自分の命を世界と共に終わらせるという笑えない結果が出ている。
「小説やゲームならばそう言うエンディングもありだがな、それを現実でやられたら巻き込まれる側はたまった物ではない。故に我々のような魔人や魔女がいるのだ。今回の一件も、あと一歩お前が馬鹿な事をするかクレア、ジェシカの両名が危険な行為に出たら我々が突入してお前を真っ先に殺していた。そう言うギリギリの状況下にあったのだ」
と、別の魔人が状況を説明した。そして、はっきりと告げられる。絶対にあの3人の周囲に近づくな、関わるなと。万が一この警告を無視するようであれば──その日がお前の命の終焉を迎えると。そう言い終えた魔人や魔女は絡んでいた男性の周囲から一瞬で姿を消した。ここまで念入りに警告をされたのに──彼は受け入れなかった。
帰るやいなや、彼は動く。裏の人間を呼び出し、暗殺に見えない形で拓郎を殺す手段を探る。裏で出回っている静かに眠っていく毒等を調べ、使えるものをひたすら漁った。己のプライドに泥を塗ったガキに自分を舐めるとどうなるかを教えてやるために。だが、彼は分からない。舐めているのは自分の方だという事に。
魔人や魔女達は、拓郎を暗殺するために彼が動いている事などは早々にキャッチしていた。だが、彼らが毒などを用意し、言い訳が出来ない状況になるまで意図的に泳がせているだけであった。そしてあの日から一週間後。彼等は動き出した──その瞬間、魔人や魔女達に抑えられたが。
「我々は警告をした。だが、お前はそれをただの脅しとしか捉えていなかったようだな」
彼を始めとして拓郎暗殺に関わっていた全員が一か所に拘束された状態で集められていた。しかしその場所が特殊であり、水深2000メートルぐらいの場所。魔法で空間を作り、そこに集められていたのである。もちろんこの空間が消えれば水が一斉に襲い掛かり、水圧で潰される事になるだろう。
「多少関わっただけの連中は不幸としか言いようがないが──連帯責任という奴だ。彼と同じ運命を辿ってもらう。禍根の芽は、一枚たりとも残してはおけないのでな」
魔人が抑揚のない言葉でつらつらと彼らに言葉をかけていく。だが、ここで切っ掛けとなった絡んだ男が口を開く。
「俺達をどうするつもりだ! ここはどこだ!?」
そんな言葉に、話をしていた魔人はため息を一つ。そして口を開く。
「そんな事を教える理由もないが、まあいい。ここは北極海の水深2000メートルぐらいの場所だ。そして、この空間は魔法によって作られた場所に過ぎない。当然この空間がなくなれば、一気に水が押し寄せ水圧で潰されるだろうな。更に教えておいてやろう、この空間の寿命はあと5分ほどだ」
魔人の言葉を裏付けるかのように──周囲からびしりとという嫌な音が誰にでも聞こえる音量で響いた。悲鳴がいくつも上がる。
「お前達の命は今日、ここで尽きるのだ。警告を聞いて大人しくしていればいい物を……残り僅かな時間、恐怖と後悔をたっぷりと噛み締めてから逝くが良い」
この言葉を最後に、魔人は瞬間移動を行って姿を消した。当然残された連中は大慌てだ。責任のなすりつけ合い、次々と聞こえてくるひび割れの音、空間はあっという間に混沌と化した。その後は──彼らの命はこの後すぐに例外なく全て消え去ったという事実だけを伝えておこう。
警告はきちんと聞きましょう。




