98.この世界にも子供のための絵本が存在するらしい。
新しい妖精郷を見せてもらった翌日、私は雑貨屋のテーブル席でマリオンと一緒に魔法の勉強をしていた。
「だから、変数とか使うのは基礎を学んでからにしなさいよ」
「変数って基礎の基礎じゃない?」
「まずは詩を整然と並べるところからよ」
「理系から急に文系の話になった!?」
魔法の呪文はプログラミング言語に似ているが、文字数を削減しようとすると詩の要素が絡むらしい。これはいわゆるコード整形に該当するんだろうか……?
魔法の呪文は自分の頭の中に確保された領域で動くらしいから、整っていた方が綺麗に動くという話は理解できないでもない。それが上手くできるとは限らないけどね!
「詩をコンパクトかつ整然と並べると、実際の魔法発動の際の詠唱文もコンパクトになるのよ」
「詠唱かー。あの詠唱文、格好いいよね」
「まあ、そうね。詠唱文をいかに詩的にできるかを追い求める人も居るわ」
「私も、中学生の頃はゲームの呪文詠唱を暗記したことあったな……」
神の雷を出でよしちゃうんですよ。
さて、そんな感じでプログラミングの勉強をするつもりが国語の勉強をするハメになった私は、しばらくマリオンの指導で入門テキストの例文を暗唱することになった。
「ふいー、喋って喉が疲れた。お茶にしよう、お茶」
「んもう、軟弱ね」
私は中座してお茶を淹れにいく。今日は魔法都市の魔法の勉強だし、紅茶にしておこうか。
茶葉を用意して、ポットにお湯を入れる。そして、二人分の紅茶を淹れて席に戻っていると、ふと店の窓の方から音がした。
そちらに振り向くと、エルフたちが窓ガラスを叩いて存在をアピールしている様子が見えた。
「ちょっと待ってねー」
私はそう言って、テーブルにティーカップを並べていく。
それから店の入口にまわり、扉を開けて十人ほどのエルフ達を招きいれた。
「お邪魔しまーす」
「はいはい、いらっしゃいませ。今日はなんの御用かな?」
「遊びに来ただけー」
エルフ達に接客をしようとすると、そんな答えが返ってきた。
遊びにね。まあ、村人も雑談するためだけに店にくるから、構わないけど。
それから私は紅茶を飲むためにテーブル席へ着くと、それを見ていたエルフ達がティーカップに群がりだした。
「ねえ、これってお茶? お茶なの?」
「そうだよ。紅茶だよ」
私がエルフの質問にそう答えると、エルフ達はワッと歓声を上げた。
「紅茶! 飲んでみたい!」
「あー、飲むって言っても……食器はどうしようねぇ」
妖精サイズのティーカップなんてないぞ。
と、頭をひねっていると、マリオンが何かの期待を込めるような顔をして言った。
「子供の頃に絵本で読んだわね。エルフは深皿に淹れたお茶をティースプーンですくってみんなで飲むの」
その言葉を聞いていたエルフたちは、一瞬で大盛り上がりになった。
「やってみたい!」
「なぎっちゃ様ー。用意してー」
「紅茶飲みたい!」
はいはい。まったく、どっちが主従か分からなくなるね。ああ、別に主従ではないのか。私が一方的に庇護しているだけで。
まあ、遊びに来た人には茶を振る舞うのが、我が店の流儀だ。そうして私は家の食器棚から深皿を出して紅茶を注ぎ、ティースプーンをあるだけ深皿に突っ込んでテーブルへと運んだ。
すると、エルフ達は誰から飲むか順番を決め始め、ジャンケンのような何かで勝った者達がスプーンを手にした。そして……。
「うわ、渋い!」
最初におそるおそる紅茶を口にしたエルフが、そんなことを叫んだ。
「ストレートは紅茶初心者には早かったみたいね」
マリオンが、ニヤニヤと笑いながらそんなコメントを入れる。
「渋かったら、砂糖か蜂蜜を入れるんだよ。昨日、君たちから買い取った蜂蜜があるけど、入れる?」
私がそう尋ねると、紅茶を飲んだエルフが「お願い!」と叫んだ。
それならばと、私はテーブルの上に用意していた蜂蜜をスプーンでひとすくい入れ、紅茶をかき混ぜる。この蜂蜜は、『経験値チケット』をエルフたちに渡すための対価として昨日受け取った物だ。美味しい蜂蜜なので、雑貨屋でも販売予定。
「うわー、お茶の色が濃くなった!」
蜂蜜を混ぜた紅茶の色が変わり、その様子にエルフ達が騒ぎ出す。
「紅茶が変色する蜂蜜としない蜂蜜があるのよねぇ」
マリオンも、その様子を見ながら不思議そうに言った。
うーん、前に雑学本なんかで聞いたことがある気がするぞ。
「蜂蜜に含まれる鉄分が、紅茶の色を出している成分と反応して黒くなるんだったかな」
「鉄!?」
「蜂蜜に鉄が入っているの?」
「蜂は鉄なんて集めていないよ!」
私の解説を聞いて、エルフたちが騒ぎ始める。まあ、待ってほしい。
「食べ物には、ごくごく微量の鉄分が含まれているんだよ。その鉄分は、血を作る大事な成分なんだ」
私がそう言うと、エルフとマリオンは「へー」と感心したように色が濃くなった深皿の紅茶を見た。
そして、あらためてエルフ達は蜂蜜が入った紅茶を飲み始める。
「何コレ! 美味しい!」
「蜂蜜水より美味しい!」
「お気に入りです!」
そして、深皿の紅茶はエルフたちが交代しながら飲み、どんどんなくなっていく。小さな妖精がティースプーンで紅茶をすくって飲むというなんともメルヘンな光景に、私とマリオンはニコニコ顔で見守ることになった。
エルフ達は紅茶をすっかり気に入り、茶葉を買っていくことを決めたようだ。ちなみにエルフは妖精の力とやらで、水を沸かせることができるらしい。火をおこすわけではないので、森でも安心なんだとか。
「なくなったらまた買いに来るね!」
「窓を叩いてね」
「エルフ用の入口欲しいー」
ああー、今は窓を叩いて入りたい意思を示してもらっているけど、エルフ用の小さな扉を作る必要がありそうだね。猫が通るための小さい扉みたいな。
それからエルフたちは、店の中に散開して各々好きなように過ごし始めた。商品をながめる者もいれば、私達との雑談に興ずる者もいる。
そんなエルフの一人が、私に向けてこんなことを言ってきた。
「なぎっちゃ様は自分の神殿を持たないの? お参りしたいー」
神殿。その発想はなかった。
「この雑貨屋が神殿代わりじゃ駄目かな?」
私がそう言うと、話を聞いていたエルフ達が一斉にブーイングをし始めた。
「雑貨屋は雑貨屋だよー」
「お祈りは専用の場所でやらなくちゃ」
「神官さんだって困っちゃうよ」
お、おう、そうですか。でも、その神官がまだいないのに、神殿だけ建ててもね。
なんて思っていると、不意にイヴの声が店内に響いた。
『マスター。魔法都市でこの村に使者を派遣する計画が立てられています』
「ん? 使者? 何するための人員だろう?」
『新しい魔法神が治める村として、第二の魔法都市にすべきではないかという話になっているようです。それを踏まえたうえで、魔法都市から使者を出し、神官も選出すべきではないかと話し合っています』
「魔法神が治める村って、私、別にこの村を治めてはいないんだけど」
『外から見たら、マスターが支配する村と取られてもおかしくないのではないでしょうか』
ううーん、そんなもん? しかし、第二の魔法都市ねぇ。
すると、話を聞いていたマリオンが、面白そうに話へ乗ってくる。
「まあ、悪くない立地よね。魔獣の森のすぐそばで、魔石が豊潤にある。将来は、戦闘系の魔法使いの学派をこちらに置いて、狩りで魔石を集めさせて魔法都市へ輸出する、なんてありだと思うわ」
学派を丸ごと招いちゃうのか。本格的に村が大きくなっていきそうだなぁ。
「これは、村が町になるのも想像より早くなりそうかな?」
私がそう言うと、エルフの一人が答える。
「町になるなら、それこそ神殿は必要だよー。なぎっちゃ神殿!」
「うーん、神殿かぁ。どうすればいいんだろう」
私が頭を悩ませると、マリオンがあっさりと答えを出す。
「そういうときは、神殿の人に話を聞けばいいのよ」
知らないことは知っている人に聞いてみよう。当然のことだったね。
◆◇◆◇◆
バックス神殿に、神殿はどう建てればいいか聞いてみよう。その答えはというと……。
「この村ですと、この神殿の建物で合祀にすればよいかと」
みんなでゾロゾロと雑貨屋の隣にある神殿に尋ねにいくと、神官さんが応対してくれた。
なるほど、合祀?
「えーと、バックス神殿兼なぎっちゃ神殿にするってこと?」
私がそう尋ねると、神官さんは「はい、その通りです」と答えた。そこへ私はさらに質問を重ねる。
「その場合、なぎっちゃ神殿の神官はどうなるの?」
神官さんと見習いくんが兼任するとか?
「できれば、なぎっちゃ様の信徒から出していただければと。私もあの者も、バックス様に信仰を捧げておりますので」
あー、神官さんも見習いくんも、信仰を変えることはできないと。当然だよね。
しかし、神官かぁ。私の信徒と言ったらエルフだけど、エルフがやるの?
そう思っていたら、マリオンが横から言う。
「ま、神官は問題ないでしょ。魔法都市から立候補者が出るようだし、エルフ達も念動力を使えるみたいだから業務に支障は出ないでしょう」
そんなもんかー。まあ、神官さんと見習いくんが助けてくれるだろうし、問題なく運用はできそうかな。
「それより、神殿を作るなら、儀式をいろいろ決める必要が出てくるわよ。祈りの捧げ方とか、シンボルのデザインとか」
と、マリオンがそんなことを言い出した。
「えー、そんなのいらないよー。そういうのは無しでいこう」
私はそう言うものの、マリオンは首を縦に振らない。
「あんたが要らなくても、信者の立場からすると必要なの。型を整えてやらないと、みんなの意識がそろわないでしょう」
「うーん、そんなもんか」
「じゃあ、いろいろ決めましょ。トート神の物を踏襲するか、まずはそこからね! ふふ、楽しくなってきたわね」
なんだかマリオン、ノリノリだなぁ……。
そして、その後は神官さんとエルフを交えて、なぎっちゃ神殿の今後についてとことん話し合われた。
いやあ、新しい宗教って、こんなノリで作っていいものなのかな。




